先進国の共通の倫理価値観として、「人類平等」があるが、人種や性別によって明らかな知能(IQ)の差や感情や思考の差が存在する。
例えば、ユダヤ人の中でアシュケナージと呼ばれる種族は、中世からキリスト教の禁忌である「金貸し」を職業としており同種族内での婚姻が繰り返されてきた。そのため、この種族は他の種族と比べ突出してIQが高いことが知られているし、逆にIQが低い民族というものも確かに存在するのだ。
このような事実さえも、人種差別につながることから発言することはタブーとなっている。
身近で実感が持てる事実として「美人とブス」の不公平がある。これもまた、事実として生涯賃金の格差があるが、大人になったら発言することがタブーだ。
しかし、本書ではタブー視されて隠蔽された事実にスポットを当てている。本書を読むことでこれまで見えなかった世界が見えるようになり、子供も教育方針から自分自身の生き方についてまで大きな示唆が得られるだろう。
大きな衝撃を受けた内容は、資本主義は知識社会という当たり前の事実を再認識させられたことだ。資本主義は知能の高い者による知能の低い者の搾取であり、社会に出ればそのことを実感する。
また、双子のうち一人はいらないからという理由で、多くの国で昔から養子に出させるケースが多いが、その追跡調査によると同じ職業や同じ趣味を選択したりと共通点が非常に多いことが知られている。その事実は裏を返せば、育てた親の教育方針や環境は人格形成にも将来にも大きな影響を与えることができないということだ。
このように、本書で語られる残酷な事実の中に周知のことは多いものの、現代の倫理観から自分の思考や知識からも抹殺してしまっていたことに気付かされた。
ただし、本書では最も重要な言ってはいけないことが書かれていない。それは、神はいない。精神世界も存在しない、という事実だ。最も、そんなこと証明できない事実だけど。
かつて世界中を震撼させた企業があった。地方都市の冴えない石油パイプライン会社だったエンロンは、貪欲にまみれた経営陣と金融工学と資本主義経済の歪みを利用して彗星の如く頭角を現し、世界を代表するエネルギー企業に上り詰め、あっという間に倒産してしまった。
倒産の最中に全米同時多発テロ事件が起こったため注目をあまり浴びなかったものの、今世紀最大の粉飾事件のみならず、異様な資本主義の象徴として今でも注目している。
エンロンを取り上げたドキュメンタリーは多いものの、いち早く実話を小説化した黒木亮は今読んでもやはり凄い。「青い蜃気楼―小説エンロン」、「虚栄の黒船 小説エンロン」では、3000社にも上る特別目的会社(SPE)に資産飛ばしを行い、粉飾により決算数値を偽り、負債隠しを行うことで株価吊り上げした細かい事例が列挙されている。
経営陣は倒産前に自社株を売ることでCEOのケネス・レイは1億ドル以上の売却益を得たり、会社を辞めているものの、従業員は、給料の一部としてもらった自社株を売ることを社内規定で禁じられ仕事と資産を両方失いながらも、倒産で解雇されるまで必死に働き続けた。エンロンは規模がとてつもなく大きいが、責任ある者が逃げ出し、末端の者が最後まで苦しむのは、他の企業でもあることだし、沈むタイタニック号を思い出させる。
ハーバード大学のMBA卒業者が、金融工学を利用し、ブッシュ政権にロビー活動をして、カリフォルニア州を故意的に停電までして市民に何兆円もの被害を出してまで利益を追求する光景は、倒産後の社員の録音テープから公開されている。倫理観が無く、会社を利用して徹底的に強欲に利益と権力を求める姿は、生きる目的と教育について深く考えさせられる。
ドキュメンタリー映画の「エンロン 巨大企業はいかにして崩壊したのか?」では、残っている映像からいかに経営陣のモラルの無さと同時に強欲な姿がしっかりと捉えられている。
何軒もの豪邸を構え、専用機を保有しても満たされない強欲さ。そして抜群の頭の良さ。経営陣の多くは貧しい生い立ちだったり、地方出身者だった。一生遊んでも使いきれない金を持ちながら、何をそこまで求めたのだろうか。
特に、ケネスの後のCEOのジェフリー・スキリングの頭の良さと、部下を徹底的にこき使い、ライバルを突き落す執念は異様だ。ハーバードMBAの入学面接では「I'm fuckin' smart」と言ったという伝説は語り草だし、仕事以外でも異様なリスクを求めた。
ドキュメンタリー映画では、ジェフリーら経営陣が死ぬかもしれない砂漠でのラリーレースをする姿や大怪我をするシーンが残されている。
CFOのアンドリュー・ファストウはジェフリーに怯えながらも、息子にジェフリーと名付け犯罪と知りながらSPEへの資産飛ばしや資金調達の新手法を編み出し、冷酷に部下を使う。頭の良さと仕事は抜群だが、あまりにも性格の悪いジェフリーの唯一の親友であった元役員クリフォード・バクスターは、エンロン倒産後に謎の銃自殺を図る。
エンロンから巨額のM&A報酬を受け取る投資銀行や証券会社はエンロンの悪い情報をアナリストは書くことはできず、潰れるまで過剰な評価をしていた。監査会社のアーサー・アンダーセンもエンロンの不正の監査を拒否する社員は、外されたり解雇させられたりしている。
デリバティブを利用したエンロンの収益方法もまた注目に値する。エネルギー需給を調整しながら、アービトラージで儲ける利益相反から、エネルギーの調達仲介では固定費と変動費を金利スワップのように変動部分をスワップさせる新手法を編み出した。エンロン・オンラインではエネルギー販売を株の取引と同じようにコモディティ取引所とした。革新的な収益方法を編み出しながら、付加価値を産むわけではなく、一般市民が被害をこうむる。
資本主義の全ての闇と金融工学の恐ろしさを知ることができる良い教材として、今でも学ぶことがたくさんある。また、エンロンは非合法で倫理無視のビジネスに走ってしまったが、斬新な経営手法にも学ぶことは多い。
エンロン・オンライン構想はイギリス支社の新入社員のアイデアだったが、激務にも関わらず法務からITまであらゆる有能な人材が業務時間外に手伝い、応援することによって完成した。それも経営者が知ること無く、大型サーバーを購入して構築してから初めて当時CEOのジェフリーに報告したら怒るどころか「素晴らしい」と感動したそうだ。そしてエンロン・オンラインがエンロンの中核ビジネスになる。
「Think Why?」というミッション・ステートメントから常に常識を疑い、新しい創造と価値を産む企業文化。毎年、企業の人事考課の上位20%には多額の報酬とラスベガス旅行が与えられるのに対して、下位20%は解雇という厳しい環境。多額の年棒とストックオプション。この事件から数年後に日本のネット企業で急成長だったライブドアのフジテレビ買収が始まり、その後崩壊となるのだが両社には似ている点もあるのもまた興味深かった。
われわれ日本人は米国にならい民主主義、資本主義こそが正しいという価値観でものごとを捉えている。しかし、民主主義はどのような個人も尊重し、個人に優劣をつけない。国民全体としての幸福度を最大限に上げようという功利主義では問題となる体制だ。中国では、大衆は民度が低い愚民であるという前提の元、個人の自由を尊重せず国家としての幸福度向上の政治体制と考えると、中国のこれまでの行動が理解できる。
本書を読むと驚きの連続だが、その驚きは自分の思考が欧米化してしまっているという気づきも同時に与えてくれる。
中国のアジアインフラ投資銀行(AIIB)による世界各国への投資の意義は覇権とばかり思っていたが、そうでも無いようだ。ビジネスとしての投資の意味もあるし、投資する独裁国への賛同と協力を得るという重大なミッションがある。例えば、台湾を中国の一部とする、アジアで日本の覇権を許さず戦争被害の当事者として弾圧する、中国の先進国からの人権無視国家という中傷を辞めさせる、といった経済的、政治的なポジショニング戦略としても重要な意義があるのだろう。
読むにつれて、中国への理解が深まるのだが、民主主義の限界についても考えさせられる。
中国の権力中枢において、そもそも現代の欧米先進国よりも高い理想で国家運営がなされているとのことだ。欧米先進国はいうまでもなく、「自由」、「平等」、「民主主義」を大前提としている。しかしそれらは中国の国家運営の前提である 「公正」、「正義」、「文明」という価値の方が中国人からみたら遥かに優れているとのことだ。確かに、中国古典の孔子や孟子の時代の倫理は優れているが、拝金主義の中国ではとても有り得ないと思うのだが。
米国では大統領予備選挙において、人権無視の上、暴言を吐くドナルド・トランプが共和党候補として圧倒的な支持を得たし、ブッシュ政権は強引にイラク戦争に突入した。民主主義においては、民度が低いと国家が暴走する危険性を伴っている。
むしろ、愚民ならば中国のように優秀(とされている)な科挙の伝統を継承する役人による国家統制の方がよほど国家運営がうまくいくのかもしれない。
それでも、国民の個人の自由は何よりも大切だと信じている気持ちは変わらない。むしろ、国家の暴走を止めるために米国民に銃を持つ権利が保障されるように、国民が国家に頼らず自立することで国家の役割を減らすことが今後の世界にとっては重要だと再確認させられた。
三菱自動車のリコール隠し事件を覚えているだろうか?当時新聞やテレビでも取り上げられていたが、当事者意識が無いため記憶が風化してしまっていた。
「下町ロケット」や「半沢直樹」の池井戸潤の作品だが、「空飛ぶタイヤ」は三菱ふそうトラックのタイヤ脱輪による死亡事故をテーマとしている。
トラックのタイヤが脱輪し、歩行者の子連れの母親に直撃する死亡事故を発端とする物語なのだが、トラック運転手は殺人鬼呼ばわりされ、トラック運送会社の社長は整備不良で警察の捜査が入ることとなる。
実際、三菱自動車リコール隠し事件でも、トラック運送会社の自宅には「人殺し」と張り紙が貼られたそうだ。
リコール隠しが発覚していなければ、本当に人殺しとしてトラック運転手も運送会社もその家族も社会的に抹殺されていたかもしれないのだ。
「空飛ぶタイヤ」では、トラック運送会社の社長が、警察と自動車会社から疑いと非難を向けられ崖っぷちにも関わらず不屈の精神で会社の無実の戦う話だ。
このような大企業の不正隠しは実は多く存在するだろう。耐震偽装や検査結果改ざんや三菱自動車のリコール隠しなど、実は氷山の一角と言われている。
消費者は個人として弱者であり、中小企業もまた弱者だ。
トラック運送会社は、検査対象の自動車脱輪の部品であるハブの返還請求と裁判を決意するが、社会的信用を失い仕事が激減し運転資金の減少という時間との闘いになる。
社長の小学生の息子は学校で、父親が人殺し扱いされ深刻ないじめ被害にあう。学校で盗まれた集金袋の犯人扱いにもされてしまう。
他方、自動車会社の品質管理部門に不信感を抱き、運送会社との折衝の窓口にある管理職は、品質管理上の問題とリコール隠しを確信するが内部告発しようとした最中に、希望職種だった開発部門へと異動が命じられる。
リコール隠し隠蔽とのバーターと理解しつつも受け入れ、会社のために運送会社と対決することになる。
グループ会社の銀行でこの自動車会社を担当する社員は、婚約者がこの自動車会社の常務取締役であり、結婚とのバーターで多額の融資をすることになっているのだが良心の呵責に悩む。そんな最中、銀行員の大学時代の同級生が週刊誌記者でリーク隠しを取材していることから接触を受ける。
多くの利害関係者が良心と自己や組織の利益の選択に悩み続ける。何故、良心に従い行動しないのか。失うものを持っている故なのか。
実際に起こった話に脚色されてはいるが、事件に巻き込まれた人をうまく描けている作品だと思う。また、当然この自動車会社の製品は絶対に買わないと確信した。
過疎化が進んでる多くの地方都市が存続の危機に立たされている。地方創生の名の元に、かねてから過疎債や地方交付税によるバラマキが行われてきた。
商社やブローカーが地方自治体に押しかけ、行政と一緒になり無駄な箱モノ行政が行われた。
これは地方によくある光景である。
その結果、現在では財政維持ができずに滅び行く自治体が多数ある。
「プラチナタウン」に登場する町も、産業が無い地方都市だが100億を超える債務が残り、財政再建団体になろうかとしている。
町長が退任し希望を失った町役場は、町を去り日本を代表する総合商社に勤務する中年に希望を託すこととなる。
この話に似た光景はいくつもの地方自治体で見ることができる。そういえば、うちの父親の出身の田舎でも同じ光景が繰り広げられた。
人口減少の一途にあり、大都市からも遠く、目立った産業は無い町で、町長の横領によるリコールが行われた。
この話と同様に、東京で働く初老の金融マンが同級生から声を掛けられ、町長に立候補して当選した。
プラチナタウンでは、田舎ならではの自然と土地の安さから、町長は老人ホームの建設に奔走する。
これまた、目新しいプランでは無い。
米国のアリゾナ州は夏は50度を超える日もある砂漠地帯だが、Sun Cityという町がある。ここは砂漠の何もなかった土地に不動産デベロッパーが高齢者向けに人為的に建造した町だ。
病院、教会、ショッピングセンター、そしてゴルフ場やテニス場を完備しており、富裕層の高齢者専用だが商業的にも成功している町だ。
この町では、自動車の速度制限が厳しく、老人が自宅からそのままゴルフカートで公道を走り、ゴルフ場に向かう姿がよく見られた。
先進的な取り組みだと見ていたが、高齢化が進む日本で見習うことは多いと思ったものだ。
プラチナタウンが行おうとしているのは、民間の力を借りて財政を立て直すこと、地方創生であり、町の再建である。
もちろんそこには利権がらみの汚い連中が大勢いる。しかし、リーダーシップとビジネスで学んだ収益管理とビジネスプランで何とか、町民に希望を与え続けようとする必死な姿に心を打たれること間違いない。
問題を抱えている企業では、いくつもの問題が複数に絡み合ってカオスの状況だ。
モグラ叩きのように、問題をひとつ潰してもまた別の問題が発生する。
「V字回復の経営」では、経営コンサルタントと経営チームが強力なリーダーシップの元に2年間という与えられた期間において、企業再生を実行していく小説だ。
社員の思考方法、問題へのアプローチがバラバラであったら複数の問題など解決することなど出来ない。
物語の舞台は、売上高410億円、従業員数710名、赤字20億円の工作機械メーカだ。この小説の舞台は、実話を元につくられており、建機のコマツ、その子会社で産業用工作機械メーカのコマツ産機ということはメディアなどでも取り上げられている。実話とは違う箇所も多いようだが、実在の企業をイメージして読み進めると面白いのではないだろうか。
また、企業再生にあたりタスクフォースが組まれたが、その中心人物であり社内でくすぶっていたという人物は金型メーカで企業再生中の会社アークの社長鈴木康夫氏である。
さて、経営トップに指名された黒岩は、会社の業務を理解するのに2か月、その後の精鋭部隊との現状認識に就任から6か月を要している。
日本の大企業の典型的な組織の病がある。権限と責任が一致しておらず、責任の範囲があいまいなことだ。プロジェクトの失敗において誰も責任を取らずにうやむやになってしまう。
また、管理職にプロ意識が無く、管理している組織やプロジェクトに対する経営者としての意識が欠落している。
このような弛んだ精神や幼児性を取り除き、プロ意識を徹底するだけでも組織は変化するだろう。
そして、経営コンサルタントとしての企業分析だ。
商品群ごとにその市場性を分析する。市場全体の規模間、成長性、競合の状況を把握する。それを元に自社の商品群の市場占有率、成長性を元にプロダクトポートフォリオ・マネジメントをつくり戦略を練るのだ。
例えば、その業界にはガリバー企業がいて市場の半分を抑えられているとする。そのような市場においては真っ向からぶつかっても勝てない。差別化戦略を中心に戦略を練り上げる。
また、自社の商品が市場占有率も低く、毎年売上成長をしていないのであれば、撤退を検討する。
フロントエンド(売り側)の戦略としては、このような分析を細かく行い営業マンは商品群の中の特定の戦略商品を中心に販売活動を行う。
バックエンド(作り手側)としては、フロント側のマーケットニーズを如何に商品開発に活かすかがポイントだ。大企業であれば、商品開発者、設計者が顧客ニーズを把握しておらず、自己満足の製品開発を行っているケースが往々にして見られる。
このようなことから、抜本的な改革として、商品群をビジネスユニットと呼ばれる疑似企業に会社を分断させた。
そのビジネスユニットにバックエンド側の設計~製造までも分けてしまったのだ。当然、売上・原価・経費といったP/Lも書くビジネスユニットで管理することになる。
一見すると余りにも効率が悪いように思える。
本来企業は大企業になるほど、大量購買、量産効果でスケールメリットが出るからだ。
しかし、あえてスケールメリットを犠牲にして中小企業の集まりのようにすることにより、現場、営業、生産までの情報共有の伝達スピードが劇的に短くなり、情報量そのものも減る。
なんと、本書の例では、以前の組織より縦の階層が減りフラット化することにより、中間管理職を中心とする余剰人員が減らせられたのだ。
そして、ビジネスユニットの商品群ごとに現状認識、仮説を立て検証、戦略を練りその実現のためのプロジェクトを構築する。
例えば、商品の個別のコストダウンであったり、新商品の開発であったりだ。
それを一連のストーリーとして組織内の人員に共有し一丸となって目標に進む。
ここで重要なのは、測定できる指標が必要ということだ。KPI(Key Performance Indicater)と呼び、各プロジェクトごとに策定する。
例えば粗利、販間費、市場シェア、材料比率、顧客訪問数といった数値だ。
さて、本書では改革の実行を行う前の分析に半年を要し、企業がV字回復するまでにさらに半年を要している。
与えられた期間が2年間であったが、このような時間軸をどのように感じるだろうか。
戦略思考に基づく日々の業務遂行によって組織が決定される。
例えば、Aという商材を販売しているとしよう。Aの属する市場の大きさ、成長性、Aの市場シェアを算出することによって製品Aのポジションが明確になり打ち出す戦略を策定することができ、それによって組織と実行につながるのだ。
例えば、プロダクトポートフォリオ理論(PPM)により、製品Aが問題児なのか、金のなる木なのか、負け犬なのかが決定され、力のかけ具合が変わってくる。
もちろん、そんなに都合の良いデータが準備されている訳が無い。
もし市場シェアなどの情報が販売等されていればそれを活用するのだが、信頼性を十分吟味する必要がある。
競合企業のIR情報での資料も重要な情報は省かれていることがほとんどだろう。
そんな時は、フェミル推定を使う。
フェミル推定は、与えられた情報から推論して仮説を立てることだ。
例えば、
・車に卵は何個入るか
・東京に猫は何匹いるか
コンサルティング会社は、様々な思考法、推定法を用いてもっともらしい仮説を立てる。
また、フリーディスカッションやブレーンストーミングで纏まりの無いバラバラな意見を、いくつかの軸(パラメータ)で綺麗に分類分けを行い、マトリックス表記したりする。
このように情報を整理することによって、分析ができ戦略を立てることができるのだ。
知識の量ではプロには勝てないし、年の功にも勝てない。
しかし思考力では勝負することができる。
これはボストンコンサルティンググループで口を酸っぱくする程言われることらしい。
超高給で働くコンサルタントは、思考能力で客から金を貰っているとも言える。
本書では、様々な思考方法、分析方法を学ぶことができる。
もし、会社で業界や製品の分析もしていないようだったら、情報が無くても仮説を立て分析し戦略を立てることができるのだ。
一橋大学を同年に創業し、ボストンコンサルティングから企業再生専門のコンサルタントとして活躍し、ミスミの経営を引き継いだ三枝 匡氏と経営学者である伊丹 敬之氏による対談だ。
実務をこなしてきたコンサルタントとしてミクロな視点から経営を語るのに対し、経営学者は企業で働いたことがないのでマクロな視点で語る。
咬み合わないようで、お互いに話を合わせようとする。
自己主張が強い2人であり、自己の信念と理論が完全に構築されているので、曖昧さはない。
2人が一致するのは、日本企業に共通する「戦略性の不足」だ。
日本企業ではマネジメント経験の不足であったり、経営理論を学んでいない者が経営者として普通に働いている。
それで企業間の競争に晒されているので、本来であったら恐ろしいことである。
しかし、それでも日本企業が強いのは、経営戦略の欠落を補う別のものが存在するからだと再認識した。
それは、例えば品質に対するこだわりであったり、同一民族性からの助け合い精神であったり、勤勉さであったりする。
「社内統制が緩い」にもかかわらず会社が回っているのだ。
三枝氏は、ミスミの経営を引き継ぎ、創業者が30年以上かかって売上高を500億にしたのを、わずか4年で倍の1000億にしたという。現在では2000億円の会社であり、この成長を持続させれば1兆円企業になることも夢ではないだろう。(ご高齢であり猶予は限られているが・・)
また、三枝氏はコンサルタント時代から著名で、実話をベースとした経営小説を書いており、多くのビジネスマンに読まれている。
中でも、『V字回復の経営』は増補改訂版では、実話の元となったコマツ産機の鈴木氏(現 アーク社長)との対談を巻末に挿入されており、経営者必読の書となっている。
さて、三枝氏が経営コンサルタント時代から一貫している経営手法は、組織を細かく細分化し、「創って、作って、売る」(バリューチェーン)を速く回すことだ。
ミスミではこれを「スモール・イズ・ビューティフル」と読んでいるようだ。
さらに、「時間と戦う」というコンセプトというか理念のもと、社員は行動規範としているようだ。何ともせわしないイメージだが。。
本書では、仕事にかける「熱き心」の重要性を説いている。
いくら戦略が優れても、リスクを負って成功のために追求しなければ意味が無い。
「戦略志向の論理性、計画性」、
「業務遂行能力」
「抽象化、理論化、敷衍化」
これらが無いと新しい競争環境で戦っていくことができない。
真剣に戦略と実行のプロセスを繰り返していけば、転職しても業界が変わっても通用する。
どんな会社にも同じような人間はいるし、大抵のことは「いつかどこかで見た光景」と思えるからだ。
三浦知良の生い立ちは冷酷なものだった。そしてマスコミには登場することのない犯罪者の父の熱狂的なサッカーへの思い入れが日本を代表するサッカープレイヤーであるカズをつくりあげたのだ。
マスコミの情報からカズのイメージは、貧しい母子家庭で母のお好み焼き店を手伝いながら兄と妹と切磋琢磨してサッカーに励み、ぱっとしない選手だったものの、ブラジルへの単身留学で孤独な環境の中、努力を積み上げてブラジルのプロサッカー選手になったというサクセス・ストーリーだった。
ところが、事実は違う。
三浦知良は狂信的なサッカーファンである父・納谷宣雄によって人工的につくられたサッカープレイヤーなのだ。
ブラジルの大都市サンパウロに日本人街リベルダージの一角に日本の歴史館がひっそりとあり、そこには過去の日本人移民の歴史とともに、三浦知良のブラジルでの成功を称えた展示が存在する。
30年以上前のブラジルの情報が入らない時代に、高校生のカズがどのような心境で留学したのだろうと、その展示をみて疑問に思った。
しかし、カズは単身で留学した訳ではない。父・納谷宣雄がブラジルにいて面倒を見続けたのだ。
納谷宣雄は日本サッカーを裏から支えた人物でもある。
狂信的なサッカーファンであり、天真爛漫な正確である納谷宣雄は、父親としても社会人としても失格者だった。
しかし、日本のサッカーを実は影で支えてきたのだ。
サッカーボールに麻薬を詰め込んで運んで捕まってからは犯罪者として日本に住めなくなり、離婚した。ブラジルで再起を考える中でいかがわしい商売を続けながらも、人生の中心はサッカーだった。
そしてブラジルに次男・三浦知良を留学させプロで、日本を代表するサッカープレイヤーに育て上げるのだ。
この本では、納谷宣雄の波乱万丈で、影でサッカー界を支配するまるで「ゴッドファーザー」のような人生をインタビューと現地訪問で克明に表現している。
「ドーハの悲劇」
ロスタイムでの失点で日本はワールドカップ出場の機会を逸し、三浦知良はサッカー人生でワールドカップ出場の機会を逸してしまった。
しかし、ワールドカップ予選で、審判の買収を納谷宣雄は目論んでいたのだ。結局それは実現しなかったが、審判を買収していたらロスタイムに延長することは無く試合終了の笛は吹かれていただろう。
スポーツ界に蠢く魑魅魍魎の人物の代表格である裏社会の人物であり、表社会のスーパー選手の実の父という存在に強烈に惹かれるものがあった。
転職の状況は刻々と変化している。
過去長らく定説とされていたのが、「転職35歳上限説」だ。
これ以上の年齢になると、幹部候補のヘッドハンティング、エグゼクティブサーチに限定されてきた。
役職者も部長、部門長、執行役員、取締役クラスに限定される。
しかし、40歳でも9割は課長にさえなれないのが現状だ。
彼らは転職できないのか?
否、できる。というか、今はできる状況に変化したのだ。
本書「40歳からの必ず成功する転職活動: 中年の中小企業から大企業への転職」では、最新の転職事情とWebツールの利用方法が満載だ。
同じような境遇の求職者がどのような会社を受けているか、この求人に何人応募しているのか?(難易度チェック)など。
しかし、夏場は転職活動には大変な季節ですね~。
このクソ暑い中、スーツにネクタイは熱中症の恐れがあります。
必死な求職者とは裏腹に、外資系はほぼ採用ストップ。
特に欧州系は7月から9月まで1ヶ月以上の長期休暇を経営幹部がとるので、採用面接も決済も出来なくなるところが多いのだ。
杉本宏之氏といえば、かつてエスグランドというワンルームマンション販売を経営し、一世を風靡したやんちゃな若き起業家というイメージがこびりついている。
川崎の不良チーマーで悪さをしていた高校生が、卒業後不動産会社に入りのし上がっていく。不動産会社を設立後、時流に乗り上場、そして無謀な経営拡大の末、破産してしまうのだ。
彼の父もまた、不動産会社を経営したものの倒産し、金持ちから生活保護にまで転落してしまう。
まるで父子同じ人生を歩んだかと思っていた。
本書では、上場後の贅沢三昧な生活から一転し、リーマンショック以降の崩れ落ちるような経営不振から債権者による追い込み、自己破産から借金をして会社設立し、再起するまでの壮絶なストーリーが繰り広げられる。
杉本宏之氏に対する怒り、怨念、妬みを抱えている多くの人がいるだろう。何しろワンルームマンションの販売に嫌な思いをした人や大損した人は大勢いるだろう。
投資用ということで頻繁に電話を受けたことがある。投資ローンが降りやすい上場企業社員や公務員へ徹底した売り込み電話を行う販売手法だ。
借金させ投資不動産を買わせるのだが、投資は自己責任だ。購入した多くの人が逆ざやや借金やメンテナンス費用の重さに耐えられない。
不動産デベロッパーは、少ない自己資本から過剰流動だった銀行融資でレバレッジを掛け物件開発し販売し、大きな収益を得ていた。
エスグラントでは業績を更に拡大させるため、ひたすら拡大路線を進めた。リーマンショックで融資が降りず、前期史上最高益をあげていた不動産デベロッパーが次々と破綻していく。
窮地に陥ったエスグラントは、貸し剥がしと債権者からの取り立てに苦しむこととなる。下請けの建設会社は、どうしても金が必要だ。しかし払う金が無い。下請け会社の社長は「おまえを殺して、俺も死ぬ」などと詰め寄る。
上場会社で無い中小企業の社長は、個人保証や連帯保証人付きで銀行借入をしているのだろう。会社が潰れることは、自分や家族の破産だけでなく、他人まで破産させるかもしれないのだ。必死で回収しようとするだろう。
それでも払わない。払えない。
このような状況でも杉本宏之氏は僅かな希望を失わず、苦しみながらも前に進む。
しかし、客からの預り金まで銀行に回収されたのを期に、とうとう諦め破産するのだ。
400億もの借金だ。多くの人を苦しめたことだろう。
倒産し、自己破産した後も、因縁を付けられ、絡まれることも多々あったようだ。
自己破産後も免責されない税金を支払うため、知人に借金をし、妻と子供には逃げられても、生き続け、更には多くの人の協力を得ながら復活へ動き出す。
過去の部下、経営者仲間、友人達の協力を得ながら前へ進む。
窮地に陥った時に、どれだけの仲間から支えられるのかが人間力だと痛感した。
恨みを持つ者も多いが、慕い、助け舟を出す者達がいることは素晴らしい。
起業家には怪しい組織や人物も近づくが、彼の周りは新興企業の経営者から、著名な政治家、経営者まで多くの人脈があった。
ホリエモン、サイバーエージェント、グリーなどから老舗企業の年配の創業者までの人脈。起業家はサラリーマンとは決定的に違うものを感じる。
事業を失敗し、もう表舞台に上がれず細々と生き続ける者がいる一方、こうして多くの仲間に助けられ再起する者がいるということを多くの人に知ってもらいたい。そして、再起できる日本社会は捨てたものじゃないと痛感させられた。
今年大ヒットして、多くの話題をさらっているビジネス書がトマ・ピケティの「21世紀の資本」である。
膨大な過去データを分析し、英語版では900ページを超えるものの米国で大ヒットし、日本でも今冬翻訳発売された。
大きく「Capital(資本)」と書かれた表紙はマルクスの資本論を彷彿させ、内容も資本家と労働者の格差拡大がテーマなだけに、世界中で新聞・雑誌等のメディアで大きく取り上げられている。
ピケティの主張は、下記の等式に表される不平等だ。
r > g
r(資本収益性)がg(経済成長)つまり労働対価(人的資本)を上回るという歴史的事実だ。
マクロ経済学的には「r = g 」に収斂するが、そうなっていない事実である。
つまり、労働者が働くよりも、その企業に株主として投資することのリターンや不動産投資の方が儲かるということだ。
ピケティはこの事実が格差を広げ、不平等につながり、いずれは民主主義の崩壊に繋がると懸念している。
また、その解決策として、グローバルな資産課税強化を主張している。
世界的に課税は労働者の所得税に大きく偏っている事実がある。資産課税を行えば資産家は税率の低い国に容易に移住できるが、労働者はそうはいかない。課税しやすいところから課税しているということだ。そのため、グローバルに資産課税強化するのだ。
しかし、これには大きな問題が3つある。
1つ目は、投資意欲が減退し、その結果として経済成長率が低下し労働対価まで下がってしまう。
2つ目は、資産家の納税額が絶対的に大きく、納税による社会貢献度が高いにもかかわらず、民主主義では1人1票のため権利が少ないためあまりにも不公正な点だ。
3つ目は、先進国内で格差は拡大しているが、先進国と発展途上国の格差は縮まり、人類全体としては豊かになってきているという事実だ。
いずれにせよ実現不可能な解決策だが、民主主義を守るためには資本主義の矛盾を是正するしかないという意思が感じられる。
また、通常rとgを直接比較しない。rが投下資本対収益率であり、企業でいえばROEにあたる。それに対してgは付加価値の成長率でしかない。
リスクフリーのrとして国債利回りや銀行預金の利息があるが、それよりも高い利息の銀行融資で借りて投資することにより、より高いr(投下資本利益率)が得られる。
他方、gに対してもGDPの成長率のように先進国の労働者の対価は増加しない。むしろ先進国では非正規社員が増加して実質賃金は低下している。
ピケティの示すように、戦時中や戦後に資本が徹底して破壊された後以外は、資本収益率が高いという事実が資本主義が常に成長を前提としている事実である。
過去100年以上の歴史を読み解いたデータだが、21世紀は誰もが不動産や株を所持する資本家になれる時代であり前提が大きく異なる。土地を地主から借り、企業の株主になれない時代とは違うのだ。
ピケティの考察が21世紀も続くのであれば、働くことを辞め、金持ちと結婚することを何よりも優先し、住宅ローンなど多額の借金で得た借入を不動産や事業に投資する戦略が有効になる。
振り返ってみると、自分は社会人になって間もなく橘玲の書籍に影響を受け続けてきた。
約15年前、「ゴミ投資家のための人生設計入門」という本書と内容が同じ書籍を見つけ、貪るようにシリーズを読み進めた。
そこには社会人として当たり前の目標であったり、人生設計の根底である住宅ローンと生命保険を否定していたのだ。
思えば、社会人になって当たり前の前提が崩れていた時期でもあった。
山一證券が倒産し、大企業が当たり前のように潰れ、終身雇用が崩壊し、IT革命によって産業が大きく変わる期待があった。女性は一般職で男性が総合職という括りも無くなり、専業主婦も減っていくだろうなと思った。
「ゴミ投資家シリーズ」を読んでいたからか、同僚や同じ職場で働く人たちを斜に構えて見ていた気がする(笑)。
書籍「ゴミ投資家シリーズ」の案内からだったか、海外銀行や海外証券会社をつくるセミナにも参加した。ちょっとした小金持ちよりも自分と同じような若くて貧乏そうな人達も多く参加していたのが記憶に残っている。
数年経って「お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方」が出版されて読んだが、「ゴミ投資家のための人生設計入門」をちょっと直しただけだったので、最初に読んだようなインパクトは無かった。
その後、海外の銀行も証券会社の口座もつくったが、当時とは情報量も違うし、自分の英語能力や海外での交渉能力も全く違うから大きく成長したと思う。
しかし、未だに自分の同年代(アラフォー)は90年代からさほど変わらない価値観で生きているし、橘玲の書籍でも出てくる金銭的な自立であるとか、政府に頼らず生きていくリバタリアン的イデオロギーは未だに普及していない。
むしろ20代から30代前半には、独立や転職を息巻いていた連中も、すっかり会社の居心地が良いからか、年齢と共にもう市場価値が無くなってしまったことを自覚したからか、おとなしくなってしまった。
家族が出来て、マイホームのローンや生命保険や教育費の支払いに必死で、働いて借金を返すだけの生きる奴隷のようになってしまった者も多い(笑)。
今回、大幅に改訂された「お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方2015 知的人生設計のすすめ」を読んで、まず驚いた。
これまで語られることの無かった橘玲氏が脱サラして作家になるエピソードが詳細に書かれているのだ。
彼もまた、ごくありふれた家庭持ちの中年サラリーマンだった。出版社で働いていたこともあり、90年台半ばから出版業界の将来を危惧していたのが独立の根底のようだ。出版業界にいたとは思えない高度な金融知識を習得していったのは、何とマイクロソフトの株を買うためだったのだ。
もちろんバブル崩壊から間もない頃から出版業界の構造を見破り、爆発的にWindows95が売れていたとはいえ、その米国株を買おうと思ったからには特別な才能の持ち主だっただろう。それは、その後の作家として金融業界の知識から政治、イデオロギー、人種、マッドサインエンスまで幅広くカバーしていることからも分かる。
原書を読んでも気づかなかった社会的な関連や、読者に訴えるものは、元々ただのサラリーマンだったからだろう。
「ゴミ投資家シリーズ」から海外への金融機関への投資が広く知られることとなったが、実はそれ以前から、金持ちは節税のために利用していたのだ。そこにはブローカーが多くいて、筆者も脅されたり勧誘されたり、様々なことがあったようだ。
橘玲氏は作家になるよりも速く、確実に大金持ちになることが出来ただろう。社会の歪みと、情報の格差を利用して。
それでも、1冊2000円もしない書籍によって日本人を啓蒙してくれたことに大きな敬意を払いたい。
「裁判は弁護士にとって金儲けのビジネスである」、「保険会社は保険金を支払わないことで儲ける」
資本主義経済でビジネスの視点で考えれば当たり前のことが本書を読むと実感できる。
本書は外国人である知人の保険金不払い問題に巻き込まれた筆者が裁判に参加することによって、日本の司法の問題と一般市民が裁判沙汰に巻き込まれた時にどのように対応すれば良いのかについての体験談と指南書である。
筆者の知人の乗ったバイクが高級車との接触事故を起こした。その知人は日本語があまり話せないことをいいことに、保険会社は保険支払を行わず事故の当事者が保険請求をせず自腹で処理するというでっち上げを行ったのだ。保険の支払はたかだか12万円程度だが、筆者と知人は本人訴訟による裁判を起こすこととなる。
読み進めると保険会社の理不尽さに対する憤りが増すことだろう。
そして、誰もが当事者になりかねない。
そもそも自動車保険に対する不信感がある。
ちょっとした自損の修理を保険を使って修理などすると、自動車保険の等級が下がり保険料が値上がりしてしまう。
保険は万が一のための商品ではあるが、その万が一怒った時にもし支払われなかったとしたら、何のための保険だろうか。
保険はギャンブルと同じだ。違うのは運が悪く事故を起こした時に貰えるという点だ。
本書のケースでは、少額請求であり、当事者が外国人であることを保険会社が巧妙に利用した保険金不払い問題であり、金融監督庁が介入すべき重大な問題だと思われる。
しかし自体はそんなにうまく進まない。
筆者が法テラスで相談したヤミ金ウシジマ君の登場人物そっくりの弁護士は、裁判は弁護士にとってビジネスであり、保険会社が保険金を払いたくないのもまたビジネスであると身も蓋もない正論を言う。
弁護士は儲からない裁判など相手にしない。
裁判には正義など無いのではないかと思ってしまう。
そして一般市民は少額であれば裁判など起こさず泣き寝入りしてしまうのだ。
しかし、筆者らは、たかだか12万円の請求に対し、それを遥かに上回るコスト(時間を含めた経費)を使い裁判を進めていくことになる。
結果として、虚偽の説明と処理をした保険会社の社員がその後社内でどのような処罰を受けたのか、受けていないのか、この酷い保険会社名が分からないのが残念であり、また裁判結果に対しても読むものは納得しないだろう。
それでもそれが現実であり、しかも画期的な裁判結果であるという事実を知ることが、起こりうる一般市民の民事裁判を考える上で重要な意味があった。
有名な俳優が出演していないのに、全米で圧倒的な人気となった映画「ブレイキング・バッド」が面白い。
舞台は砂漠を開拓した新興都市ニューメキシコ州アルバカーキで、しがない化学の中年高校教師と家族を取り巻く物語だ。
ウォルターはかつては優秀な科学者であったものの、親友に研究結果を取られ年収400万円程度の教師をして更に洗車のアルバイトをしているが、肺癌が発覚し人生の岐路に立たされる。
このように死に直面して初めて生き始めるというドラマは多い。黒澤明監督の「生きる」なんかもまったく同じストーリーだ。
ところが、この主人公は、身の丈に合わないプール付きの邸宅に住み、脳性麻痺の高校生を抱え、更には嫁が妊娠しているのだ。残された家族のことを思うと死にきれないという思いに立たされるのだ。住宅ローンも残されたままで、日本のように死亡保険付きの住宅ローンになっていないため、残された家族に支払い義務が生じるのだ。
そこで、タイトルのブレイキング・バッド。これは道を踏み外すという意味があるようで、ウォルターはかつての教え子で不良のジェシーを捕まえ、覚せい剤の製造をして金を家族に残そうとするのだった。
さすがは有能な科学者だったということもあり、純度の高いメス(覚せい剤)を製造し、麻薬業界に一躍有名となる。
アメリカでは、借金で身の丈に合わない生活をする。返済のために仕事を掛け持ちすることも増えており、覚せい剤はそんな社会背景もあり蔓延している。
日本でもかつてはヒロポンの名前で覚せい剤は合法で親しまれていた。
実は日本でもアメリカ同様に覚せい剤が蔓延しつつある。しかも、これまで検挙者が10~20代だったのに対し、近年では40~50代といった中年が半数を超える。ごく普通の生活をしている家族を持つ中年が、ストレスの増加や激務をこなすために覚せい剤を手にしているのだ。インターネットで手軽に取引されているのも増加の原因のようだ。
かつての覚せい剤はアンフェタミンであったが、より覚醒度の強いメタンフェタミン(メス、スピードなどと呼ばれる)に移行している。
ウォルターの作った良質のメスは、ジェシーが売りさばいていたが、やはり流通させるためにはプロの販売網を活用しなければならくなる。そこで街のチンピラに接触したことから事態は悪化していくのだ。
チンピラとはいえ、彼らは暴力を振るうし、バックにはギャングがいる。その背後にはメキシコの麻薬カルテルがいて、ウォルターと家族は危険にさらされることとなる。
更には、1億以上稼いだものの、麻薬で稼いだ違法な金のため、脱税した裏金同様に使うことが出来ない。しがない教師が大金を使っていたらすぐに税務署に見つかってしまうのだ。
また、ウォルターの義弟は麻薬捜査官(DEA)であり、後戻りの出来ない状況に追い込まれていく。絶体絶命の度に化学の知識でなんとか切り抜けていくのも面白い。例えば、毒ガスをつくって逃れたり、爆発物をつくったり、死体を塩酸で溶かして処分したり。
はじめは人殺しなどできなかった主人公が悪の道に引きづりこまれ、なんの躊躇もしなくなっていく怖さもある。
マネーロンダリング、永遠の旅行者に続く橘玲の待望の3作目はタックスヘイブンだ。
出版社勤務の後に、ゴミ投資家シリーズで海外金融機関を紹介し、今は作家として活躍している橘氏の小説は、プライベートバンク、風俗業など中小企業の脱税、そしてヤクザの登場が特徴的だ。
かつて、「マネーロンダリング」で小説家デビューした時には、その斬新な脱税手法が話題となった。何しろ、実際に山口組がシノギをこの手法で海外のプライベートバンクに逃避させていたのだ。それにより、橘氏は警察から「山口組の指南役」ではないかと疑いをかけられたらしい。小説を出すたびに、最新の海外金融機関を利用した高度な脱税手法を紹介しており、出版後しばらく経つとその手法は使えなくなる。
今回も、主人公で外資系金融機関を退職してフリーの金融コンサルタントになった古波蔵は、風俗業の社長の脱税指南をする。外資系金融機関がこれまで行ってきた富裕層向けの節税スキームはアメリカ当局の厳しい追求で使えなくなってしまった。スイス系銀行はもはや顧客守秘義務を守らず、アメリカに顧客情報を渡すことで生き残る道を選択した。
古波蔵は外資系プライベートバンクを辞め、20代で一生遊んで暮らせる金を持ちながらも、不法な脱税指南を職業として生きている。
と言っても、国内の現金を海外に送金ではなく、実際に運ぶ手伝いをしている単純な手法だ。また、死亡したファンドマネージャーの美しい妻・紫帆は、高校時代の同級生で翻訳の仕事をしている牧島と死亡現場を見るためにシンガポールを訪れ、亡き夫の秘密を知り、狙われることとなるのだ。
ストーリーは違うものの、雰囲気は一貫して橘玲の小説と同じだ。そこに魅力を感じる反面、登場人物のキャラクターの独特の性格に違和感も感じる。
何しろ、これまでの小説もそうだが、登場人物は決まって、独身で組織に属さず、何かしら高度な知識を身につけ、自由だが孤独に生きているからだ。フリーランスで生きるということはそのような面があるのかもしれない。それにしても、誰にも頼らず、友人を持たず、誰にも依存しないという、サラリーマンの世界ではあり得ない特徴を持っている。
組織に属さずに生きるというのは、当たり前だがこのようなことなのだと毎回思い知らされる。過去の作品も再び読みたくなってきた。
「デフレの正体」が大ヒットとなった藻谷浩介氏の著書「里山資本主義―日本経済は「安心の原理」で動く」は、マネーが中心となった現代社会の問題点を指摘し、文明化から取り残された里山(地方都市の田舎)にこそ幸福があるということを多くの事例を交えながら紹介してくれる。
藻谷氏の主張には賛同させられる点が多い。マネーによる交換と貿易の自由化により、利便性と豊かさは得られるようになったが、これは諸刃の剣だと思う。特に思い知らされたのが、東日本大震災の直後だ。物流が止まり、ガソリンは入れられなくなり、コンビニから水も食料も消えた。幸い数日の我慢で済んだが、これが長期化したとき都市生活に慣れきってしまった現代人に自給していく能力は無い。
グローバル化による資本移動の自由化により経済効率は急速に高められてきた。効率性を重視するのであれば、国内の非生産的な産業を廃止し、生産性の高い産業に特化して非生産的な産業は輸入すればよい。それによって急成長したのが、シンガポールだ。同国は農業を捨て、金融とITに特化することにより、アジアにおける一人当たりGDPの高さでトップとなった。
日本は安全保障上の問題という建前から、国内農業を死守(本音は票田)してきたが、エネルギーに関しては完全に輸入に依存しており、とりわけ中東に依存していることから、中東で戦争が起こり供給が停止でもしようものなら電気が賄えないばかりか、米や野菜を運ぶ物流も麻痺してしまうだろう。
このような不安定な状況でバランスを取って生きているのが現代の日本人なのだ。何でもカネで買うのが当たり前の世界であり、自分も毎日のように肉を食べるが、そこに感謝の念など無かった。その裏には汚い工場のような宿舎で食肉として育てられる動物がいて、かつては蔑まれた屠殺してくれる人達がいるのだが、そんなことを意識する人がどの位いるだろうか。
我々の生活基盤は資本主義の前提である、平時の安定した世界の政治・経済状況に依存しているのだ。
さて、里山資本主義では歯止めの掛からなくなった資本主義社会に警鐘を鳴らしている。資本主義ではマネーが中心の交換社会だが、そのマネーさえも電子化され実態が無くなり、更には政治的に景気対策と称してマネタリーベース(通貨の発行量)を意図的に2倍になど増やして(通貨価値は2分の1に希薄化される)コントロールされてしまう世界だ。
このような世界では、本来の衣食住に携わる職業が極端に減り、仕事内容は細分化され自分の仕事が社会にどのように役立っているかも分からなくなりがちだ。単に、マネーを得るための稼ぐ手段が職業であり、労働となっている。人間本来の自然と共に生きるという本能があるからか、現代型の社会、資本主義に馴染めなくなった者は、うつ病を発祥したり、人のつながりが無くなれば社会の底辺に埋没してしまう。
平時では何にも問題の無い者も、資本主義の勝者である金持ちも、いつかは来るであろう震災であったり有事によって社会の基盤が傾いたとき、自給して生きる能力が無い社会なのだ。
しかし、里山には資本主義には無いものがある。
里山ではマネーが絶対的な指標ではない。マネーが無くても食料もエネルギーも手に入る。人と人とのつながりや物々交換、里中にある資源も利用できる。それは資本主義の遥か昔からあった商慣行であり、資本主義によって忘れられたものでもある。
里山では兼業農家でも自給しようと思ったらできるし、猪や鹿や鳥など狩猟もできる。それらを物々交換することもできる。日本は林業は補助金無しでは食っていけないが、バイオマス燃料という発電方法が紹介されている。(もちろん里山にある程度の木材では地方都市のエネルギーを自給することなどできないが)
但し、里山では都会よりも豊かな生活ができるというのは幻想だ。
コンビニもドラッグストアも近くに無い生活に都会暮らしをしたものが馴染むことができるだろうか。また本書では地方都市での生活費の安さが強調されるが、仕事を探すのは至難の業だし、賃金も安い。それでもやはり生活費の安さは魅力的に写るだろうが、実はコレ、都会の人から巻き上げた税金で成り立っているのだ。
田舎に引かれる道路も電車も橋も電気・水道といったライフラインのインフラも地方都市の経済力でつくれるものではない。地方交付税という都会から集めた金を国が再分配する仕組みの上で成り立っているのだ。更に言えば、全国一律の賃金にかかる累進課税も年金受給金額も田舎には有利だ。都会の年収600万円と田舎の年収300万円では、生活する上での金銭価値は同じようなものかもしれないが、賃金が高ければ累進課税による納税額が大きくなる。
更に、田舎で農作物を販売しつつ自給にも物々交換にも使うというのは、市場を通さないため納税を行わないが、都会の人達は税引き後の賃金から更に消費税を払い農作物を買い、その金額にはJA(卸売り)と八百屋(小売)と更に物流コストまで支払っている。それだけでなく、関税のため本来の農作物の価値の何倍もの費用負担を消費者は行っているのである。
林業のバイオマス燃料としての有効活用の事例を見ても、日本の林業は税金投入という補助金により生きながらえており、それをさらに発電し売電するという家庭でFIDというこれまた電気利用者の負担による優越的な買取価格制度の恩恵を受けていることになる。また田舎には当然年寄りが多く、その年金や医療費は若者の多く済む都会が負担していることになる。
そのように考えると、たしかに里山の生活は良いかもしれないが、その前提には日本社会の税制度の歪みを利用したただ乗り(フリーライダー)要素が強く働いているのだ。都会のとりわけ若者が働いても貧しい裏にはこんな里山の豊かな生活を負担しているからなのかもしれない。
自分にまとわりつく不安や希望、それらをコントロールできれば人生が大きく切り拓くことができる。
感情に支配されてしまえば、行動が制限されてしまう。
本書はNLPの共同創始者、リチャード・バンドラー博士のセミナーを受講した主人公が、
3日間で人生を変えていくという、NLPセミナー体験小説だ。
本作の主人公ジョーは、横暴な上司の下で働くことに嫌気がさし、恋人にもフラれたことで、
「どうせ自分の人生なんてこんなもんさ」と思っていました。
そんなある日、姉のマリアから「リチャード・バンドラー博士の3日間のセミナー」に参加することを勧められます。
3日で人生が変わるなんてはなから信じていないジョーでしたが……。
「人生なんて変わりっこない」と思っている男性を主人公に据えることにより、
さらにセミナーという形式をとることにより、誰にでもわかりやすく、
NLPが説く「自分の人生を思い通りに生きる」ための手法が理解できる仕組みになっている本作。
読者は、主人公同様、「たった3日なんかで人生が変わるわけがない」という視点から、
次第に変化していく過程を、主人公の心の動きを通して体験することができます。
また、リチャード・バンドラー博士のセミナーに参加することは、
それだけでも貴重なものであり、そういった意味でも、
NLPを学ぶ人々にとっては、貴重な1冊になることは間違いないでしょう。
3日で主人公ジョーの人生がどう変わったのか。
NLPで人生が劇的に変わったという人に会ったことがある。彼は幼少期のトラウマを抱えて人生の大半を生きてきた。
それが、半年足らずのNLPの受講で生まれ変わったかのように変化が見られたのだ。
この話を聞いただけでも、半信半疑だが、更に彼がNLPに費やしたのは300万円にも上るということから、自己啓発の詐欺か何かだと疑わずにはいられなかった。
しかし、NLPの効果は体験してみないと分からないともいう。本書はNLPがどのように人に影響を与えるのかを垣間見ることができる。
本の分量としても、ちょうど3日間で読破できる分量だろう。
まず心の仕組みについて深く考えさせられた。
過去の経験や未来への勝手な想像が、思考から離れ潜在意識となり心を支配してしまう。
心理学や催眠術による過去の振り返りは、かえってトラウマを明確に呼び覚ましてしまい悪化させてしまうことがあるらしい。
NLPではその点に配慮されたテクニックで、過去との決別を計る。
例えば、過去の触れたくない記憶を現在から巻き戻し再生して思い出し、そのイメージを小さくさせ飛ばしてしまう。
心に聞こえてくるネガティブな声を、バカみたいな声に変えて笑い飛ばしてしまう。
そして、自信に溢れ、最高の状態の自分をイメージし、そのイメージに入り込んでしまう。
このようなテクニックとリチャードの講義内容から、主人公が変わっていく姿に自分を投影することができる。そしてセミナーでの同士達との出会い、美しい女性との出会いもまた小説を盛り上げているのだ。
作者の樋口毅宏氏はよほどタモリに対して思い入れと敬意があるらしい。
ハードボイルド小説「さらば雑司ヶ谷」では、クエンティン・タランティーノの映画「パルプフィクション」や「レザボアドッグス」を連想させる。
ストーリーとは関係の無い、他愛も無い世間話が延々と主人公を取り巻く人物の間で交わされるのだ。
四半世紀、お昼の生放送の司会を務めて気が狂わないでいる人間が!まともな人ならとっくにノイローゼになっているよ。タモリが狂わないのは、自分にも他人にも何ひとつ期待をしていないから。
「タモリ論」では、なぜ30年以上も毎日、生放送の司会を超然と続けられるのか? サングラスの奥には、人知れぬ孤独や絶望が隠されているのだろうか?
と作者は嘯(うそぶ)く。
確かに、タモリの「いいとも」でのやる気の無さは10年以上も目に余るものがある。そもそも、登場するゲストの経歴も調べず、話すことさえも決めておらず、時に沈黙というテレビでは一番芸人が恐れることをやってしまうこともある。タモリも以前から「沈黙は怖い」と言っておきながら、ゲストから聞き出すインタビュアーの能力が無いどころか、努力が感じられない。見ている方が沈黙が怖くなってしまうことがあるほどだ。
それでも、ここ10年以上夏休みも取らず、休まずに毎日「いいとも」に出続ける。
しかし、「まともな人ならとっくにノイローゼ」になるほどのことなのだろうか?
タモリの立場からすれば、「いいとも」などいつでも辞めれるだけの資産がある。1日1回テレビに数時間出るだけで100万を越す待遇という魅力に取り付かれているようにも思えない。何故続けるのか?そんなところが謎めいているのは確かだ。
それでもタモリほど恵まれた立場の人はほとんどいない。サラリーマンが定年まで、終わりの無い日常を毎日続けることの方がよっぽどキチガイじみていると感じないのだろうか?
サリーマンは有給も使えるし、行きたくない日はサボれるかもしれない。それにしても1日の労働時間の長さ、永遠と続く苦痛はタモリの比では無いだろう。
毎日同じ客先に頭を下げる営業マン、同じ製品を毎日組み立てる作業者、同じ製品のちょっとした改良を永遠と繰り返す技術者、そして嫌な上司や同僚の存在。毎日3時間にも及ぶ長距離満員電車。サラリーマンは苦痛の連続ではないか。
自営業者はどうか。自分の城があって、誰にも使われる立場ではないかもしれない。それでも、定年も無く、いつ潰れるかもわからない店を継続するのは大変だ。ラーメン屋の親父にしろ、どんな職業にせよ、苦痛の連続ではないのか?
実際、ノイローゼになる人が多発している。それは希望の無い社会に原因があるのかもしれない。
読み始めて数ページで期待を裏切られた。悪い意味でだ。
下町と言うから足立区や墨田区の父ちゃん母ちゃんでやっている町工場、鉄工所を想像していたのだが、主人公の佃は元ロケット研究員という華々しいキャリアの持ち主であり、父の死後継いだ会社は従業員100人規模の零細企業とは言えない中堅企業だった。
しかも、この企業は下請け企業とは言えない。受託製造を行っているが、特定の企業に依存している訳では無く、自社で特許をいくつも取っている研究開発企業なのだ。それもベンチャー企業ではない。少ない従業員で100億近くの売上を誇る製造業では突出した従業員一人当たり売上高を誇る企業だ。
この時点で、一般の企業と大きく異なっていることが分かり、製造業で働いている人で感情移入できないのではなかろうか。
会社は、東京都大田区にある部品加工会社佃製作所という。このような土地がべらぼうに高い場所に100人規模の工場が実際に存在し得るのかも甚だ疑問だ。
自社製品を出している訳でもなく、受託製造の会社なのだ。このような会社は複数の企業から購買されるため買い叩かれ利益は著しく低いのが一般的だ。
高度な技術を持っていても、高級な設備を持っていても、そのようなものは買い手の企業からは要求されないのだ。
このような事情を知っていれば、この本の物語は著しく製造業の現実とは異なっている。筆者はこんなことも取材して分からなかったのかと残念な気持ちになった。
しかしだ。文章力があり、やはり読み続けるとどうしても物語に引き込まれる。
主人公の佃は、航空産業の一流企業である帝国重工(三菱重工がモデルか)に先駆けてエンジン部品の特許を取得する。この特許をめぐって物語が進むのだが、大企業でモノマネばかりで成長してきたナカシマ精機、通称ナメシマ(これは松下電器がモデルか)に特許侵害で訴えられ、資金繰りや風評被害で苦しい戦いを強いられることとなる。
帝国重工にしてもナカシマにしても大企業の横柄な態度と見下した態度には辟易とさせられるが、今時会社ぐるみでこんな社員ばかり出てくる会社なんかある訳ないだろう。
部品製造を内製化したい帝国重工からは特許を売ってもらいたいという要望を受けるが、佃は断るのだ。特許を売ることによって資金繰りが楽になり、会社の利益にもなるというのに。それよりもその部品を製造して帝国重工に供給したいという帝国重工には受け入れられない要求をするのだ。
これによって佃製作所の社員は猛烈に反発されることになる。
このような社員の当たり前の気持ちと合理的な行動を受け入れず、あくまでもロケットに自社で製造した部品を供給したいという主人公の態度に辟易としたのだ。製造業のおかれている環境は厳しい。会社が永続的に存続できるという保証はどこにも無い。私立中学に通う主人公の娘の同級生の親の経営する会社も倒産し転校していった。
主人公は失敗すれば、社員の求心力を失い、倒産すればすべての財産を失い、会社の負債が大きく圧し掛かるだろう。そのような状況下で何を馬鹿なのことを考えているのだと思ったものだ。
しかし、無理して読み進め、その間に色々と考えてみると、以外に主人公の佃の考えは正しいのではないかと思えるようになってきたのだ。
特許を売ってちゃっかり儲かって、会社を売却して大金持ちになるという選択を蹴ったのだ。しかしそれでも夢を追い求めているのだ。
理系に進んで、製造業に働く優秀な人は沢山いる。稼ごうと思ったら、広告や銀行や商社や生保に行くだろう。コンサルティング会社で働くだろう。
しかし虚業を選ばずに、あえて苦難のものづくりを選んだのだ。
そこに夢を求めなかったらどうする。
忘れていたものを取り戻したような気分だ。
エリートサラリーマンが失業し、多額の借金を背負って鬱病で自殺未遂するという実話である。
あんがい、エリートも生きぞこなって死にそこなった者も大した違いはないのだ。成功者も明日は失業者かもしれないという暗く恐ろしい現実がそこにある。
筆者の北嶋一郎氏は、バブル期に帰国子女として日本の大学を卒業し、IBMに入社する。
当時大人気だったIBMの同期社員はなんと2500人。その中で、入社して1年目にはすでに年収1000万円を突破する。
外資系の大企業でいかに出世するかを考え、狙いを定めた上司に対する徹底したおべんちゃら作戦で、エリートコースに乗ることに成功する。
歯車が狂い始めたのは、PCを売る事業部で働いていた時、その事業ごと中国メーカに売却されてしまったときからだ。
IBMが大好きで、仕事に誇りを持っていたのに、中国メーカになったとたん働く意義を失ってしまう。
こんな会社のために働きたくないと思い、IBMにも戻れないことを自覚し転職を決意する。この時もう40歳を超えている。
人材紹介会社から紹介してもらった会社は、インテル、マイクロソフト、アップル。どの会社にも行くことができたが、製造業であるインテルを選ぶこととなった。
インテルは秘密主義の会社で、隣のデスクが何をやっているかもわからない会社だった。転職してからもIBMの時のような熱意を持って仕事はできなかったのだろう。
不況からリストラが実施され、あえなく退職することとなる。
次に選んだ会社は長く働ける会社が良いとの思いから、日系の富士通を選んだ。ここでは課長という職で年収2000万円で転職した。
課長でありながら、部下を任せてもらえずに部長預かりという微妙なポジションかつ、平机の並んだ日本企業ならではの社風や自由が無い拘束された環境からなじめないままリストラ勧告されるまで過ごすこととなる。
一体何が目的で富士通はこのような高年収で採用したのだろうか?生え抜きでは定年まで達しないような年収だ。しかも仕事は生え抜き社員が微妙な会社の人間関係から成り立たせており、これでは社外からいくら優れた社員を取ろうがうまく活用なんかできっこない。
IBMを辞めてからの2社はどちらも1年も満たない退職勧告だった。
次もすぐに見つかると思っていたものの、いくら待っても人材紹介会社から転職先の斡旋は来ない。
不況に突入し、直近2社を短期間で退職している者に良い仕事は紹介されないという事実を突き付けられるのだ。その後はなんと光通信にまで転職し、あまりのすさまじい職場環境ですぐに退職を余儀なくしている。
これまでのエリートサラリーマンとしてのプライドと浪費が次の転職に高いハードルをつくってしまったのだろう。仕事は見つからず、不眠症になり鬱病と診断される。
金遣いが荒く、持ち家も無いのに1億1千万円の借金をつくっていた。
失業し、アルバイトをやるも続かず、同棲している彼女に食わして貰う始末。没落し、やがて絶望から自分を追い詰め壮絶な自殺未遂することとなる。
死にきれず生還した彼は、エリートサラリーマンだったときには見えなかった友情なんかが身にしみてわかるようになる。うつ病は双極性障害と診断され障害者認定を受けることとなった。今はツイッターで知り合った別の女性に食わしてもらって自己破産を申請し再起を図っているようである。
現在も日本企業の多くでリストラが実施されている。彼と同じような立場にいる人は多いだろう。自殺者は年間3万人を超えている。
今仕事がある人にとってだって決して他人ごとでは無い話なのだ。
それでもこの本は仕事だけが人生では無いことを教えてくれる。人生で本当に大切なのは何かは、大きなものを失った時に見えてくるのかもしれない。
楽天の買収した電子書籍koboから日本向け電子ペーパー端末「kobo touch」が発売された。
先行予約しておいたので、楽天プラチナ会員特典として実質5000円を切る、激安価格で入手することが出来た。
まず、端末のハードウェア性能でいえば、かなり満足できる製品という感想を持った。
電子ペーパーのため白黒ではあるが、iPadなどのタブレット端末に比べて劇的に軽く、新書と変わらない重さだ。また、バッテリーの減りも心配することが無いので旅行や出張などのお供に最適だ。
koboが凄いと感心したのは、タブレット端末とは違う薄さと軽さで、これまで以上に簡単に電子書籍が楽しめる点だ。また、英語書籍は電子書籍の方が安くて、購入した瞬間から読み始めることができるので、早速海外の小説を購入して読み始めているところだ。英英辞書が内蔵されているので、知らない単語を押すと意味が出てくる。
また、青空文庫では著作権切れの太宰治や夏目漱石の書籍が無料で読めるので、昔の純文学をこれから再度読んでみようと思っているところだ。
がっかりしたのは、日本語書籍の品ぞろえの少なさと、電子書籍の価格の高さだ。今のところ読みたいと思う関心のある書籍が無い。価格に関しても、書籍と価格がそれほど変わらないのが一番がっかりした点だ。これならAmazonマーケットプレースやブックオフの古本を買った方が遥かに安い。
日本の書籍は、海外のペーパーバックと紙質が違って良いので、古本でも充分読むことが出来る。
AmazonのKindleが世界であれだけ流行ったのは、電子書籍が劇的に安いという点が大きかったからだ。
品ぞろえは今後に期待するとして、価格は何とかならないのだろうか。Amazonも日本でのKindleを間近に控えているが、恐らく出版社との価格交渉に時間を取られているのだろう。
koboの端末は使えばどんどん慣れてきそうだ。端末の価格が非常に安いので、これから品ぞろえに期待したいところだ。全部が電子書籍になってしまえば、家の中に積まれた本が無くなるのはうれしいことだ。ちなみに、一部屋を書斎で占有しているので、月額数万円の書籍保存料を払っているようなものだと気付いた。
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日本の「政治は二流」と昔から揶揄されてきた。国家の法律や予算を含めた指針が一部の権力ある政治家達による密室によって決められていることや、権力闘争や政局の争いによって国益からかけ離れた政治活動が行われてきたようだ。
政治漫画は少なからず出版されているが、「票田のトラクター」は現実とフィクションが微妙に重なりあった政治の裏舞台がわかるストーリーとなっている。かつては現実の政治を先取りしてまるで予言の書のように漫画の世界が現実化していった。
主人公の五輪は国会議員の秘書であるが、これは小沢一郎に仕えた秘書高橋嘉信がモデルとなっている。裏方に徹しながら工作活動する秘書の姿は国民の知らない裏舞台だ。
主人公が仕えるのは小沢一郎をモチーフとした政治家だ。初期作品では中選挙区での資金調達から票田集めの運動が描かれており、続編では民自党内の派閥昭和会を部隊に政局活動が非常に面白く描かれている。
竹下登、金丸、中曽根といったかつての自民党を動かした人物がモデルとなっているのがわかり、また野党との慣れ合いなども勉強になる。
それにしても小沢一郎は長く政治家をしていながら、謎だらけの人物に思えてくる。新党である「国民の生活が第一」という消費税導入反対かつ小沢チルドレンを率いる裏舞台が見てみたいものだ。最近では週刊誌で小沢の妻の決別状という手紙が公開されたが、小沢は沈黙を守っているが真相が知りたいところだ。
この漫画では、「小沢一郎が趣味」とまで公言していた高橋嘉信がモデルとなっているとのことだが、よほど本人の近くにいない限りこれほど細かい描写はできなかっただろう。「小沢の影に高橋あり」という話は聞いたことはあったが、主人公の言葉をそのまま拝借すると「東大の政治学よりもよほど勉強となる」というのがこの漫画を読んでの感想だ。
経済学者ミルトン・フリードマンの提唱する自由主義観(リバータリアリズム)は今でも健在だ。革新的でもあり、資本主義の問題の核心を突いている。
本書では、マンガで近い将来起こりうる大きな日本の問題に対して、小泉進次郎がフリードマンの政策を大胆に実行する姿を描いている。
物語は2015年最初の国債入札で、長期国債が大量に売れ残り、長期金利が急上昇する場面から始まる。
これまで護送船団だった邦銀がいっせいに国債を売り始める。長期金利が1%上がると1兆円の損が出るメガバンクが大量に売りに走り、外資系ファンドも大量の空売りをかけ始めた。国債は暴落し長期金利は10%を超え、邦銀は数十兆円の含み損を抱え、日経平均株価は6000円を割った。
小泉進次郎は総裁選挙「新たな小泉改革を行なう」という主張を掲げ当選した。
経済学者ミルトン・フリードマンの『資本主義と自由』には次の「10の約束」が提唱されている。小泉進次郎が演説でスクリーンに映し出したそこには次のような政策が書かれていた。
1.農業補助金の廃止
2.関税の撤廃
3.最低賃金の廃止
4.企業に対する規制の撤廃
5.政府による電波の割当の廃止
6.公的年金の廃止
7.職業免許の廃止
8.教育バウチャー
9.郵政民営化
10.負の所得税
あまりにも本質的な改革ではあるが、これは同時に既得権益者の利益を大きく損ねる政策でもある。次々に日本経済に襲い掛かる問題に小泉進次郎とその仲間は戦うこととなる。
マンガで読みやすいが、真の自由主義、そして資本主義の本質について考えさせられる大作である。
何度も見返すようなお気に入りの映画、音楽、本は誰しもあると思う。それらを鑑賞すると、その時代の良き体験が思い出され、感傷にひたることもある。
自分にとって「サーフサイドハイスクール」は学生時代に読んだ漫画ではあるが、その後も社会人になってからも何度か買いなおした思い出の作品だ。
そしてこの作品は、話の展開が最高に盛り上がったところで休止してしまっていたのだ。
何度読んでも、話の最後で釈然としない気持ちになっていた。
ストーリーは、湘南の海の近くの高校2年生3人組を中心に展開していく。
サーファーで、ちょっとトロいが女にもてて、ヤリチンの阿部、東京からの転校生で二ヒルでもてない三田、寡黙で毛深い永島。
ドタバタ劇なストーリだが、話の後半の展開は恋愛ストーリーでもある。
永島が恋した年下の女の子サーファーのみほちゃんが登場するのだが、みほちゃんは阿部のようなチャライ男が大っ嫌いだった。
ところが、ちょっとしたきっかけで阿部に恋をしてしまうのだ。それを察して愕然とする永島。2人の関係に戸惑う三田。
三田がサーフィンで初めて波に乗れたその時、みほちゃんの登場で話が急にストップしてしまっていた。
もうかれこれ15年位前の漫画で、その後の展開の想像を何度もしてみたものだ。
そして今回新装版で出たこの本には未公開のその後の続きのストーリーと、新たに書き下ろした恋の結末が収録されている。
15年もの月日を経てようやくすっきりした気持ちになった。
高校生の頃の自分とは全然違う、湘南近くの高校生活への憧れを、いい年したおっさんになっても抱いている自分がいる。
当時付き合っていた友人達は今頃何をしているのだろうか。彼らの存在は、自分の記憶の中でその当時のまま時間が止まっている。
そして決してもう過去には戻れないのだけど。
「夢は信じれば叶う」
昔から言われ続けた言葉ではある。さらには、
「信じれば救われる」
ここまで行けば完全に宗教かオカルトの世界である。
恥ずかしい思い出ではあるが、自分はなんと高校生のころまでオカルトグッズにハマっていた。
願いの叶うピラミッド水晶や、不思議な幾何学模様の金属を大切に抱えていた。
今では、努力しか信じない不可知論者になったのではあるが。
さて、そんな自分も潜在意識というものは信じている。
これまでも潜在意識を活用して夢を実現化させる「成功哲学」について紹介をしてきた。
思考は現実化する ナポレオンヒル著
マーフィーの法則(眠りながら成功する)
これら潜在意識よりもさらに宇宙の法則というスピリチュアルブームに火を付けたのが「引き寄せの法則」(ザ・シークレット)である。
本を読み始める前に、この本の翻訳者に非常に興味を持った。
翻訳者の山川夫婦は夫が東大法学部卒大蔵省入省、妻は東大卒マッキンゼー勤務といういわゆる超エリートである。
その夫婦が、スピリチュアルにはまり翻訳者となったということで、どれほどの魅力のある本なのだろうと読む前に既に興奮してしまったのだ。
さらに、「引き寄せの法則」は興味を持った直後に、友人や知人からこのことを聞く機会が増えたのも不思議な現象であった。
調べてみると「引き寄せの法則」体験談はネットにも多く掲載されていた。
スピリチュアルにはハマる気はまったくしないが、考えさせられるものがあった。
Appleの製品には魅力を感じながら、長いことiPodくらいしか買わなかった。iPodの素晴らしさは、その再生機器というよりもむしろiTunesによって世界中の情報発信がPodcastからiPodに同期されることだった。世界が広くなった気がしたものだ。
iPhoneを持った時の衝撃は、恐らく初めてファミコンとスーパーマリオを買った小学生依頼のものであった。インターネットの登場も感動したが、iPhoneは生活の一部となってしまった。
様々なアプリケーションと搭載されているGPSによって世界が大きく変わった。通勤にはPodcastを聞き、ジョギングの時は距離や消費カロリーを計算してくれるアプリを使い、空き時間にはアプリで中国語を勉強し、夜寝るときは動画を見ながら床につく。
テレビを見ている時も、会議中でも調べたいことがあったらすぐにiPhoneでネット接続で気楽にすぐに調べられる。
もはやiPhone無しの生活は考えられない。
しかし、自分のAppleを使い始めた歴史よりもまた、Appleが生み出してきた斬新な製品群を回顧すると驚くばかりだ。
創業者のスティーブ・ジョブスの生み出したイノベーションは圧倒的である。今や誰もが使うWindowsの原型もAppleのMacintoshの模倣である。グラフィカルなインターフェースのコンピュータを作り上げたスティーブ・ジョブスは世界の技術と情報の成長を10年も20年も加速させたと言えるだろう。
しかし、スティーブ・ジョブスの人生は順風満帆とは言えたものではない。
発売された公式伝記「スティーブ・ジョブスⅠ、Ⅱ」は、式を悟ったスティーブ・ジョブスが3年もの間インタビューをさせて書かせた自伝である。
養子として育てられ、高校時代にヒューレット・パッカードでのアルバイトで、スティーブ・ウォズニアックと運命的な出会いを果たす。
長距離電話を無料でかけれる違法装置を開発し、大学生に売りさばいた。
インドに数カ月放浪し、カリフォルニアに戻ってAppleを設立した。
数人で始めたAppleはパソコンという概念を普及させ、あっという間に上場した。1977年のアップルコンピュータの法人化から1980年の3年間でのIPOであった。
その後、ペプシコーラのマーケターであったジョン・スカリーを引き抜く際に言った「このまま一生砂糖水を売りつづけたいか? それとも世界を変えたいか?」(Do you want to sell sugar water for the rest of your life, or do you want to change the world?)はあまりにも有名である。
その後、ジョン・スカリーにAppleを追放されることとなった。Appleに戻って来た時のAppleの経営状態はどん底であった。
それがわずか数年で、数々の画期的製品を登場させ、時価総額世界一の会社にまでして、そしてスティーブ・ジョブスは死んだ。
スティーブ・ジョブスにはなれないけど、自分の生き方は変えることができる。スティーブ・ジョブスの伝記はApple製品を持った時と同じ感動を与えてくれる。
前作「ウォール街」は、何度も見返す素晴らしい映画であった。
かなり期待して続編の映画「ウォールストリート」を見たのだが、内容は期待外れであった。しかしながら、リーマンショックを発端とする金融危機や投資銀行の最前線でどのようなことが行われているのかを知るには良い映画であろう。
前作で、インサイダー取引で刑務所に入れられたマイケル・ダグラス扮するゴードンの出所から映画は始まる。
出所する者たちは誰もが迎えが来るものの、ゴードンはただ一人出迎えが無い孤独な人間だ。
唯一の家族の娘は父を恨み、絶縁状態となっている。主人公のジェイクは投資銀行で働く若者で、ゴードンの娘と交際している。
娘とゴードンと主人公の間の人間関係と、リーマンショック以降の投資銀行のビジネスを知ることができ勉強になる。
前作のゴードンの演説は見ものだった。「Greed is Good(欲望は良いことだ)」は名言となり、実際のウォールストリートや金融業界でも語り継がれた。
今作品でもゴードンの演説は見ごたえがある。
監督のオリバー・ストーンの主張は金融だけでなく、今度は家族愛をもテーマとしている。
スキンヘッドのミュージシャンであるサンプラザ中野は、父の癌の死により健康に目覚めたという。
それまでは、マッチョな肉体に憧れプロテインを沢山とり、筋力トレーニングに勤しんでいたのだが、得られた肉体美とは反対に体の調子が悪くなり、精神的にも鬱のような状態になってしまったという。
そこで出会ったのが、西式甲田療法であった。
この本は、サンプラザ中野と甲田医師による問答により、西式甲田療法と健康法がわかる。
サンプラザ中野は、健康に目覚めてから4ヶ月で20キロもの体重を落とした。その後、西式甲田療法の半日断食を中心に励行している。
半日断食は、朝食を取らない健康法であり、胃腸を休め、体内に蓄積された悪性物質を排出する。
現代の食生活は、人類の歴史で稀に見る栄養過多の状態である。通常の食生活を送っていれば栄養は十分取れているのにもかかわらず、サプリメントなどで補給する始末である。
また、現代の食生活は、加工食品や欧米食が中心になり日本人の身体に合わないことも多い。
半日断食では、眠っている本来の身体の力を呼び覚ます効果がある。空腹になると栄養が体や脳に回らないと考えられてきたが、実際には空腹になると血液や脂肪から栄養が補給されるのだ。その過程で、「βエンドルフィン」という多幸感、高揚感などをもたらす快感物質が分泌されるというのも面白い。
食べるという行為は、内臓に物凄く負担がかかっており、断食は内臓を休め、体内の治癒力が向上する。
断食は定期的に行っているが、確かに体の調子が良くなる。
断食で、サンプラザ中野は「肥満」「鬱」「冷え性」が改善していった。
現在では更に食生活の改善を進めてベジタリアンに近い生活をしているという。会食で焼肉を食べに行っても野菜しか食べなかったという逸話もあるほどだ。
断食は、ワインの葡萄づくりに似ている。良質な葡萄をつくるためには、水を与えない。そうすると根が深くまで根付き自力で栄養を取ろうとする。
与えられた栄養で育つ葡萄は出来が悪いのだ。
また、栄養無しに雑草が力強く生きているのにも似ている。
西式甲田療法では、他にも交感神経や副交感神経を調整する温冷浴やストレッチなどがあり、非常に健康的である。
何より金が一切かからない健康法なのだ。いや、食費が浮く分だけ節約になる。
便秘、肌荒れ、花粉症、頭痛、冷え症、疲れやすい、アトピー等、様々な悩みを解決する健康法だと思う。
気鋭の漫画家、吾妻ひでお氏の失踪劇の漫画である。
吾妻ひでお氏のことは知らなかったが、圧倒的な人気となった「失踪日記」を読んで感動した。
失踪をしたという経験は無いし、身内にもそのような人はいないが、時たま有名人が失踪して週刊誌で取り上げられることがある。
また、仕事や家庭でのトラブルやストレスから逃れ、いっそのこと失踪してしまいたいという衝動に駆られた経験のある人は多いはずだ。
吾妻ひでお氏は、事情については詳しくはわからないが、家族に何も告げず失踪した。
失踪中の初期の行動はホームレスそのものだ。
林の中にテントも張らず寝泊りし、ゴミや墓場をあさり、吸殻のシケ煙草を吸う。
誰ともコミュニケーションなどとらず、孤独を楽しみ、何も縛られない生活を続ける。
このような社会の底辺の生活でも立派に、それも社会の中で漫画家という地位と稼ぎのある頃よりも、幸せな生活を続けたのだ。
その後、日雇いの肉体労働で稼ぐこととなる。漫画家の虚弱体質だった体はみるみる筋肉質に変わり、健康体へと変化を遂げていく。
以前、南千住近くにある山谷と呼ばれるドヤ街を探索したことがある。
山谷には様々な事情を抱えた孤独な者が集まる場所である。この地域には一泊2千円程度の安宿が乱立し、昼間から酒をあおり、チンチロリンや花札をやったり、寝転がったりする社会の底辺の連中を至る所で見ることができる。
彼らは、日雇いの肉体労働や生活保護を受けながら、多くのものが失踪状態で、内輪の人間関係の中で生きているのだ。
この場所に足を踏み入れたときには、さぞかし悲惨な場所なのだろうと思っていたのだが、安住すれば住み心地が良いのかもしれない。
もちろん彼らのような生活は送りたくは無いが、社会や家庭から逃げたくなったときには行く場所があるのだと知り、妙に安心したものである。
吾妻ひでお氏の失踪物語は、その後アルコール依存症による強制入院の話へと展開していく。
家族に愛想をつかれた訳ではないようで、アルコールの怖さを知ることができる。
普通の社会人が一生のうちに彼のような経験をすることができるだろうか。日頃見下して見ているような連中の中にも希望が存在する。
体験できないことが漫画を通して疑似体験できる醍醐味がこの本にはある。
社会人になる前には、いつかは1年くらいかけて世界一周してみようと思っていた。しかし、それは儚い夢だった。
ビジネスマンは常に走り続けなければいけない。できたのは、会社を辞めて海外留学をして学生時代に戻れたことだけだった。そんな体験も普通のビジネスマンはめったに経験できないだろう。
会社を辞めて転職するときには、3ヶ月くらいはインドや東南アジアを放浪してみようと思っていた。これはもしかしたらできるのかもしれない。
しかし、よほどのことが無ければ、ビジネスマンにとって休日以外に社会から逃れることはできないのだ。ましてや家庭から逃れることはもっと難しい。
著者の山崎元氏は週刊誌のコラムなどを書いている経済アナリストだ。筆者は12回の転職を通じて「会社は2年で辞めていい」という結論に達したという。
一般的には、転職回数は少ないほど良いとされる。また「石の上にも3年」という諺があるように、3年以内での転職は印象が悪いとされる。
そのどちらの定説に反した「2年以内の転職」を主張するには、それなりの根拠が必要だろう。
山崎氏は実際に2年以内の転職を繰り返してキャリアアップをはかって来ており、金融業界でのプロフェッショナルのキャリアを築いたというのがその裏付けとなっている。
確かに短期間で転職を繰り返す者の第一印象は相当に悪いだろう。
多くの場合、履歴書を見ただけで書類選考さえも通らないかもしれない。
しかし、それにも勝る経験とキャリアの裏付けがあれば、転職は問題無いということがわかる。
自分がまだ20代だった頃、社内には多くの派遣社員や外注業者が同じように業務を行っている職場だった。
彼らは同じように正社員と仕事をしていたが、プロジェクト単位で次の職場に移っていく人も多かった。
それを見て、当時は正直羨ましいと思った。
何しろ、正社員はプロジェクトを仕切るが、プロジェクトが終わってもまたそのプロジェクトを引きずったフォローをし続けなければならない。
永遠と同じ業務が、いつまでも続くのではないかと思うと、仕事の安定なんかよりも仕事の苦痛と憂鬱の方が遥かに大きかったのだ。何しろ野心に燃え、キャリアを早く築きたい20代だったのだ。
プロジェクトに真剣に打ち込み、終わったら新しいプロジェクトに参画する彼らはキャリア形成においては正社員を圧倒していたのだ。
当時は真剣にプロの派遣社員になってキャリアップをはかってから、どこでも通用するプロのビジネスマンになろうかとまで考え込んだものだ。
今から思えば青い考えだったとも思うが、正社員で同じ会社に居続けることは成長が遅いし、その会社でしか通用しない人間になってしまうものだ。
どこのプロジェクトに行っても通用するビジネスマンになるには、転職を重ねるのが確かに近道なのだろう。
30歳を過ぎてさすがに派遣社員という立場では家族を養っていくのには不安である。そこで転職が良い。
また、入社する会社には当然のことながら当たり外れがある。自分に合った会社を見つけるには、本当は沢山転職をして見出すというのも合理的発想だ。
終身雇用の時代は終わりつつある。短期間で転職を繰り返しキャリアップしていく米国流が今後は当たり前になるのかもしれない。
ベストセラー「若者はなぜ3年で辞めるのか? 」の続編ともいえる本書は、主に3年以内に大手企業を退職した若者へのインタビューを中心にまとめられている。
前著では日本企業の年功序列制度によるピラミッド構造が若年層を搾取するねずみ講であり、将来を悲観した若者から辞めていくことが説明されていたが、それではいったい辞めた者はどこへ行ったのか。
損得勘定で考えれば、年功序列制度ではない搾取されない仕組みの組織へ行くことになる。
そこは中高年の少ないベンチャー企業であったり、完全な成果主義が採用されている外資系企業であったり、個人の能力が報酬と一致する仕組みのある組織だ。
大企業を退職した若者たちはアウトサイダーと見なされる。古い昭和的価値観で考えれば、3年で辞めた若者はドロップアウト組だ。
現実に、ドロップアウトと呼ばれるような社会の底辺にまで落ちてしまう若者もいるだろう。
会社を辞めて、ニートやフリーターになったり非正規社員になった若者に対しては日本では敗者復活の機会はほとんどないのが現実だろう。
そもそもそのような現象もまた企業が正社員を解雇できないという厳しい規制と年功序列によるものなのだが。
しかし、ベンチャー企業や外資系企業に転職しプロフェッショナルの職能を身につけていく若者の未来は明るそうだ。
本書で紹介されている様々な若者の生き様を見て共感した。3年以内には辞めなかったが、自分自身もまたアウトサイダーな生き方を選んだのだ。
新卒で入った会社は伝統を感じるいわゆる日本的企業であった。しかし2000年代に入ると他の大企業同様に成果主義を取り入れる動きがあった。コンピテンシー給の採用や成果に応じた賞与など人事考課が大きく変わり、普段はおとなしい中高年が人事部による説明に対して声を荒げて「成果報酬という名の中高年リストラではないのか!」と叫ぶ姿を見て冷めた思いがしたものだった。
社内には、中高年の管理職が大勢いた。彼らの肩書は担当部長など形だけの者も多かった。何しろ何を仕事をしているのかわからない中高年が居座っていたのだ。
若年層は毎晩遅くまで残業するのに、彼らは定時で帰っていた。そしてバブル期に入社したこれまた使えない連中が大勢いるといういびつな構成だったのだ。
自分の同期で会社を辞めた者はほとんどいなかった。しかし4,5年経つと辞める者が少しずつ出始めてきた。
彼らはベンチャー企業や外資系企業へと転職していった。
20代後半でまだ住宅ローンも養育費も無いので勢いで転職した者がほとんどだっただろう。自分もそうであった。しかし、振り返って冷静に考えてみると、残っていてもそこには夢も希望も無かったのではないかと思う。
35歳を過ぎると転職の年齢制限が見られ、40歳を過ぎると転職先を探すのが困難になると言われている。
ネット上のBlogや掲示板では、1年以上失業して転職が決まらず気が狂いそうな40代が結構書きこんでいることを知った。
しかし、時代は急速に変わりつつある。やがて企業は採用で年齢制限をすることは差別として禁止されるようになるだろう。そして年功序列制度は崩壊するだろう。
本書は年功序列制度のかかえる日本企業の問題を分析したベストセラーである。
3年以内に会社を辞める者は今や35%を超えた。若者の忍耐力が無くなったなどと中高年は揶揄するが、辞めるには合理的な理由があると説明する。
その問題の核心はやはり年功序列制度にある。年功序列制度はねずみ講と同じで、中高年が若年層から搾取する構図となってしまった。これは年金制度と根本的には同じ問題である。
かつての高度成長期につくられた年功序列制度の前提には企業の業績拡大、人員増加があるのだが、もはやこれは時代にそぐわなくなってしまった。
逆に、企業が苦しめられているのは、中高年の高賃金、ポスト、そして解雇が出来ないということにある。そのしわ寄せが若年層に覆いかぶさってしまっているのだ。
もはや若者は大企業では課長にさえもなれない。賃金は平均すると中高年の生涯賃金の7割以下になってしまう。
現在の日本では、高齢者を支える社会福祉のために、生まれてきた子供は産まれながら1億5千万円もの借金を背負うと聞く。これと同じ構図が年功序列制度の企業に就職したときから若者は背負うという光景にみられるのだ。
3年以内に辞める若者は、その企業で生涯働くことの意義を考えたであろう。そして企業内でどのような人生を送るのか見えた時に辞めるという選択肢を合理的に選んだのだ。
3年で辞めなかった者、具体的には年功序列制度の下で30代になったものにとって最も読みごたえがあるだろう。それは30代になって年功序列制度の被害が直接的に受けるからだ。
賃金が上がらず、役職ポストも期待できない。上には団塊の世代からバブル期入社組の無能な管理職が大勢いる。
そんな中、結婚し、子供が生まれ、マイホームを住宅ローンで買った者たちは、完全に夢を失ってしまうのではないだろうか。
35歳を超えると転職が難しくなるという。40歳を超えるての転職はろくなところがないという。
これは、転職市場ができてまだ20年と新しく、ちょうどその年代が就職してからの年月と同じであると読んでいて気付いた。
もちろん年齢が上がるほど、体力は低下し、高い職務能力は要求される。それ以上に年功序列制度の解雇が出来ない企業においては40歳以上の中途採用ポストなど存在しないのだ。ところが、彼らは会社にしがみついて残っても今後はメリットは無くなるだろう。何しろ彼らはポストも無く、彼らの賃金上昇を支えるべき若年層も90年代末からの不景気による採用激減のためいないのだ。
今後テーマとなるのは、35歳過ぎの転職になってくるだろう。
異色の経歴を持つヘッドハンター小松 俊明氏の転職の観点からMBAホルダーの価値を考察する書物である。
MBAを取得して華麗なる転職に成功をした者もいるが、MBA取得費用の割に思うような転職が出来ない者もいる。ヘッドハンターだけあって、数多くのMBAホルダーを見てきた分析と、詳しい事例が掲載されている。
個人的にはMBAというブランド力は非常に大きいと何度も体験してきた。日本の企業で客先でも、中国でもアメリカでもMBAホルダーということを知ると相手は大抵一目置くようだった。MBAホルダーはまだまだ少ないもののその知名度が大きいため、MBAというだけで「できる奴」という先入観があるのかもしれない。
また、ビジネスでは特殊な解決能力やうまく企業経営したりする能力があるという思いこみがある人も多い。
本書のテーマである転職に関して言えば、成功する人もいれば、うまくいかない人もいるという同意見だ。しかし、MBAを持っていないことに比べたら遥かに持っている方が転職上は有利である。ただし、MBAを取得する費用の1000万円以上の投資効果に見合うかどうかは、その人の能力や採用側による。
自分の知人関係で言えば、多くのものがMBA取得後に転職に成功している。
何故MBAを取得したかと言えば、彼らはやはり転職したいからだ。
大卒新卒で入社した会社の仕事が自分のやりたい仕事では無かったという者は多い。しかし、現実には一旦入社して職歴がついてしまうと他の業界に転職することは困難である。それを一気に逆転可能にするのがMBAである。
例えば、アパレル業界から証券会社、貿易会社から世界的マーケティング会社、生保から外資医療メーカ、国内メーカから外資系投資銀行、ITからヘッジファンドなど多くの転職成功者を見てきた。
さらにすごい事例でいえば、無職の期間が長くニートのような人間がMBAを取得してコンサルティング会社に就職した例もある。
このようにMBAには人生を大きく変える可能性を秘めている。本書では、いかにしてMBAを取得し人生を切り開いていったのかが何人もの例でわかる。
役に立たないMBAもあるだろう。しかし、それは一流大学卒業し成績優秀でも就職出来ない人がいるのと同様だろう。
世の中には借金を苦に自殺をする人が多い。借金は借りた金額もさることながら、金利が大きなプレッシャーとなる。わずか数十万円のサラ金の借金が数百万円に膨れ上がってしまった人もいる。たかが数百万円の借金が返せずに、人生に絶望し自殺してしまう人が後を絶たないのだ。
ところが、数億円、数十億円の借金を背負いながら、借金を踏み倒して平然としていたり、本書のタイトルにあるようにベンツを乗り回し人生をエンジョイしている人もまた多いのである。
本書では、合法的に、正々堂々と、借金を踏み倒す方法を豊富な事例を盛り込んで紹介している。
借金にも色々ある。事業ローン・住宅ローンをはじめとして、複数の業者からの多重借金を抱える債務者を救う借金返済術をがこんなにもあるのかと驚かされる。
例えば、「6億円の借金を踏み倒し、手元に残した1億円で再スタートを図った社長」、「4億円の借金を踏み倒し、家を手放すことなく、ベンツを乗り回し続ける社長」、「3億円の借金を踏み倒し、事業再生に成功した社長」など、合法的に借金をゼロにして、人生を再スタートさせた成功者の事例が満載だ。
また、これらの本ではあくまでも合法的な借金踏み倒し術が紹介されているのだが、読んでいればわかるのだが当然非合法に借金を帳消しにした人も多くいる。
例えば資産隠しであったり、自己破産の際の現金隠しや偽装離婚など、借金から逃れて、無借金どころか資産を持ちながら人生をやり直すこと立って可能なのだ。
借金で苦しんでいる人には、是非読んでもらいたい一冊だ。
これまで謎のベールに包まれていた格付会社の生い立ちからリーマンショックに至るまでの内部事情や様々な金融機関での事件を取り扱った黒木亮の大作である。
黒木亮の小説の特徴でもある実話に基づいたフィクションであり、約8割が実話を元にしており残りの約2割が主人公をはじめとした登場人物の物語といった構成だ。これまでの作品同様、金融業界で起こった様々な事件や案件を精緻な取材を元に細かく解説されているため、格付会社の舞台裏やストラクチャードファイナンスについて学ぶのにも最適な書物だ。
格付会社の80年代後半からの黎明期から日本で定着し、やがて金融業界で重要な地位に至り、リーマンショック後の存在意義の疑念に至るまで細かく知ることが出来る。
主人公の乾慎介はM大学を卒業して和協銀行の銀行員になったが、障害児の子供を持ったことにより人生が大きく狂うこととなる。多忙な銀行を辞め日系格付会社に入るものの、障害児の子供の将来の資金のため最大手の米系格付け会社マーシャルズ・ジャパンに入社する。
マーシャルズは上場後、収益拡大のために投資家のための格付といった理念から、債権や企業の格付からストラクチャードファイナンスへと傾倒していくこととなる。マーシャルズ・ジャパンの代表となった投資銀行出身の三条誠一郎の収益至上主義と対立し、結末では驚く展開となる。
他の登場人物は、日比谷生命保険会社社員の沢野寛司と証券会社出身でマーシャルズに入り、リストラされその後2番手のS&Dに入る格付アナリストの水野良子がいる。3人の主な登場人物が交わることはほとんどないが、それぞれが格付会社に翻弄されることとなり、ストーリーに深みを与えるために重要な役割を演じる。
山一証券が不良債権の「飛ばし」で大問題となり、社長が野沢に交代後倒産することとなるが、これもまた非常に細かく裏話も交えて紹介されている。
また、前三井住友銀行頭取で現在は日本郵政社長の西川善文は、小説上では名前が変えられているが、独裁的な銀行運営を行い、米国投資銀行のゴールドマンサックスと結託していく様子も書かれている。
SPC法を成立させた女官僚片倉さゆりは、民間企業は官僚にひれ伏すのが当たり前と考えている傲慢な人物だが、これは片山さつきのことであろう。
登場人物や企業は実名が多いが、裏話などリアルな内容に及ぶ者や会社名は、実名を控えているが容易に推測がつくだろう。
ムーディーズ、S&Pはどちらも2000年以降、金融業界において存在感が急上昇したが、その背景には収益拡大や利益相反によるいい加減な格付があったことがわかる。
米国ではNINJAローン(No Income No Job No Asset)と呼ばれるような、低所得者層、ヒスパニック移民層にまでサブプライムローンを売りさばいた。
年収を遥かに超える支払い金利と元本であるにもかかわらず、住宅市場の価格上昇という過去のデータを元に算出された格付は、CDO(Collateralized Debt Obligation)に組み込まれ、証券化された際には日本国債以上の格付となったのだ。
商業用不動産においても証券化によりREITが流行した。米国で不動産バブルの時、人の住んでいない高級住宅が多いのを見て驚いたことがある。
商業も工業も無いような地方都市の郊外に、町がどんどんとできていくのだ。日本のバブルと同じように不動産の価格が上昇するからそれを見込んで買う人が後を絶たなかった。日本よりもましなのは、住宅ローンがノンリコースローンであるため、不動産価格が購入時より低く時価評価が低くなった場合(Underwater)に、借金が返せなくなっても不動産を処分すれば借金が人が負わない点がある。しかしそれは貸し出し銀行と証券化によって債権を保有したもの、その債権にかけられたCDS(Credit Default Swap)という保険に大きく跳ねかえり、大規模な金融危機となった。
格付会社の国債に対する格付けは不明点だらけである。日本国債はボツワナ以下の格付けとなったため、カントリーシーリング(国内企業はその国の格付け以上の格付を取れない)により日本企業の資金調達にも大きな影響が出た。しかし、その後日本市場を重要視した格付会社は、財政状況の悪化と膨れ上がる国債にもかかわらず、日本国債の格上げを続けた。
ストラクチャードファイナンスでは、収益性デリバティブ商品を格付で投資家にお墨付きを与えることにより「トリプルA」の格付をとるようにローンを組み合わせて、ローリスクハイリターンの金融商品を作り出し、レバレッジをかけた機関投資家に対して売りさばき、リーマンブラザーズの破綻で一気にクラッシュした。
この小説はリーマンショック後の大混乱と主人公の乾慎介の新しい人生の出発で幕を閉じているが、現実世界ではまだまだ大波乱が起こっている。S&Pは米国債を格下げしたが、米国債は買われ続け金利が低下している。この小説で格付会社への理解を深め、今後の経済の行方にたいして思いをめぐらしている。
長者番付にランキングされている億万長者にアンケート調査を行った結果を元に、普通の人がどのようにして億万長者に成り得たのかその実態にせまる書物である。
米国で話題になった書物「となりの億万長者」にも通ずるところがあるのだが、億万長者になった人の行動には一定の傾向があり、また日々の生活スタイルにも特徴があることが歴然となった。
多くの人がイメージする億万長者イメージ像とかかけ離れており、実際には億万長者は収入の範囲の身の丈に合った生活をするどころか、むしろ一般人よりも質素な生活を好む傾向が明らかになっている。
本書では、アンケートに記載された億万長者の考えや経験がふんだんに盛り込まれており興味深い。
また、億万長者になる過程で多くの人が死ぬほどの苦労や困難に直面したという事実に注目した。誰もが人生に置いて困難に直面する。それに対してどのように向き合い、乗り越えていくかが人間の価値が試される場面である。億万長者は、それを乗り越え現在の地位を獲得しているのだ。
平凡に生活しているだけでは億万長者になることができない。しかし、ちょっとした差の積み重ねや考え方の切り替えによって億万長者になり得たという事実がまた希望を与えてくれる。
この本は、私たちの世界を変えた「2つの災害」について書かれています。ひとつはもちろん東日本大震災と原発事故、もうひとつはいまから14年前に日本を襲い、累計で10万人を超える死者を出した「見えない大災害」です。
この「見えない大災害」によって戦後は終わり、日本は新しい社会へと移行しはじめました。しかしほとんどのひとはこのことに気づかず、3.11によってはじめて、私たちはこれまで目をそむけていた人生の経済的なリスクに正面から向き合わざるを得なくなったのです。「まえがきより」
衝撃的なまえがきで始まる本書は、橘玲の知と思考の集大成と呼べる。
これまでの日本の経済成長を基盤とした我々の生活は、国の成長が止まり経済衰退と人口減少が始まることによって価値観の変化が求められている。
日本企業や産業は国外に流出し、雇用機会が減少する状況が続いている。国の借金は膨大に膨らみ、少子高齢化による社会保障の負担増に対して、どのように解決すればよいのかその方法さえもわからない現状がある。
戦後の日本経済の発展は奇跡的ではあったが、もはやその経済力を発揮することができなくなりつつある。
我々の生活は依存することによって成り立っていた。それが4つの大きな神話として本書では問題提起されている。
不動産神話、会社神話、円神話、国家神話。
どれもが当たり前のように安全で、生活の基盤を支えると思ってきたものだ。しかし、この神話の前提である日本の経済成長は崩壊しつつある。
その暗澹たる日が訪れた時、我々はどのようにして生きていけばよいのだろうか。
製造業中心の日本の大企業は海外に生産を移管させることにより、国内産業の空洞化とそれに伴う高い失業率はやがて内需企業であるサービス産業をも不況へと向かわせることとなる。リストラや倒産にあった失業者を受け入れる企業はもはや国内には存在しない。人口は少子高齢化による現象のみならず、労働人口の国外流出も見られるようになり、立ち並ぶ高層マンションは売れなくなり、空き家が増加する。景気対策の国債発行は償還のめどが立たず借金は膨大に膨れ上がる。為替は大きく変動し、円を基軸とする国内産業は大きな痛手を蒙る。そして膨れ上がった社会福祉に対して拠出するあてがもはや無くなるのである。
本書は未来を予測する本ではないが、新しいパラダイムで自立した生活を如何にして獲得するか、その方法を提示してくれる。
不動産価格は上がり続けると思われてきた。何よりも安心な資産であり、賃貸より持ち家は得で、35年もの借金をしてでも購入するのが当たり前のように思われてきた。
会社は解雇できないし、潰れない、年齢とともに賃金が上昇するのが当たり前と思ってきた。
資産の全てを日本円をベースとして保有するのがこれまで最もリスクが低く、高いリターンを得ることができた。
国家は破綻しない。定年後は年金で暮らし、病気の時など生活の保障は国が手厚く面倒を見てくれるのが当たり前だと思ってきた。
しかし、パラダイムの変化は、やみくもに不安や絶望に陥れるだけではない。誰もが持っている個人の能力を発揮する機会と日本を中心とし考えず世界全体で資産運用を考えることで、国家や会社に依存せず自立して生きる道は開かれる希望があることを本書は教えてくれる。
「空気が大金に化ける」。21世紀のマネーゲームは、環境問題の温室効果ガス排出削減義務が「排出権」の名で取引されることによって巻き起こされている。
京都議定書により、日本は多大な国益を失った。政治の場で環境問題という名のもとに国家どおしが国益を優先させたのだが、京都という名前を付けたことの代償はあまりにも大きかった。
日本は、2012年まで8%の削減を義務ずけられ、当然達成できないため他国から排出権を買わないといけないのだ。これによる日本の購入額は1兆円と推定され、排出削減義務を負わない中国、インドといった国々は排出権削減を行い、その排出権を売ることで多大な利益を享受できる。
「排出権商人」は、排出権商人と呼ばれる連中、それは商社、プラントエンジニアリング会社、投資銀行などが、海外の大規模プロジェクトを実施していき、国際的なマネーゲームを巻き起こしていくリアルな小説だ。
黒木亮の特徴である、実話を盛り込み、徹底した取材に基づいて描いた詳細なビジネスの現場を描きだす手法は、排出権ビジネスの良い教科書にもなる。
物語の主人公である冴子は、国内有数のエンジニアリング会社で働く40代半ばで独身の総合職だ。男社会で中年女性が主人公で活躍する姿というのもこれまでには無い設定で面白い。この年になると結婚や出産は諦め、仕事中心の人生として孤独に生きていかなければならない。
物語では、主人公を取り巻くエンジニアリング会社のビジネスシーンが中心となって進むが、IHIを彷彿させる売上・利益達成のために手段を選ばない大規模かつ組織ぐるみの粉飾というストーリーがある。またそれに伴い、エンジニアリング会社の株価下落で儲けようとする空売り専門ファンドが登場し、対決していくこととなる。
この小説にあるような大規模プロジェクトの仕事に関わったことはないのだが、多大なプレッシャーとストレスが読んでいて伝わってくるほどだ。
ビジネス最前線で大きな額のマネーを動かしている連中は相当にタフな神経でないとできないだろう。エンジニアリング会社の次期社長を狙う専務は、中期計画達成のため手段を選ばない。中国の若い大富豪も同様だ。
彼らも成り上がるために、血のしょんべんを出すような激務や神経が擦り切れるほどのぎりぎりの勝負を挑んできたことが分かる。
ビジネスマンとしてあるべき姿を考えさせられる小説だった。
ところで、福島原発事故から日本では原発の停止と火力発電等のよる温暖化ガス排出が相当量増加することとなった。
経産省の試算によると、原発停止により追加で購入しないといけない化石燃料費は毎年約3兆円とのことである。
これにより、また世界的に排出権取引の価格が上昇しているのである。
現在の排出権取引現場を知ることはできないが、多大な利益を得る者がいることだろう。
成人になると性格・人格は揺るぎないものとなり、なかなか変えることは難しい。
心理学などの研究結果においても幼少期から思春期に受けた経験や影響が、その後の人格形成をつくることは明らかになっている。
思考や判断などの性格の基盤はもちろん学習によって構築されるものであるが、生き方や人生観といったものは実際の体験や小説や映画による疑似体験が大きな影響を与えていると自身の体験からも実感する。
自分の今の性格と人格の多くが、冒険小説に多大な影響を受けたと中年になりつつある今思う。
小中学生の頃、両親が共働きで兄弟もいなかったことから、遊び相手は自分自身であり、今考えると冒険小説の中の世界に深く入っていた。
子供向けの伝記小説や歴史小説も読んだが、それは知識にはなったが、自分の人格形成に大きな影響を与えたとは思えない。
ちなみに、幼少期にひとりっ子など遊び相手がいない子供の中には、もうひとりの自分の人格が遊び相手となる「イマジナリー・フレンド」を持つ子供もいる。
大人になって小説を読んでも、感情移入はできても子供の頃のような小説の世界に入り込むほどの経験は得られたことは無い。
今となって考えると、子供の頃に読んだ冒険小説はとても貴重な体験であった。受験勉強には役立たないが、自分の子供にもぜひ経験させてあげたいことだ。
最近たまたま子供の頃むさぼるように読んだ「ズッコケ3人組シリーズ」を手にした。
子供の頃いくつも読んだ冒険小説なのだが、大人になった今でも新しいシリーズが出ていて懐かしくて手にしたのだ。
昔は読むのに一苦労した小説だったが、大人になった今では2時間もかからずに読めてしまう。
それでも子供の頃のような想像力を失った今では、あの頃のように鮮明な世界観と映像が読んでも再現できないのが残念だ。
思い起こすと、自分の人生は常に刺激を求めていた。
それは小説で次の展開をハラハラしながら読むのと同じで、何か新しいことを人生の中で見つけたい心の奥底からの欲求だ。
どんな困難や苦境でも、冒険小説の主人公のように切り抜けられる、スリルを楽しめるというのは生きる上できっと大切なことを読書で学んだのだ。
そんな思い入れのすごい強い「ズッコケ3人組」のシリーズは、実は当時小学生だった主人公が平凡な40歳の中年のシリーズが出ていて、またまた懐かしくて手にとった。
「ズッコケ3人組」のシリーズは、多くの男子にとってかけがえのない思い出のある作品であり、今読んでもとても懐かしい気持ちにさせてくれる作品だ。
等身大の子供たちだった小学生の主人公が、今度はまたしても等身大の中年として感情移入できる作品となっている。また、男というのはいつまでたっても子供なのだということとをとても実感させられた。
変化の無い日常、夢を見失った将来を漠然と過ごしている中で、何にでもなれた子供の頃に戻れる小説だ。
ちなみに、幼少期から思春期の楽しかった思い出を回想するのは、「幸福感」を得る脳内物質セロトニンを分泌させ、うつ病や認知症の治療にも実際に行われている。
高校時代に授業で読んだ「高瀬舟」を最近読みなおしてみた。学生時代には理解できなかったことが今になって分かることもあり、年を取って読み返せばまた新たな視点で読める小説だと思う。学生時代の感想と今では全然違う。
話の内容は、主人公の役人は罪人を島流しにする船の船頭で、多くの罪人を見てきたが、その晩の罪人は心が晴れている表情だった。その罪人の話の壮絶で悲惨な人生を聞き、自分の生活と照らし合わせるのだった。
学生時代には人生経験も無いので、苦労も知らず、苦境にある人ともそれほど出会うことも無かった。またそういった気持ちになることも難しかったと思う。
自分が病気になって初めて病人の気持ちが分かるというが、人生経験をいろいろしておくというのは極めて大切なことだと今更思う。
子育てでも子供には苦労をかけないで楽な人生を送らせてやるべき、というようなことを言う親は多いが、むしろ若いころに徹底して苦労させたほうが後の人生で役に立つのでは無いだろうか。
しかし、高校の教科書の題材としては難しいテーマだったと思う。今更読み直してみたいと思ったので、あの頃授業でやっておいて良かったのだが。
左翼的ドキュメンタリー映画監督のマイケル・ムーアの映画「The Big One」は今から10年以上前90年代後半の米国を映し出している。
映画では、米国製造業(自動車業界からスナック菓子からナイキまで)の工場閉鎖・海外への工場移転による地場産業の崩壊、失業者の増加、そしてそれに苦しむ人々を映し出している。
映画「ロジャー&ミー」ではGMの城下町フリントの崩壊を描いていたシリアスな雰囲気だったが、この映画ではムーアの皮肉たっぷりでユーモラスな公演で爆笑シーンが半分ほどある。東南アジアの劣悪な環境で靴を作らせて悪評が高いナイキの社長も登場するが、ムーアとナイキ社長のやり取りが漫才のようだった。
90年代後半の米国は「雇用なき経済成長」などと呼ばれ、失業者が増加する半面、景気回復、経済成長が見られた。
これは今後の日本を明示しているのではないかと思ったのだ。
ムーアが糾弾するのは、企業が業績が良いにもかかわらず、工場を賃金の安い海外へ移転させ、従業員を解雇することだ。
大企業経営者は巨額の報酬を得るが、失業者や低賃金の労働者は貧困で精神を病む。米国では株式を資産として持つ家庭が多く、不動産価格も上昇していたので資産インフレによる所得の無い資産形成ができたのかもしれない。
いずれにせよ、多くの失業者がいたものの90年代は米国の経済は繁栄した。
現在では米国の失業率は90年代の2倍ほどになっている。また不動産も株価も低迷し資産デフレが起こっている。
日本では、デフレは長期間に及び賃金は下落が続いている。そして大企業を中心に製造拠点をより安い他国への移転を進めている。
アメリカのようにドライに解雇・レイオフができないため、業績悪化時に希望退職を行ったり、工場閉鎖では他地域への移籍を進めている。これは形式上はグループ内で雇用の確保などと言っておきながら、地元から離れられない従業員がほとんどと見越して行っているケースが多々ある。
むしろしわ寄せは日本の産業構造においては下請け企業の切り捨てという形で行われている。
地方経済は疲弊しており、失業者に新たな職場はほとんど存在しない。
大企業においては、社内失業者も多く存在する。
日本経済は、震災前まで回復基調であった。これからは米国の90年代のような雇用なき景気回復が日本でも起こるのではないかと懸念される。
日本経済の低迷の大きな原因としてデフレギャップがある。つまり需要に対して供給が過剰なのだ。
日本の労働人口はおよそ6,000万人おり、そのうち余剰人員が約600万人との試算がある。
企業においては業績の低迷、過剰人員の削減をこれまでもずいぶんと行ってきた。
希望退職による年収が高い中高年をリストラ、派遣切りによる非正規労働者の削減、内定取り消しは社会問題に発展した。
そでも尚残る余剰人員が社内失業者である。
この言葉は比較的最近知ったのだが、ネットの掲示板などで広く使われているため相当数の20~30代の若者が社内失業しているようである。上記の余剰人員が社内失業者とすると10人に1人の計算にもなる。
この本の著者である増田不三雄氏自身が社内失業中とのことで、社内失業の現状が良く分かる書籍である。
社内失業は社内ニートとも呼ばれ、給与は支払われるが業務が無い状態のことである。
仕事をしないで賃金が支払われるというのは非常に恵まれていると思われるかもしれないが、企業側にとっても解雇できない側面があり、また実際の社内失業者の抱える問題は大きい。
例えば、社内失業者は若年層に多く、就業経験やスキルが無いため、転職がうまくできない。また賃金も抑えられており上昇の見込みもない飼い殺しの状態なのだ。
おそらく企業にとっては自主的に退職を望んでいる存在だ。
かつても窓際族という言葉があった。窓際族は年功序列に伴なうポストの不足により生まれたが、希望退職などのリストラにより数が減っていった。
社内失業者は賃金が貰えるだけ失業者に比べると恵まれているが、それでも当事者にとっては相当な精神的苦痛を強いられる。人間とは目標が無かったり、行動が制限されたり、仕事が与えられないというだけで鬱病になるほど弱い存在なのかもしれない。
社内失業とは簡単に解雇できないできない制度に問題がある。やはり解雇規制が無くなることとより一層の人材市場の流動化が求められているのではないだろうか。
キャサリン・ピグロー監督の映画「K-19」は冷戦下でソ連の原子力潜水艦がメルトダウンに陥る状況を描いた映画である。
ピグロー監督の映画は好きなものが多く、何度も見返す映画に「ストレンジ・デイズ」、「ハート・ブルー」、「ハート・ロッカー」がある。
ハリソン・フォード主演のもの、ロシア人役しか登場しないソ連の話であるため、映画はヒットしなかった。
それでも、映画の完成度は高く、原子炉の温度上昇や被ばくのシーンは圧巻である。
ソ連に忠誠を誓いながらも、アメリカに助けを求めるという決断を下すのか緊張感がある。原子炉は10分間しか入ることができず、防護服とガスマスクを付け原子炉のガス漏れを溶接作業を自ら行う船員たち。たった10分で全身は火傷のようなケロイドに壊疽してしまう。
まさに福島原発で行われているのは現場で必死にメルトダウンを食い止めようと必死になっている作業者がいるのだ。死ぬ危険があるとわかっていてもあえて世界を救うために作業する男たちに感動させられる映画だ。
東日本を襲った大地震の時、真っ先に思い出したのが漫画「太陽の黙示録」だ。
ストーリーは、地震による東京が崩壊し津波での水没、更に地割れによる日本海峡誕生で本州が東西に分断するという今回の震災以上の国家没落規模から始まる。
日本の中枢機関の集中している首都圏が被災したことにより、日本政府は分裂し日本は事実上の分断国家となってしまう。
このような被害から数年たち、やがて被災時にはまだ子供だった若者たちが国家を動かすまでに成長していく。
読み返すと、地震と津波の描写が、今では生々しく見事に描写されていることに驚かされる。
地震の前に、希望を失いどこかへ逃げようと考えていた若者は、大地震が来ることを願っていた。全てをリセットして持たざる者、虐げられる者にも新しい人生を再スタートしたいとの願いから。しかし、そんな考えが実現してしまい、最愛の妹の消息がつかめないまま探し求める。
別の若者は、まだ子供ながら地震の混乱においても正義を忠実に実行する。そんな中、多くの人を助けることの犠牲に海でおぼれ記憶喪失となり台湾人として育てられる。
緊急事態で混乱する世界においても、信念と行動により世の中を変えていく話だ。
小山龍介氏のHacksシリーズ最新刊を読んだ。Hacksという言葉は小山氏の書籍が売れたからか結構ビジネスマンの間でも耳にすることが多くなった。
他人のコンピュータネットワークに侵入する者を「ハッカー」と呼ぶが、語源は同じでもHackは技能・技術といった意味合いで使われることが多い。
Hacksを「~術」に置き換えればそのまま日本語にして通用する。
さて、クラウドでできることがとても広がっている。つまり、自分のコンピュータにデータを置くのではなく、Googleなどが提供するサービスにデータを載せることで自分のPCは快適で軽くなり、さらにクラウド上のデータを各種端末からアクセスすることができて利便性が向上する。
このクラウドは知識がなければ使いこなせない。ネットにはサービスがありふれているが、クラウドが本領を発揮するのは物理的な端末(PC、スマートフォン、ネットブック、携帯電話、タブレット端末等)から縦断的に使いこなしてこそ発揮され、そのような使い方が本書ではよくわかる。
また、最近流行っているのが「本の自炊」だ。これは、紙媒体の本を裁断しスキャナーで電子ファイル化することだ。
そもそも電子書籍で販売すればよいものの、紙媒体でしか入手できないものがほとんどである。
そのため自ら紙から電子ファイルに変換しないといけない(第三者に頼めば自分でやらなくても済むが)。
結構面倒くさいと思っていたが、スキャナの進化のおかげでかなり自動化できる。ただし、電子書籍なら本来紙書籍の1/10程度のコストで済むはずのものを逆にコストをかけて電子化するというのが癪ではある。それでも本を貯蔵するのには不動産コストがかかっていることを認識すべきである。
本棚にしきつめられた体積を不動産価格で算出すると、都心ではかなりの保管額になっているはずである。それが電子化にするとハードディスクもしくはクラウド上のサーバ内に収まってしまう。
数千冊の蔵書に検索も一括ででき、しおり機能などもあり、iPadやKindleなどで読めるようになる。自炊が無ければ最高だ。紙と流通に携わる莫大なエネルギー使用量も削減できるので、CO2削減もいっきに進むと思う。
クラウドでは、Googleサーバ内でMicrosoftのOutlook、Word、Excelの機能に類似したことがほぼできるようになった。他にも端末からPC遠隔操作であったり、様々な可能性が端末とネットワーク送受信量の増大で拡大していく。新規ビジネスの可能性も多いと感じている。
物語の舞台は1999年の渋谷だ。2000年を迎える前、ネットバブル、ITバブルと呼ばれる現象が日本で起こった。渋谷はビットバレーと呼ばれ、ベルファーレでの集まりではソフトバンクの孫さんが時間に間に合わせるために自家用ジェットで帰国したなど熱狂経済であった。
ソフトバンク、光通信が絶頂期だった時期だ。渋谷もまた今とは違う光景だった。ポケベルから携帯電話に代わり、渋谷のチーマーや援助交際の女子高生が姿を消していった時期でもある。
そんな時代背景で面白い話がごろごろしていて、当事者しか知らない話を小説化している作品だ。
筆者のホリエモンのオン・ザ・エッヂの立ち上げや光通信の勢いと何でもアリのビジネスを彷彿させられる。
時代の波に乗ることと、ビジネスの急速な発展に何が必要かがわかる。前作の拝金の時代背景が2004年以降のビジネスモデルが中心なのに対して、成金はもっと何でもアリの時代だったように思える。
リンゼイさん殺人容疑で2年7カ月も逃亡した市橋容疑者の書籍だ。
事件当時と逮捕時に大きく報道された大事件だったが、不思議だったのが何も持たずにこれほどの長期間をどうやって逃亡し続けたのかということだった。
警官に追われながらも靴を履かずに逃げ切り、そのまま行方をくらました。結果として住所なし、身分証明書なし、銀行口座なしという裸同然、浮浪者以下の逃亡者が日雇い仕事などで金を稼ぎ、費用のかかる整形手術や沖縄への長距離逃亡も行い、さらには100万もの貯蓄を得たという事実がある。
このような殺人犯罪容疑者の本を買うことをためらいはしたものの、印税はリンゼイさんのご遺族への賠償金に使われるとうのが本書を手にさせた。
世の中で経済的に最も貧困だと思われるのは金の無い逃亡者だと思っていた。ホームレス生活をし、残飯を漁りながらも、犯罪者が身元を隠しながら貯蓄までできるという事実に驚愕した。
事業に失敗した者、リストラにあった者、住宅ローンなど借金を抱えて破産した者など、人生に絶望する者は路上のホームレス生活を思い浮かべることがあるとよく聞く。
それでも犯罪者では無い。貧困という恥ずかしさはあっても、なんら社会的には追われたりする立場ではない。
しかし、市橋達也は犯罪者(まだ容疑者だけど)という逃げる立場でありながら、生活費どころか貯蓄や多額の整形費用まで稼いでいたという事実は、犯罪者ではない貧困者にとっては胸を張って生きていける希望が日本にはあるということだ。
不謹慎ながらも逃亡生活が冒険生活のように感じられてしまった。
八百長相撲が明らかになったが、実は数年前大ヒットした書籍「ヤバい経済学」で日本の八百長相撲を計量経済学を用いて説明している。
筆者であるシカゴ大学の経済学者、S・レビット教授らは、過去10年以上の相撲結果データを入手し、3万以上の取組データから7勝7敗と8勝6敗の力士の千秋楽の対戦を調べたのだ。
経済学をこのような日常の何気ない疑問や不可解な現象を検証しているのが面白い。
たとえば、中絶の合法化が犯罪率を激減させたことを解明しているが、その背景には貧困層の子育てが困難なことから経済的な理由で犯罪に走るケースが具体的なイメージとして浮き上がってくる。
子供につける名前で、親の教育水準による違いもわかる。これは日本でも「読めない名前の学生が多い学校は偏差値が低い」という有名な指摘がある。
ヤンママは翔という漢字を好んで子供につけるという話題もあった。
本書で取り上げられる代表的な疑問にはこんなのがある。豆知識のような内容だが経済学で説明できるので勉強にもなってオススメだ。
ちなみに、この本は映画化「(原題)フリーコノミクス」が決定されている。
不動産広告の「環境良好」の隠された意味って?
90年代のアメリカで犯罪が激減したのはなぜ?
勉強ができる子の親ってどんな人?
銃とプール、危ないのはどっち?
相撲の力士は八百長なんてしない?
学校の先生はインチキなんてしない?
ヤクの売人がママと住んでいるのはなぜ?
出会い系サイトの自己紹介はウソ?
ウィキペディアは信頼できる?
39歳にして起業し、「7つの習慣」を日本に紹介し、自己啓発セミナー、「7つの習慣」の翻訳、出版社の立上、会社の売却を行い、念願のハワイ移住生活を実現した
川西茂氏の著作である。中年になってしまったが平凡な人生を変えたい、起業したいといった人にお勧めの書籍である。
川西茂氏は、四国の田舎の1部上場企業である電力会社に勤務していた。あまりにも平凡で退屈な生活を変えたいという気持ちはあるものの39歳まで何も行動を起こせなかった。自宅と会社の数キロの通勤が行動範囲という何の変化もない生活だ。家庭があり、子供がいて、マイホームの借金が3000万円もあり、超安定企業で年収1000万円あるという環境で、家族の反対も強く行動に移せなかったのだ。
そんな人生を変えたいという気持ちは強いものの、行動に移せないまま年月が経った。ところが、出向先の企業で経営セミナを船上で行うツアーに参加することで人生が大きく変わった。風変りなアメリカ人青年ジェームズ・スキナー氏との出会いだ。船上でのセミナーの内容は大きく変わり、たんぽぽが無いと言われている土地でたんぽぽ探しをして、見つけることが出来たとき意識が大きく変わったようだ。
同じような状況や気持ちの人は多いのではないだろうか。
川西茂氏はジェームズ・スキナー氏とすぐに会社をつくる。しかし何をするかも決まっていないまま時間は過ぎていく。ある日アメリカで書籍「7つの習慣」が流行っていることを知り、セミナー受講のため渡米する。
これを日本でやりたい。でも何の実績も無い為まったく相手にされない。
交渉を続け、やっと小規模なセミナーだけは開催させてもらえることとなった。
ここからは苦労が続く。金は無い。家族は田舎に残して東京での生活。順調には程遠い生活だ。更なる借金と親族への連帯保証とリスクは大きくなる。
感動的だった話がある。週末に幼稚園の子供のために帰省するか悩むのだが、決心して戻ることとした。そして久ぶりに思いっきり子供と遊んであげた。
東京に戻るとき、子供は空港まで着いていくといいいつまでも手を振って見送っている。別れた後、子供は元気が無くなり、暫くして号泣したと妻に聞かされたという。
よっぽど父親に遊んでもらえたことがうれしかったのだろう。
起業をすることで当たり前の幸せが失われる。安定も地位も無くなる。それでも「7つの習慣」学んだ主体性を持って信念で仕事を続けることによって大成功をつかむこととなるのだ。
本書には失敗したら失うであろう事もたくさん書かれている。しかしそれ以上に行動することによって得られる大きなことを教えてもらえる。
本田氏の「レバレッジ」シリーズの代表的書籍だ。レバレッジとは梃(てこ)のことであり、ビジネスの世界ではファイナンスで良く使われる。レバレッジと言わないまでもその意味で使われることが多い。最近ではビジネスでは色々な分野でレバレッジという言葉を耳にすることが多くなった。
ファイナンスの世界で使われるレバレッジとは、自己資本を小さくして、借金を大きくすることである。レバレッジが大きいとは借金が大きいことを意味する。その効果として、収益が大きく得られ時に自己資本に対する収益(ROE)が大きくなるというメリットがある。借金の返済と利子以上の収益率が挙げられる時に絶大な効果を発揮する。
マイホームのローンも借金であり、自己資本に対するレバレッジである。不動産の価値の増大や賃貸収益が見込まれない場合は、レバレッジの効果は得られないどころか逆に借金で苦しむこととなる。多くのマイホーム取得者が実はレバレッジを利かせていることが逆効果となっている。つまり、新築で取得すると購入した時点で販売手数料の30%程度の価値の下落、劣化による価値下落ということで資産が目減りするのだ。
話がそれたが、金銭換算するとわかりやすいレバレッジは、思考(シンキング)であったり、日々の行動にも当てはめて考えることができる。
つまり、最小の努力による最大の効果である。
学習、読書、仕事とあらゆる行為には、初期の努力や実行に対してリターン、成果が存在する。効果はテクニックだけでなく、考え方による影響も大きい。
近代社会の幸福は物質的豊かさだと多くの人が思っている。電化製品を揃え、良いところに住み、余暇には贅沢をすることが幸福であると思いがちだ。周りの人の贅沢をうらやましいと思うことも多い。
この本の筆者は明らかに貧乏である。風呂なし、ガス無しの狭い部屋に住み、定職にも就いていない。ネット難民と呼ばれる連中よりも収入が少ないかもしれない。
それでも、生活の中の知恵とゆとりから、その生活に幸福を感じ、正直憧れさえ感じた。
金は無くても人間らしい生活はできるのだ。そして社会人が失った自由を獲得している。
金が貯まると放浪の旅に、世界中を回る。貧乏なバックパッカーだ。だが、金をかけた旅とは違う、現地に密着した縛られない旅、時間を気にせず、目的地も決めない旅というのは素晴らしい。金は掛けないが、とても贅沢な行為だと思う。
また、生活の知恵も素晴らしい。ネット難民の連中がインスタント食品やコンビニで買う食費よりも遥かに安く生活することができる。食材を八百屋で買い、自分で調理することにより、より安く健康的でおいしい料理を楽しむことができるのだ。
圧力鍋、多構造鍋などを利用することにより金を掛けずに高度な料理をする方法も満載だ。
乞食では無いが、都会の中でロビンソン・クルーソーのように自活する方法を知ることができる。エコロジーが叫ばれているが、本来のエコはこのような生活にこそあるのだと思った。そして幸福は決して物質的な豊かさでは無いということを教えてくれる本であった。
タイトルから本の内容がイメージできてしまうが、その通りの内容であった。人気があるのは時代背景からだろうか。
40過ぎの家庭を持つ男が、ドロップアウトに一見見える行為にでる。経験が無いのに漫画家を目指すという暴挙だ。
もちろん簡単にうまくいく訳が無く、ファーストフードのアルバイトをしながら、軽蔑する父と微妙な関係の娘とのやり取りが面白い。
登場する連中も、実際にいるような雰囲気が伝わる。傍から見ると悲惨なのだが、主人公が悲壮感が無いところが良い。
無謀な行動の中にも生きる意味を感じる。
ところで、タイトルの「俺はまだ本気出してないだけ」というのは、一般でも良く聞いたフレーズだ。
自分も昔を振り返ると、そのように思うことが何度もあった。
部活での大会後、勉強、仕事。なんかこの一言で逃げてしまえる言い訳である。
もちろん社会人になってこんな甘えた発言は通用しない。今では思うことも許さないと自戒している。
やりたいこと、やるべきことは常に本気を出す。すぐに手を付ける。こんな生き方をしないと、あっという間に人生が終わってしまいそうな気がする。
まだ1月なんて思っているとあっという間に1年なんか過ぎてしまうものだ。
ホリエモンの35歳くらいまでの若者へ向けた人生の指南書だ。かなり評価が高いようで読んで見たのだが、これまでのホリエモンの本とは異質で若者に語りかける口調といい、熱い思いといい、新鮮さを感じた。
かといって、過去のホリエモンの発言からブレが無く、首尾一貫としている。思想的には、超リベラルというかラジカル・リベラル(新しい自由主義)、個人主義、非道徳的、 超合理的といったところが感じられる。
スタイルとしては若者からのツイッターの投げかけから若者の人物象をいくつかにグループ分けして、彼らに対する熱いアドバイスを与えるような本だ。
若者の多くが、平均的ではあるが、何かに情熱を注ぐことも無く、将来に対する不安ばかりが先行し、安定的な守りに入っている。不景気などの時代背景もありしょうがないと思っていたのだが、ホリエモンの意見は違う。
若いうちに突き抜けるような体験をせよ、やりたいことをいくつも、とことんヤレと説く。読んでいると、大企業で平凡に働くような人生が馬鹿らしくなるような内容だ。
起業したり、自分の好きなことをやるのは1度しか無い人生を悔いなく生きるのに大切なことだと改めて感じさせられる。何を恐れていたのか、不安はどこから来てたのか。そう思う読者は多いのではないか。
日本では、起業して失敗しても飢え死にしたり、路頭に迷うことは無い。社会福祉が行き届いている。
若者が生命保険なんかに入る姿にもホリエモンは呆れている感じだ。生命保険はギャンブルじゃないかという。そもそも保険の歴史はギャンブルから始まったという豆知識も披露していて面白かった。そのとおり生命保険は宝くじなんかと同じギャンブルである。運が悪く死ねばギャンブルに勝てるという点が違い、しかも受け取りは自分以外の人だ。社会保障の整った日本で生命保険が必要なのか、そんなに将来を不安視して生き続けるのかと説く。
驚いたのは、ホリエモンは緊張もしないし、不安に感じることも無いという。彼が唯一恐れるのが「死」だと。一連の書物やインタビューなどを読んでいて思ったのだが、ホリエモンは特別な能力を持つとか、努力家では無いということだ。拘留されてもめげない精神力であるとか、何に対しても不安を持たずに生きることができる姿勢、考え方が一般人とはあまりにも違うといった点が、現代社会のとりわけビジネスの世界で突出した成果を発揮しているのではないか。
技術、食事、新しいモノに関しては、情報を人一倍収集して影響を受けているのがわかるが、社会との関わりであるとか、生き方、ビジネスの仕方というものに対しては影響を受けず、持論を徹底して貫いていることがわかる。
このような人格や性格が形成されたのは、大人になる前の環境によるのかもしれない。
本書で、ひときわ驚いた箇所がある。既婚者に「パンツぐらい自分で選べ」という話から、「結婚後も恋愛は続けろ」という社会概念からは非道徳的に思える主張をしているところだ。それが、また納得できてしまうのだが(笑)。確かに、恋愛を辞め、家庭を守ることだけになり、自意識や欲望を表現しなくなったら、それがどんな姿かと改めて想像したらゾッとする。多くの若者が嫌うオヤジだ。家庭を守るという言い訳に自己犠牲をしていいのか。子供が可愛いというのも小学校以降は生意気になり、さらに大きくなるとだんだんと嫌われる存在になる。思い起こすと自分もそうだ(笑)。
この本がホリエモンのこれまでの著書と違うと特に感じたのは、過去の辛い時期の思いとそれをいかにして乗り越えたのかについて結構ページを割いているところだ。ホリエモンは離婚し妻子が去った後の孤独と、ライブドア事件での拘束と付き合っていた女性との別れという厳しい時期を孤独に過ごしている。さらっと書いているが普通の人にとっては想像を絶する苦悩があったはずだ。さすがに修羅場をくぐってきた起業家だけあって、その苦しみからの立ち直りも見事だ。
その他にも読んでいて再認識したのは、環境や不景気のせいにして逃げ腰、守りに入っているだけで、そういった連中ばっかりなんでチャンスは多いし、失敗しても死ぬわけじゃないんで、好きなように生きることが本当に大切なんだということだ。
漠然とした不安なんか吹き飛ばし、やる気が起こってくる本である。
本には自分も好きな漫画「カイジ」の作者の福本氏との対談も入っている。
ずいぶん昔の話だが、ヨットで初めて日本からサンフランシスコに単独で渡った青年がいた。
当時は無謀な試みであり、誰もが反対した。サンフランシスコに無事ついても国内での世論は厳しかった。
そんな時代のことは全く知らないのだが、この話は「太平洋ひとりぼっち」として出版され、石原裕次郎主演の映画化もされた。
今なお、多くの人を鼓舞するノンフィクションとして読み継がれている。
このような話が大好きだ。絶対に無理と言われる内容であり、失敗すると死ぬかもしれない。勝機なんかわからない。それでも挑戦する。それが冒険であり夢なんだと思う。
実際に、冒険家というのは死ぬ人も多い。成し遂げても、一般の人にはその価値が理解できないものだ。
何故そこまでのリスクを犯すのか。費用対効果だとかではまったく説明がつかない。
それでも人生を何かに打ち込んで達成したいというのが自己実現ではなかろうか。
お受験とは有名私立小学校、中学校へ入学させるための親の努力や塾の対策などのことだが、子供の年齢が低いため子供の意思と関わりなく親の希望による受験対策と言えるだろう。
最近は日経新聞でも学習塾、教育産業の特集が行われており、それを読んで思うのだが少子高齢化社会では受験対策というのは衰退産業である。学校が入学希望者という需要よりも入学学生枠の方が多いという供給過剰な状態である。そのため、一部の有名名門学校への入学対策という供給量が小さい市場への需要の喚起と、受験対策とは違う人格形成教育など新しい産業、市場の開拓が行われているようである。
人口構造からいうと衰退市場ではあるが、教育費にかける費用というのは収入の割合からはずいぶん増えているようで、日経新聞記事によると「小学生以上の子供を持つ家庭の教育費(在学費用)が2010年度は平均で198万2千円となる見込みで、年収の37.6%に達することが20日、分かった。」とのことである。
これまで教育費にかける年収の比率というのは10%程度であったと認識している。約200万円の教育費というのは、逆算すると平均年収は540万円となり、一般サラリーマンの年収を大きく超えるが、実際は年収別の負担割合は「400万円以上600万円未満」が37・7%とのことらしい。また、学習塾やその他習い事で教育費が約200万円というのは尋常では無い数字にも感じる。私立小・中学校に通わせるのに、学費ともろもろの雑費で約100万円位と思われるので、公立学校に通わせる家庭ではどれほど教育費を過剰にかけているのか、受験の無い一貫校に通わせた方が安上がりではないかと思ってしまう。
このようなことから受験産業に興味を持っているのであるが、10年以上前と大きく異なっている現在の状況を知りたくて99年の作品である映画「お受験」を見てみた。小学校受験を控えた子を持つ矢沢永吉は、突然リストラで職を失ってしまう。そんな状況でも、母親は変わりに仕事をし、6歳の子供を名門私立小学校へ入学させるための努力を怠らない。子の希望など関係無しに親が子に一方的に注ぐ愛情や希望というのが印象的で、その献身的な親ごころには感動させられる。しかし、一家の大黒柱が失業してお受験どころでは無いだろう。
この映画では、教育が完全に受験のための対策に過ぎない点が挙げられる。この点がいかにもおかしくコメディ映画だ。現在の教育現場では、受験対策を中心として、躾やスポーツ、音楽などの芸術などより多彩になってきている。義務教育の質の低下のため、本来の教育の目的であるところの「自立」までもが民間教育産業に流れていくようになるのではないか。学校教育だけでなく、親や地域コミュニティによる教育というのが無くなったのも問題だ。
また、経済格差=教育格差という問題も浮き彫りになってくるのではないか。教育費にかける金額の増加というのは教育費という投資に対するリターンが将来賃金で期待できるからとも考えられる。
若き登山家の栗城史多氏の本だ。長期間ベストセラーとなっていて評判がとても良いので手に取って見たのだが、とても感銘を受けた。
てっきり登山の本かと思いきや、テーマは夢についてだ。もちろん登山の話も盛りだくさんだが。
夢を持つことの素晴らしさが伝わってくる。栗城氏にとってそれがたまたま登山だっただけだろう。そして誰でも夢を持てば道は開けるという勇気が持てる。
感銘を受けたのは、常に夢について語ることの大切さだ。夢を10回人に話せば、文字通り叶うという。
登山には莫大な費用がかかり、スポンサー探しがとても大変だそうだ。登山をするための90%以上がスポンサーを探す営業活動のようで、栗城氏は立派な営業マンだ。
アポ無しで大企業の広報に飛び込み、社長までつないでもらってアピールと説得をする。ほとんどが相手にされないが、社長の友達は社長ということで断った人を踏み台に次の営業先を開拓していく。
あっさりと書かれているが、夢を力説して断られたり否定されると普通は落ち込んだりするだろう。それでも夢を語り資金を集める姿に感動した。
夢を持たなければ人生の意味が無いと思った。現状に満足したり、対処しなければいけないことが多すぎて夢を持てない人が多いと思う。
しかし、夢が無ければ気力が湧かないものだ。そして他人が夢を語った時に絶対に否定してはいけないと納得した。
子供の頃を思い返せば沢山の夢があった。そして何者にでもなることができただろう。年を取っても夢を持てばそれは変わらないのではないか。
あと、夢は漠然としてもいいからでかい方がいいなと思った。どうやって実現できるか、叶うかもわからないような夢を持つことが希望なのだと思う。
「起業士 天馬」というVシネマが非常に面白いのだが、そのストーリーのモデルになったのが天野雅博氏だ。
テレビ等で何回か見たことがあるが、少年院に何度も入っていたり、暴走族上がりだったり、現在の成金っぽい派手なイメージや外観でイメージが先行してしまっているが、本を読むと実はとても真面目で知的であることがわかる。本は週に何冊も読み自己啓発を行っており、感覚で経営をしているのではなく、しっかりと勉強をしていることもわかるのだ。
さて、この本の中の一節で重要なことに気づいた。
それはどんな状況においても、明確に成功のイメージを持つということだ。それに金儲けが目的なのではなくて、儲けた金で何をするかが重要だ。
考えてみれば、日々の忙しさの余り、目先の仕事を片づけることばかりになってしまいがちだ。「7つの習慣」にもあったが、緊急性を要することよりも、むしろ緊急度が低いが重要なことこそが大切なのだ。
サラリーマンであれば日々の目の前の仕事に集中しがちだし、経営者となれば更に業務は多岐にわたり、資金繰りなどに翻弄してしまいがちだ。不景気の影響でそのような雑多な仕事ばかりになってしまい、本来の起業の目的や夢や企業のビジョンについて考える時間を無くしてしまっていないだろうか。
不安から解放されるには、最悪の事態を想定しろとよく言われる。しかしそればかりを考えるとネガティブな思考になってしまう。「マーフィーの法則」など多くの自己啓発本で思考と夢の実現に関連があるとされており、マイナスのことばかりを考えているとその通りになってしまう。むしろ、成功や夢の明確なイメージこそが大切なのではないか。
ポジティブな思考(Positive Mental Attitude )、「思考は現実化する」などにあるとおり、成功のイメージはとても大切だと改めて思った。
開業率が減り倒産が増えているのに、この本は売れている。起業に対する具体的な本が売れているということは起業を志望している人が増えているということだろうか。
起業したい人のほとんどが起業経験が無いので起業のイメージがつかみにくい。そしてファイナンス(資金調達)についての知識が無い。
起業を考えるにあたり、自分の起業家としての適正、失敗時のリスク、そして運営のためのファイナンスの3つが最重要項目だと思うが、この本はまさにその3点に絞った本だと言える。
起業しても多くが失敗する。失敗、つまり倒産すると大変なことになるという先入観がある。確かにそのような面がこれまで大きかった。事業の失敗は人格までも否定されてしまうイメージがあり、倒産を回避するために銀行以外の怪しいところからも資金調達を行い多重債務者になってしまう例も多い。
しかし、決してそのような失敗して全てを失うだけでは無いということが、この本で強く主張されていることだ。
そもそも、会社の資産と起業家の資産は本来分離されている(所有と経営の分離)があるが、銀行借入では個人補償、VC等からの資本での調達では投資契約での個人補償(有効性は無い場合が多いが)でベンチャー企業、中小企業は社長と一体になってしまっている例が多い。
ところが現在では起業家向けスタートアップ融資のような制度融資やVCからの調達で、個人補償が無い理想形もつくることは可能だ。そもそも自分の貯金だけで始めることのできるビジネスモデルというのも、インターネットの利用などで可能性が広がっている。
低金利、低コストでの資金調達が過去の歴史からは考えられないほど起業家に有利な条件で資金調達ができる環境ということもできる。
起業家の多くが、ビジネスそのものには精通していてもそれを運営するためのファイナンス、会計などの知識が欠落していることが多い。知らなければ不利な条件を飲まざるを得ないことが非常に多いと感じる。本1冊の知識だけで、失敗時のリスク回避ができ、失敗時の人生のやり直しが大きく異なるというのも驚愕の事実だ。
テレビドラマで「闇金ウシジマ君」が始まった。この作品は借金などで苦しむ底辺の生活や暴力をリアルに表現している。
漫画本版はさらに過激で、その暴力のすさまじさから読後に暗澹な気分になる。ネットでの感想なんかを読んでもトラウマになるような人までいるようだ。
実際の暴力や恐怖の世界を知らないが、そんな世界はとても見たいとは思えない。
さて、川崎市は多摩川を渡って東京都と面している都市で、有名な焼肉屋が沢山ある。無類の焼き肉好きなので川崎に行くことが多いのだが、海の近くには韓国人街に焼肉屋が沢山あり、また川崎の平間駅近くは東京都のキヤノンや川崎のNECの近くであり、有名な焼肉屋が多く立ち並んでいる。そんな場所にある店にたまたま行ったら「ヤクザが店にやってきた」がオーナーの店だった。この店の近くには複数の有名焼き肉店があるのだが、芸能人やら格闘家やらが大勢来ることで有名な店もある。
川崎で別の店だが焼肉屋に行った時にヤクザの集会をしていて怖かった経験がある。店の中の入り口付近には若い衆が数名立ちっぱなしでいて、個室ではどうやら人事が行われていた風だった。小指が無く、見るからに恐ろしい男が立ちっぱなしで睨んでいた。別室で怖い思いをして食べたのだが、その後その店にいったらまたヤクザがいた。
こんな店ばかりではないだろうが、ヤクザと徹底して戦う店があるということは驚きだった。置いてある著書を貪るように読んでしまった。
ヤクザが怖いのはイメージであり、ウシジマ君に出てくるような世界ではなかったので良かったが、ビビる人間や金を払ってしまった人間は徹底して追い込まれるのかもしれないとも思った。強靭な精神で断固として戦う姿勢こそが、ヤクザが寄ってこない方法なのかと思った。
それにしても屈服しない精神は普通の人ではあり得ないのではないか。
実は、以前それらしき人物から電話がかかってきたことがある。怒鳴るような大声で、自分の経歴やら住所などを言われた。その時点でまず恐怖を感じたのだが、要求はどうやら同和の情報を買えとかそんなことのようで、一方的に電話を受けながらインターネットで調べたらすぐに対策が出てきてその通りの応対でお断りした。その後、何も言ってくることはこれまで無かった。
脅しには徹底して戦わないと付け込まれるのだろう。これはヤクザだけでは無く訪問販売などにも共通していると思う。
黒木亮の短編小説「空売り屋」で出てきた空売りファンドと企業再建中の大手スポーツ用品メーカとの戦いの物語である。
前作の「空売り屋」とはストーリーは関係無いので、「リストラ屋」だけを読み進めることができる。
黒木亮の小説は、実際の現場で行われている詳細なディールを沢山積み上げてつくられているのが特徴であり、リストラ屋も一般の人が知ることがない再建の裏事情が満載だ。タイトルがリストラ屋なので、映画「マイレージ・マイライフ」のジョージ・クルーニーのイメージをしたがまったく違った。マイレージ・マイライフは大手企業のリストラを請け負う企業で、いかに揉め事を起こさず、短期間にスムーズに人員解雇を行っていくかという手法だったが、こちらの小説はむしろ企業再生人である。
大企業の企業再生の常とう手段であるコストカット、つまりリストラを徹底的に行っていく手法だ。
企業再生をリストラで短期間に行うことで実績を積み上げてきた蛭田は大手スポーツ用品メーカの再生目的に投資しているファンドに売り込み社長に就任する。
過去にもリストラで短期間に株価を上昇させ転売してきたことが実績だ。
このような話は実話に近いと感じる。再生ファンドは、業績が低迷する企業を安値で買って企業価値(上場企業であれば株価)を短期間に上昇させ転売することを目的とする。
問題となるのは、低迷した業績をファンドの期間があるため短期間で回復させなければならないことと、日本には企業再生の経験のあるプロ経営者(ターンアラウンドマネージャー)がほとんどいないということである。
この小説の根底はこの事実が元になっている。
登場する主な組織は、業績の低迷している大手スポーツ用品メーカ、外資系再生ファンド、そして転売や資金調達を手伝う米国系大手投資銀行だ。リストラ屋こと蛭田はフリーのプロ経営者、そして空売り屋のファンドだ。ストーリーの展開でリストラされる従業員なんかも出てくる。
このメーカを食いものにする連中は年収が数千万円から数億円という金の亡者に見える。だが金と仕事に執着する姿勢は、一般庶民とかかけ離れた挫折や失敗や屈辱などの過去があるようだ。六本木ヒルズレジデンスや豪華な旅行、特別に高い接待や食事も紹介されている。リストラで苦しむ従業員とは対照的に平然と年収数億円とストックオプションを要求する強欲さにも驚かされる。使いきれない金を持ってどうするのだろうか。強欲な拝金主義の連中だ。
その他方、リストラされる従業員は仕事を失い、再就職ができず、持家を失い、家庭が崩壊し、体を壊して死ぬ者まで出てくる。テレビなどで一般に伝えられるのは、こういった圧倒的多数の被害者側の姿だ。この小説では、従業員はリストラに怯え、残った社員も過激なノルマを課し、ストックオプションでモチベーションを上げさせる。飴と鞭を与える典型的な手法だ。会社は株主のものであり、経営者は株主に経営を委託されれており、従業員は使用人に過ぎないという考えを正論として持ち出す。
このプロ経営者と一般的な経営者は全く違う。中小企業や同族企業の経営者というのはここまで非情にはなれないだろう。社員を家族同様大切にし、社員の犠牲よりも自分の犠牲を優先に考える。そんな経営者を沢山見てきた。結果として従業員に対する優しさは経営の甘さとなるのかもしれないが、企業の存続や価値上昇よりも大切なものがあると普通の人は考えるのではないか。中小企業のオーナーは全財産を銀行の個人補償で背負っているのに対し、雇われ経営者はリスクを背負っていない。この小説のリストラ屋は、たくさんの人に恨まれて命を狙われるほどなのでそういう意味ではリスクを背負っているとは言えるが。
プロ経営者といっても、その業種に精通している訳でも無く、基本的には高い固定費の削減というのが主な手法となる。新しい製品を生み出し売上を伸ばすというのは技術やマーケットやブランドに精通していなければできず、時間も長期間になる。自分が見聞きした企業再生のプロ経営者の手法もこの小説と似ていた。販売製品を収益ごとにグルーピングして収益性の低いものは生産中止、顧客も同様に分類し収益性の悪い顧客は取引停止、それに伴い生産、人件費を大幅に削減。これを徹底的に行い2,3年以内で黒字化から高収益企業化に転換させ売却もしくは社長交代を実施。
日産自動車を再生させ今も経営トップとして活躍しているカルロス・ゴーンもコストカッターという異名を取った。ゴーン氏の取ったリストラの負の面についても小説では書かれている。巻末にも参考文献でゴーン氏の書籍があることからコストカットの手法など参考にしたのだろう。
再建屋の蛭田は徹底したリストラを実施していく。株式市場受けする再生ストーリーをつくり実践していく。BRICsへの営業展開と生産拠点の中国への集約が基本だ。それにより営業面も生産面もボロボロになり、高品質が売りだった企業の根底が崩壊していくことになる。
その事実を知った空売り屋の北川は、空売りを仕掛けていく。蛭田にとっては短期間での企業収益の回復のため、粉飾に近い手法での売上増加、利益増加を図り企業がボロボロになる前に売り抜けようとする。それを手伝う投資銀行や再生ファンドとそれを取り巻く証券会社アナリストなど。長期的にはこの再建手法では再生どころかボロボロになってしまうことが誰の目にも明らかなのだ。世界大手スポーツメーカへの売却を早期に進めるべくさらにリストラなど無理を重ねるものの、市場から見えるのは着実な企業再建による株価の上昇。空売り屋は大きな含み損を抱えながらも、徹底抗戦を行う。
ほんの数人が大企業の再建の将来を決め、その中には金儲けのためなら裏切りも平然と行う人物もいる。ここでも禁断の果実である資金調達法MSCBが登場する。資金調達の詳細なディールはさすがだと毎回関心させられる。
黒木亮の小説にはモデルとなる人物がいるケースが多いが、このリストラ屋蛭田はどうなんだろうか?
再建中の企業の経営者の噂を関係者から聞くケースが多く、リーマンショック後には徹底したリストラを加速させている再建屋もいると聞いている。
蛭田は貧しい家柄で大学に行くことができなかったもののエンジニア出身からプロ経営者になったとある。単なる悪役では無く、過去の生い立ちからその性格やビジネス手法が形成される過程が想像させられる。平凡な主人公よりも遥かに際立つ存在でその性格にも引き込まれる。新潟出身で地場の機械メーカ出身とあまりにも具体的な経歴なのでモデルになる人物がいるのではないかと思った。
ホリエモンの小説「拝金」が話題となっていたので読んでみた。ホリエモンの自伝が小説になっているのかと思いきや、そうでもなく創作も面白く楽しく一気に読むことが出来た。
主人公はニートの若者で、金持ちのオッサンことメンターの指示に従い起業して、上場、球団やテレビ局の買収を様々なビジネス手法で展開していく。
主人公とオッサンはそれぞれホリエモンの性格を2つに分けられている。普通の若者が欲望に満ちていく主人公と冷静に分析しビジネス発展に精通している主人公だ。
大まかな流れはホリエモンの歩みと似ているのだが、創作されている話が良く練られていて面白い。ビジネスの展開はいっきにビジネスを成長させた携帯電話のゲームの課金だ。
ヒルズ族と呼ばれたIT長者達のこれまで取材されてこなかった裏舞台である合コンやパーティの様子も面白い。
実在する一流の女性を手配する人物「サル」は、ネットベンチャー界ではかなり有名な存在らしい。
このようなストーリーとは直接関係の無い脱線話がずいぶんと長いのだが、それはそれで面白かった。
この小説の重要なところは、ごく普通のむしろ社会人経験が無い落ちこぼれの若者でも、成功して億万長者になれてしまうところだと思った。実際のネットベンチャー経営者を見ても、経営を学んだものはいないし、新しいビジネスモデルでは不要なのかもしれない。
そしてもうひとつ重要なことは、ホリエモンが経営者時代には言えなかったことを主人公を通してさらに過激に主張していることだ。放送局買収の際には主人公は当時のホリエモンよりもさらに過激にマスコミと対立する。マスゴミと呼び、マスコミの癒着や既得権益にしがみつく姿勢、偏った報道姿勢などを痛烈に批判し、主人公は窮地に立たされる。
金融工学を駆使したファイナンス手法であるMSCBという劇薬も出てくる。
誰でも金持ちになれる、そして金持ちや成功者だけが知る世界がある。小説ではあるがその部分は事実であろう。ホリエモンが考える経営手法も斬新的なイメージを受ける。例えば、平均賃金を一般企業よりも遥かに低く設定し、ストップオプションでモチベーションを上げさせる。そのような世界を垣間見ることができる作品だ。
ハーバード大学で最も人気のある授業が「Justice(正義)」で、その授業が世界に公開され、日本でも東大で授業が再現されNHKで放映され大きな話題となっている。
授業の内容は、日本では哲学や倫理学とされているものであるが、日本では哲学者のそれぞれの主張や理論が紹介されるのに対し、この授業は学生との対話を通して考えされる授業であるのが特徴だ。サンデル教授の授業の進め方のうまさ、質問の仕方、高いレベルでの学生との対話がとても面白い。
授業の内容はこんな感じであった。
教授「イチローの年棒は15億円で、学校教師の400倍、オバマ大統領の42倍だ。金額は大きすぎないか?」
これに対して学生が意見を主張する。
学生A「イチローの仕事はオバマ大統領に比べて責任感が小さい。オバマ大統領は核爆弾のボタンを押すこともできるし、国民に対する義務も大きい」
学生B「イチローの仕事はエンターテイメントであり、オバマ大統領の仕事は税金による賃金である。・・・・・」
このような感じで人の意見を聞くことで、深く考えていくと資本主義の根本哲学にたどり着いていく。
そして、例えばイチローの年棒は大きいのだから、税を多く取って分配すべきかどうかという議論に展開していく。
学生C「収入が高いからといって、財産を奪い取ることは国家の役割を超えている。個人の自由を侵害する行為だ。」
この学生はリバータリアンの立場を取る。
学生D「10億円の収入がある人から5億円徴収しても、その人にとってのダメージは大したことはないが、その金を分配すると助かる人が大勢いる。」
この学生は最大多数の幸福を目指す功利主義の立場を取る。
このように様々な難しい道徳や倫理や正義について考えさせられる質問が飛び交い、学生との対話は白熱していく。
質問に対する正しい解答は存在しない。時代や国によっても違うし、政党によっても違う。自分がどの立場を取るのか、生きる上での決断や判断においてどのように意思決定をするのか、それは常に問題意識を持つことなのだと思う。
NHKの取材も見たが、記者は「広島への原爆投下は許される行為なのか」などずいぶん鋭い質問をサンデル教授にしていた。YES/NOでは答えは当然でないのだが。
考えさせられる質問が多い。例えばこんな感じだ。
殺人に正義はあるか?
命に値段をつけられるのか?
「富」は誰のもの?
この土地は誰のもの?
動機と結果 どちらが大切?
愛国心と正義 どちらが大切?
そういえば15年位前にも物語形式の哲学書「ソフィーの世界」が流行ったなぁ。
「この世界は残酷だと、僕は知っていた」この暗い言葉から本書は始まる。本の帯には「無能力主義のすすめ」、「やればできるというという自己啓発では、この残酷な世界を生き延びることはできない。必要なのはやってもできないという事実を受け入れ、それでも幸福を手に入れる、新しい成功哲学である」と衝撃的な言葉がある。
まえがきでは、新宿のホームレスと誰もが隣り合わせである事実を告げる。リスクを背負って生きている人ならば理解できるであろう。成功と失敗はコインの表と裏だ。努力しても失敗してホームレスになる可能性がある。
先進国では「人権平等」と「公共の福祉」が疑う余地の無い大前提として成り立っている。人権平等のもとに、成人は誰しも等しく1票の選挙権があり、機会は平等に与えられるべきだとされている。更には結果も平等に与えるべきだとリベラルは言う。富は配分され福祉として使われるのも人権平等と相互扶助の前提があるからだ。
しかしこの前提が間違っていたら?
例えば、性格も能力も遺伝によって多くが決まるとしたら?
人間の価値は生まれ持って決まっていて平等では無いとしたら?
民主主義の前提を揺るがすことになる。
筆者の橘玲氏は、このような前提を覆すサブカルチャー的理論を紹介する。橘玲氏の著書を海外投資シリーズから読んできているが、根底にあるのはリバタリアリズムがある。
個人の自由が共同体(国家や地域)より優先される。リベラルのような平等主義、社会福祉主義、大きな政府といった自由主義と異なる自由主義だ。
リバタリアンは橘玲氏のこれまでの書物知的幸福の技術―自由な人生のための40の物語や不道徳教育に詳しい。
本書でもリバタリアリズムの正当性が主張されている気がした。
読みながら考えたのだが、現在の政治や経済にはリカードの「比較優位」説が前提となっており本書でも書かれている。本では弁護士がタイプライティングの遅さを補うために、タイプライターを雇い弁護士の業務に特化するという説明であったがそれでは不十分だ。例え雇うタイプライターよりもタイプの能力が高くても、タイプライターを雇いタイプは他の人にまかせる。付加価値の高い仕事に専念するというのが比較優位だ。
リカードの「比較優位」説が前提でグローバル経済が成り立っている。先進国で高付加価値の仕事は賃金が跳ね上がり、低付加価値の仕事は発展途上国に代替される。よって成功には努力が求められるというのが前提とされる。しかし、努力を望まない人にも生きる価値と権利がある。
さらには功利主義的な考えの前提にも疑問を持たざるを得ない。最大多数の幸福を実現する合理性を求める功利主義では、例えば5人の命を救うためなら1人の命を犠牲にしても良いことになる。しかし道徳や宗教では人の命が尊いということでこの問題には解答がないというのが倫理で習ったことであった。
しかし、人の命は平等ではないということになればそもそもの前提は崩れる。
刑を終えた犯罪者も等しく選挙権があるし、人の役に立っている人もそうでない人も平等とされている。
本書では更に突っ込んで、人間の生まれ持った可能性は平等で能力は努力によって培われるという前提を覆す理論を多く紹介する。
勝間 vs 香山の論争がかみ合わないのは両者の前提が違うからのようだ。
ゲーム理論を始め、多くの興味深い話題に溢れていてとても興味深い。個人の幸福を実現するための新しい理論「成功哲学」が展開されていて面白かった。
Vシネマでは珍しい起業ものであり、実話に基づいた作品である。主人公のモデルとなっている人物は天野雅博氏で、最近テレビでこの人物の紹介がされていて興味をもったので観て見た。
テレビでの紹介は、親無し、少年院に何度も入った、起業するしか生きる術が無かった、そういった人物として紹介されていた。
また、天野雅博氏が起業して成功している会社は数多く、最近では焼酎無料サービスの居酒屋が注目を浴びているそうだ。成功した成金らしく、高級車や高級バイクを派手に乗り回している姿がテレビに映し出されていた。
話し方とか、身なりで拒絶反応をおこす視聴者も多いだろうなと思ったが、そのたくましさや壮絶な人生経験には非常に興味を持った。
映画は失礼ながら予想に反して非常に面白かった。そして感動の連続だった。
Vシネマということや、昔活躍した役者が結構出ていたり、チープな感じがしたのだが、それを遙かに上回るストーリーにくぎ付けになった。
サブタイトルの「運命よ そこをどけ 俺が通る」は主題歌にもなっていてそれがまた良いのだが、その短いフレーズに多くの人生観が詰まっている。
例え、厳しく、避けられない運命であっても、運命に従うことなく人生を切り開いていく姿勢と信念こそが、この映画のストーリーだ。
ヤクザとの決別、昔からの悪友達との決別、そして商売。生きるために金儲けを必死に行い、寝る間を惜しんで本業以外のアルバイトでも稼ぐ。
収集されたゴミから服を縫い合わせて古着屋を始める。売れなければ考えて深夜まで営業する。簡単に儲けられないから人がやりたがらないことを地道にやっていく。
そして、不幸な過去や運命から逃れるための必死さ。そういった苦労する姿こそが人間の生きる価値ではないかと考えさせられた。
マイケル・ムーアの資本主義の問題を提起した映画「キャピタリズム~マネー」を見た。
映画は一般人が住宅ローンを払えずに家を差し押さえられ、警官にドアを破られて追い出されるシーンで始まる。
このシーンはムーア監督のデビュー作「ロジャー&ミー」のシーンとそっくりだ。ロジャー&ミーではGMの工場移設により崩壊していくGMの城下町のドキュメンタリーであったが、同じ風景が全米のあらゆる地域に広がっているのだ。
家を差し押さえられる人の悲惨さが同様に繰り広げられる。そして飛行機のパイロットの現状が繰り広げられる。パイロットの給料はもはやタコベル(タコス屋チェーン店)店長よりも低い。人の命を預かる重要な職業が低賃金で良いのか疑問を投げつける。
ウォルマートなどの優良大企業が、労働者に生命保険をかけて企業が受取人になっていることも発覚した。
青少年の鑑別所も民営化されたら、些細な非行でも長期間拘留されることとなった。
ムーアの子供の頃は違った。米国企業は労働者にやさしく、皆が中産階級になれた。働くのは父親だけだった。それが新自由主義者による行き過ぎた資本主義により貧富の差が拡大した。企業は生産性の拡大を行いつつ労働者への報酬の還元はほとんど行われなかった。
これらは資本主義の根本にある利潤追求が問題の原因と非難する。そして民主主義的な企業運営の必要性を提示する。
どういうことかというと、資本主義の経営の基本は「所有と経営の分離」、「株主利益の最大化」である。そのために利益を上げておきながら労働者のレイオフが平気で行われたのが、「ロジャー&ミー」のGMであった。解雇された労働者は住宅ローンが払えずに家を失った。
民主主義の基本は人権の平等であり、金持ちだろうと貧乏だろうと、ひとり1票の等しい権利がある。株式会社では、資本家が所有者であり、しかも株式の持ち分比率で議決権が違う。
見ていて思ったのは、これは資本主義が悪いのか?ということだ。
ムーアの子供の頃と違うのは、米国企業の競争力が低下したためだと思う。第2次大戦後、日本、ドイツは戦後復興で企業はゼロから競争力をつけていった。そんな発展途上国の方が競争力があるのは当たり前で、米国企業は海外に生産拠点を求めたり、生産性の向上を目指したのだ。
ムーアは「ロジャー&ミー」でGMを変えられなかったと言っていたが、GMが労働者主導の会社になったならばむしろもっと倒産が早かったのではないか。
また、家の差し押さえは、米国では住宅ローンは家を手放せば借金から解放される。日本では家を売却しても残った借金は返し続けなければならない。それに比べたら再起は楽に思える。そもそも住宅ローンを差し押さえられるのに、差し押さえを行う警官や銀行に文句を言ってもそれは筋が違うように思える。
そのような点はあまり共感できなかった。
ムーアは民主主義的な経営を行っている企業の取材も行う。その企業は意思決定を経営陣にゆだねるのではなく、労働者が意思決定を多数決で行う。給与も利益処分も労働者が決めることとなる。映画ではわからなかったのだが、利益は株主には配分されないのだろうか。
企業の利益を労働者に配分されるのであれば、それはもはや資本主義ではない。そしてそのような経営形態が発展途上国が台頭しつつあるグローバル社会で通用するのだろうか。
映画の後半は、ウォール街と政治の世界にスポットがあてられる。
ウォール街の投資銀行や金融機関は何にでも富を生み出す金融工学を駆使する。製造業のように付加価値のあるものを生産するのではなく、強奪に近いビジネスモデルだ。CDSなどのデリバティブで、中産階級や貧者から家を取り上げ、資産を巻き上げることによって巨額な富を生み出している。
そして政治は完全にゴールドマンサックスの関係者に牛耳られている。
このようなことにマイケル・ムーアはもはや立ち向かうことができないと叫ぶ。資本主義の強欲さを追求するあまり、民主的なプロセスが米国から失われてしまったのだと。
映画の内容は既に様々なメディアで暴露されていることが多いが、それでも資本主義の問題を映像によって目の当たりにしたことで衝撃的だった。
何故、たった1%の人が99%の富を独占するのか。働いても収穫のほとんどをもっていかれる小作人のような労働が現在の米国でまかり通っている。そして家などの資産も巧みに奪われてしまう。
暴動が起きないのは、米国では誰もが成功者になれると夢を見ているからだそうだ。
見た後もとても考えさせられる映画だ。
働き方、仕事に対する考え方は大きく変化している。マズローの欲求段階説にもあるとおり、人は生存するための労働から、より高い意識と自己実現を求めるようになってきている。現在のような不況でも、少なくとも社会保障により飢え死にすることはないし、生きがいややりがいを求めるというのは納得のいくところであろう。
モチベーションをコントロールする「アメとムチ」〈モチベーション2・0〉は通用しなくなりつつある。
ダニエル・ピンクのインタビューや記事を以前から見ていたが、革新的な事例の紹介がとても面白い。会社や組織に属さないフリーランスの増加や、報酬以外のものを求めて働く人たちなど、これからも増加していくだろう。
フリーランスだけでなく、非正規社員やアルバイトも増加しており、そのような立場で満足している人も多くいることに驚かされる。成果が出せなければ収入が無い世界であり、自分の体(脳みそや体力)が資本である。それ以上に、精神力が要求される世界である。
報酬以外のモチベーションについては、21世紀に入ってからの概念になるだろう。OSのLinuxの開発やWeb百貨辞典のWikipediaなんかは多くの無報酬の人たちによってささえられ、莫大な費用と携わる人に対する報酬でつくられた製品を凌駕する存在となった。
そして、多くの人がそのようなモチベーションに対して未だに理解が及んでいない現状である。
しかし、そのようなモチベーション概念は大きく、確実に波及している。
先日もあるベンチャー企業の社長と話したのだが、彼は社員をmixiのコミュニティで集めたそうだ。しかも起業で金が無いので当面は無報酬の成功報酬だが逆にモチベーションの高い人たちが集まるそうだ。
また、ある人は自給自足のコミュニティづくりに精を出しているのだが、土地の開拓から住居建設など手間のかかる労働を無報酬のボランティアが集まってくるそうだ。
BlogやTwitterなんかをやる人の多くも無報酬でやっている。中にはアフィリエイトなんかで稼ぎまくる人もいるが。
逆に、どんなに報酬が高くてもそれを捨てる人もいる。ある会社の役員は30代で地位を築いたが、それを捨てて農業の世界に行ってしまった。誰もが反対し、信じられないという雰囲気だった。
日本では10年位前にもネット関連や外食などで独立・企業ブームがあったのだが、様子がずいぶんと違った。フリーランスにせよ起業にせよ、始める前のモチベーションは良いのだが、実際にはほとんどのケースがうまくいかず、生活に困ったり、借金の返済に追われて大変で、焦りと不安で精神を病む人を多く見てきた。
健康でエネルギッシュな人が、胃潰瘍を持ったり、鬱になるケースも見た。それくらい大変なものなのだと思ったのだが。
もしかしたら日本人は不安症で、米国人は楽観的という違いがずいぶんあるのかもしれない。それから日米の違いとして米国企業は簡単にレイオフ、解雇を行うのに対して日本では雇用が保障されるという社会風土がある。米国企業にあるEmployment-at-willという契約で、理由に関わらず解雇できてしまうのだ。企業に属していおきながらいつ解雇されるのかわからないのであれば、フリーランスが良いという選択も当然あるかと思う。
日本ではSOHOのようなフリーランスが相互扶助で仕事を助けあったり仕事を回しあうようなコミュニティが発展しつつある。やりたい仕事ができるというのはモチベーションが高くなるのは当たり前だが、同時に生活保障が無いと不安でモチベーションどころでは無くなるのではないだろうか。そして仕事が無くなれば、やりたくない仕事もやって稼がざるを得なくなる。
それでもやはり時代の変化は感じる。日本企業は大企業でもリストラをするし、潰れる企業も増えている。最悪でも命は取られないのだからと開き直れば、思いっきりやりたいことはできる環境がそろってきていると思う。
衝撃的なタイトルであり、理想の働く環境に思えた。企業のオーナー社長にはこの本の筆者のように月に3日出勤するどころか、社員にまかせっぱなしで遊びっぱなしの人も稀にいる。知り合いでは、ヨットで何か月も旅をする社長もいるし、1カ月働いたら3ヶ月間海外で暮らすライフスタイルの社長もいる。
しかし大多数は、土日も祝日も関係無く、会社のことで頭が一杯で用事が無くても会社に行ってしまうような社長ばかりが思い浮かぶ。
これまで自宅勤務に適するのは個人事業主のSOHOのようなスタイルや、再分化された仕事の一部を受けるエンジニアのような仕事だという認識が強かったが、この本の筆者は経営者である。
それも森松工業という社員2600名、年商450億円企業の社長である。人数も年商も中小企業というよりは大企業だと思う。工場は世界各国にある。
かなり年配なのだが、ITやインターネット技術をフル活用した経営をしているので驚かされた。出社日数が少ないことによる経費削減や合理化メリットが遥かに多いのでさらに驚かされた。
Webカメラ活用で1カ月の出張がわずか30分とのことだ。それも喫茶店で仕事ができてしまう。冷暖房や電気代の節約だけでなく、快適な環境で仕事ができるというのもメリットがあるようだ。別に近所の喫茶店で無くてもネットが繋がれば海外のリゾート地でも船でも良いのかもしれない。何かあった時にすぐに駆けつけることはできないが。
かつてフォードが電話機の前に座り、指示と報告を電話で済ますという話があった。経営者は戦略の立案に徹し、電話一本で専門家に確認し、指示を出すのに徹するという内容だった。
月に3日の出社でむしろ効率的に経営ができているのであるから、他の会社にも当てはめることができるかもしれない。もっとも多くの中小企業の社長は、社長自ら営業し、技術開発し、銀行の対応をしているプレイングマネージャーだと思うが。
小説のハゲタカがNHKドラマ化され、そして映画化された。小説でハゲタカ・シリーズを読んでいるため映画は見なかったのだが、先日NHKで放送されているので見てみた。
ドラマ化の時もそうだったが、ずいぶんと原作と違うし、買収提案の詳細も省かれているために物足りなく感じるのだが、金融に携わっていないお茶の間の視聴者にとっては分かりやすいし、人間関係のドラマとしてのほうが楽しめるということだろう。
ストーリーは、米国投資銀行出身の鷲津が今度は中国のファンドに狙われた日本企業(大手自動車メーカ)を助けるという設定だ。ドラマのほうでは、鷲津は「腐った日本を買いまくる」設定で、ハゲタカという異名を持つ狡猾な手口で次々と業績悪化している老舗企業を買収していき、ITベンチャーなんかとも金融戦争になっていくという話だった。時代的にはリップルウッドのようなハゲタカと呼ばれた企業による銀行などの買収劇とライブドアによるニッポン放送とフジテレビ買収劇を舞台裏を紹介しながら別ドラマにした話だった。
映画ハゲタカは、続編だが数兆円の資産規模を持つ中国政府の管理するファンドが日本の技術を手に入れるために自動車会社にTOBを仕掛けるストーリーだ。鷲津はホワイトナイトとして登場するが、資産規模でかなう訳がなく、サブプライムローンで破綻が予測される米国の投資銀行を活用して対抗する。
鷲津が金儲けに徹する姿よりも人間味あふれる姿なのが驚かされる。そして、海外に日本企業が買われるという状況は着実に進みつつあり、中国資本になった老舗企業はずいぶんと増えているし、これからも増えるだろう。今のところは友好的買収や再建なのだが、ドラマのように敵対的買収という手段が取られるようになるのだろうか。
日本を代表する企業が買われるのだろうか。十分にあり得る話である。
しかし、今回の鷲津のライバルの設定の中国人が日本ではあり得ない貧困生活から成りあがるというのは、現実にもそういう人が中国にはたくさんいるからすごいと思う。
ハングリー精神は裕福になっても持ち続けるものなのだろうか。
50年以上も昔の映画だが、黒澤明監督の最高傑作とも言われる作品である。人間の生きる価値や真価について非常に考えさせられる作品であり、現代においても決して色あせることのないテーマである。
主人公の渡辺は、市役所で30年以上働き市民課課長の立場にいる。仕事はこなしているだけ、自分で忙しい状態をつくるだけが仕事で、実際には何もしていない。市民の要望や苦情が来ても他の課に回すだけであり、他の課もまた別の課に回すだけ。タライ回しだ。
「何も仕事をしてはいけないのが役所」そんなことを言う者も出てくる。
ところがこの渡辺は胃痛で病院に行ったところ胃癌であると知る。当時の胃癌は死刑宣告だ。絶望し欠勤し、初めて自分の金で酒を飲む。絶望したのはこれまでの人生であり仕事をしてこなかった生き様に対する後悔だ。胃癌で半年から1年しか生きられないと知り、逆にそこから初めて「生きる」ことを真剣に考えるようになる。
役所が舞台となっているが、会社、家庭、学校に置き換えてみると、見る人誰もが思い当たる節があるはずだ。真剣に生きているのか誰もが考えさせられる。だからこそ長い年月世界中でこの映画が支持されているのだ。
人生を時間を潰すだけに使っていいのか、そのような後悔というのは死に直面して初めて強烈に意識するのかもしれない。
渡辺は人生で初めて貯めた大金で遊び狂おうとするが、それでも他の人たちのようには楽しめないことを知る。渡辺の部署にいる若い女の子が退職願いの了承を求めて欠勤中の渡辺に会いに来るのだが、渡辺は天真爛漫で楽しく生きているその女の姿勢に憧れる。
渡辺は惰性で仕事をしてきたことを「息子のため」と言うが、その言葉に女は猛烈に反抗する。「親はそういう言い方をするが、子供は親のそんな生き方を望んだのか、何故子供のせいに」と。
これもまた誰もが思い当たるはずだ。会社や役所のような組織には順応しないといけない。それは子供や家族の生活のための自己犠牲だと。生きがいを犠牲にしたり、自己主張を抑えて必死で生活をささえているという意識があるはずだ。
しかし、それは言い訳に過ぎないということを知る。役所を辞めおもちゃ工場で働く女が単純労働の中にも面白とやりがいと世の中に役立っている話を聞かされある決断に至る。
結局は自分の人生の後悔を人のせいにするは卑怯なのだ。そしてどんな境遇であろうともやりがいを見出せるし、世の中の役に立つことをできる。どう取り組むかは本人の意識であることを思い知らされる。
渡辺は残りの人生を役所に懇願しにきた市民のためにつくすこととなる。
渡辺のように残りの人生を意識し変わることができるのか。渡辺の葬式で役所の同僚は「同じ立場だったら俺だってやれる」といい、「明日から俺も変わる」という者もいた。
人生とは、結局毎日の自分の行動の連続である。「生きる」こととは人によって違うだろうが、やはり何かを成し遂げること、人のためになること、何かに情熱を注ぐことなのではないだろうか。飢え無いで生存するだけなら動物と変わらないし、現代の日本では基本的人権として国が面倒を見てくれるレベルだ。どれだけ高い意識とそれに到達するために努力するかが人間の価値なのではないだろうか。
今や有名となったマイケル・ムーアのデビュー映画作品とのことで、今更ながら見てみた。
「ロジャー&ミー」は自動車会社GMの大規模リストラ(レイオフ)によりGMが主産業で繁栄していたフリントという都市が崩壊していく姿の取材と、当時のCEOロジャー・スミスに会いに行く姿をドキュメンタリーにした映画である。
他の作品土曜に、映画タイトルからは何の話かまったくわからない。これは結構問題だ。
ムーア監督の映画はどれも同じスタイルで、社会問題に対してインタビューと突撃訪問をして、報道されない裏事情や問題の原因となっている中心人物へのアポ無しインタビュー作戦というのも最初の作品から一貫したスタイルが貫かれている。
日本でも自動車産業によって成り立っている地域が多数ある。自動車産業だけでなく、工業地域というのは特定の企業の雇用によって成り立っているところは多い。
GMによる当時のレイオフは非常にインパクトが大きかったことがわかった。レイオフされた労働者は仕事を失い、商店街は活気を失い、犯罪が多発する。
映画では、生活のために保健所にばれないようにウサギ肉を捌いて売る女や、アパートから追い出すのを仕事とする男への密着取材も重ねている。
以前は良かった生活が崩壊し、地域が崩れていく。何とも恐ろしい光景であった。
そしてこのような光景は日本でも部分的には行われており、将来的には大企業による工場閉鎖によってまったく同じ光景を目にすることになるかもしれないと思った。
現在日本でも中小企業の工場閉鎖なんかは当たり前に行われている。大量の失業者により職安(ハローワーク)に求職者が殺到するシーンなんかも報道されているが、ムーア監督のような密着取材を見たことが無いので現実感が無い。
日本の場合は更に酷い状況になるのではないかと思う。下請け中小企業の社長は多重債務によって個人補償や連帯保証で夜逃げや自殺に追い込まれたり、失業者でも住宅ローンの返済ができず、自己破産や連帯保証で家族や親族まで崩壊したりする姿があるのではないだろうか。米国と違って日本は資産を失って終わりではなく、借金の返済をし続けなければならない。本人が返済できなければ連帯保証人が返済しないといけない。この点が日本の失業者達には重くのしかかってくるだろう。
映画では、家を失った一家が親戚をたよりに車で引っ越ししていく場面があった。頼れる人がいない者はどうなろうのだろう。米国人は楽観的な性格が多く、GMレイオフの時も米国経済が今の日本のように長く悪い状態では無かった。しかし、今の日本でこのようなことが起こったらと考えると背筋に寒いものを感じる。
それでも日本は幸せだ。世界では虐殺、戦争、餓死、不当搾取がまだまだまかり通っている国があるし、報道もされている。
命の保障と基本的人権がある日本で、それさえもない人たちに比べて遥かに幸せな環境にいるという認識があるかどうか。
映画マネー・ゲーム 株価大暴落を見た。2001年の作品で米国のITバブル崩壊と投資銀行の悪徳商法が描かれているように感じたが、むしろリーマンショックで明らかになった投資銀行や証券会社の手口なんかが垣間見れた気がした。
というのも、サブプライムローンを売りさばくのに、この映画を参考にした金融機関もあったようで一時期話題になったようだ。
ストーリーは、主人公のセス(20歳位)は大学をドロップアウトして学生相手のカジノを自宅で開いて儲けていた。厳格な彼の父親にばれて勘当されるほどの事態になり、父の理解を得たいセスはまともな仕事をしようと考える。
そんな折、セスのカジノ経営に目をつけた振興証券会社の社員が採用試験を受けるよう説得する。
その証券会社では、未経験の若者で野心家、金儲けの才能のある者、闘争心のある者を中心に採用活動を進める。若くして何千万円も稼げるかもしれない仕事だ。
その仕事は非常に厳しいノルマのある株販売だ。
セスは持ち前の話術や交渉を磨きをかけて、電話による販売で頭角を現すようになる。この電話セールスは必見だ。リストからひたすら電話し、気の弱そうな者には容赦無く販売にこぎつける。
しかし、この販売は明らかな悪徳商法で、売る株はボロ株どころか絶対に損をする商品だった。それでもそれを売るのが当たり前のように社員はガンガン販売攻勢をかけ、解約は受け付けない。
やがてそんな会社で働いているセスを父親は更に激怒する。カジノ経営どころか、客が皆損をして、ひどければ家庭が崩壊するのだ。セスが売りつけたサラリーマンも泥沼にはまって家庭が崩壊していく。そして販売手数料も違法であり、やがてFBIの手が及ぶこととなる。
この映画の中で、投資銀行の映画「ウォール街」や不動産販売の映画「摩天楼を夢見て」が出てくるのも面白い。
そしてリーマンショックを思わせるのは、金儲けのために何でもする企業姿勢なんかがそのまんま何も変わっていないからだ。
思えば投資銀行は空売りでも儲け、MSCBみたいな投資家が絶対損をするような金融商品を開発したり、CDOみたいなクソ混ぜ商品なんか販売しまくってぼろ儲けしてきた。そのスタイルはこの映画から10年近くたっても変わらなかったことを見ると、これからも変わらないのではないかと思う。
何も投資銀行だけではない。この映画の重要なテーマである電話にある販売方法は、オレオレ詐欺だとか、無価値なものを電話で売りつけてくる会社なんかもそうだ。
電話を受ける方も、気が弱かったり、無知だと買ってしまったりするのだろう。
こうして成り立っている企業やビジネスが沢山存在するのが事実だ。
営業方法としては巧みな交渉術なんかはとても参考になるのだが、その前提には倫理感というのが必要だと思った。
久し振りに感動したマンガだ。 山松ゆうきちという筆者は初めて知ったのだが、とんでもない発想を持っている漫画家だ。最初はインドを貧乏旅行する話かと思って、手に取ったのだが全然違う。異国での無謀な起業の話だった。
金が無い漫画家が金儲けを考える。
そこで思いついたのが、かつて商社マンが電気も通らない発展途上国の村に電気炊飯器を売る話だった。
マンガ大国の日本だが、日本のマンガを発展途上国に売ろうと思いつき、無謀にもインドに売り込みに行く。そこで売り込むのが数十年前に部落を取り扱ったために激しい糾弾を受けた発禁マンガ(劇画)の「血だるま剣法」だった。
この作品はその後伏字でつい最近また発売されることになって読んでみたが確かに衝撃的な作品だ。
自分もインドに行った経験からそこはカースト制度があり、部落差別の本を売るというのは無謀だが面白いと単純に思った。
ただし、インドはヒンディー語があるものも、それ以外の多くの言語で構成されており、識字率も極めて低く、マンガや本なんか読める人がいるのかも怪しい。
当然、山松氏は知り合い、友人、家族からまったく理解されない。
それでもインドで出版するために悪戦苦闘するというストーリーだ。
感動的なのはその姿勢だ。山松氏も語っている。「勝算なんか無い」
自分はこの言葉が心に響いた。
常々思うのだが、夢と目標は違う。目標は達成できることが前提であり、そのための道筋を立てて努力することだ。企業活動も日常の生活もそんな目標の積み重ねだ。
しかし、夢は違う。もっと漠然としたものであり、どうやって達成したらよいのか検討もつかないこと、勝算なんて無いことが夢なんだと思う。
あまりにも無謀なことを行う姿勢というのは、夢のあることだと思った。夢を追いかけるのが、やっぱり人間の価値なんじゃないかなと感じたのだ。
ITジャーナリストの佐々木俊尚氏の書籍だ。ITの新製品とそれが誕生した時代背景、そして世の中がどのように変わっていくのかを語らせたら、佐々木俊尚氏はジャーナリストとして一流だと思う。
先日もUstreamでソフトバンクの孫正義氏との対談は興奮して見た。意見の相違から対談になったのだが、対談を進めるうちに目指している壮大なスケールのIT社会化という認識で両者が一致していると感じた。孫さんのビジョンと経営に対する姿勢にとても感動したことは以前書いたとおりだ。
さて、電子書籍というのはこれから産業や生活を大きく変えることになる。つい先日のTVで新しい書籍の売れ残りを処分している工場について報道されていた。
書籍というのは紙であることによってとても無駄が発生するし、環境にも良くない。大量の製紙のために多くの森林が伐採されるし、出来あがった書籍を運び、捨てるという過程において多くのエネルギーが消費される。本を読むのは環境にやさしいと思ったら大間違いで、実はテレビを見る方が遥かにエコである。
さて、書籍は羅針盤、火薬と並び、ルネサンスの三大発明と言われている。グーテンベルグの印刷機の登場により、産業と文化が大きく変化した。電子書籍は書籍の延長だが、本書のタイトルどおり衝撃的であることがわかる。
また、セルフパブリッシングという概念がある。印刷しないことによる自費出版のコストが劇的に低減することによって、世の中が大きく変える可能性があるようだ。
筆者の秋元征紘氏と世界のトップ経営者、アスリートの人生観が味わえる一冊だ。
マイケル・ジョーダンのようなトップ・アスリートでも試合に立つときは、極度のプレッシャーを感じ、自分を奮い立たせ試合に集中する。天才かと思っていた人も、地道な努力と物事に対する見方や考え方が違うだけで、誰にでも可能性があるのだなと思った。
筆者の秋元征紘氏は日本精工に就職し典型的な日本企業で順調な出世コースを歩むもののどうしても社会主義的な日本の企業雰囲気に馴染めず退職する。35歳で起業しベンチャー企業を起こすが、わずか1年で資金繰りに行きつまってしまう。債務を負い家も土地も失って丸裸になったようだが、そこからアルバイトとして這い上がり、外資系企業の重役や社長といったポストを次々に受けるようになっていった。
秋元征紘氏の文章はネットや書籍で色々読んだが、とてもポジティブな性格なようでそれが成功の源な気がする。読んでいて気持ち良い。その性格からなのか、起業した会社を潰したことを話すと「君は面白いな」といって会社に誘われたそうだ。
外資系に向いている性格があるのかもしれないが、これなんかはアメリカ人のノリのように思えた。
失敗を烙印とせずに、挑戦者と見なし評価する
日本ではあまり馴染みは無い。会社を潰した経営者で落ち込まない人なんていないだろうし、会社を潰した人を評価する人なんて考えられない。でも見方を変えると、そのような経験というのは貴重で評価できる点も多々あるはずだ。平凡なサラリーマンより、波乱万丈で失敗した人の方が大きな成功の可能性は大きいと思う。失敗の経験だって役立つことは沢山あるのだ。
「社長失格」という本を読んだ時も、倒産時の債権集会の場で、社員から侮辱的な眼差しを向けられたシーンというのがとても印象に残った。その他方、米国の事業所の社員からは潰れたものの「よくここまでやった」、「よくがんばった」と励ましの言葉が多かったというのもまた強烈なインパクトとして残っている。
話がそれてしまったが、秋元征紘氏の文面から表れるその性格と考え方がとても印象的であった。プレッシャーや過度の緊張が強いられる事業の立上や経営といったポジションを、これほど面白い仕事は無いと言いきってしまう。それは人生観だが、辛いと感じるか、幸福と感じるか、人によって捉えかたがずいぶん違うのだなと思った。もちろんポジティブに捉えられる方が人生がより豊かだろう。
「道は開ける」はデール・カーネギーの「人を動かす」と並ぶ代表的かつ古典的名著として世界中に圧倒的な支持を得ている。
原著タイトルは「How to stop worring and start living」で、直訳すると「悩むのをやめて生きる方法」、「心配事から解放される方法」とでもなるかと思う。
ストレスや悩みを解決する方法を提示し、時代にかかわらず読み継がれている名著だ。徹底した事例と取材に基づいており、単なる個人的な経験と方法論で無いことや、その効果が支持される所以だろう。
カーネギーが本書を執筆したのは、当時ストレスや悩みを解決する手段や方法論がニーズが高いにもかかわらずまったく書籍が出ていなかったことにある。昔からそのような領域は宗教や聖書が大きな役割を担っていたのかもしれない。
現在では、宗教は健在だが心理学から動機付け理論など様々な理論が展開されているが、本書ほどのロングセラー・ベストセラーはないだろう。
もちろん自分のこの本に多大な影響を受けているし、定期的に読み返す書籍なのだが、本書の性質上読む人と同じような状況の人の感想や絶望や悩みを克服した人の感想のほうがためになると思う。
Amazonのレビューの中でも1件だけ突出した感想があるので是非読んでもらいたい。「三菱」という名のペンネームの感想は”323 人中、319人の方が、「このレビューが参考になった」”ほどの支持を受けている。
詳しい状況はわからないのだが、拘置所に収監されていたというこの人物は、この本で救われたという。そのような状況下での心情を知るには経験しないかぎり無理だが、多くの人の置かれている状況よりも厳しかったものだろう。
「今日、一日の区切りで生きよ」「あすのことを思い悩むな」「賢者には毎日が新しい人生である」
そういった言葉と沢山の事例が、人生に対する視点を変え、大きな気づきとなったようだ。
他にも様々な人が、絶望的な状況から些細な心配事に本書は大きな影響を与えている。人生のどん底と思っていても、それは本人の主観に過ぎない。日々悪化する状況は恐怖だ。出口の見えない真っ暗なトンネルを走り続けなければならない。進めば進むほど後戻りはできなくなる。想像の及ばない領域というのは恐怖だ。
先の見えない不景気が長く続いているせいか、ストレスや悩みを抱えた人と話すことが多い。気持ちの持ちようなのかもしれないが、親身に聞くほど不幸な話や気持ちというのは伝染しやすくナイーブな気持ちになってしまうこともある。先日も日経新聞の「私の履歴書」の連載で取引先の社長と専務が自殺をした話が載っていた。昔の話だし、自分とは全く関係ないのだが、同じような境遇に置かれている人を知っているだけに感情移入してしまう。その話では、会社の経理状態が債務超過であることから自殺を選択したものの、実際の経理状態はそこまで悪くなかったという話だった。どんな状況であれ人生を断つという選択肢は最悪だ。他の選択肢もあることや、人生の中でそのような最悪の時期というのはわずかな時間で、残りの人生を決して悲観すること無く、より良くする可能性も十分あるということを是非知ってもらいたいと思う。
人生経験が豊富な人ほど対処方法を知っているだろう。しかし、経験が無い人も、本書によって多くの人に支持された対処法や多くの事例をもって知ることができるのではなかろうか。
キャスリン・ビグロー監督のアカデミー賞映画「ハート・ロッカー」を見た。そこに同監督の過去の映画「ハート・ブルー」と共通のテーマを見た気がした。
どちらも男の生き様、人生観を感じさせられる映画だ。監督は女なんだが。
「ハート・ロッカー」の主人公は爆弾処理の軍人で、戦場のイラクで多くの爆弾処理を行う。主人公は一流の技術と経験を持つが、仲間が死に、本人も死に直面する危険な仕事だ。そんな仕事から帰国し平凡な生活に戻り、子供と遊び、幸せになるかというとそうではなかった。主人公は再び戦場に戻ることとなる。
「ハート・ブルー」はキアヌ・リーブス主演のB級映画だ。主人公はFBI捜査官のユタで、連続銀行強盗犯逮捕が職務だ。先輩であり同僚のパパスと共に犯人を追うのだが録画された犯人映像の日焼け跡から犯人の集団はサーファーであると確信する。これまでサーフィンの経験のないユタは、犯人探しのためサーフィンを始めるのだが、最高の技術を持ち、スリル中毒のボーディ と知り合い、価値観に共感し友情を深めていく。
しかし、ふとしたきっかけからユタはボーディらが犯人一味ではないかと思い、覆面の銀行強盗団を追うのだが、追い詰めたところで逃がすこととなる。その時銃で撃つことができたのだが、犯人がボーディかもしれないと思ったためだろう。
その後、ユタはボーディらと命がけのスカイダイビングをするのだが、そこで味わうスリルから生きる喜びを知り興奮する。しかし遊びはそこまでだった。ボーディに脅迫され銀行強盗を手伝うこととなり、そこでボーディらも初めて人を殺すこととなり、また仲間を失うこととなる。
ユタも同僚のパパスを殺され、ボーディを追い詰めていくのだが、またしても逃げられる。ボーディはユタに「次の人生でまた会おう」と言い残して。
ユタはその後もボーディを探して世界中を飛び回る。そして50年に1度の大波がオーストラリアのビーチに来た日にボーディをついに発見する。ボーディの人生の価値観を知るユタならではの追い詰め方だ。もう逃げられないボーディだが、最後にボーディはこう言う。「もう逃げられないから、最後にこの波に乗らせてくれ」
普通の波ではない。飲み込まれて死ぬだけだ。ユタはボーディを開放してやり、FBIのバッチを海に投げ捨てる。
「ハート・ロッカー」に比べて「ハート・ブルー」の説明の方がずいぶん長くなってしまったが、自分の人生に受けた影響も大きい。
それまで幸福とは平凡な暮らしの中にこそあると思っていた。しかしこの2つの映画で主人公はどちらも違う人生を選ぶ。アドレナリン中毒的な挑戦とも言える。
こういうのは映画の中だけの話なんだろうか。本当に死に直面した後に、またそれを求めるようなことがあるのだろうか。死の恐怖を乗り切ると、その時の感覚を再び求めたくなるのだろうか。冒険家は冒険を辞めないし、起業家は失敗してもまた起業する。そういった人生観を持てる者は平凡な人生を送るよりも幸せと思う。
元財務省の高橋洋一氏によるわかりやすい経済学、日本の問題に対する質疑応答形式の新書だ。
非常に読みやすく、わかりやすく一気に読んでしまった。
高橋洋一氏がまずとても面白い。Youtubeなどでテレビで放映された高橋洋一氏を調べて見てみて欲しい。
難しく思われている経済の問題をとてもシンプルに回答している。
本書では以下の質問にとてもシンプルでロジカルに回答していて、経済学を学んだことが無い者でもきちんと理解できる。
・デフレと円高はなぜ良くないの?
・借金が九七三兆円もあって、日本は大丈夫なの?
・年金は積立方式にすればいいんじゃないの?
・再分配政策がうまくいけば、経済成長しなくてもいいのでは?
・スウェーデンみたいに、消費税を年金の財源にすればいい?
・法人税ゼロは大企業優遇じゃないの?
・地方分権って、いったいどういう意味があるの?
そして、日本郵政の元官僚人事の裏話が面白い。政権が代わり利害関係が変わり、既得権益を失いつつあった者たちの逆襲が始まっていた裏事情が初めて分かった。
政権を取った党は、利権が発生し、権益を必死で守ろうとし、他党勢力を徹底して妨害するというとてもシンプルな構図が理解できる。
金融政策やその他基本的な経済学の理論もわかりやすく学べるのでお勧めである。
映画「リトルチルドレン」は話題になった映画だ。ボストン郊外の高級住宅地で繰り広げられる日常のストーリーで、日本でもごくありふれた話にも見える。
専業主婦のサラは、公園でママさん連中の輪になかなか入れないタイプで、旦那が部屋でかなり変態な自慰行為をしている現場を見てしまう。
イケメン・パパのブラッドは司法試験に2度も落ちていて勉強をしながら嫁が働き主夫をしているのだが、勉強に身が入らない。夜図書館に行くふりをしてスケボーしている少年たちに憧れを抱いてずっと見続けているような男だ。
そんなサラとブラッドはちょっとしたことから不倫関係となる。
サラは日常から脱出したい願望を持つ大人になれない大人。ブラッドは少年時代にできなかったことや学生時代の栄光を今でも思い続けている大人になれない大人。
そんな街にロニーという元幼児性犯罪者が済んでいる。ロニーの母も子供を溺愛するのだが、ロニーは大人にはなれない変質者だ。
そのような流れで話が展開していく。
この映画を見て思ったのだが、現代社会では団塊の世代から下の世代というのは、誰しも大人に成りきれていないのではないか。
社会が豊かになったおかげで飢え死にすることが無くなった。必至で生きるために働くというよりは、仕事は自己実現といったより高い動機を求めることになる。
だが、日常生活においても仕事においても、自己実現を目指すというのはなかなか大変だ。夢とか希望というのがなかなか見いだせない大人は、少年時代や若き日の体験を思い出し、そのような生活への回帰を願うのかもしれない。
考えてみれば、少年時代は全てが新鮮で、何者にも成ることが出来た。それが大人になり社会からも家庭からも大きな制約と義務を受けることになる。
子供のころに戻りたいなぁとか、あーこんな時ドラえもんがいたらなぁ、と思ったことは誰しもあるだろう。
しかしその夢は叶わない。現実の中でしか生きることはできない。
だから映画「リトルチルドレン」でのストーリー展開とラストが妙に心に残った。ネタバレになるから書かないが。
そして現代の大人はみんなリトルチルドレンであり、やがて映画のように大人になる試練や機会があるのではないだろうか。
元マイクロソフト株式会社社長の成毛 眞氏の本である。
自分も本は何冊も同時に読むが、5冊以上ということはない。それが10冊以上を同時に読めという。
そして、本を読まない人はサルと軽蔑し、無能呼ばわりするが、その背景には成毛氏がマイクロソフトの社長にまで上り詰めたのは読書があったからであり、その経験に裏付けられた自信にみなぎっている。
同時に10冊読む本についても書かれているが、様々な関連の無いようなテーマを並行している。なるほど。これなら飽きないし、様々な好奇心を満たせて、さらに無関係と思っていたテーマの中に新しい何かを見いだせるかもしれない。
読書好きには新しい本の読み方としてとても参考になる。
様々な雑誌で書評を見かけ大人気のようだ。本の表紙の絵は萌系な感じで、20代の若手ビジネスマンや就職活動中の学生を意識しているのだろう。
本の内容も表紙も話題からもとてもマーケティング戦略として成功していると思う。
ビジネス書は難しそうだが、このような本からドラッカーを学ぶのは障壁が少なくてとても良いと思う。
ドラッカーは昨年もNHKの番組で取り上げられたり、ユニクロの柳井さんが薦めていたり、多くのビジネス雑誌でも注目されているので知らないとビジネスマンとしては失格だろう。しかしドラッカーの本はある程度ビジネス経験が無いと難しいのかもしれない。
そういった意味で、高校野球のマネージャーという視点で書いているので内容が理解しやすい。
改めて思ったのだが、野球の監督は英語でマネージャーだ。他のスポーツの監督は英語ではたいていヘッドコーチなのだが。
しかし、日本のスポーツでマネージャーというとどのスポーツも大抵雑用をやる女子をイメージするのではないだろうか。
この本で本来のマネージャーという言葉の持つ意味とマネジメントが浸透するかもしれない。
さて、最近は読みやすいビジネス書が多くて、自分が新入社員や就職活動中だったらと思うととてもうらやましい。
「女子高生ちえの社長日記」シリーズ
「投資銀行青春白書」
「女子大生会計士の事件簿」
他にもたくさんあっていいなあ。
iPhoneアプリにて電子書籍として読めてランキングが高かったので読んでみた。
最近は面白く、奇抜なストーリーで簡単に読み始められる物語的なビジネス書が多くなってきた。ビジネスに関心が高まるのと、若手ビジネスマンや就職活動中の学生の意識が高まってきているのではないかと思う。
この物語は、倒産危機の企業に銀行から派遣されたロボット取締役。そのロボット上司の下、課長・道明美穂は、V字回復への突破口を探るというストーリーだ。
事業計画書や不動産投資やポートフォリオ理論まで物語を読み進めながら学ぶことができる。
笑いながら読み進めることができて勉強できるというのは良いことだ。
休日活動の略である「休活」という言葉は今後ブームになるかもしれない。これまでも週末起業といった言葉がにわかに流行ったが、休活は内職みたいな起業より範囲が広い。
思えば、仕事に拘束されている時間は長いようで短い。土日、平日の夜に何もしていないのであれば、その時間を使うことで人生を変えることができる。
この筆者の大田氏は「友人ゼロ」「会社と家の往復生活」のNTT子会社の会社員でだった。これだけの経歴では何の特徴も無い悲しい男だ。
それが3年で「1000人以上の人脈」を築き、勉強会や交流会を開催するようになった。
大田氏は休活をこのように勧める。
(1)休日に、あなたが一番好きな活動をすること
(2)休日に、好きなことを通じて出会う人とのつながり・ひろがりを大切にすること
愛妻家というのをやたらに売りにしている点も気になるところだが、名刺に愛妻家なんて書いている人を見たことが無い。むしろ一般的には恥ずかしいことを書くところもポイントかなあと思った。
ある元銀行員が言っていたのだが、「真面目な社長ほど自殺する」そうだ。
借金を返すための借金をさらに金利の高いところから借り、追い立てられ、まじめだから返そうとしたり、社員を守らないといけないと思ったり。多重債務に追い込まれたり、すべてを失ったりと、銀行員も自分が貸したわけではない(過去の担当者が貸した)社長を追い込むというか返済を迫る嫌な仕事も多いようだ。
さて、本屋で平済みで目立ったので手に取ってみたらとても勉強になった。
社長が追い詰められたり不安になるのは、借金を返せない状況と対策がつかめないからだろう。
変に怖がったり、対処方法がわからなければ不安になるものだ。
こんな言葉も本書にあった。
「借金」「資金ショート」「不渡り」「銀行」「倒産」「破産」
に対する恐怖心はすべて、社長の知識不足が生み出しているもの。
読んでみてすぐに、心が楽になる言葉に溢れている。
「最悪でも何とかなる」
「方策はいろいろある」
「安全な場所に避難できる」
「これまでと同様に家族と幸せに生活していける」
方法としても、さすが専門家で500社以上の中小企業の再生をしてきただけのことがあり、DPO(ディスカウント・ペイ・オフ)、第二会社方式、民事再生など手法が満載だ。
借金を返せなくても何とかなる方法は腐るほどある。
「銀行交渉」
「リスケジュール」
「在庫処分」
「売掛金・受取手形の回収」
「買掛金・支払手形の引き延ばし」
「手形ジャンプ」
「給料カット」
「税金・社会保険」
「人員整理」
「M&A」
「マーケティング」
「ビジネスアイデア」
「業務改善」
「DPO(ディスカウント・ペイ・オフ)」
「第二会社方式」
「会社分割」
「事業譲渡」
「民事再生法」
「DIPファイナンス」
「破産」
「特別清算」
「廃業」
読む前に考えてみてほしい。20歳のときに知っておきたかったことを。
私の場合高校に入ってすぐにバイトを始め、大学時代も沢山のバイトに明け暮れた。社会人になってサラリーマンにもなったが、ずっと知らなかったことがある。
それは経営者の気持ちである。
労働の対価に金を当たり前のようにもらっていたが、金を稼ぐのはどれほど大変か。
この本もまた、著者自身が「社会に出たときに知っていれば良かった」ことが本書のベースになっている。
起業家精神について、起業家に必要な能力やスキルについて、重要なことを教えてくれる。成功の裏には多くの失敗もあり、起業家を志すにはリスクと失敗時の振る舞いが重要である。
若ければ若いほど、失敗を多くできる。大きな失敗もできる。リスクが無ければ大きな成功は得られない。サラリーマン根性から脱皮することが成功にとって大切だということがわかる。
起業して順調に成長し年内に上場にするような絶好調の時期に恐るべき事態が起こった。創業社長の川端秀一氏はアイデアと経営力と行動力によって業界から注目され、上場前だが成功者として認知されていた。
当時はそうとう浮かれていたのかもしれない。信頼する社内の相談相手は高校時代の親友で卒業後十数年間連絡を取らなかったものの会社にとっても社長にとっても必要不可欠の人物だった。
ところが、その人物は私生活はとてつもなくだらしが無い。金と女に多くの問題を抱えていたが社長は黙認していた。しかし、やっぱりそんな男だから会社の金と銀行関係でとんでもないことをしでかして失踪してしまった。
突然訪れた窮地。追い込まれ相談した信頼できると思っていた男が、実は恨みを抱えていて復讐の時期を探っているタイミングだった。
更なる追い打ちを掛けられ、破産の道に進むこととなる。精神的に追い込まれ死を意識するが心のよりどころの筈の家族にもまた逃げられてしまうのだった。
これほどの人物だから、冷静であれば窮地を脱することはできたはずだ。しかし、追い込まれ人間不信に陥った状態では、普通の人間でもできることもできず、事態はさらに悪化してしまう。
建てたばかりでこれから住もうと思っていた家は乗っ取られ、財産も家族も会社もすべて失う。それがあっという間の出来事だ。
読んでいても、何故、もっと冷静に対処しないのかと思うがそんな精神状態では無い。
他にも「社長失格」など起業家が倒産に追い込まれた事例を見てきたが、有能なものでも追い込まれると非常に弱いということがわかる。
実際に体験はしたことがないし、したくもないが、同じような状況を想像してみると果たしてもっとまともに行動できただろうか、自殺しなかっただろうか、など色々考えてしまう。
川端秀一氏のすごさはどん底から這い上がるところにある。
裏切られ、全てを失い、金も無いのに復活するところにはこれまで築いてきた取引先や腹心の部下の救いの手があった。そしてローズネットを立ち上げ、またもや上場準備段階なほどに瞬く間に成長していく。
突っ走らなければ、失敗や失ったもののことで頭が一杯で気が狂いそうになる。誰だって日常の仕事や家庭で悩んで何も手につかなくなった経験はあるだろう。しかし川端秀一氏のどん底の経験はそんなレベルでは無い。不安や後悔を忘れて敢えて無理をしても仕事に没頭し、多くの人に助けられる姿を読みながら想像して涙が出てきた。
再起するのはさすが起業家だ。最悪の状況まで行った人間は強い。自分は「感動」と「勇気」をもらった。
ジョージ・クルーニー主演の「マイレージ、マイライフ」が公開されている。
主人公は企業から委託を受け、社員の解雇を宣告し、新たな人生プランを提示するのが仕事だ。
米国のリストラはとてもドライという印象があった。そもそも入社時に解雇される場合の契約も行い決して訴えることができないと聞く。
そもそもリストラやレイオフは当たり前のように行われているので、問題になることも少なく、解雇通知を受けるとすぐ会社のパソコンにはアクセスできなくなり、段ボールに荷物をまとめて追い出されるというイメージがこびりついている。
しかし、まさかリストラ宣告をする業務がアウトソーシングされているとは思いもよらないところだった。
主人公は年間のほとんど毎日飛行機に乗り、全米中の企業を訪問する。リストラを宣告すると当然取り乱したり憤慨する社員がいる。だが、主人公はそれが自分の天職だと信じ耽々と仕事をこなす。
ちなみにリストラされる社員は役者ではなくて実際に企業にリストラされた素人を登場させたと聞いた。臨場感溢れるなあ。
人から嫌われる仕事でも何だか信念を持って取り組んでいる姿を見せられて、そういった仕事は色んなところにあることを思い出した。
主人公は独身で人間関係を好まない。だがやがて変わっていくこととなる。
藤巻氏の金融危機後の資産運用の指南書だ。基本的には資産運用戦略として金融危機前と方針は変わっていない。日本の国債発行の多さから長期金利の上昇、インフレ、そして米国株のさらなる上昇。日本国内においても株、不動産といった資産インフレも想定している。
よりテクニカルには新聞記事の読み方といった点に着目している。金融機関から発表される予想だとかはポジションとークとして客観的に読まないといけない。
金利や個別企業の上昇に対する言及は、その企業がそうありたいと願っていることが多い。つまり発表どおりに多くの投資家が動けば儲かるポジションを持っていると考えるべきということだ。
これは大物投資家(ソロスとかジム・ロジャースとか)になればより発言の影響が大きく、ポジショントークの可能性が高いと日々思っていたことだが、金融機関の発言もやはり気を付けるべきと思った。
藤巻氏は金融危機で大損した人とよく言われるらしい。これまでの書物でかなり具体的に投資戦略を書いていたためかと思う。
本書では企業の株価の上昇の可能性を業績だけではなく、置かれている状況から見る手法についても述べられている。
例えばトヨタは創業家の社長に変わることによってこれまでの膿を出すはずだから、交代後は期待できるとか、米国の自動車販売台数の落ち込みは自動車保有者数とその買い替えから考えても、金融危機後は異常でまた販売台数は上がるとか。
本書の書かれたあと、残念ながらトヨタはリコール問題で創業家社長が米国議会の証人喚問まで呼ばれたり男泣きしたり、世界的なバッシングでさんざんなのだが。
長期金利の上昇に関しては、一貫して主張されているが、そのタイミングがわからない。ただ、長期金利の上昇による国債価格の下落を個人投資家でも利益を出す商品や金融機関についても書かれていて、新しい投資方法を加えられるのは良いかと思う。金利の変動で儲ける手段はあまり個人投資家にはなじみが無いので。
しかし長期金利の上昇も、国内金融機関の国債買いがとてつもない額に積み重なっている。そのため市中に金が回らない。企業も負債での資金ニーズが無い。なんだかいつ爆発してもおかしくないような状況に日本はなってしまいつつあると思う。
新興国への投資家で有名なマーク・モビアスの本を読んだ。
新興国への投資は危険を伴う。政治的も社会も経済も為替も不安定だからだ。90年代後半を襲ったアジア危機では新興国は大きな打撃を受けた。
中南米やロシアも何度も危機があった。
だが、新興国投資は先進国投資では得られない大きな飛躍機会がある。新興国という言葉は最近の用語で、これまでは発展途上国、低開発国などあからさまな表現で呼ばれていた。逆にいえばそれだけ成長するチャンスがあるということだ。
マーク・モビアスもまた他の成功した投資家と似た共通点がある。まず勤勉だ。金融知識が無ければギャンブルになってしまう。
また、実際に危険な地域でも新興国の企業を徹底して足を使って回って調査する。これはジム・ロジャースもバイクや車で世界中を回りながら投資をしてきたのと似ている。
新興国投資は定期的にブームが来る。だが多くの投資家は株価の上昇ブームの時に、企業のこともその国のことも知らずに参入するギャンブラーだ。そして多くが失敗する。何か買い物をする時は、その商品について調べるはずだ。家だろうが車だろうが保険商品だろうが家電だろうが。
そんな当たり前のことを行わないで、株価やブームやチャートを見て投資をするのは大やけどの元だ。
有る意味マーク・モビアスの投資方法は当たり前のことを徹底して誰よりも行っていることが最大の投資方法ということを教えてくれる。
昔から退職時期を迎えている団塊の世代のお父さん方って結構単純でパターン化できると思っていた。価値観が多様化されていなかったので少ないパターンに分類できるのだ。
彼らの世代を大きく2つに分類するならばモラトリアム(自由な猶予期間)を体験したかどうかが重要だったと感じる。それは大学に行ったかどうか、裕福な家庭に育ったかどうか、といった議論も多くされているので結局そのような価値観に通ずるのだと思う。
団塊の世代の連中が育った環境は日本は敗戦処理で、多くの国民が貧困層であったもののその後の高度成長期でほとんどが中産階級意識を持つに至った。彼らの世代の多くは大学まで行くことのできない家庭で育ち、中学、高校卒業後すぐに働かざるを得ない環境だったし、労働が美徳として育ったと言われている。
充分に青春を謳歌することなく社会に出たものと、いわば時間を持て余す大学生活を送ったもので価値観の形成が違うのは無理が無いと思う。そのため団塊の世代を親として持つ団塊ジュニアは理解力のある父、ない父、厳しい父、友達のような父と極端に分かれているのではないかと思っていた。
昭和30年代の貧しい中で石原慎太郎は「太陽の季節」を大学生の時に発表し、その小説の中で描かれた裕福な家庭で甘やかされて育った男子達を描いて衝撃を与えた。親から買い与えられた自動車を乗り回し、夜はクラブで遊びまくりナンパに明け暮れる。週末は海辺の別荘でヨットに誘う。大学に通いながらも特に目的を持たずモラトリアムを謳歌する。当時ではおよそ考えられなかった裕福な生活だったに違いない。だが、それから50年経つとほとんどの日本の若者は、太陽族と呼ばれた得意な学生と同じ生活をすることになってしまった。
今はまた不況で、現在の大学生は実にシビアな見方をしている。戦後最も優秀な人材はこの中から生まれてくるのではないかと思う。彼らは、浪費や無駄な遊びを軽蔑し、また国の将来をこれまでの世代が無関心だったのとは対照的に心配している。
コミュニケーションのあり方も変わり、右傾化などと言われているが、それは彼らを全く理解していない。
彼らを理解する本はまた別の機会に紹介したい。
ジョージ・ソロスほど有名で成功したウォール街の人間はいない。ソロスの成功には過去の虐げられた少年期の影響が思想に大きな影響を与えている。
ハンガリーのユダヤ人であったソロスは少年時代にナチスドイツの迫害に合う。生きるためにナチスがユダヤ人の資産を没収する仕事をして生き延びてきたのだ。
生きるために同胞を不幸にする仕事に加担するということはどんなに辛かっただろう。
その後、旧共産国家を資金面で支援している。
ソロスが有名になったのは、ポンド売りでイングランド銀行と勝負をして勝ったことやマレーシア、タイなどアジア危機で新興国国家とも対決したことだろう。
各国のトップはソロスを名指しで批判した。
国家の金融政策をめちゃめちゃにして莫大な利益を上げた。しかしソロスにとっては各国の中央銀行や政府の対応が馬鹿だから儲けただけだ。実際にイギリスがソロスのポンド売りで敗北した時には、イギリス国民の多くはソロスを拍手喝采し、政府を罵倒した。そして皮肉なことにイギリスはポンドの下落とともに経済復興していったのだ。
マレーシアのマハティールなんかもずいぶんとソロスを批判した。しかし、ソロスの思想がわかるにつれてソロスの目指す国家像、世界像がわかってくる。
ソロスは金融市場をより合理的な完成されたものに導きたいと思っている。政府の介入というのは市場の効率性を破壊するものであり、戦争も政府によっておこされる。政府が介入しても市場はやがてもとの姿に戻ろうとする強い圧力が働き、そこにアービトラージ(裁定機会)が発生して金儲けができる。
ソロスの人生の前半は不幸の連続であった。今は大富豪だが何か崇高な目的のために巨額のマネーを動かし続けているのではないかと思う。
本屋でなんとなく手にした本だが、心底おどろいた。
世の中には凄い人がいるものだとつくづく感心し、人生は努力によって道が切り開けるのだからこういう生き方ができたら楽しいだろうなと希望がわいた。
何しろ筆者は中卒だ。田舎から長野にあるオリンパス光学に卒業後出稼ぎにやって来る。当時は中卒の組立工でもオリンパスは人気企業でほとんど入社ができなかったという。
組立工といってもイメージできないかもしれないが、昔の日本は今の中国やベトナムの労働者がやっていた仕事を国内でもやっていた。
ひたすら単純作業の組立を朝から晩までやる仕事だ。そのような過酷な仕事でも喜んでやっていた時代があったのだ。
中卒で大企業に入っても将来なんか無いことは馬鹿でもわかる。だからこの筆者は英語を勉強した。社内の勉強会に最初は出たが自分で1年間勉強してから再度勉強会に出てスラスラと英語を話し、会に参加しているメンバーや講師の外国人を驚かせた。もちろん1年でスラスラと話せるはずもなく暗記しただけだが、それでも昔の日本で英語など話せるものはほとんどいなかったのだから驚愕したのだろう。
そのような努力とアピールから、なんと中卒にもかかわらずNY勤務の機会を得たのだ。もちろん前代見もんだった。
しかし大企業ではやはり中卒はネックだった。大卒社員が何もせずに出世するのに中卒は出世できない。これには怒り狂った。
そして退職し、成果報酬の営業マンとなる。オリンパスの医療機器を売って歩合を貰う。これまた大変な仕事だろう。当時の米国では日本人に対する差別は非常に激しいものがあった。
だが歩合で売ってプロ野球選手をはるかに凌ぐ数億円の年収を得るようになっていく。
そしたらまた嫌がらせを受ける。歩合の比率の低下だ。大企業の社長の報酬をはるかに超える収入を歩合の営業マンが手に入れているのを許せなかったのかもしれない。
このように挫折と復帰と成功の繰り返しだ。しかしまた成功していく。最終的には米国に広大な土地を持つ大金持ちになっていくのだ。
このようなことができたのは間違えなくアメリカでビジネスをしたからだ。日本も今でこそM&Aが中小企業でも売却を選択肢にできるようになりつつあるが、それでもアメリカのようにはいかない。日本では中小企業を売って億万長者になったなんて話はほとんど聞かない。銀行の個人保障があり売る時は上場でもしないかぎり二束三文だ。
アメリカだからここまで大成功できたのは間違いないが、日本でもまったくチャンスが無いわけではない。それに日本にチャンスが無いと思えば中国やインドみたいなチャンスがごろごろ転がっているところに今はだれでも行ける。人生をより良くしようと思ったらリスクを犯したり、何か代償も必要だ。
結局成功者とはそんな豪快な生き方をしている人なんだと思う。
藤巻健史氏の金融講義の本は分かりやすくお勧めである。
本書はリーマンショック前に藤巻氏が出版社の社員への研修とご子息への講義を書籍にしたものである。
金融理論はMBAの授業のように理路整然としており、わかりやすく、なおかつ世界標準の知識が身に付く。藤巻氏はMBA取得後にモルガン銀行で勤めおり現場の雰囲気も伝わってくるのも良い。
日銀の量的緩和、金融政策、財政政策について書かれ、今後の日本経済を占っている。
この本がリーマンショック前というのがさらに面白い。本の中で藤巻氏は次のように予想している。
・サブプライムローン問題は米国株価に織り込み済みだ
・日本の金融緩和により長期金利は上がる
・インフレの時代が突入する
・新興国株は流動性に問題があり手を出さない
・インフレ対策には不動産と株
・円安になる
このようなことから次のようなポジション(アセットアロケーション)を取っているようだ。
・長期金利で円借金をして不動産を購入
・米国株も購入
このポジションをリーマンショックで解消していなかったらとんでもない資産下落になっている。
リーマンショック後で日本以外の先進国が金融緩和を行いマネーをじゃぶじゃぶに市場につぎ込んだせいで日本の金利は相対的に低くなくなった。
そのため円高となった。
不動産は下落した。
新興国株はリーマンショック後にとても落ち込んだが金融危機前まで回復した。
リーマンショック前に読んでいたら懐疑心なく読んでいたかもしれない。しかし自分は世界各国の不動産と米国株バブルは強く感じていたが、世界同時株安までなるとは思わなかった。
しかし、理論通りに世界経済は動かない。そこにアービトラージ(裁定取引の機会)が存在し、またひと儲けできるのではないかと思う。
前回のリチャード・ブランソンとまったくタイプの違う人間。
こちらもまた違う理由で、思うところがあって読んでみたのだが。
赤木智弘という男は今は30代半ばで、90年代半ばからフリーターやニートや引きこもりといった生活をしてきた若い貧困層と呼ばれる代表格の存在だ。
社会的に底辺な層で、結婚もできないような若い世代のことが良くメディアで取り上げられるようになってきた。何故このような層ができてきたのか。
赤木智弘という人物の文章の能力にはすごいものを感じた。
「丸山眞男をひっぱたきたい」で一躍有名になった。このような思想と表現に驚いたものだ。
三一歳、フリーター。希望は、戦争。
戦争は悲惨だ。
しかし、その悲惨さは「持つ者が何かを失う」から悲惨なのであって、「何も持っていない」私からすれば、戦争は悲惨でも何でもなく、むしろチャンスとなる。
そして自分と同年代だ。だが、「朝まで生テレビ」で見た時にはとても異様に感じたのを覚えている。
彼は、1995年には既にHTML言語を習得し、HPを公開していたという。95年というと自分が思い出す限りでもインターネットという言葉がちょうど認知された年だ。それはWindows95がモデムから電話回線でインターネットに簡単に接続できることからやがて爆発的にインターネットの時代が来るきっかけの年だ。
この年に大学に入学した世代(ナナロク世代)にネット企業が多い。
だが、彼らよりも技術的に先行していた赤木氏は何故こうも悲惨な現状になってしまったのか?
文章から見る限り技術も頭の良さも本来備えている人物だと思う。日々のつぶやきを読んでもそれは感じられる。
能力なんかよりも性格に起因するのではないか?ネットで赤木氏の本の書評を読むとそのように書かれているものも多かった。赤木氏の言うように社会の問題なのか。
人生で敗北者になる者の方が成功者になる者より相対的に数が多いのか。いや、むしろ能力が普通にあれば、ちょっと努力をすれば相対的には平均以上の生活ができると思う。
自分も超氷河期と呼ばれる時代に就職した。同じ年代で就職した者も入社した会社によっては赤木氏のような人生を送っているのかもしれない。派遣の方が自由で良いといって自ら派遣を選んだ者も多かった。自由を犠牲にしてまでサラリーマンには成りたくないと言っている者も多かった。
彼らは今何をしているのだろうか。
尊敬する起業家、いや尊敬する男としていつも真っ先に思い浮かぶのがリチャード・ブランソンだ。
起業家としては冒険家としてのほうが有名かもしれない。レコード会社、航空会社で成功した彼は派手やかな生活をしていると思われがちだが、実は彼の人生は挫折の繰り返しだった。
思うところがあって、久し振りにリチャード・ブランソンにまつわる本を色々と貪るように読んだのだが、何度も目頭が熱くなった。
イギリスの名門小学校で問題児となり、運動神経抜群だったのに、足の複雑骨折で挫折したり、中卒で、仲間と出版社を立ち上げるが何度も挫折を繰り返す。レコード会社を立ち上げてからも、航空会社をつくっても、何度も何度もより大きな困難が彼を襲う。
だけども、彼は諦めない。冒険家として有名になったのは何故か。もともと起業家特有のチャレンジ精神、命の危険を感じるスリルを求める性格からか。もっと大きなのは小さな航空会社の知名度向上だった。
だが、冒険家になるのはそんなに甘くなかった。ここでも挫折の繰り返しだ。
そんな繰り返しが結局成功に至るプロセスなんだと思い知らせてくれる。あきらめないことで人間が成長し、交渉力がつき、度胸もどんどん据わってくる。
自分もこんな風に生きたいと思わせてくれるので、やはり定期的に読みなおして鼓舞させてもらおうと。
黒木亮の長編大作だ。これまで黒木亮の本はいろいろ読んできて、グルーバルビジネスや金融の最前線を詳細なビジネスシーンや案件まで丁寧に説明しており、またスケールが偉大な仕事に従事している主人公ばかりでとても勉強になるし、世界を動かすような大きな仕事をする者達について良く知ることができ、自分の好きな作家のひとりだ。
読みはじめたら止まらずにあっという間に読み終えてしまった。実はリーマンショック直後に買って読まないままだったのだが、もっと早く読めば良かったと後悔した。
黒木亮のこれまでの小説によく見られるように、物語はフィクションとノンフィクションが同じ時間軸で一緒に流れている。ノンフィクション部分は主人公を作り上げていることぐらいで、他の登場人物や登場する企業は名前を一部変えてあるものの、ほぼ現実に存在する企業ばかりだ。
この小説では3人の登場人物が同じビジネスシーンを舞台に活躍するのだが、主人公が平凡な架空の人物なのに対し、残りの2人は強烈な人物だ。そのうちの一人は投資銀行(IB)の業界では伝説の人物だ。3つの人物が小説の中では交わることが無い。黒木亮の小説ではよくあることなのだが、どこかでそれぞれの物語が交差するのかと思いきや並行したまま終わるので、そこは期待しない方が良い。そして大げさなフィクション小説のような大きな展開や最後にどんでん返しなども起こるわけではなく、粛々と物語は進み、大きな展開は無く小説は終える。現実の世界と同じ展開なのだ。しかしそこには登場人物の成長が見られるのが感動を呼び、読書に熱中させられる。
並行して流れる物語は山一證券出身でソロモンでパートナーに上り詰めた明神茂(あだ名はシュガー)の80年代から2000年代にかけての大活躍が詳細に描かれている。
小説の中では竜神宗一(あだ名はソルト)として描かれているが、あまりにも有名な人物ゆえ、すぐに思い浮かぶ。
米国で開発されたブラック・ショールズ・モデルに基づいた裁定取引により、未成熟な日本の金融市場の歪みを利用して莫大な利益を上げていく。
藤崎は脇役でメインのストーリーとは関係が無いが、彼にもモデルがいそうだ。バブル崩壊以降の日本の生保や信金などの金融機関に対して高度なデリバティブを駆使した損失先送り商品、ハイレバレッジ商品を売り込む。田舎出身であり、日本に対する愛国心が強い男だが、IBで働き結局は日本の金融機関を壊滅的な被害を及ぼしつつ米国金融機関に莫大な富をもたらす商品を売ることに葛藤がある。それは日本の組織の体制や不満や嘆きや失望でもあるようだ。
主人公の桂木もまた他の登場人物と同じように日本の組織の体制や理不尽な仕事になじめずにIBでM&Aを中心に活躍することとなる。他の登場人物と比べ平凡で穏やかな性格で感情移入しやすい。彼もまた米国のIBで働くことによる後ろめたさを感じながら仕事をしている男だ。彼の尊敬する大学恩師が米国のIBで働くことに対して失望したからだ。
日本企業と違い、IBは実力勝負の世界だ。狩猟民族の文化が企業にもあり、徹底して敵(日系金融機関や日本の顧客)を叩き潰す姿勢がある。IBで働くというのは相当なプレッシャーがあるが、年棒は数千万円だ。だが、IB業界ではファック・ユー・マネーという言葉があるらしく、働くのが嫌になったらその言葉を吐き辞めるのに必要な金で相場は3億円だそうだ。ちなみに日本の個人投資家レベルではだいたい1億円で自由を獲得できる額(金持ち父さんのラット・レースから抜け出せるレベル)なので、IBに入り生活レベルが上がると、自由を獲得できる額もまた上がってしまうのだなと思った。もっともIBで働けば短期間にその額に到達できるが。
IBの日本への到来は、黒船が日本にやってきた状況のように感じられた。
日本の金融市場は鎖国状態で、数社の証券会社が独自のルールで支配していた。そこへ欧米から最新鋭の武器(金融商品)を持ってきて、徹底的に破壊していく。破壊というよりは世界標準にしていくのだが。
日本のバブル期でがっぽり儲け、バブルが崩壊してもさらにがっぽり儲ける姿勢がそこにある。
本書はバブル期から小泉政権になるまでの長期間にわたった小説で、実在する登場人物もたくさんでてきて非常に勉強になる。そしてリーマン・ショックを引き起こした原因やその後急激に業績を回復させている理由も分かる気がする。
結局、3人の登場人物は簡単にファック・ユー・マネーを獲得し、そこから自分のやりたい仕事をやっていく。自由を獲得できる金ができて初めて生きがいある仕事にまい進できるのかもしれない。主人公の桂木は、日系金融機関に再就職し、その後りずむ銀行(モデルはりそな銀行)のトップとなる。
金融知識を身につけたい人も、仕事に対するやりがいや人生観を別の視点で見てみたい人にもお勧めである。
様々な自己啓発本が次々に発売されており沢山読んだが、自分は次の3つが社会人になってから自己人格を形成する上でとても役に立ったと思っている。
できれば学生の頃に出会いたかった。これらの本を読んで、生きる上での志、生き方、日々の行動、人との接し方が変わったことは間違いない。
また、困難な状況に陥ったり、困難な状況や壁にぶつかった時に常に思い出したり、読み返したりしている。
自己啓発本としても次の3つは世界的にも自分だけでなく、他の人にとってもベスト3じゃないだろうか。売れた数ももしかしたらベスト3かもしれない。
「思考は現実化する」、「7つの習慣」、「人を動かす」
最近の日本での出版事情は、同じ筆者が月に何冊も本を出したり、3時間程度で読めてしまう内容だったり、読み終えても何も心に響かなかったというものが多い。
出版社の方としても、話題性のある人、売れっ子作家がブームに乗って次から次に本を出したり、内容は薄っぺらくても数時間で読めてしまい値段も安い本の方が売りやすいという事情があるのだろう。
しかし、これらのベストセラーはそのような日本の出版事情とは全く違う構成で書かれている。
本書を仕上げるために何年も時間をかけ、内容は濃く、何年間に渡って世界中で翻訳されて売られ続けるようにつくられている。
だから、結局自分もいろいろな本を読んだが、この3冊は読んだ後衝撃的であり、懐に落ち、常に自分の人生の指針となっているのだと思う。
ただし、ベストセラーとしてあまりにも有名なため、自己啓発セミナーなどの金儲けにも利用されており、その中には悪質なものも少なくないと聞く。
その点には気を付けてほしい。
思考は現実化する
ナポレオン・ヒルが成功者のインタビューや研究を繰り返して作り上げた本だ。
原書は「Think And Grow Rich」。自分は原書とCDを何度も読み返した。CDはナポレオン・ヒル本人のセミナー講演も入っているのでお勧めだ。聞き取りにはかなりの英語力を要するが。
PMA(Positive Mental Attitude)という言葉が出てくるが、この言葉は日常でも常に意識している。
常に積極的かつ肯定的にものごとを考える態度だ。
機会は確実に捉え、常に積極的でありたいといつも思っている。
これまでの人生で、滅多にない機会に巡り合ったにもかかわらず、また同じ機会を得られるさとか、他の言い訳を考えてチャンスを逃したことを引きずっているのだが、もうそのようなことは2度と無いようにしたいと常に思う。
成功者と凡人の違いの最も大きなことは、考え方の原則であることがよくわかる。
常に目標を立て成功を意識している者とそうでないものは当然日々の行動が変わってくる。子供を見ると思うのだが、その子は何者にもなることができる。総理大臣でも優秀な医者でも野球選手でも。でも実際になれる子はほとんどいない。ちょっとしたことが人生大きく変わってくる。
この本もインパクトが大きかった。あるべき行動の原則がとてもシンプルにまとめられているからだ。
PMAと同様に主体性という言葉がとても重要だと認識した。7つの習慣は以下の通り。
思考方法だけでなく、他者への影響の重要性も大きい。
第一の習慣・主体性を発揮する
第二の習慣・目的を持って始める
第三の習慣・重要事項を優先する
第四の習慣・Win-Winを考える
第五の習慣・理解してから理解される
第六の習慣・相乗効果を発揮する
第七の習慣・刃を研ぐ
人を動かす
カーネギーの代表作のひとつ。他者とのコミュニケーションの取り方、影響の与え方に主眼が置かれている本だ。
自己実現にあたって一人でできることは実は限られている。
他人との協調、協同作業で成し遂げなければならないことばかりだ。
この本ではかなり具体的に人との接し方、振る舞いについて書かれているが、根底にある人づきあいの原則はかなりシンプルだ。
日本人でなおかつ若い世代は人づきあいが苦手な者が多いと思う。考え方の多様化、コミュニケーション手段の変化などいろいろあるが、人に好かれ、協力してもらい、愛される人になりたいと常々思う。
第一の原則・批判も非難もしない。苦情もいわない。
第二の原則・卒直で、誠実な評価を与える。
第三の原則・強い欲求を起こさせる
クルーザーがムダというのが本書の特徴だ。何故わざわざムダなものを買うのか。
1000万円を超えるクルーザーが売れてた時期があった。きまって好景気だ。
サラリーマンの中でも所得が高い層はいるが、やはりクルーザーやヨットは夢だと言うものが多い。
所有することで経費(メンテナンス等)はかかるし、本体価格は高い割には売却時には価格が下落していること間違いないし、キャッシュフローを産まない。つまり贅沢品なのだ。
それでも、横浜や逗子だとかのマリーナに行くと沢山の船が置いてある。
購入しているのはお金持ちなのでは無く、中小企業の経営者なのだ。
サラリーマンとの違いは、購入や維持の税金を考慮した実質負担が違うことにある。
所有以外の豪遊でも高級ソープランドや高級クラブの支払いというのもあるが、この世界には表で使うとまずい裏金の洗浄(マネーロンダリング)的な要素もかなり強いと思われる。
税金が商品の販売やサービスに影響を大きく与えるケースがあるとわかる。日本の税法は利害関係の団体により非常に複雑になってしまったからだ。税法のすべてを理解するのは不可能でも、覚えた方が良いことはある。
サラリーマンでもいまやアフィリエイトや株やFXなんかの所得があるのだから、税金の仕組みは覚えて損はないと思う。
最近は結婚式・披露宴に出るとお返しの品物はカタログから選べることが多くなった。株主優待もカタログで選べるのがずいぶん増えた。
何故そんなことをするのか?自分の欲しくないものを貰っても無駄だからだ。
同じことがプレゼントでも言える。
誕生日プレゼント、クリスマス・プレゼント、結婚記念日、何かのお祝いにプレゼントを送ったり、貰ったりする文化がある。
だが、プレゼントというのは価格の8割以下の満足度しか無いという。
日常で我々が買い物をするのは、買うものの価値が価格以上だからだ。それが下回っているということは、いらないものをプレゼントでもらうことが多いということだ。
考えてみると、プレゼントが前提となっている価格設定や商品が多く存在する。
宝飾品や玩具なんかはプレゼントの比率が非常に高いだろうし、お歳暮なんかもそうだ。
老舗デパートで商品を買うのは、包み紙のためだったりする。同じ商品が低価格で買えても、貰う側の立場や送る側の見栄を考えると老舗デパートで購入が必要というケースがあるものだ。
そう考えるとプレゼントというのは奥が深い。経済的には無駄ということは市場の合理性から今後は別のスタイルに変わるのだろうか。
商売の基本は「安く仕入れて高く売る」ことである。利益を出すにはそれしかないだろう。ところが、物価が下がり続けている現在においては、「高く仕入れて安くしか売れない」状態である。これがデフレの恐ろしいところなんですねー。
さて、資産運用においても利益が出たら税金を取られるが損失は税金還付ができないということと、証券会社や銀行への手数料は赤字でも戻ってこないというのが、運用成績に一番効いてくるということが実はあまり指摘されていない。
「ホントは教えたくない資産運用のカラクリ」シリーズは、タイトルは怪しいが税効果や手数料、裁定取引、さらには金融理論もわかりやすく説明する資産運用の実践書である。
橘玲のシリーズ書(元々はゴミ投資家シリーズ)に見られる思想とも似ている。リバータリアリズム(自由主義)が根本にある。
開いて最初にある文字は「恒産なくして恒心なし」
◆国や会社がつぶれても、自主独立の精神で自分の運命を切り開くべし
◆嫌な仕事はしない。会社のために働かない。誰の奴隷にもならない経済的自由を確立すべし
安間伸という筆者はかなりのマニアだ。
投資と税金篇では税金と手数料をいかに減らし、投資信託などの商品で買ってはいけない商品について説明されている。
タブーとリスク篇では、結構テクニカルというか金融理論が説明されている。低成長時代においての投資はロング(現物保持)だけでは無くショート(空売り)を組み合わせるのが大切であり、もっと理論をつきつめると「ベータを殺してアルファを取る」という戦略になる。これの言葉の意味がわかればモダン・ポートフォリオ理論と現実のギャップが埋められるだろう。
「錬金術入門」篇はアーブ(裁定低取引)が中心だ。法律上、税金上の歪みから金儲けができるという話だ。
FXやETFの登場で投資によって人生大きく差がでるようになったと思う。プロの投資家は市場平均(ベータ)を上回れば良いかもしれないが、個人投資家は絶対利益を求める必要がある。プロが取れない戦略も取れるのが強みだ。
冬休みに資産運用について来年の戦略を練ろうかと思う。
年末にかけて中小企業の倒産が増えるだろう。そして日比谷公園では派遣切りだけでなく、倒産した社員が住むところが無く年越し村として押し寄せるのではないだろうか。
さて、創業よりも廃業が多い時代であり、中小企業の多くが赤字に陥っている。すなわち、存続意義の無い会社がほとんどを占めているというのが日本の現状なのだ。
存続しているのは、中小企業の社長が自宅を担保にし個人補償を銀行と結んでいるため、倒産は人生を台無しにしてしまうのでなんとか現状を悪化させながら存続させているというのが現実である。
最近では民事再生や自己破産が増えており、それで借金がチャラになるのだが、この本では民事再生も自己破産もするべきでは無いという。では借金を踏み倒せというのかというとそうでも無く、借金を踏み越えろという。
どういうことかは読んでもらうと良くわかるが、自己破産をすると迷惑が係り借金は踏み倒せても精神的には追い詰めれられるし信用も失ってしまう。
銀行には迷惑をかけても良いが一般債務者には迷惑をかけるなという。
銀行から担保をとり返す方法も、借金を銀行から債権譲渡を受けたサービサーから激安で買い取ることで最終的に決着させる方法など、法律と実務のギャップから様々なテクニックが紹介されている。
担保なんかも結局手間が回収を上回ったら債権者は回収なんかしないという当たり前の経済合理性に基づいて行動される。
さて、この本でも他の自己破産本や借金踏み倒し本と同様に銀行を悪とみなしている。そもそも借金は契約であり返せないのであれば、契約に基づき回収されるのは当たり前のことなのであるが、それ以上に銀行のえげつない行為があるということなのだろう。
様々なケーススタディがあり、実戦的でもありリアルな借金地獄に苦しむ中小企業のおっさんの顔が生々しく浮かんでくるようである。
デフレでモノがどんどん安くなっていく。ユニクロの柳井社長は冗談で「ジーパンはそのうち無料になるかも」と言ったが、本当になるかもしれないのだ。
インターネットの世界では無料が当たり前だ。
当たり前になりすぎて気付いていないかもしれないが、検索エンジン、Webメール、ニュースサイト、Blog、為替情報、限りなく安くなった株の売買、その他もろもろ運営するには莫大な費用がかかっている。
ほとんどが広告モデルであり、メーカーなどが広告費を支払い、最終的に消費者が買う金額に上乗せさせられているが、消費者は気付かないだけだ。
無料でないと消費者に受け入れられない。
本書は「ロングテール」の筆者がによる無料経済からいかに金を生み出すかの理論を展開する。
Webにはまたこれまでのビジネスとは違うビジネスモデルが存在する。
消費者を一人一人をトラッキングできる能力と、消費者一人一人が個別にサービスを評価できる能力である。
ところで読みながら考えを進めていくとこのようなWeb型のビジネスモデルはリアルの世界にも着実に広がっている。
飲食店にしても、初めての店に行くにはWebからアクセスして評判を確かめるのが当たり前になってしまった。
小売の価格も簡単にネットで比較できる。
そして無料の驚異だ。これまでもデパ地下では試食は無料だった。コンビニや駅にはフリーペーパーがあふれている。
無料の代償は誰が払うのか。
バカが払う、という答えに行きついてしまうのではないか。例えば証券会社では昔は個人投資家のことをドブと呼んでいたというのが話題になったことがある。ドブに金を捨てるようなものだからだ。
小売の価格もバーゲンでは驚くほど違う。プライベートブランドも中身は同じでもメーカーラベルの貼ってあるものと値段が極端に違う。
これからは消費者は個別にトラッキングでき、格付け(信用力)の高い人は安く買うことができる時代になるのではないか。
例えば、レンタルビデオで延滞する人は高い代償を払う、クレーマーは安くは買えないなど。
究極では、土日にしか買い物ができない人は高くなってしまうというのもあるかもしれない。
現に海外旅行なんかはお盆や正月だけ驚くほど高いのだから。
膨大な負債を親から引き継ぎ、倒産・自己破産することなく再建させるまでのストーリーだ。
親から繊維工場を事業承継した筆者は、ひたすら資金繰りと好転すること無い事業の切り盛りに追われっぱなしとなる。繊維業界は中国製の台頭により国内メーカーは壊滅的な被害を受け、取引先、同業他社は倒産するばかりの状況であった。
借金を返すために借金をし、銀行との交渉、リストラともはや自転車操業を何年も続けることになり、精神的に疲弊しうつ状態にまで追い込まれる。
何故、日本の中小企業の社長は企業の倒産により個人資産まで失い、自殺を考えるほどまで追い込まれるのだろうか。何故、取引先や社員をそこまで心配するのだろうか。(銀行に対する心配は無く、恨みばかりなんだが…)
ずいぶんと責任を一人で負い込みすぎていると思ってしまう。
また、企業は創業よりも潰す時の方が遥かに体力を使うということがわかる。
経営者は会社の潰し方を知らな過ぎる。自己破産するのにも金はかかるし、弁護士費用も発生する。
だが、限界までがんばりすぎて、手遅れになってしまうケースが多いようだ。
この本に出てくる繊維工場は、業界全体が衰退していった典型例だが、これからは他の製造業も同様の状況に追い込まれていくだろう。もはや中国の台頭、グローバル化は避けることはできない。そして他の産業もやがて同じような状況になっていくのではないか。
日本は沈みゆくタイタニック号のようなものではないかと、読んでいて常に思ってしまった。
この本の筆者も6年間にも渡り、常に資金繰りと倒産を考える毎日だっただろう。事業は上向くことは無く…
企業は永続(ゴーイングコンサーン)が前提だが、いつかは無くなるもの。終わり方も研究しておくべきだ。
借金地獄に克つ!―こうして自己破産・倒産の危機を突破した
共生者という言葉は警視庁が出したらしい。これまでヤクザ、フロント企業が株式市場に入り込んで仕手戦により一般投資家から金を巻き上げていたことは良く知られているが、最近では本物の金融のプロの連中、すなわち証券マンや投資銀行マンがヤクザな連中と金融市場、事業会社とのパイプ役になっていることから共生者と呼ばれることになり厳重に警戒されているようだ。
本書では、90年代から仕手プロの連中がどのようにボロ株会社と共生してきたか、また最新の手口まで非常に詳しく書かれている。筆者は長年証券業界に従事し仕手プロとの交流も深く、またヤクザの脅しにもあったりとかなりあっちよりの方らしいが、だからこそ知っている深い闇について知ることができる。
90年代の仕手はだいたい企業側と仕手側の両方にメリットがあった。企業側は赤字経営で資金繰りに苦しく株価は100円以下のボロ株ときている。それでも企業再生をしたいと目論む。仕手側が資金調達に応じるが企業側の収益を配当などという形で返してもらおうなどと当然思っていない。株価の上昇によるキャタルゲインで回収というのが全てだった。要するに損をするのはその他の株主、一般投資家ということだ。資金調達と企業側の発表リリースをたくみに使い提灯を上げ、売り方(空売り連中)を欺き、いかに高株価をつくるかといったテクニックと手口がそこにはあった。
2000年以降は仕手の手口は大きく様変わりした。資金調達に絡み、海外タックスヘイブンの投資ファンドによる出資スキームや空売りによって株価下落で儲けるMSCBの手口や市場外取引だ。企業側も資金調達により延命することができる。
ここでも損をするのはバクチに手を出す一般投資家や既存の株主だ。
本書では、仕手のプロを実名を出して、その生い立ちから社交まで詳しく書いている。そして更なる最新の手口にも触れている。
ギャンブルで確実にもうかるのは胴元だと言われる。株式市場がギャンブルならその仲介をしている証券取引所、証券会社が胴元ということになる。
取引が活発になれば手数料収入が増えるからだ。そんなこともあってか徹底的に取り締まれなかったり、共生する道を歩む者も多いのだろう。
仕手銘柄には手を出すと大やけどをすること間違いなしだな。
バブル崩壊後の日本で荒稼ぎをした外資系投資銀行、ヘッジファンドの実話をもとにした物語だ。
当時の日本は金融ビックバン以前で、金融市場全般にたくさんの問題を抱えていたことがわかる。本書にはシンガポールで日経先物で大儲けをしてその後破産したベアリング銀行のニック・リーソンも登場する。リーソンが稼いだのも株式市場にあるアービトラージを利用したものだった。そのような抜け穴が沢山あり、ヘッジファンドでも稼げるアービトラージをいかに見つけるかというのがエリート大学出身の金融マンの仕事であることがわかる。そんなことで数億円の給料が貰えるというのも驚くが。
そこにはビジネスモデルなんて存在しない。ブラックジャックでカウンティングすれば統計的に期待値が1以上になったのと同じ理論で、金融システムの欠陥を見つけて投資するというだけだ。だが、同時に100%確信的に儲けられる訳ではなく、1つの取引に数十億円をつぎ込むシーンは手に汗握る。トレーダーも精神的に相当タフでないとやってられないだろう。
ただし、投資のゲームに使う金は自腹ではない。様々なブラックマネーがヘッジファンドに流れていることが示唆されている。その金で増やした利益の20%と数パーセントの手数料が彼らの会社の利益で、そこから賃金とボーナスが支払われる。
当時からハゲタカと外資金融機関は言われていたが、とてつもない儲け方とカネの使い方をするので驚いた。
また、日本で働く外国人からみた日本というのも面白い。彼らはガイジンであり決して日本には溶け込めない存在なのだ。本書には歌舞伎町のソープランド、イメクラ、デリヘルから六本木のキャバクラ、高級クラブまでたくさんの風俗が登場するが、日本の風俗は「Japanese Only」だ。それでもヤクザと結びつきが強いのは日本の銀行だけでなく、外資投資銀行も同じらしく、そのコネなのかソープやイメクラに入るシーンが何度も登場する。
外資投資銀行の連中を見て、エンロンを思い出した。刺激を求め、リスクを恐れないのは重要な資質であることがわかる。彼らもエンロンの幹部と同じように未知なるゾーンを求める。歌舞伎町のソープに行くのも、バイクで峠を高速で攻めるのも適正テストだ。毎週140時間の勤務をこなし昼飯も10分程度、夜はガイジンバーで呑んで情報交換というのを平然とこなしているのも驚異的だ。一流大学出身者を取るのは忍耐力という理由もあるだろう。
外国人から日本の文化や風俗というのがどのように見られているているのかも興味深かった。原書名はUgly Americans(醜い米国人)。下品で日本の女を性の対象にしか見ていなかったり、日本の金融を金を貪る所くらいしか思っていない本音が良く表れている。
東京ゴールド・ラッシュ
シルクロードにある旧共産圏の小国相手に商社マンが旅客機を売る物語だ。総合商社のビジネス現場を深く知ることができる。国際的な金融機関を利用したシンジゲートローンの組成、保険、受け渡し、そしてビジネスの最前線で行われている交渉を知ることができる。もちろん内容もとても面白い。
キリギスタンにボーイング機を売るまでの地道な交渉が続くのだが、旧共産圏国家特有の汚職、政治の腐敗、進まない議論、官僚主義のためなかなかビジネスが進まずいらつく30代前半の商社マン。貧しい国から高い金利をぼったくろうとしていると相手から言われ(事実商社は口銭を抜いてアレンジすることが仕事だ)、交渉が逆転したりする。
また、日本育ちのおぼっちゃん商社マンだからやはり頼りない。平和ボケしている特有の日本人だ。まず、日本人商社マンには交渉力が無い。
結局は、ずば抜けた交渉力を持つ正体不明、国籍不明のブローカーに頼ってしまう。日本企業はコンプライアンスがうるさいので、賄賂だとか交渉の最重要なところをこういった素性の知れない怪しい奴に依存してしまうというのも恐ろしい。しかし実際の総合商社の大きいビジネスはそんなもんなんだろう。
育った環境が違いすぎて、日本人には難しいか。
重要なのは、過酷な環境で育った者は教育を受けていなくてもビジネスで能力が発揮できるということだ。
圧倒的な交渉力を持つ、この素性の知れない男のすごさは、過酷な人生の積み重ねだ。
ところで、30代の日本人商社マンでは タクシーの運転手に30ドルという1カ月分の給料に値するチップをあげてしまう。このようにして発展途上国の市民の金銭感覚は破壊され社会がおかしくなっていくのだと思う。しかも営業や仕事でシルクロードの国々を飛び回るのはビジネスクラスだ。
世界で活躍するビジネスマンになろうとしたら、まず若いうちに困難や苦悩を味わうことが大切だと思う。ビジネス知識や語学や教養は後から学べると思う。
もちろんこの小説ではクルド人問題や旧共産圏の歴史や文化も大いに学べる。
シルクロードの滑走路
日本人の人生設計の基本は、30代でマイホームを購入し、定年までに住宅ローンを完済し、退職金と年金を原資に悠々自適の老後を送るものだった。--まえがきより
金融危機から1年過ぎ、正社員の雇用条件が悪化している。住宅ローンが払えない人が増加している。借金で買った不動産の時価価値が低下し家計のバランスシートが時価で債務超過になっている。
都内のマンションを頭金2000万円で4000万円を借金して買った人がいるが、もちろん住んだ時点で中古で更に不動産価格の下落で時価が4000万円以下になった時点でバランスシートは債務超過である。
これからは勤めているいる会社の倒産、国家に支払っている年金の破綻を心配して生きなければならない。
自由について。
人生に絶望する時がある。人生やり直せたらと思うことはもっとある。
この本「知的幸福の技術」にも橘玲氏の知人の経験の話が出てくる。人生をリセットしようとしてオーストラリアに旅立つ人の話だ。
自分も学生時代バックパッカーをやっていてそういう人をたくさん見てきた。人生がこれまでの経験の積み重ねというのなら本質的に人生は変えられない。それでも人生の軌道修正をすることはできると信じている。
インドを旅した時にたまたま同じバスに乗り合わせたおっさんは、自動車会社の期間工として数か月働いては、それ以上の期間をインドで長く、ひっそりと、大麻をやりながら過ごしていると言った。
ヨーロッパや東南アジアの島では毎晩レイブパーティが行われていて、いい年したおっさんがエクスタシーや大麻をやって踊りまくっている。
30過ぎてそんなことやっていたら日本に戻るところは無くなるだろう。芸能人やアーティストでない限り。
むしろ、人生を本気で変えようと思ったら国家資格やMBAや語学ではないだろうか。もちろんこれらは手段だ。目的は、勤める会社や国家に依存しないで生きる力を得ることだ。
この本は人が自由に生きることの意味を教えてくれる。そして自立して自由を獲得するためのヒントに溢れている。
子供のころTVで映るアフリカの子は蠅が顔についても気にさえしていなかった。お腹だけぽっこり出ているが栄養失調。何故アフリカ人はこんな悲惨な環境なのに子供を産むのだろう。
あれから30年近く経ったが状況は変わっていない。アフリカでは食糧生産は増えたが人口はもっと増えた。エイズが蔓延し、先進国との貧富の差はさらに開いている。
子供の頃思ったかことが今でも変わらないのは驚きだ。そして今思うこと。地球は、人類は存続可能なのか?
もしかしたら誰しも思っているかもしれない。過去の経済成長はあり得ない。地球の資源は枯渇し、破壊されまくる。アメリカ人の多くはキリスト教信仰者で、地球は神に与えられたものだから浪費しようが破壊しようが構わないと思っているのかもしれないが。
民主党の前原氏もこの前TVで何度も「持続可能な日本」ということを言っていた。既にこのままでは持続可能ではないということだ。
「成長の限界」。この本を知ったのは、資源やコモデティ投資のデータとして取り上げられていたからだ。過去の様々なデータがグラフとなって載っている。そしてそれ以上にすごいのが21世紀これからのシュミレーショングラフを様々なシナリオでコンピュータを駆使してつくられていることだ。
当たり前だが、2010年までは世界のあらゆる生産性が劇的に指数関数的に向上した。人口も増加したがそれ以上に経済が拡大した。
このグラフは世界の投資家が何を投資して設けたかがわかる。
そして劇的に減少しているものもある。
世界の資源だ。そして環境が破壊されている。悲観的なシナリオが現実化する可能性が非常に高い。
これからの時代は、自分たち、自分の子孫達に経済成長なんて期待できない。地球の環境は悪化し、これまで日本がたどった時代を逆流するのではないかと思う。戦後60年経ったが、もっと速いペースで戦前までの環境に戻ってしまうのではないか。
世界規模でも地球は資源消費と排出で重大な限界に直面している。
地球の供給源と吸収源に関わるコストが増大しているからだ。
「成長の限界」では、最新のデータをもとに、2100年までに人類と地球環境が、どのように変化するかという「シナリオ」を複数掲載している。これをいかに読み取るかで人生が変わるだろう。データブックのように見えるかもしれないがかなりの衝撃だった。
昔の公立小学校や公立中学校はまだましだった。今では生徒の親は生活が苦しく、正社員にもつけない派遣社員の者も多いそうだ。ゆとり教育、学級崩壊ともはや荒れ果てている。その元凶は何なんだろうか。
悪魔のサイクルとはバブルと破綻の繰り返しのことで、その元凶はミルトン・フリードマンによるネオリベラリズム(リバタリアリズム)と弟子達(シカゴ・ボーイズと呼ばれる経済学者。竹中平蔵もその一派と指摘される)と筆者の内橋氏は指摘する。
ネオリベラリスト(リバータリアン)という新しい自由主義者については以前から紹介している。リベラルが平等社会を目指し大きな政府を主張するのに対し、リバータリアンは公正な社会を目指し小さな政府を主張する。
官製不況とリバタリアン
経済学ではアダム・スミスから古典派と呼ばれるマネタリストは市場主義者だったのに対し、ケインズ経済学信仰者(ケインジアン)は不景気には公共事業による財政政策を主張する。その後フリードマンが登場し、財政政策では無く金融政策それも金利を下げるのではなく、通貨の発行量を変えるだけで良いというドラスティックな市場主義かつ自由主義が登場した。
公共事業というのは無駄がある。不景気だから穴を掘って埋めさせればよいという経済的には意味のないことでも失業を抑え景気の波を解消する効果(ビルトイン・スタビライザー)程度だ。また、マンデル・フレミングの法則(財政政策よりも金融政策の方が効果が大きい)からもマネタリストの方が経済的かつ合理的だ。
ところが市場主義になると、景気が良い時は良いが、悪い時はとことん悪くなってしまう。レバレッジ効果が働いてしまうのだ。
この本を読むとフリードマンの主張するマネタリスト的経済学が米国の経済、景気を上昇させ、日本のもその経済文化が流れてきたことがよくわかる。そしてネオリベラリズム(リバタリアリズム)が引き起こしたのがアジア通貨危機であったり、サブプライムローン問題だとの主張だ。その点はもっともだと思う。
しかし今の世界不況の全てが新マネタリストの責任だろうか?それまでの好景気はだれのおかげだったか考えたことがあるのだろうか?
筆者は製造業への派遣解放など規制緩和を進めたことで格差が生まれ、今の不況の原因にもなっているという書き方だが、リバタリアンの考えでは当然それは正しく経済を成長させることになる。派遣社員になる者は最初から職を自分の意思で選び、対等に企業と交渉が合意され賃金が決まっているからである。
むしろ派遣社員がかわいそうになのは正社員や労働組合にある。企業は有能で安い労働者が欲しいのは当たり前である。無能で高給取りの正社員を解雇できないから派遣社員が切られるのだ。
何故そのような議論が日本でされないのか不思議である。
筆者は経済政策が新マネタリスト(ネオリベラリスト)になった影響が不況を招いたと主張するが、そもそも輸出中心の日本の国力は相対的に低下しており、さらにゆとり教育の影響か平和ボケのせいか努力しない大人が急上昇している。それがニートであったり、フリーターだ。
今の不況の現況は日本が経済成長を停止してしまったことだ。それは怠慢、ゆとり教育、人口減少、少子高齢化などさまざまな原因がある。
そんなひどい状況でもITバブル以降のゆるやかな経済上昇にあったのは小泉政権の竹中の政策も大きかったのだと思う。悪影響もひどいが。
ただし、どのような経済政策であれ資本主義には限界がある。企業は寡占化すれば勝ちであり、それは消費者にとっては負けであり、どこの市場も最終的にはそうならざるを得ない。
一時的には大企業のサービスが安くて良くても、それは中小企業を簡単に潰すことができ、最終的に大企業は競争が無くなることで怠慢になり消費者が不利益をこうむるのだ。
商店街が無くなったり、Walmartやイオンしか町に存在しなくなるのと同じことがあらゆる産業で起こるのが資本主義の末期症状だろう。
元NTTドコモの夏野氏の書籍だ。彼はiモードを企画したチームの1人であるが、彼に対する評価は様々だ。
書籍「iモード事件」はiモードができるまでの物語で、ドコモに集められた異色のメンバーが、同じくiモードを立ち上げるためにドコモが雇ったコンサルティング会社マッキンゼーとの対立が描かれている。
夏野氏はドコモに入るまでインターネットベンチャーで倒産したハイパーネットの役員をやっていた。
ところが倒産間際に辞めてしまい、iモード企画会議でもマッキンゼー社員から散々バカにされたことが「iモード事件」には書かれていた。
読んだとき、日本では潰れた会社の人間はたとえMBA取得者だろうが評価が地に落ちるのだなと思ったものだ。
そんな夏野氏もiモード成功の立役者として以前はかなり注目され、「iモード・ストラテジー」という書籍も売れ評価も高かったのだがあっという間に他のキャリアも同じサービスをして今ではiモードなんて死後のようになってしまっている。その後、夏野氏はドコモを退職しネットベンチャーのドワンゴ(一部上場だからベンチャーではないか?)の常勤顧問に就任した。
そんな彼が今度はネットベンチャーのグリーの社外役員になるという。
彼の最新書「グーグルに依存し、アマゾンを真似るバカ企業 」はタイトルのとおり、現在のネットベンチャー企業のあり方やネット以前の世代(ビジネスにネットが無かった時代の世代)を批判している。
確かに現在の日本のネットベンチャーはグーグルに依存している。グーグルの広告代理システムによる広告収入がほとんどの会社が実に多い。
ネットで集客し広告収入に頼っているビジネスモデルだ。
最近では小売・流通業界もようやく販売チャネルとしてネットを活用しだしてきているが、新規性が無い。
思えば日本でネットで新規性のあるビジネスモデルを打ち出した会社は皆無ではなかろうか。
しかし夏野氏にしても、iモードの発想はビル・ゲイツの書物にある携帯型端末がサイフや情報端末になるというアイデアを参考にしているし、その後のドワンゴはニワンゴのニコニコ動画はYoutubeの日本型応用だし、グリーにいたっては米国で流行ったSNSを真似、その後DeNAのモバゲーのような無料ゲームサービスとして高収益企業となったという点で新規性はどうかと思う。
タイトルにバカ企業とまで書いているが、日本の企業はイノベーション型では無くトヨタのようなカイゼン型、改良型なのだからそれはそれで良いのかなと思う。
陰謀論者のようであり反政府主義やリバータリアニズムを主張する副島 隆彦と、かつては人気エコノミストであったが痴漢行為により犯罪者となってしまった植草 一秀による小泉政権がいかに売国的であり米国の手先のようなやり方で金融規制の緩和や改革を進めていったか、植草氏が犯罪者とさせられたかを語る衝撃の書だ。
小泉政権に痛烈な批判をしたため、冤罪として痴漢教授となってしまったという。
テレビに出ることが無くなったせいで、既に世間からは忘れられた存在になってしまった。
エコノミストであり大学教授だったのが、当時のワイドショーでは「手鏡の教授」だとか、「ミラーマン」だとか騒ぎ立てた。それが2度の痴漢で社会的にはほとんど復活不能なほどのダメージを受けた。現在実刑判決を受け収監中とのことである。
小泉政権の行った施策がいかに国益を損ねたか。このような議論が盛り上がりつつも政権交代により、その検証が下火になってしまうのではないかと危惧される。
エーワン精密という工作機械につかう部品(コレットチャック)を製造する中小企業の創業者の話だ。
売上高20億足らずだが、経常利益は40%という会社だ。これが町工場だと創業者が主張するので衝撃的数字に思えるかもしれないが、読み進めると町工場では無いのではないかと思った。
いわゆる町工場というのは競争力が無く、価格交渉力も無く、仕事は親会社と呼ばれる資本関係の無い大企業からもらう会社をイメージする。
しかし、エーワン精密は、競争力のある技術力があり、市場シェア6割も占め、取引先も多く、価格は自社が決めている。
見たくれは工作機械で加工をしている町工場でも、これはちゃんとした会社だということがすぐにわかる。
それにしても製造業で利益率が常に40%以上というのはキーエンスやコーニングのようであり、小学校しか出ていない(実際には二十歳から夜間中学に働きながら通った)のにすごいと思った。思えば松下幸之助なんかもちゃんと教育を受けた訳では無いのだが。
その筆者が経営の知識なんか何もなく、ただ自身がやったことを書いているのだが経営のプロの書いた本なんかよりもよっぽど役に立つということは断言できる。
良い技術を他社よりも早く手にいれ競争力を持ち、客の要望にどこよりも迅速に応え、価格は自身が決める。景気には波があるのだから、どんなに好景気でも浮かれずにコスト低減に努める。
経営を勉強したものでも、なかなかこれが忠実にできてないのだということを改めて認識させられた。
そしてジャスダックに上場するのだが、エーワン精密のような会社が上場するのが不思議でならなかった。上場する必要が無いからだ。
つまり中小企業の上場の大きな目的である社長の借金の個人補償から外れることというのは無借金だから関係無いし、株の売却による創業者利得というのも興味が無さそうだ。事実、株式公開時から自身の持ち株を売却していない。
その他にも、信用力の向上というのも市場シェア1位で既に信用力があって必要なかったというし、知名度の向上も必要なかったという。
筆者が言うには、町工場でも上場できるということを知らしめたかったという意地だったのだということがわかる。
実際に上場した直後は後悔したようでもある。上場して間接業務が増え、監査法人にも多額の報酬を支払う必要があるからだ。利益率が高いことが公開企業のため取引先に見られることによって値下げ要求が来るのではないかという心配も当然ながらしていた。(驚くことに値下げ要求は1件もなかったそうだ!)
良いこともあったということがわかるが、上場したメリットは果たして大きいのだろうか?良い会社だとは思うが、投資家の立場からすると高い自己資本比率は株主資本を有効に活用していない点が不満に思えるし、利益率はそもそも関係無い。投下資本利益率があくまでも大切だ。成長性の観点から考えても不満が残る。
さて、本のタイトルもそうだが町工場というやたらこだわっているなと思った。町工場と比べるからすぐれて見えるだけなのではないか。町工場だったら潰さない経営をしているだけで褒められるのだから。
これから起業しようと持っている者、経営者にはとても良い本である。しかし町工場でもう存続するのも大変だとか、借金は金利も払うのも大変だとか、存続意義が無くなってしまったところとは別次元で考えないといけないと思う。
悲惨、惨め、哀れ。筆者の金森氏の過去はそう思ってしまう。
田舎から大学入学のため上京してすぐに騙されてしまう。東大入学後も田舎モンのため同級生と馴染めず、卒業後はフリーター。先物取引で騙され多額の借金を背負ってしまう。借金の金利だけでサラリーマンの年収ほどの額に達する。
そんな絶望的な状況からの再起の物語だ。
精神的にも金銭的にも追い詰められた状況から地道に自己啓発に努め、資格をしこしこ取り行政書士として起業。稼げないのが当たり前の業種にもかかわらず自己啓発で学習した中小企業診断士などの知識を活かし大ヒットする。
さらに不動産投資などで成功し、借金返済をしてしまう。
深く考えさせられた書物だ。東大法学部に入学するほどの学校教育を受けているにもかかわらず簡単に騙され、金融知識が無いため先物投機で大失敗をするというのはいかに学校で学ぶ知識が金儲けや生きる上で役に立たないことがわかる。
社会人になってからのビジネスに関連した資格試験や自己啓発というものの重要性もわかる。
簡単に借金地獄にもなるし金持ちにもなれるんだ。
また、ヤクザのような借金取りに追い詰められ精神が疲弊していく状況も普通じゃ味わえない。そのような状況から脱出しようと地道な努力をする意思も参考になる。
平凡な人生では無い。アップダウンの連続だが豊かな人生だと思った。
闇金ウシジマくん10巻から始まる新たなストーリーの主人公は闇金とは無縁のサラリーマンだ。結局最後まで闇金とは直接係ることは無かったのだが、家庭持ちサラリーマンの鬱積した日常にやや共感が持てる。
大卒でそこそこの企業に入り営業マンとなった主人公だが、幸せとは程遠い。営業成績が落ちたことで上司に叱責を受け、後輩からは陰でこそこそ言われる。仕事は終電まで帰れない。嫁は2人の子育てで疲弊しストレスが溜まっていて、2人とも自由な時間なんか持てないのだ。
こんな家庭はどこにでもある一般的な日常じゃないだろうか?
満員電車に持っていても、サラリーマンは我慢の日常、景気も悪くて不安も多く崖っぷちの気分の人も案外多いと思う。ちょっと背中を押したらもう崖から落ちてしまうような状態だ。
何が楽しくて生きているの?
子供の成長のための義務と家庭を守る責任感。主人公も毎日自分に言い聞かせて行きたくない会社に行くのだ。
そこから脱落したもの、ストレス発散のための遊びからサラ金に手を出し人生が崩壊していくもの、不幸せな人が沢山出てくるが、自分の周りにもいるのではないだろうか。
会社を辞めたい?安直な気持ちの考えは、ずいぶん甘くないだろうか。
職場でも家庭でもやなことは沢山あるし、誰もが我慢して生活を取り繕っているだけなのかもしれない。
闇金ウシジマくんでは、かなり本質的なサラリーマンの気持ちを生々しく代弁している。また一歩道を外したサラリーマンがどれほど悲惨な人生になってしまうかも。
読後には深いため息をついたが、しばらくして頑張ろうという気持ちが湧いてきたから不思議だ。
2009年版中小企業白書は驚愕の内容だ。
2009年3月までの業況判断DIや生産指数、在庫指数などあらゆるデータ、グラフが急降下している。崖から落下するようなイメージだ。
2009年8月では世界的な財政出動や景気対策により大企業の生産が回復基調にある。ただし大企業の生産も未だに金融危機前の7割程度の回復しか無いのに利益が回復しているという点に注目したい。
中小企業白書では、下請取引企業の業況判断DIが下請でない中小企業より遥かに悪化していることが示されている。
つまり、大企業の生産調整により下請け中小企業が派遣社員と同じように調整弁の役割をしていることがわかる。
2002年から2007年まで続いた好景気は大企業が中心であったことがわかる。事実、中小企業の売上高経常利益率は大企業に比べると低く、さらに中小企業の4割が形状利益がマイナスとなっている。
また、重要な点として中小企業は良くも悪くも経営者の能力に依存してる。中小企業のイノベーションは経営者のチャレンジ精神、経営者の創意工夫、経営者の迅速な意思決定に依存している。大企業のように誰が経営者でも会社運営に支障が無い会社とは大違いである。
さらに製造業がサービス業に移行しつつあることもわかる。成熟した先進国において第二次産業の付加価値は薄れ、発展途上国にかなわない。第三次産業に移行していることがわかる。だが、現在の国の政策は雇用や開発の助成金の多くが製造業に注がれ延命処置になっているところも同時に問題な気がする。
製造業は市場が国内から海外に移っていることも注目したい。日本は少子高齢化社会かつ人口が減少していく経済的には衰退期に入っている。このような状況では海外の成長市場に商品を売らなければ生存ができないことを示しているのだと思う。輸出をしている中小企業は2002年以降業績が良かったが、リーマンショック以降は急降下している。だが長期的にはやはり輸出に頼らないといけない、たとえ円高になろうが。
まんがで読破シリーズはかなり読んでいる。古典書、名書をまんがにしたシリーズ本だ。その中でおすすめなのが「続・資本論」だ。マルクスが体系化しエンゲルスが書物にした歴史的名書である。米国では共産主義の失敗とかつての敵対国文化からほとんど注目されていないが、本当は今こそマルクスの資本論を読むべきだと思う。
現在の資本主義は末期症状を迎えており、資本主義の末期から共産主義が生まれるのだ。
さて、続・資本論の良いところは、マルクス、エンゲルスの主張や理論が随所で説明されているところだ。
貨幣についての説明から、余剰利益についての説明が続く。
ストーリーで、消費者向け製品をつくっている工場が中心に出てくる。ここの雇われ経営者は労働者を大切に大切にしたいという意向がある。他方、オーナーは徹底した資本家で非常に合理的な考えを持つ。
経営者は労働者の待遇を良くしたい思いから、機械を導入して生産を拡大し利益の拡大を目指す。順調に行くのだが、機械が生産の主役に変わり、労働者は誰でも良くなってしまう。
これは日本の製造業の現場で行われていることと同じである。労働者の価値が下がり、派遣社員は生産調整の手段となってしまった。
日本の製造業はロボットや製造装置に投資を行っているのが強みだが、逆に労働者の付加価値がそれによって下がっているのである。労働集約的に人手で生産が行われている中国などの工場の労働者よりも生産に対する労働者の付加価値率は日本の労働者は低いことになる。
そして、機械を導入するために設備会社に発注をするのだが、消費者向け製品をつくる工場と違い、生産向け製品をつくる会社というのは前者に経営が依存している。マルクスが「不均等的拡大」と呼んだ現象である。
日本でいえば工作機械メーカーや半導体装置メーカーや町工場だ。自動車や電機がリストラやコスト削減努力で黒字化しても、設備に依存しているメーカーは新規設備が増えないことから黒字転換しない。工作機械や装置メーカーは売上が7割も落ちている。
これらの産業が衰退すると労働者の賃金や職が減ることから消費者向け製品も売れなくなる。不況と恐慌の悪循環である。
現在の先進国がまさにその状況である。違うのは政府による過剰な財政出動と金融緩和である。本来需要が無いものを無理に需要を作り出し、潰れるべき企業を延命させているのだ。この対策が無かったら中小企業のほとんどが潰れてしまい、失業率は30%を軽く超え、先進国経済はガタガタに崩壊し、飢餓、暴動、戦争の勃発という事態にさえなるのではないかと思う。
しかし、過剰な政府によるセーフティネットはモラルハザードを生み、短期間で済むべき経済や産業の転換を遅らせてしまうことになるだろう。
さて、長くなったが続・資本論を読むと資本主義の限界がわかり、マルクス主義から多くを学べることに気付くであろう。
夏休みに子供のころ育った町にある商店街に行ってみた。町はそんなに変わっていないのに商店街は大きく変わっていた。いくつかの店はそのまんまで、同じ人が経営していた。ずいぶん年を取ったが。
驚いたのは商店街の中に新しい民家としての住宅ができていたことだ。商店街が既に買い物をする場所ではなくなってしまっていた。残っている店もまったく人の入らなそうな婦人服屋が数件、本屋、布団屋、パナソニックの電気屋と魚屋くらいだ。
近くに大きいスーパーやショッピングモールが無いにもかかわらずこの低落だ。人口は逆に増えているのだが。
20年前のテレビドラマ「スクールウォーズ」では街一番のワルは父親の経営していた小さな店の前に大型量販店ができて自殺したのが原因でグレた。
新ナニワ金融道の4巻もまた商店街を中心にしたドラマが繰り広げられる。すでに崩壊した商店街では開いている店もまばらだ。通行人は単に駅への近道に商店街を利用するだけだ。そんな商店街でもカネ儲けの種はあるのだ。商店街への助成金、借地人の強すぎる権利、エセNPO団体、そしてサラ金だ。
そんな苦境の中の商店街のオッサンも不倫でなんだか人生で一番幸せそうな時期みたいなのも面白い。
商店街、そして喫茶シオフキを中心として繰り広げらる展開に目が離せない。
新ナニワ金融道 4 絶望銭色吐息!!編
楽天の三木谷によるビジネス本である。これまで楽天については様々な書物が出ているが、やはり創業者であり経営者である三木谷本人によって書かれた本を読むことによって楽天の経営について深く知ることができる。
米国シリコンバレーのような企業家、例えばアップルのスティーブ・ジョブスやグーグルをはじめとするベンチャー企業経営者のイメージと三木谷はまったく異なることがわかる。
楽天はソフトの会社でもITの会社でも無いのだと思う。それなのにネットベンチャーのカテゴリーに入れられるが、よりリアルに例えるならば大阪商人がネットの世界で活躍してビジネスを展開しているといった感じに思える。
楽天はこれまでITをベースに革新的なことを最初にやったことは無い。ECショップにしても後発で、それがビジネス力でITオタク(マニア)の会社を駆逐していった。
そのようなところが三木谷の強さであり、楽天の強さであると言える。また、楽天を企業に例えるならトヨタと光通信を足して10で割った感じだろうか。トヨタもまた米国車や欧州車の良いところをひたすら真似て、改善を繰り返して品質の良い車をつくり、生産性を上げてきた。そして光通信は徹底した営業力がある。
もちろん楽天には両者のそれぞれの強みほどは無いが、ネット企業の中で群を抜いてそれらの強みがある。
三木谷自身の本により、メディアでの知的なイメージよりも商売人としての泥臭く地道な努力を重要視していることがわかる。そんなことからか、楽天に入社するITオタクはイメージとの違いに驚くのかもしれないが。
ところで、この本で三木谷は日本の新聞に対して批判しており、Financial Timesを読んでいるというのに驚いた。ちなみに日本のサラリーマンは誰でも読んでいる日経新聞は読まないとしょうがないが、それは他に代替品が無いからだと思う。
日経新聞の企業ニュースの半分以上は企業のIRをそのまま載せているだけで、今の時代は日経新聞より早くTDNETで読むことができる。
残りのわずかにリーク情報があり、以外にこれが重要だから困る。
企業はIR以外にリークを流すのはコンプライアインス違反だしインサイダー情報だからだ。
話が逸れたが、三木谷に対して好き嫌いが非常に激しく分かれるが、時代の寵児であることは間違いない。最近は三木谷バッシングも多いようで大変そうだなぁと思う。
ウォルマートは米国に住んでいるとよく利用する。日本のイオンのような感じだろうか。米国では日本よりもだいぶ早く地域の商店街が崩壊し、ウォルマートのような巨大スーパーでしかほぼ買い物ができない状況になってしまった。
ウォルマートかガソリンスタンドにあるコンビニエンスストア。他にも薬局がスーパー化したり、サプリメント屋がスーパー化したりして結局ウォルマートにどの会社も近付いているのだ。
ウォルマートは世界最大の売上高を誇る企業で世界の過半数が利用している。そんな巨大企業にもかかわらず企業としての歴史は浅い。つまり、短期間に歴史的な超高成長を遂げているのである。
通常の経営戦略や経済学上ではあり得ない成長と言われ、ウォルマートの企業戦略や創業者のサム・ウォルトンの経営手法は研究されている。
その成果は書籍にもなっているが、多くがウォルマートの広告のような感じの本だ。つまりウォルマート絶賛のおべんちゃら本だ。この点についてはトヨタのおべんちゃら本でも指摘したのと同様だ。
最近もウォルマートのおべんちゃら本が売れているようだが、今回紹介するのはウォルマートの悪徳商法を批評している作品だ。
その中で最高なのは、「Wal-Mart: The High Cost of Low Price 」だ。
AmazonでDVDが千円ちょっとで買えるのがすばらしい。(*リージョンに注意、PCで日本版を再生していなければ見れました)
米国で公開された映画だが、ウォルマートの取ってきた成長戦略の多くが、政治力を利用したものであり、企業が巨大化してからはその独占企業ともいえる巨大な力を利用した仕入れ先への強制的な購買力、交渉力であった。ウォルマートが利益を上げ巨大化していくのと同じだけかそれ以上の犠牲が存在している。
そのような内容をDVDにおいて証言とともに批評している。地域の小売経営者とその家族が出てくるが、ウォルマート進出で経営が成り立たなくなり、倒産していく。
現実にこのようなことが頻繁に起っており、悲しくなる。
ウォルマートが進出する地域は、例外なく町の商店街は経営できなくなる。そしてコミュニティが崩壊する。
ウォルマートは社員を低賃金で働かせ搾取している。フルタイムで働いても低所得者層のままである。しかも従業員はウォルマートの医療保険が高すぎて加入できないため、州の税金により別の医療保険に加入している。
ウォルマートは進出する際に雇用創出などの理由で地域(州だとか市だとか)から助成金をもらっているが、私的な利益拡大にそのような税金が使われている。地域への還元はほとんど行われていない。
仕入先をたどると発展途上国でものがつくられており、そこでは人権侵害にあたる労働環境、搾取が行われている。
ウォルマートの敷地内(駐車場)で犯罪が起っている。
環境破壊につながっている。
そのような事例が盛りだくさんである。モラル無しに徹底して企業の成長に利用していることがわかる。
他にもウォルマートの批判本はあるが、同時におべんちゃら本にも少し言及すると、内容は20年前に書かれたウォルマート宣伝本が元ネタになっているようである。操業期におけるサム・ウォルトンの努力と徹底した合理化は良い教科書になる。だがすでに巨大化したウォルマートにサム・ウォルトンの意思も理念も受け継がれていない。
しかしチェーン化してからの政治力の利用や負の側面が一切紹介されていない。
ウォルマートは小売の代表であり、企業の代表でもある。研究するのは非常に面白い。
AV女優になった女性の壮絶な人生のインタビュー集である。
貧困に親の暴力に借金というのが貧乏家族の基本形のようで、かつてはそのような社会の底辺にあるような家庭の子供と将来を約束された家庭の子供も一緒に遊び、一緒の学校で学んでいた。スネオ(金持ち)、ジャイアン(貧乏家庭の子で将来はヤクザ?)、シズカ、デキスギ(金持ちかつ学力が高い)、ノビタ(平凡な家庭で知能が低い)が一緒の学校で一緒に学んでいる姿に何の違和感も抱かなかっただろう。
今は公立学校の学級崩壊の問題や私立高との教育の差から生活レベルによって行く学校の分別が進んでいる。
この本に出てくるAV女優の人生は特別だ。
想像を絶するほどの貧困であったり、親から見捨てられ施設で生活していたり、色々だ。
そんな中でも特にすごかったのが、姫川麗。過去の犯罪が酷過ぎる。妊娠した後輩の女を集団リンチ、子供のいる腹を辞めてといわれるとなお蹴り倒す。挙句の果てには性器にガラス球を突っ込んで踏みつぶして割るという殺人未遂を犯して少年院入り。残虐な映画より恐ろしい世界だった。
美神ルナはキャバクラで貯めた金で留学し、さらに男の金で難関大学に入学し、留学中もパーティで金を集めるという結構すごい女だ。
「闇金ウシジマくん 」 の5巻~7巻は風俗の話なのだが、それがまたすごい。実際の風俗を良く取材している。通う側もニート、スロプー(パチプロ)、サラリーマン、モテナイ男とすごい調べてあって感心させられる。月に半分派遣会社で肉体労働をする35歳の男の話は特にすごかった。
親と同居しているが会話は無い。それどころか仕事につけと言われる度に殺意を抱く。それでも親の保護の元で無いと生活は成り立たない。友達はおらず、1日の肉体労働をスロットで10分ですってしまう。消費者金融から借りた金でさらにスロットをする。
人生を完全になめきっている人間だが、Blogを書いている。
この登場人物に関してはニートを非常に忠実かつリアルに表現されているようだ。2ちゃんねるなどニートが集まる掲示板でも「俺のことが書かれている」などと書かれていた。
「闇金ウシジマくん 」によるとホテヘルの人気風俗嬢は1日に10万円、月に200万円稼ぐという。税金はどうしているのだろうか?サービス料は客から現金手渡しだから申告しないのか?
稼ぐ風俗嬢でも男に貢ぐ女もいれば、借金の返済をする女もいれば、人生を計算尽くして20代の女の肉体的価値が高い時期にひたすら貯金をする女もいる。このマンガでは3000万円貯めて引退と考えている女が出てくる。
体を売る女というのは世間から軽蔑されるため、社会的に弱者であることもよくわかる。本名は出せないし、顔出し広告もほとんど出せない。
そういう意味ではAV女優というのは本名こそ出さないが、TV番組にも出るくらいだから相当な覚悟と思う。もしくは飯島愛みたいにAVから芸能人になって成功したから、何か勘違いしている女もいるのだろうか?
そういった勘違い女の生い立ちのインタビューもできれば読みたかった。一般人と変わらない平凡な家庭で育っていて面白みがないか。。
ちなみに芸名さえも出てこない企画系のAV女優の人生や所得はさらに壮絶である。低時給の肉体労働そのもので、浣腸や脱糞・放尿に疑似強姦ととんでもなくハードな仕事の気がする。(女で無いからわからないが。。)汚れないで大金を稼ぐ単体女優との差は顔の良し悪しだけだったりするところが悲しい。
「貧乏はお金持ち」のまえがきにこんな一文がある。
みんなが好きな仕事に就けて、毎年給料が上がっていって、会社は一生社員の面倒を見てくれて、退職すれば悠々自適の年金生活が待っていて、病気になれば国が下の世話までしてくれる──そんな理想郷を勝手に思い描いて、その夢が裏切られたと泣き喚くのはそろそろやめよう。
高度成長期には当たり前であったことはもはや叶わぬ夢だ。
かつてこの国では、サラリーマンは「社畜」と呼ばれていた。自由を奪われ、主体性を失い、会社に人生を捧げた家畜すなわち奴隷の意味で、彼らの滅私奉公ぶりや退屈な日常を嘲り、見下すのがカッコいいとされていた。
それでもはるかに自由な立場の派遣社員は不況になす術もなく失業していった。
かつての自由主義者「リベラル」は自由と平等を実現することを目標としているが、自由を獲得するのに必要な社会の使命は派遣社員を正社員にせよ、という矛盾だ。
この本の筆者の橘玲氏の主張はこれまでの本と同じで一貫している。
新しい自由主義者「リバータリアン」の立場を取っている。自由を平等だとか公正な社会だとかから切り離して考え、社会に頼らず、かといって社会の不完全な仕組みは徹底して利用して自由を獲得しようとする立場だ。
本書では新しいテーマとしてマイクロ法人を取り上げている。
21世紀社会は高度成長期のような美味しい思いはできない。社会構造の変化は豊かさを取り上げるだろう。日本人の年齢構成が△のような若年者多数の少数の老人であった時は社会制度の構築が簡単だった。しかし▽のような多数の老人(非労働者)になると年金は破綻するのは誰が見ても明らかだ。
企業においても同じである。高度成長期は△型であった会社はこの年齢構成を維持するには規模の拡大しか無いが、拡大には限界がある。やがて□型になり、新卒採用を控えても▽型になる。
その点ではベンチャー企業のように年齢構成の高い層がいない会社に若い人が入るのは得策だ。成長の止まった大企業に入ると、若年者の労働の付加価値に対する配分が高齢者に多く回ってしまうからだ。
社会の変化でいえばこれからは日本の成長というのは終わり衰退期に入ろうとしていると感じる。社会的な改革を起こさない限り、そうなっていくだろう。
他の先進国も中国でさえも高齢化社会に苦しむこととなる。企業は収益を上げられなくなる。もっとぶっちゃけて書くと、企業は正社員はいらなくて派遣社員だけで良いと思っているだろう。
真に自由な働く姿とは、自己の能力が発揮できることが大切だが、会社に縛られないことである。この本のテーマは、実現できないと思ってあきらめる人が多いことにあえて挑戦している。
「貧乏はお金持ち」
ユニクロの柳井社長の机上にはドラッカーの本数十冊が積まれていた。その本には走り書きが見られる。ファーストリテイリングの優れた経営はドラッカーの経営感の影響を受けている。
そんなことをテレビ番組で見て、ふとドラッカーの本を取り出し、読んでみた。
ネクスト・ソサエティ
2002年に出版された本だ。晩年のドラッカーは21世紀は経済主体から社会について考えることこそ意義がある。そう唱えていた。社会構造は人口構成から、新興国発展から、環境問題から、様々な変化がある。
この本には金融危機以降に自分が思っていることが既に指摘されていて仰天した。
日本の問題点が指摘されている。日本の労働人口の4分の1が製造業に従事している。それが2010年には8分の1から10分の1にならないといけない、と書かれている。
今まさに起こっている製造業における雇用過剰を2002年から2007年にかけて1.5倍から2倍程に収益を上昇させている日本の製造業にその時点で指摘していることを真摯に受け止めた読者がいるだろうか!
さらに、製造業は衰退産業と化した農業と同じ運命であると示唆している。すでに製造業の生産物はありふれたコモディティ化しつつある。農業はかつて労働人口の7割も占めていたが、先進国においては5%を切るほどに低下している。
そして、社会構造の変化から30年間以上継続して事業を行える企業はほとんど存在しなくなるとも書かれている。これは日本においては終身雇用の崩壊を意味する。
ホワイトカラーと呼ばれる知的労働者は肉体労働者ほどの付加価値しかなくなり、知的能力はその知識がなければ業務が遂行できないにもかかわらず価値が置かれなくなる。
消費者が欲しいものが無くなる。
非常に恐ろしい現実を示唆してくれる本だ。
もちろんユニクロの柳井社長も読んでいて、その内容を真摯に受け止めているはずだ。社会構造の変化をどのようにとらえているのだろうか?
がんばるのをやめるとIQが上がる。
すごいキャッチコピーだと思ったが、要は嫌なことを無理して行うと脳が拒否反応を起こすということの逆説だ。
苫米地英人については、これまで出版社の事情か怪しいタイトルが多くて拒否してしまいがちだったのだが、実はまっとうな学者で主張の論理的であるということがわかる。
謙虚さが無いため、発言が過激なだけなのだと思う。
特殊音源CDがまたすごい。
サブリミナル入りのCDで、自分も昔、中学生位だったかこのようなサブリミナルテープをアメリカから取り寄せたものを使っていた。当時英語がわからないのだから意味が無いのだが。
肩書きもすごい。
分析哲学者、全日本気功師会理事、角川春樹事務所顧問というのもありびっくりした。
学生時代から同時通訳をしており、警視庁公安部からオウム信者の洗脳を解除の依頼を受けた。
過去のテレビでは「神がいないこと」の証明(不完全性定理、不確実性の原理)は自分がやりたかったと言っていた。
「聞くだけで恋人ができる着うた」こと奇跡の着うたを開発、販売した。
女性向けに「巨乳になる着うた」なども開発しているそうである。
家系は由緒あるようで、日本興行銀行常務、祖父は有名な英語学者、叔父も三菱商事の副社長のようであったようだ。
脳学者として理論だったことを研究・発表していながら、金儲けのためスピリチュアル系の一見怪しいビジネスもやっている。マッド・サイエンティストとも呼ばれているようだ。
かなり面白い人なので注目している。
大前研一最新書である「最強国家ニッポンの設計図」では、経営戦略ではないが政治を中心に日本の国力をいかにして向上するかという点を主眼において書かれている。
以前にも紹介したが、大前研一は政治的にリバタリアンの立場を取っている。リベラルのような公正で平等な自由を得るため権力を積極的に関与するのと違い、リバタリアンでは自由は自己責任が伴い、社会的には成功者もでるし敗北者も出る。ただし機会は平等であり、政府による権力の行使は極力避けるべき立場をとっている。
リバタリアンでは他者の権利を侵害しない限り、各個人の自由を最大限尊重すべきと考えている。
大前氏はさまざまな政策を提言している。国民レベルのシンクタンクとして「株式会社ザ・ブレイン・ジャパン(TBJ)」の設立計画や国家ファンドについても書かれている。
つまり政府は役に立たないので、一部の納得する国民のための組織の設立を呼び掛けているのだ。
教育、雇用、人材についても多くの主張がされているが、基本的には自己能力の向上と自己責任を感じさせる。能力が有る人勝ち、無い人が負ける競争社会であり、そのような競争社会が今のところ最も効率が良いのだからしょうがない。もし能力の優越、生産性に関係なく賃金が同一であり、企業の利益が株主でなく労働者に還元されるのであれば資本主義は崩壊である。
産業発展と地方復活を実現する道州制、そして所得税、住民税、相続税・贈与税の統合税制については、グローバル環境の中で日本が必要な政策を考えさせられる。
もはや政治は日本の国内で考えていればよい問題では無い。日本の税率が高ければ他の国に行けば良いし、移住するのは簡単なことだ。
今後はさらに、移住だけではなく国籍さえも他国に変える人が出てきてもおかしくない。
最強国家ニッポンの設計図 大前 研一
小説形式で会計が学べる書物であり、中小企業の経営の抱える問題が会計・経理面から学べる。
本のストーリーだが、コンサルタントの北条は娘の結婚式を間近にして交通事故死してしまう。
死に切れない気分のところへ天使「K」が、現世への復活のための条件を出す。
それは、「放っておくと不幸になる5人の経営者やサラリーマンたちを、会計のアドバイスで幸せに導く」こと。
会計に関しては、専門家に任せてしまえば良いと思っている経営者が多いと思う。しかし会計知識があると経営が良く見える。会計がわからないために倒産する会社もある。
現実に「儲かっている会社」が倒産してしまう。
この本の1章でもそのストーリが出てくる。
また企業は価格競争と闘わなければならない。これは2章のテーマだ。
小説形式で学ぶというのと、企業の抱えるテーマに絞って学べるのでビジネスマンにとって最適だ。
会計天国
「ナニワ金融道」以来の日本社会の底辺にうごめく人間をたっぷりとみせしめてくれる作品だ。
こういった人間のクズのような人間でも一般人との違いなんて大したことは無い。
サラ金に手を出したか出さないか。すぐにサラ金と手を切ったかどうかの違いだ。
サラ金で借りれなくなると、さらに条件の悪い闇金に手を出さないといけなくなる。闇金に手を出したらもう高い金利など返せることもないし、逃げることもできない。
一生借金の奴隷となるか、自己破産するか(できるか)、死ぬか、廃人になるか。
パチンコ中毒の主婦だとか、派手な買い物をするOLが登場するが、最初はいたって一般人である。歯止めがどこかで聞かなくなるのだろう。
OLなんかは、仕事のストレスを派手な買い物で紛わせ、借金をしてまで買い物が辞められない。闇金で借りた金など当然返せる訳がなく、風俗の道へ入る。
あらゆる性病にかかり、恋人に性病を移す。恋人の性病は悪質で顔はただれ化け物のようになり、殴られ、OLもとんでもな姿に変貌するなど、容赦ない現実を見せてくれる。
「ナニワ金融道」みたいな気分ではとても読めない。かなり暗い気分になる。
パチンコや性風俗にはしばらく行きたくなくなる気分になる感じだ。
ホリエモンが逮捕された理由は?悪いことをしたという認識が一般市民に広がっているが罪状を言える人がいるだろうか?ホリエモンを知っている人なら逮捕された理由は罪を犯したからではなく、目立ったからだと言うだろう。
いい加減わかってきたと思うが、我が国では出る杭は打たれる。犯罪者扱いされる。出る杭が世の中を良くするかどうかなんて関係無い。自分より能力があるとか裕福だと思うと妬む国民性だ。
古くから村社会として助け合ってきた日本においては異端児は排除される。
この本では逮捕前から逮捕中のマスコミが馬鹿騒ぎした中で、唯一本人が真実を自白している。
勾留中のオナニーの話までぶっちゃけ話しているのは面白かった。最近はAV評論家みたいなこともしているらしいが。ライブドア時代のブログ「社長日記」はもう読めないが、今では新しいブログを公開している。
性格的に既得権益に喧嘩を売るような語り方で書かれているが、普通だったらやっぱり潰されてしまうんだなと思った。
仕手(して)という言葉を証券界隈で聞いたら大変なことになる。重大な犯罪であり、暴力団や総会屋や賭博の筋の人間の影を感じるほど恐ろしい言葉である。
かつては商品市場、株式市場と大物仕手筋が暗躍し、市場のある銘柄で賭博場と化して業界をにぎわしていた。
現在では様々な規制で表立って行動できないが、株式市場でもベンチャー企業にからんで暗躍している。
多いのが経営悪化のベンチャー企業の増資に絡んだインサイダー取引だ。
この本で繰り広げられる仕手相場は、かつて存在した乾繭取引市場における仕手戦だ。
乾繭とは、蚕が作った生繭を長期保存するために乾燥させた物の事で、着物や帯などの絹織物を作るための材料。市場が非常に小さく市場は実需とは無関係に投資家の思惑によって価格が決まるような世界だ。
売り方、買い方の仕手筋が基本的には騙しあい、時には協力し合い、証券会社も取引所も市場が賭博場であることを黙認して様々な物語が繰り広げられる。
止められない怖さ、金の怖さ、博打が止められない心理というのが物語を通して伝わる。
最近ではFX、株と一般人(無知な一般投資家)がこういった世界に多く入ってきている。株であれば特定の企業の株はもはや仕手銘柄として賭博場と化している。そんなところでは理論通りに株価は動かない。一般人はカモにされるだけだ。
仕手相場を読んで、市場の裏で繰り広げられる魑魅魍魎の世界がわかり、投資を行うということは常にこういったリスクがつきものであることを認識した。
時間が無い人でも中小企業白書「概要」は読んで欲しい。
毎年読んで紹介しているが、重要な過去データから自社の位置づけを客観的に観察することができる良い機会だ。
非常に厳しい経済環境であるが、この不況を乗り越えることができる企業の特徴を知ることができる。他方、不況でもはや倒産するしかない企業の特徴もわかる。
例えば、中小企業の強みを活かしている企業というのは、ニッチな分野で強いことが分かる。
大手が参入しないような市場規模の小さいところで、競争をしないことにより高い利益率を得ることができるだ。
ニッチ市場で戦うために研究開発費という将来のための先行投資を優良中小企業は実行している。
大手とは競争しないことこそが中小企業の強みであることが分かる。
アンケートにおいても、強みは「経営者と社員、部門間の一体感」、「個別ニーズに柔軟に応じる対応力」、「経営における迅速な意思決定」ということがあげられている。
また、中小企業が海外展開をしている点も注目している。日本では製造コストも高く、販売する市場も縮小している。これからは海外で生産し、海外に販売することこそが重要であるとわかる。
他方、中小企業の弱点は資金調達である。成長段階で資金繰りに行きつまり事業を縮小したり、事業を断念する企業は4割に達している。
働きながら1年で!中小企業診断士最短合格の時間術・勉強術
「空売り屋」は同タイトル小説を含んだ黒木亮の短編集である。個人的には「村おこし屋」が面白かった。
村おこしはビジネスである。ただし一部の者が国からぼったくるビジネスであり、大局的には価値のある事業では無いことがよく分かる。
自分の知らなかった世界であるが、読んで納得した。田舎にいくと過疎化が進んだ村ほど立派なテーマパークや施設があって驚かされるものである。
この小説にも登場するような立派な日帰り温泉(スーパー銭湯や健康ランドのようなもの)があるところを知っているから。
それでいて、どこか中途半端なのだ。
その理由は利害関係者が食い込むために、不味い料理しか出せなかったり、いろいろ複雑な理由があるのだ。
この小説の悪役が読んでいるとホリエモンの思想そっくりで、経歴も福岡の進学校から東大(一番入りやすい文Ⅲ)というのも明らかに意識しているなと感じていたのだが、読み終えて参考文献にホリエモンの「稼ぐか勝ち」があった(笑)。まあ、思想だけそっくりだけどやっていることや外見は違うのだけれども。
空売り屋も、エマージング屋も面白い。これらはやはり金融屋の話だが、短編小説では考えられないほど深い内容だと思う。
サハリンBを中心として、複数のビジネススローリーが並行して展開する作品である。筆者の黒木亮の作品は他にもいろいろ読んでいるが、総合商社、都市銀行での経験と実話に基づくリアルな内容と高度な金融知識での小説の展開なので面白いだけでなく、非常に勉強にもなる。
商品(コモデティ)の中でもとりわけ重要な原油、LPGといったエネルギーに焦点をあて、黒木氏特有の実話を交えて複数の物語が交錯する。
新聞等の報道を見ると、この小説は実話を元にしていて、日々のニュースの裏で繰り広げられるビジネスが非常に泥臭いことが分かる。
海外プロジェクトファイナンスで、必死になってビジネスを成功させようとする者達のたくましさを感じられた。
小説の主人公は、上位総合商社の男であるが、大勢の人間(同じ組織、他の商社、海外企業)がチームとなって大きなビジネスを築きあげるしか、プロジェクトを成功させることができないことが良く分かる。
下位総合商社(後に大手自動車会社に呑みこまれる)の役員のイランへのコネクションと日本の官僚との癒着は、昔ながらの商社マン姿を感じさせられる。情報を取り動かすためにはワシントンのイスラエル・ロビイストを使うことも厭わない。
また主人公の妹が環境保護団体として主人公と利害が反する活動を行っているのが、その葛藤との戦いもある。
シンガポール市場での石油デリバティブに絡む物語も並行展開するが、こちらは最後までメインストーリーと絡むことは無かった。
エネルギーとファイナンスを学ぶのにも非常に優れた書物だと思った。
NHKドラマ「監査法人」はフィクションではあるが、どれもが記憶にある上場企業を舞台にしたドラマだった。
資本関係の無い会社に在庫を飛ばす(飛ばし)手法はカネボウ事件であったし、IT企業の売上高計上はメディアリンクス、IXIなど新興企業で見られた。ドーナツ屋がフランチャイズで加盟金を売上計上したのは、米国のドーナツ屋がドーナツ製造装置の販売を前倒しで売り上げ計上したのに似ているし、若い社長が世間を騒がす姿はホリエモンにも重なる。
銀行の不良債権隠しは、もう誰もが知る内容かと思う。
終始、この番組は暗かった。(笑)
しかし面白かった。会計士を目指す人は減るのではないか思わされる内容で、結局監査法人の会計士は組織の政治に翻弄されるのであれば、会計士本来の独立した「Integrity」というのは何の意味も無いし、会計士が出す適正意見とハンコに対するリスクというのが非常に重いことを考えると、一歩間違えば犯罪になってしまう職業だと再認識させられる。
最後は監査難民の話になるが、なんだか奇麗事であり得ないなあと思わされる内容であったのが残念だった。
しかし、会計士という仕事を理解する上で非常に役立つ番組であったことは間違いない。
大前研一の新書「さらばアメリカ」はすごいタイトルである。
もうアメリカは世界の主導者でも目標でも無い。
若い人にとってみればアメリカに対してそれほど憧れは無いが、大前氏のような戦後団塊の世代の人たちにとってみたらアメリカは憧れの対象であった。自分の年代から見ると戦争で民間人に対して皆殺しにするような空爆や原爆投下をしている国に対してよくそんなに羨望できるなと思うのだが。
戦後アメリカから流れてくる商品、そしてテレビの映像というのはすごいインパクトだったのだろう。敗戦国で貧民だった日本国民にとって、アメリカの大きい家に車に家電にアメリカンドリームや自由恋愛というか、労働よりも遊び中心のようなライフスタイルがテレビドラマで大量に流されたら、やはりそうなるのだろう。
実際には、テレビドラマや映画の世界というのは現実の世界では無くて、やはりアメリカ人にとっても憧れの世界なのだが。
このように世界を魅了する戦略というは、移民を集めるためにも、マネーを集めるためにも重要な役割だったのだと思う。現にアメリカのパワーはそこに集約されている気がする。
それが経済においても企業経営においても戦争においても破綻に至りつつある。オバマ政権で変わるか?オバマのスピーチは他の国のトップではできない夢があり、魅了させられたことは事実だ。
もう破綻寸前のアメリカだが、まだ日本よりは夢が残っているようにも感じるのだが。
さらばアメリカ
90年代後半からジム・ロジャースはコモデティ(商品)の時代になると言っていた。現に2000年以降は株価の上昇も大きかったが、コモデティの上昇も大きかった。
サブプライムローン問題以降は、急激にコモデティに投資マネーが流れ、そしてその投資マネーも収縮しコモデティは急落している。
結局コモデティはまず需要ありきなのだと思う。
ただ、しばらく続く金融収縮によるデフレ対策による米国・欧州によるバラマキと財政赤字解消のためにインフレに誘導され、そしてそれは制御不能のハイパーインフレへ向かう可能性が十分にある。
そんなときまたコモデティの価格は急上昇することは間違いない。
この本を読みなおしてみて、ジム・ロジャースはサブプライムローンの問題を予測しているし、バブルはやがてはじけることも予測している。
中国は不動産を中心としたバブルがはじけて、立ち直り、そして発展するという大胆な予測をしている。
ジム・ロジャーズが注目しているのは、サブプライムローン問題以前の中国ではなく、立ち直った後の中国であることがよくわかる。
最近、米国の不況の影響が最も大きく高い失業率で苦しむ中国の東莞、シンセン地区に行った。治安が悪い、失業者が暴動を起こしているなどという日本のメディアの報道とは違い、繁華街は日本以上に賑わい、平日の夜のレストランさえ満席だった。もちろん以前に比べると活気は落ちているかもしれないが、日本、米国と相対的に比べるとまだ希望が感じられた。
価格はどんどん下がっている。円高なので海外はとても安く感じるが、商品価格下落は指数のとおりなのだろう。
商品の時代が来ることは確実だと考えるが、買いたい商品がまだ十分にできていない。米国にはジム・ロジャースのインデックス連動のETFが上場されているが、日本は最近できたETFと投資信託くらいしか複数の商品のポートフォリオが組まれていないのが難点だが、景気の底が見えてきたら参戦したいと思っている。
ジム・ロジャーズが語る商品の時代
世界経済が収縮している状態で、かつ現金・預金で持つことのインフレ・リスクを勘案している中で、やはり商品(コモディティ)は魅力のある金融商品と思える。
世界経済は減速するとは言え、新興国の消費需要は大きく、経済成長率もプラスであることは当面変わらないだろう。
エネルギー、食糧は需要そして供給で価格が決まる。
購入にあたっては、極力知識をつけたいと思っているので、やはり地図と地理の知識は欠かせないと思う。テレビ、ニュースも地図を片手に見ている。
地図帳をみてそこそこ金や小麦の生産国、消費量、輸出量など数値も頭に入ってきているのだが、大学受験用の地理の参考書はとても勉強になる。
地図や統計データは数字の羅列だが、受験参考書では、例えば「何故アジアは米を生産し、欧米は小麦なのか?」「何故小麦は貿易で流通量が大きいが米は流通しないのか」といった原理が説明されていて、とても楽しい。
今になって勉強しています。
もうずいぶん昔だが、世の中のゼニの流れ、経済の仕組みというのはこの漫画から教わった。青木雄二の本もずいぶん読んだことが思い出される。
思想的にはマルクス主義であり、日本経済の底辺の仕事を長く経験している者だけが書ける、搾取の構造を教えてもらったものだ。
そのナニワ金融道が、最近また復活しているのだ。青木雄二はもう亡くなっているが、絵も思想もそのままに、刑務所から出てきた灰原がまた泥臭い金貸しで敗者復活に挑むストーリー。
2巻では、旧ナニワ金融道でも重要な人物かつ、復活を遂げた肉欲棒太郎が灰原に復讐を挑むストーリーでかなり面白い。
原野商法が繰り広げられた土地で、政治家、銀行、デベロッパー(肉欲の会社)、そして灰原が欲とカネのためにデットヒートが繰り広げられる。
2000年以降のデベロッパー、不動産のバブルに繋がる裏の世界を見ている感じで勉強にもなる。
エンロンのまやかしの成長と崩壊までを描いた作品。元CEOジェフ・スキリングの映像がふんだんに使われており、また当時の社員、ジャーナリストのインタビューもあり虚構のビジネスモデルがわかるだけでなく、ジェフ・スキリングというカリスマに従業員も株主も銀行もメディアも踊らされたということが良く分かり非常に参考になる。
ジェフ・スキリング自身のキャラクターは非常に魅力的であり、カリスマ性も高いと思った。
従業員も憧れ、ジェフ・スキリングの話に株主も魅了されている姿がよく表現されている。ジェフ・スキリングを批判する者はバカではないかとさえ当時は思われたのではないだろうか。
歴史上は悪党で終わった人物も多々あるが、きっとジェフ・スキリングのような魅力に惑わされ支持を集めたのではないかと思う。
ジェフ・スキリングの魅力は、まず卓越したプレゼンテーション能力と話し方にある。エンロンのビジネスモデルは誰も理解できなかったというか存在しなかったのだが、あたかもエンロンが金融工学を駆使して電力卸でしっかりと利益を出しているかのような実体の無いものをすばらしいものだと思わせるような詐欺師的能力。
話も面白い。カリフォルニア州を破たんさせるのではないかというほど電力価格を操作してカリフォルニアからボッタくったのだが、あたかも電力販売規制をしているカリフォルニアが悪いかのように世論をコントロールしてしまう話術。
ジェフ・スキリングが公の場ではこう話していた。
「タイタニックは沈む時に電気がついていたが、カリフォルニアは電気がつかないで沈んでいく」
会場は大爆笑だ。
こんな彼の話術がたくさん映像として残っている。
ジェフ・スキリングの過激さを求める性格も、上昇志向が強く成功を夢見る者を魅了する。
エンロンの役員が過酷な冒険をする映像が紹介されている。砂漠の中をバイクで永遠と何日も走る。大けがをする者も出るが、冒険心、探究心、危険な領域へあえて挑戦する姿勢というのは起業家に必要なことであるという信念からだ。
エンロンの社員も非常に過酷な競争に置かれ、多くが退職させられる。
ジェフ・スキリングは結局犯罪者なのだが、そのクレイジーで非常識な行動はやっぱり魅了させられた。
ジョージ・ソロスによる最新のバブル崩壊の理論とその後の世界経済の予測、そしてソロスの投資哲学について書かれた本である。興味深いのが2008年3月までサブプライムローン問題のあとのポジションと戦略について日記風に書いているところ。
まず最初に松藤 民輔という投資家が序文にある。松藤 民輔については以前NHKで見たが、米国で金鉱を買い発掘している元投資家だ。インタビューで金鉱発掘にビジネスモデルなんか無いといっていたところが興味深かった。単純に儲かるかどうかというよりシンプルな理論で動いているように思えた。
さて、松藤 民輔の書いていることはよくわからない。投資にソロスのような哲学が必要だとか、哲学、歴史が無いと相手にされないとか。ただ、読み進めるうちにわかった気がしたのは、一部の人間によって世界の金融市場は支配されているのではないかということである。
さて、ソロスの哲学もまたよくわからない。これはさまざまな書評を読んでもわからない人がいるようだ。再帰性という理論ですべて説明しており、バブルになって経済が膨らんでもやがてマイナスに暴落し、均衡点に達するという説明のようだが、それがどうもわかりずらいし、そのような理解で好いかもよくわからない。日々の裁定取引、スイング理論に近いのではないかと思った。
ソロスの過去の手法を自己分析しているのも非常に面白かった。イギリスのポンド空売りで1日で数千億円儲けたことやアジア通貨危機でもボロ儲けしたことは有名である。ただ、これも金融ビジネスに深く携わっているからこそ入る情報とソロスならではの独自の理論に基づいたかなりリスクを取った投資であったと感じた。最も自分であればソロスのような投資をするといかに多くの人に迷惑がかかるかを考えてしまうが、ソロスの投資哲学の中で倫理感はさほど感じられなかった。
ソロスも書いているように金融市場というのは米国に都合が良いようにできている。米国はドルを刷れば良いし、米国の利益が最大になるように動いていることについても言及されている。未開発国(債務国家)が損をする仕組みであるとはっきりと言及しており、資本主義世界において、公正な競争原理が無いことを問題ともしている。
他方、サブプライムローン問題以降は米国の株、ドルを空売りし、中国、インドといった新興国のポジションを増やしていることを言及している。これについては自分もソロスがこの本を書いていた昨年末から今年の春にかけては同じ気持ちであった。
ただし、ソロスが先に書いたように米国が引き起こした金融恐慌であるにもかかわらず米国の被害が相対的に少ない。中国、インド、そして新興国の通貨は悲惨な結果となっている。最もソロスはもっと長期的視点から言及しているだけにすぎないかもしれないが。
さて、3月までの日記風ではソロスは日々デイトレーダーのように売買し損失を出していることを公開している。リーマンブラザーズが過小評価されているので買ったなど。
自分なりに解釈すると、ソロスのすごさは手に入った情報を自己哲学に照らし合わせ、リスクを取って行動することである。ソロスの日々の投資の日記を見て、ただのデイトレーダーとあまり変わらないような姿も見れた気がして、自分の行動に自信を持とうと思った。
ジム・ロジャーズによる投資による中国攻略法の本である。ジム・ロジャーズというと最近では新聞などでもたまにインタビューが載っているが、中国に対して非常に楽観的なポジションを取っていることで有名である。本人も米国から中国に住まいを移し、娘には中国語の教育を徹底している。これからは中国語が必須であるとも言っている。
そんなことから、この「中国の時代」に関しては多くの書評で中国ひいきだと書かれていたのだが、読んでみると自分はそうは感じなかった。
むしろ、この本は中国の各企業、各市場、文化を徹底して洗い出したデータブックであると感じた。ところどころにあるジム・ロジャーズの主張も決して楽観的なだけではない。不動産、株のバブルについても言及している。
読者はこの本のデータである過去のトラッキングレコード(GDPの成長率、車の普及率など)があまりにも先進国と比べて優れているため、ジムが中国びいきだと感じたのかもしれない。
ジム・ロジャーズのこれまでの主張は最近になって非常に説得力を感じる。「商品の時代」でもあるように、コモディティの重要性は長期的には上昇するだろうし、金(ゴールド)についても注目している。逆に米国経済が復活するのは非常に怪しいと思う。
自分も米国経済が悪化するのは昨年から予期していたが、想定外であったのは、今回の金融恐慌の震源地である米国の株式市場よりも日本や新興国のほうが遥かに悪化していることである。単なるデカップリング理論が成り立たないことによる新興国への影響というのでは説明がつかず、各国の株式市場の厚さ(参加プレイヤー数、売買代金、時価総額)といったことの影響がここまで大きいのかということの驚きである。同時に市場は効率的でも無く、正常に機能さえもしないということが十分にわかった。また、通貨もドルが悪化するよりも、欧州やその他先進国、新興国の方が価値下落が激しい。円高というはドルも実は高いので相当円が強いのだと感じる。
さて、この本を読んでみて、日本や先進国の大企業には無い中国個別企業の急成長は十分にあり得ると思うし、中国市場の可能性も感じられた。同時にこれから中国を襲う不動産バブル、そして政治リスクにも十分な注意を払いながら、自分も新しいポートフォリオを構築して参戦しようかと思う。
アップルの創業者スティーブ・ジョブスの偉大な業績について書かれた書物は多い。読むたびに、その洞察力と神秘的な人間性に惹かれた。だが、神秘めいた点や偉大さばかりが強調されているとも感じていた。
無謀な売り込みで大勝利した逸話や、インドにバックパッカーとして放浪した逸話とか色々あるが、この本では大胆なだけでなく、横柄であったり、時には狡猾な交渉場面の紹介があり、勝利のためには手段を選ばない姿や、マスコミを利用した容赦ない攻撃の姿があって、これまで知らなかったスティーブ・ジョブスの一面が見れた。
勝利のためには、キレイ事だけではいかない。突出したアイデアだけで成功できるわけではない。泥臭い地道な努力、執着心というものが大切というのはよくわかっているはずだ。
ビル・ゲイツに関しても様々な悪どいビジネス手法、政治力を徹底して利用したことが紹介されている書物が売れた。
スティーブ・ジョブスの場合は、決して敵には回したくないような恐ろしさを感じたが、同時に成功者、世界を変える人間というのはこういうものなのだという偉大さにますます惚れた。
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「資産を日本円ベースで100%持っていて良いのだろうか?」海外出張に行くたびにそう思った。
低金利で塩漬け、成長性の見込めない株式市場、そもそも将来死ぬまで日本に住み続けるのか?なんて社会人になってから考えていた。
世界にはまだ多くのエマージング・マーケット(新興国家市場)があり、調べれば税負担・金融商品の取引コストも違う。
株を買ったら本来配当を貰い続けるか、株価が上昇して現金を持つより良くなければ意味がない。その前提でもパフォーマンスに影響するのは税負担と取引コストだ。
そこまで考える人にとっては海外に銀行、証券会社の口座を持ち、多様な金融商品を取り引きするのがとても有意義だ。
もし、自分の将来の給与数十年分を担保にマイホームを買い、コツコツ働いてその後借金を返していくという先行幸福取得の奴隷型人生を選択するのであれば、海外投資の余力はあまり無いかもしれない。いやそうだったらむしろ、ローンの金利支払以上は稼ごうと思って、ハイリスク・ハイリターン金融商品を買うかもしれない。
個人的には、多様なミューチャルファンド、ETF、コモディティ関連(石油、穀物連動)の商品知識が欲しかった。コストのかからない金融商品を持ち(レバレッジはかけない)、年率10%の利回りを目指し、7年後2倍、25年後に10倍の金融資産を持つことを目的としている。
自分の知らなかった、というかこんな金融商品があったらなと思うのがあって、最適なポートフォリオが組めそうだ。
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オフショアの銀行、海外証券会社の口座開設が詳しく書かれている。これまでは、マニアックな個人投資家の間だけの話だったのが、このような一般向け書籍になるとは時代は変わったものである。
自分も数年前に海外の証券会社の口座を開設したが、提出する書類の意味がわからず、海外の銀行の送金など手続きも調べながらで随分苦労した。ネットの掲示板で質問をしたり、海外に大金を送るのは不安だし、よっぽど海外に口座を持つ必要のある人でないと、その労力が投資効果に見合うか疑問だと思った。送金コストや為替リスクもあることだし。
しかし、この本ではそのような海外に口座をつくりたい人が直面するであろう疑問に全て答えてあり、海外の口座をつくるのがいとも簡単にできてしまう。
海外の口座にアクセスしたら、次はどんな金融商品を選ぶかだ。もちろん日本では買えない魅力的な商品を買わないと一般の個人投資家(学生、サラリーマン)は意味がない。資産家や中小企業オーナーは別の意味で海外に資産を移動したいというニーズがあるのだろうが。
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これもまた挑戦的タイトルだ。「英語は絶対勉強するな」ほどではないが、今までの英語学習法を否定している。
本屋でランキングトップでやたら売れているようだったので、思わず買ってしまった。
やはり英語が必要な人が多いことが分かる。そして、英語がいくら勉強してもものにならない人がほとんどということも認識させられる。
勉強すれば少しずつ上達して進歩する。多く学習すれば加速度的に上達するというのが経験上わかっている。
この本の逆から学ぶというのも、上達の過程で辞書が英英辞典が使えるようになり、TimeやBusinessWeekの雑誌、英字新聞が読めるようになると加速度的に上達する。
これがこの本の筆者の言うところの脳の働きなのだと思う。
そして、留学生や長期駐在者が日本に帰国すると急激に英語力が落ちるのは、日本語が中心になってしまい脳の中の働きが変わってしまうからだろう。
なお、CDは、聞くだけで
・記憶力アップ(海馬が情報の出し入れをしやすくする)
・問題解決力(IQ)アップ
・自己実現力(自己イメージ)アップ
とかいうから怪しいんだよな。
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実はこの本の題材にもなったファイナンスの講座に1回だけ出たことがある。実践的で具体的な事例をベースに説明されていて結構ためになった。講座はファイナンスのまったくの初心者はいないようで、M&A担当者や証券会社勤務の人が多かったようだ。
バリュー株の株式投資で有名な某事務所の人も参加していたのだが、訳分からない質問をして失笑されていたのを思い出した。
そっちのバリュー株の投資のセミナーというのは数十万するらしい内容なのだが、やる内容はファイナンス入門(DCFによる価値算定)がメインで、インデックスや投資信託の買い方はやらないとのこと。アセット・アロケーションも知らないようで、株の投資ブームの中でファイナンスによる理論株価を出す方法とバフェットブームが受けたのでしょうな。
まあ、レベルが違う感じでした。この本の元のファイナンス講座は値段も安く、内容は実践的でかなり良い内容だった。
株の投資という趣旨では無い内容で、ベンチャー企業の資金調達からM&A、アドバイザリー業務の内容までわかって非常に内容が濃い感じだった。
最近では、企業の財務担当者のレベルも上がってきている事を感じる。MBA取得者が増えたおかげか、外資系金融機関が国内に入ってきてかきまわしているおかげか、スティールパートナーズのような敵対的買収前提の株取得の恐怖のおかげなんだか。
他方で、ファイナンスをまったくわかっていない上場企業も多数存在する。既存株主価値を既存する資金調達や銀行借入を増資で返したり、フロント企業に入り込まれたりと。
この本は恐らくベンチャー企業から大企業の財務部の新人~中堅まで幅広く読まれるだろう。
読みやすいので。
最もこれくらいの内容はプロだったら本当は知らなかったおかしいし、最近は専門書も多く出てきているのだが。
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最新作はこれまで以上に一般投資家がグローバル投資を行う実践の指南書として書かれている。まったくのゴミ投資家だと読んでもわからないだろうか、当ブログを見ていてで多少ファイアンスに興味がある読者なら、理路整然とした投資理論に納得できるだろう。
まあ、初心者でもPERだとか、インデックスだとか、アセット・アロケーションについてまたこの本で復習もできるのでゆっくり読み進めていけば良いのだと思うが。
逆に金融理論や金融商品知識が無いままに投資をするのがどれほど恐ろしいか改めて気付かされた。
特に金融商品の紹介が非常に豊富だ。手数料の安いインデックスやETF商品だとか、楽天証券でも買えるiSharesは国際分散投資のインデックス派にはなじみ深い(それでも一般投資家は知らないか)が、REIT(不動産投信)や更に為替やコモデティ関連商品があり、市場とは逆の動きをする金融商品についても紹介されているのがすごいと思った。
これだけネットで情報が氾濫しているのに、ネットで多数いるマニアの個人投資家の情報を集めてもかなわない有力な情報だ。
世界的な株安、コモデティ高騰、ドル安、不動産価格下落の中、例えばインデックスと逆の動きをする商品やREETと逆の動きをする商品も載っていた。
要するに空売り(Short)を現物でできる商品ということで、昨年のサブプライムローン以降買っていたら資産を大きく増やせただろう。
ところで今、円高が進んでいる。このタイミングで銀行で外貨預金に資産を移す人が増えていて銀行のシステムがパンクしそうという記事もあった。米国の巨額の貿易赤字、インフレ、原油高、金融危機、インフレ、失業と怒涛に押し寄せる問題の数々から、ドルがまるで紙くずのようになっている現状だ。下落速度はゆっくりと確実に進んでいるのではないか。
以前から指摘しているように、ドルが各通貨と実質的に固定されている状況がおかしかった。この点も本書では触れられており経済学では説明がつかない、国家の関与(円キャリートレード)によって円とドルも実質的に固定されていた。
そもそもドルは刷られ過ぎで世界にばら撒かれたが、ウィスキーを水割りにして量を増やしてもウィスキーの量(価値)は変わらないのと同じで、実質ドルの1$当たり価値は薄まるだけなのだ。
さて、この本では資産が300万円の現金しか無いサラリーマンがプライベートバンクを利用する富裕層に対抗する資産運用を提案している。これが非常に面白い。
サラリーマンの生涯労働賃金を現在価値に割り引くところから話は始まる。ファイナンスの基本であるDCF(Discounted Cash Flow)で自分の生涯価値を出す訳だ。そしてその生涯労働賃金を国内安定収益とみなすと、アセットアロケーションとしては海外へのリスクマネーへの投資にすることでバランスが良くなるという独自の理論だ。
また、持ち家を痛烈に批判している。不動産の所持というのは、日本において特に新築というのは買った瞬間に価値が目減りし、その後も価値が下がり続ける。
少ない頭金で家を買うということは、レバレッジを掛けて価値の目減りする金融資産をポートフォリオに組み入れるという非合理なことなのだ。また「たまごをひとつの籠に入れるな」というアセット・アロケーション観点からも非合理である。
ここら辺は橘氏の繰り返しの主張であるが、具体例が豊富で投資イメージが抜群に沸くだろう。
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90年代後半の世界最前線の投資銀行を部隊に繰り広げられるグローバル資金調達を中心としたストーリーであるが、日本の都市銀行、日本最大の自動車会社のイラン工場を舞台とした資金調達、日本の総合商社が絡み、複雑な人間関係・憎悪から深いストーリーと実際の現場を体験した者しか描けない壮大な小説となっている。
トップ・レフトとはシンジゲーション・ローンの主幹事を獲得した者が表彰として左上に記される栄光を指す。
国際的企業のグローバル資金調達のスケールの大きさ、イギリス・シティにおいて繰り広げられる投資銀行(IB)の戦い、そしてIBの神秘性の秘密が解き明かされ、どのような実務が行われているのかが具体的にイメージでき、それだけでも興奮した。
世界を舞台に活躍するビジネスマンというのはやはり目指したい者と再認識させられたのだが、やはり相当な努力が必要だと感じた。また、プレッシャーも計り知れない。だがそれ以上の仕事の面白さ、やりがいのためにやっている連中の姿が描かれている。
この小説もまた、ハゲタカと同じで悪役が主役を食っている。主役は日本の都市銀行でエリートコースを歩んでおり、悪役として描かれるは、主役と同期で同じ銀行に入っておきながら、現場の苛酷な環境と侮辱・屈辱をひたすら耐え努力の末に米国系都市銀行に転職した龍花だ。
その銀行に対する恨みはIBでの成功後も決して癒えることなく、機会がある度に復讐を狙う。
かつての日本に尽くすという気持ちは消え、国籍さえも捨てた。
日本の銀行は弱体化しており、情けない社内派閥や既得権益を主人公も嘆く。他方、自動車会社は世界を舞台に過酷な競争を生き抜いている。だが、そこにも社内の既得権益を守ろうとする情けない人物が登場する。
金融知識をフルに使い、復讐のためのバトルが繰り広げられるシーンはすごい迫力だった。
日本の総合商社の金融機関としての役割がまたすごいと思い知らされた。総合商社もまた、日本の銀行とは違い、世界の過酷な競争で戦い、利権をひたすら求めている存在なのだな。
飛行機で読み終えたのだが、結末は衝撃的で数日間その衝撃が常に忘れられなかった。
こんなに読み応えのある金融小説は滅多に無く、こんな本があったらまた読みたいと思った。
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掲題とは無関係に思えるかもしれないが、最近こんな事件があった。
「アイ・シー・エフ、元社長ら4人を逮捕・不正株式交換容疑」http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20080213AT5C1300R13022008.html
記事によると事実上債務超過に陥っている会社を株式交換で買収する際に、DCFで企業価値を過大に評価した、デューデリジェンスをM&Aのために恣意的に行ったという文面である。
債務超過企業であれば、純資産がマイナスなので純資産方式では株価の算定はマイナスになる。赤字の会社であれば、PERによる類似企業との比較で株価が付けられない。
将来の利益を見込んで株価を算定するためDCF(将来利益を現在に割り引く)になる。
これは買収先の事業計画に基づくことになるが、計画通りに進むとは限らない。但し、今回のアイシーエフ(現オーベン)事件では、故意に高く評価して買収先企業から暴力団に資金が流れたことが決定的なんだろう。
ライブドアと類似されて扱われているのは、ライブドアは赤字企業を株式交換で買収させ事業再生させることに優れていた。違法行為としては資金の還流として株主の金を市場売却させ自社利益としたことである。
指南役として、元ライブドアの榎本大輔氏がいたようである。またライブドアを監査した田中慎一氏が逮捕されている。梁山泊が絡んだ事件は数年前からネットでは一般の者が魑魅魍魎な登場人物やファンドを独自に調査しており、それが週刊誌で取り上げられたり、警察が関連図をつくったりしていたのでいつかはこのように逮捕者がでる事と思っていた。実際、ネットで書かれている通りのスキームと登場人物での逮捕劇である。
しかし、これはずいぶんと分かりやすい例であるが、暴力団関連企業(フロント企業)が上場企業を食い物にするスキームはより複雑になっているので摘発が難しいと思う。
さて、掲題の本であるが、本の主題としては裏社会であるサラ金、マルチなどに嵌る人間の心理を科学的アプローチによって原因の究明をしており、ゲーム理論や心理学、さらには裏社会のあまり紹介されていない活動が書かれている。
この本の最終章には裏社会が上場企業を食い物にする物語となっているのだが、実際にある話だと思った。
それは、暴力団が上場企業の多数の株を買い占めて支配しているのだが、別の団体がその企業を食い物にする話で、一般人を数多く使うスキームが使われている。
実際、歌舞伎町ではフロント企業は一般人を活用する事によって、その存在を消したり、民主主義的アプローチを取っているように見せかける手口が使われる。
例えば、フロント企業がサラ金業をやり、一般人に金を貸し付けるが当然返せないので、その人間を奴隷のように扱うことが可能になるのである。
見聞きした話では、金を返せない人間は自己破産するのだが、その前に携帯電話やクレジットカードを可能な限り申し込みさせられる。それが裏社会で出回る。
だが、ここではさらにすごい物語で、証券会社に口座を作り、インサイダーを隠す手段として使われている。
こうなるとそもそも裏社会との関連を指摘するどころか追跡も困難になってしまう。
「亜玖夢博士の経済入門」は普通の社会人が読んでも裏社会中心と思うかもしれないが、もうかなりの部分で表社会と繋がっているのだと考えながら読むと有意義だ。
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「モンキービジネス」投資銀行(IB)で働くことをこういうらしい。
IBは銀行よりも証券会社よりも上位の存在である。日本でも外資が荒稼ぎしている。市場も破産したゴルフ場も銀行も荒らされまくっている。
この本ではIBで働き、絶望し、辞めていった2人の若者によるエゲツナイほど赤裸々に語った物語だ。
読むとIBの仕事がわかる。
ほとんどの仕事が資料を綺麗にまとめるために、フォントだとかグラフのデザインだとか本来どうでも良いことに随分時間が取られている。
やっぱりな。
彼らにとって提案書は見栄えが何よりも大切なんだろう。
IBの給料が他の仕事に較べて圧倒的に高いのには訳がある。会社がそれだけの利益を上げているからだが、なぜ利益を上げられるのかという根本的な問題は、実は競争が無いから、IB同士横並びだからだ。IBをやるには資金もいるし、新規参入が非常に難しい商売だからだ。
企業が成長するにあたり、M&A、資金調達が避けられないとすると、IBを使うしかない。
IBに限らず高給な仕事は競争が少ない。日本でも生保、損保、銀行と高給な仕事がバブル期には圧倒的な人気があり、今でも製造業、サービス業に比べ遥かに給与が高い原因は保護されていて充分な国際競争にさらされていないことが原因だと思う。
総合商社にしても同じ理由で給与が高いと思う。
給与水準はなかなか変えられない労務環境であり、これから国際競争が激しくなると日本では製造業だけが生産性が高く国際競争力が高い。生産性が高い反面労働は過酷で賃金は安いという酷い有様だ。
さて、IBだが、ゴールドマンサックス(GS)のすごさが雑誌「エコノミスト」にあった。サブプライムローン問題で米国金融会社が軒並み大赤字を出したのに、GSはなんと空売り(ショート)を仕掛け利益を出した。
2万人以上いる社員の平均ボーナス(給与含まず)は年間7000万円を超えている。(実際はピラミッド社会なのでトップが大きな取り分を得ているのだろうが)
賃金は年収1億を超えるのが当たり前のようだ。
日本の製造業の平均300万円の収入とは天と地の差だ。
この本を読んで分かったが、世の中に役立つとかそんなことは賃金に関係ない。生産性も関係ない。そして、頭の良さも関係無い。
ウォール街のインタビューでチャーリー・シーンやマイケル・ダグラスがIBの連中の性質に驚いていた。「金のために生きている連中」こんな人間が存在することに驚いたという風であった。超高収入のハリウッドスターさえも驚かした、金の亡者。人間性の喪失。
金融は本来さげずまれた商売だ。IBに限らず高収入な仕事が人気が高い世の中だが、何故高いのか良く考えてみると良い。
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田中森一といえば、山口組の弁護士でありであり、闇社会の守護神と恐れられたヤメ検弁護士であるが、最近本が多く出版されている。
「反転-闇社会の守護神と呼ばれて」が大ヒットになったからだろう。
バブルでもまた、検察として正義を振るっていた田中森一と山口組に仕えた田中森一の両面を開けっぴろげに披露している。
正義も悪でも真実はひとつ、山を登るのに正道と裏道があるようなものだと田中森一は考えている。
最近わかるような気がする。ヤクザもマフィアも無くならないし、警察のような正義と思われている者が強くなるとまたヤクザ人気も復活するという歴史を繰り返してきたからだ。
今上場審査においても反社会勢力の排除が絶対の事項に挙げられているが、それでもヤクザは巧妙に上場企業に入り込み、支配する。真っ当な企業もまた金のため、保身のためにはヤクザを利用する。
そういった世界に生きているんだと自覚する。
バブル | |
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島田紳助に対する評価が高いので読んでみた。確かに島田紳助はスゴイ。
以前の事件からすると、カッとなりやすく自己中心的な人物と思っていた。その性格に変わりは無いだろうが、それは悪い側面であり、逆に高い能力も有することがわかってきた。
テレビでは巧みな話術を見ることができるが、テレビタレントというのもまた島田紳助の側面でしかない。島田紳助は投資家・実業家として、株・外国為替・不動産投資、飲食店経営を行い、テレビ活動以上の成果を出しているのだ。
自己の現状に満足している人がいたら恥を知るだろう。
島田紳助の成功には彼固有の能力があるのかと言えば、そんなことは無いと思った。
むしろ島田紳助は学力も教養も無かったのだ。しかし、地道な努力、分析、研究、そして目標を立てることによって、金の成る木を今収穫しているといったところだ。
結局成功のためには、身も蓋も無いようだが、日々の心がけと努力という姿勢が一番大切なのだと改めて実感した。
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資本主義経済というのは、成長を前提に成り立っているものだが、成熟産業ではゼロサムゲームであり、熾烈なシェア争いになる。
あらゆる成熟産業は少数企業の寡占化に陥い衰退していくのだと思う。成熟産業は戦国時代のような過酷な領土の奪い合いにより、勝ち残ったものが市場を支配するという結果になるんだろう。
半導体産業というのは新しい産業であり、成長産業でもある。まだ30兆円程度の規模であるが寡占化になってしまっている。
特殊な構造であるのは、他の自動車産業などとは違い、製造装置メーカーが生産を支配する構造となっていることだ。半導体製造装置(EQ)メーカーは、かつては日本企業は存在さえしなかったのが、今では市場シェアのほとんどになっている。
他社の技術のコピーだったり、半導体メーカーとの癒着だったり、研究開発努力だったり色々あるだろうが、激しい国際競争を乗り越え、ここでも寡占化が進んでいった。特に前工程は特定の業者が特定の工程を抑える形で巨大化していった。ターンキーと呼ばれるように製造装置を入れることで生産ができるような設備産業なのが半導体業界だ。
そして、製造装置は競争を繰り返し、他社の追従を受けないレベルへと技術開発し、半導体メーカーの設備投資を促す新機能開発を繰り返したせいで、400mmシリコンウェハーレベルでは、設備投資できる体力のある企業の数も減ってしまった。
装置メーカーの努力が半導体メーカーの寡占化を進め、結果として衰退産業になっていくのではないだろうか。
太陽電池にしてもEQがターンキー化しているため、最近では金のある中国企業の台頭が目覚しい。
泉谷氏の「日の丸半導体は死なず」を読んで、本文にはもちろんそんなことは書かれていないがそう思った。そういう解釈をされると筆者は困るだろうが。
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大前研一の新書「心理経済学」を読んだ。大前氏がBBTでもずいぶん時間をかけて書いたと言っているとおり、近年の著書の中では抜群の内容だと思う。
読んでいて、ふんだんにデータを用いて、マクロ経済学の理論では通用しない現象を日本人特有の心理現象として分析している。
ケインズやクルーグマンの理論の通用しない現象など非常に面白いと思った。
例えば、1500兆円というGDPの3倍もの貯蓄をゼロ金利に近い利回りでしか運用しない日本人特有の現象。これなんか自分も疑問に思うところだ。世界的には10%以上の利回りで運用するのが当たり前だと思うからだ。リスクフリーレートで考えても6%とか無い限りは、貯蓄は実際には目減りしていると思うからだ。
日本人の円安歓迎思考についても経済学的に考えると本当に馬鹿げているし。
さて、このような日本人特有の心理現象と世界の一般的な思考方法とを比べる事によって、様々な問題点が浮き彫りになると同時に、ビジネスチャンスというか金儲けのタネを見つけることが出来たんで、お勧めです。
但し、データとか引用にソースが無いのは相変わらずで、論文としては全く通用しないものなんですけど。個人的には、大前氏の将来予想はどうでも良くて、過去の分析に重点を置いて読むと良いかと思います。
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梅田氏の「Web進化論」はインターネットビジネスに深く関わった身からは、違和感を感じる点があった。それはgoogleなど新しいネットの世界を「あちら側」なんて呼び方で、リアルビジネスと境界があるような表現があったからだ。もっとも立ち読みですけど。
Blogとかコメントでは若者から大絶賛だけれども、何だかネット自体が美化されて見られているというか、既存ビジネスと違うものと思われていないかと思うような発言が多かった。
他方、「2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?」は生々しいというかリアルだ。ネットビジネスの暗黒な存在を運営してきた者と、キレイなネットの世界だけを評論している者の違いか。
キレイなネットのビジネスというと、若者はmixiやDeNAや米Googleみたいな存在にあこがれるだろうけど、同じような企業文化やビジネスモデルのほとんどが実は食っていけていない。そもそもWeb2.0というこれまでのネットとの違い(コミュニケーション型)があまりインパクトが感じられない。ケータイはちょっとすごいものがあるけど。
ところで、この本のひろゆきの発言はすごいですね。実際には、「あちら側」が「こちら側」の自治を乱すと痛い目に会うというのがリアルに伝わります。ネットに深く関わっていない人にはなんのこっちゃという感じの徒然になってしまいましたが。
「Winny作者の逮捕は不当逮捕」
「ホリエモンの逮捕も国策」
「オープンソースはしょせん商売」
「市民ジャーナリズムは、そんなもん無理」
「インターネットの基本は弱肉強食」
「ネットの公共性は幻想」
「googleの技術力はたいしてない。マーケティングだ」
「ウェブ2.0はマイナスイオンと同じ」(儲けるためのイカサマ)
「googleの精神はきれいごとばかり」
「mixiの株価はどうかんがえても高すぎるし、上場すべきではなかった」
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ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書) | |
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リクルートは訳のわからない怖さがある。人材輩出企業と言われるが、それは認めざるを得ない。
たいしたビジネスモデルでは無く、マネも簡単にできるし、いい加減なイメージの会社ではあるが、儲けている。
それは人材の能力が高いからだろう。そして、江副が最も力を入れたのが人材を稼げる人材に育てる社風をつくることだった。
江副は能力は低かったようだ。それがまた驚いた。自分よりも遥かに優秀な人材があつまる企業。
理想的だと思う。
リクルートのDNA―起業家精神とは何か | |
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田中 森一については以前から興味があった。凄腕のヤメ検であり、山口組など裏社会の弁護士として有名だからだ。
田中 森一がつけているバッチは菱形(山口組の紋章から)とまで言われていた。
読むとやはり貧しい島育ちであるが、検事出身なので正義感に強く真面目な人間かと思っていたがどうもそうではなかった。
地方大学に入学し、そこではかなりヤンチャで自己の理念というものも無く、向上心と虚栄心を満たすために勉強し検事になった感じだ。
検事時代には政治圧力には一切屈せず。それは正義感からというよりも、自己満足の世界のような気がする。
東京地検にうつってからは、現場主義とはかけ離れた官僚主義による検事のシナリオを最優先させる行為や学歴主義に嫌気がさす様になる。政治犯罪も、政治家や官庁の圧力によりもみ消され悲観することとなる。
そんな人間性故に裏社会にすんなり入っていったのも理解できる。検事にとっては暴力団なんて怖くないんだろう。
しかし、20代後半から彼の人格と能力は開花したのだが、その後の能力の高さ、スキルアップについては非常に参考になる。
もっとも、今の僕らの世代には田中 森一のようなハングリー精神は無いだろうけど。自己実現の追及だとかエゴの強さとはまた違うものだと思った。
地検の国策調査や過去の政治家や住友銀行がらみのもみ消された事件の全容を知る事ができ非常に面白い。ヤクザや総会屋など裏の世界も知る事ができとても興味深いと思った。
反転―闇社会の守護神と呼ばれて | |
![]() | 田中 森一 幻冬舎 2007-06 売り上げランキング : 8 おすすめ平均 ![]() ![]() ![]() ![]() Amazonで詳しく見る by G-Tools |
宮内 亮治といえば影のライブドア支配者という認識である。ホリエモンとは結局仲たがいしたが、どのような人物か興味があり読んだ。
他の本で紹介されている宮内 亮治像とはずいぶん違った感じだ。
やはり高卒で貧しかったせいか、非常に向上心に強い。他の本ではフェラーリやヴィトンのスーツなどずいぶん成金ぽい面も強調されていたが、本人は否定。
仕事命みたいな主張が一貫している。
しかし現実にポルシェ、フェラーリ、六本木ヒルズ住まいだったので、やはりカネは好きなんだろう。
本書を読む限り反省の色無し。
合法だと思ったが、捕まった位の言い訳がましさ。
ビジネスセンスはあるのだろう。ただ、もう新しいビジネスを始めておりそれは中国でのアウトソーシング事業のようだ。犯罪者が返り咲けるのかちょっと興味有る。
日本電産創業者の永守重信氏の言葉である。「すぐやる、必ずやる、出来るまでやる」これができたら何事も成し遂げられるし、成功するのだが大抵の人は「すぐやらない、いつやるかわからない、出来るまでに投げ出してしまう」
他にも、「情熱、熱意、執念」「知的ハードワーキング」「叱って育てる」といった素晴らしい銘を永守氏は産み出している。
徹底した人間教育に定評がある。
「叱って育てる」というのは「褒めて育てる」のと正反対である。今の時代は褒めないと駄目とか言われているが、徹底的に叱るらしい。「クソー、このガキ」と思う心を呼び起こし、闘争心と反発心を植えつけるほど叱るというから、すごい。
そこまで叱られるとなんか途中で投げ出したりする人が多そうだと思うんだが。
また、M&Aも積極的に行い成功させ企業を急成長させた。
氏の銘からもわかるように、非常にシンプルな経営を行っており、需要がある商品をつくっていれば赤字にならない、それでも赤字なら赤字にする問題があるのでそれを潰すだけと言う。
シンプルでわかりやすく、とても説得力がある。
日本電産 永守イズムの挑戦 | |
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引き込まれるキャッチコピーである。実際自分はコピー用紙の裏をセコセコと使っていし、文具品をカタログでまとめて頼むな、とあるがアスクルで頼む。もっとも単品で頼むが。
本書の言いたいところは、コスト削減が実際にはコスト増になることもあるし、売上が減ってしまう場合もあるということだ。数字を見るとコスト削減はわかりやすい。売上は受注見込みがあって初めて見えてくるが、経費は削減計画どおりに進むから。
だが、数字では見えない負の効果がコスト削減の影にある。
セコイ会社だと社員の士気が落ちるではないか。
そういった意味では、この本の筆者の概念に賛成である。
経営者はセコくてはだめだと思う。大雑把でも金の羽振りの良い人が好かれるし、人望を集める。働いていてもそういった人の下であれば、それ以上にがんばろうとするもんだ。
まあ、この本は大阪じゃ売れ無そうだ。
昔吉本興業の社長が未だにテレビが白黒で、電話は自分からは掛けない。必要だったら相手がかけて来るし、自分から書けたら電話代がかかるなどと言っていた。
超セコっ。
こういった会社じゃ働きたく無いね。
全ての蛍光灯から紐が垂れてて、昼休みになったら自分の分の蛍光灯は消すという会社もあった。酷いところは蛍光灯のスイッチに社長がこんな張り紙をしていた。「無駄な電気つけるな!バカ!」
大阪で書籍は割引販売できないにも関わらず、値引きで粘ってレジに行列をつくっているおばちゃんがいた。結局輪ゴムをつけてもらって満足していた。
ライブドアは東京の会社だったけど、鉛筆など事務用品は社員が自腹、パソコンも自腹(一部支給)、IP電話の本体も自腹、接待費一切無しだった。営業マンの電話代も固定でいくらかだった。
他にも個人的な経験から大阪出身の会社はがめついところが多かったので、付き合いたくないのです。
コピー用紙の裏は使うな!―コスト削減の真実 | |
![]() | 村井 哲之 朝日新聞社出版局 2007-03 売り上げランキング : 194 おすすめ平均 ![]() ![]() ![]() ![]() Amazonで詳しく見る by G-Tools |
ジム・ロジャーズは最もあこがれる生き方を実践している投資家だ。わずか10年間で投資額を数千倍にして37歳で引退したのであるが、その後もバイク、車で2度も世界一周をしている。
その物語は本になり、旅をしながらも各国の経済について深い分析をしている点はさすがだと思った。
また、最近は新聞で読んだが2歳の子供には英語と中国語を徹底して教育している。中国に関してはかなり分析しており、また高く評価している。
そんなジム・ロジャーズの本を買ったらDVDがついていた。というかDVDしか見ていないが。
講演はさすがにすばらしく、目からウロコの投資観念や旅の様子、コモディティ投資についてだ。
いやー、買ってよかった。
株式ばかりに目が行って、株と投資信託で世界中に分散しておけばリスクマネジメントできていると思っていたけど大間違いであると、まあ聞けば当たり前に思えてくるのだけど理解できてよかった。
あとは、通貨についての心配もやはり答えてくれていた。自分の場合円建てで国内の株を結構買っており、また米国の証券会社で世界分散の投資信託、グーグルなどの株を買っているのだが、結局ドルと円という通貨が崩壊したらなどと不安があった。
ジム・ロジャーズは2歳の娘にはコモディティ投資をスイスのプライベートバンクで運用・保有して将来の資産形成をしてあげているそうである。
英語も聞き取りやすいので、mp3にうつして何度も聞いている。
冒険投資家 ジム・ロジャーズが語る 投資の戦略 | |
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ソニー盛田昭夫氏の自伝をゴルゴ13のさいとうたかおが漫画にした「Made In Japan」を読んだ。喫茶店に置いてあって読んで、面白くて早速購入した。
ソニーの反映はやはりすごいものがあったと改めて感じた。政治・経済的にはアメリカがおかしかったのかもしれない。冷戦とベトナム戦争によって当時のアメリカはかなり弱体し、人々の精神も病んでいたのだと思う。
盛田氏は、当時のアメリカの訴訟問題から、拝金主義の強いサラリーマン感覚、CEOの権利の巨大化を問題視していた。そしてソニーを初めとした日本企業は、長期ビジョン、終身雇用、稟議制など正反対の政策で当時の高度成長時代にマッチした政策を採りながら著しく発展した。
ところがソニーは撃沈した。それはこの本の後の話ではあるが。というか日本全体が泥沼の不況に陥り、アメリカの覇権が復活し経済も急成長した。
やはりそのような時代背景が企業に反映されるのだと思う。
バブル期に入社したようなサラリーマンの多くがアメリカに憧れを持っている。そして2000年以降ぐらいから入社したサラリーマンの多くが正反対にアメリカンドリームは幻想であるということを知っており反米思想が広がっている。
バブル期の連中が欧米の外資系企業にあこがれているのと正反対に、最近では外国人に使われるのを恥と思う若者が増えている。
これはアメリカへの親近度という年代別調査結果にも出ていて面白いのだが。
さて、今また日本企業が復活の兆しを見せてはいるが、いまだソニーの復活は程遠く思える。
ソニー躍進の原動力となったWALKMANはもはや売れない。以前は携帯型音楽プレイヤーはWALKMANで通用したものが、いまやiPodという言葉に置き換わってしまった。
事実iPodのほうが遥かにすばらしい。そしてソニーらしい。
製造プロセスに関してはもはやiPodはソニーとは程遠いのだが。Designed In Californiaとあるように、企画・設計のみカリフォルニアという世界で最もハイテク頭脳の集まるシリコンバレーブランドという価値を訴求している。製造は台湾だ。調達は世界中だ。
Made In Japanというブランドイメージよりも遥かに高いイメージを持つ。
さらに、iPodではスイッチ(ボタン)が無い、これまでHDDやフラッシュメモリといったどこよりも先に新しいものを開発しているというスタイル(以前はソニーだった)から高いブランドイメージを持っている。画期的であると誰もが思う会社というブランドをアップル社はスティーブ・ジョブスという孤高の天才によって築き上げてしまった。
ソニーはダメだ。
でもまだ手に入れていないがプレステ3を期待しているのだが。
劇画Made in Japan―Comic version | |
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この本は驚いた。これまで報道されていた事実だけを捉えていたが、現実はもっと深かった。そして堀江の証言が続く中、この本に書かれている事実と一致しているのが驚く。
堀江はこの本と本人の証言が事実ならば、無知であった。読んでみて、事実やはり堀江は無知であったと感じた。かといって経営トップとしてその責任は重大である。
本書によると、堀江は選挙活動、芸能活動に勤しみ、M&A案件については訳も分からず了承している。リスクの伴う貸し株に関しても了承しており、無知だったと考えられる。
その他方、ライブドアM&A案件には楽天の国重副社長が不正もしくは怪しい内容であることを記者にリークしている。敵対していた楽天から検察に流れたのであろうか。
宮内に関しては、朋友である中村(共にY高同級生)と共謀し、ライブドア自社株食いプランを練り、更に堀江の証言により宮内、中村が香港の銀行を使い横領しフェラーリ購入していた事実が明らかになっている。この横領に関して検察が抑えていなかったはずもなく、更に自社株食いなどのスキームで宮内、中村と共謀し、沖縄で謎の死を遂げた野口についても調査があやふやになっていることを考えると、検察は堀江逮捕のため司法取引であった疑いが強い。
今後の裁判の行方を見守りたいが、宮内の横領(本人は借りていただけと主張)も明らかになり、検察が国政捜査として市場を脱法的に利用していた堀江と村上を逮捕することを当初から目的としていた可能性が高い。
堀江、村上に積年の恨みを持つものは多い。フジテレビを初め、既得権益を持ち、政治家と深いパイプを持つ企業経営者、政治家を中心としたグループであり、彼らの力が働いていることを感じさせられる。
また、ライブドア、楽天のメディア買収も、単に株で儲けたかった村上の悪知恵であったことが明らかにされている。
村上のメディア向けの発言はあくまでも建前の正義感であり、実際は金に対する執着力の強すぎるグリーンメーラーであることが明らかになっている。
村上逮捕は宮内の検察での取調べから結びついているが、当たり前のようにインサイダー情報でこれまで村上が利益を上げていることが明らかになっている。TBSの株も結局楽天三木谷はだまされた形でつかまされている。
フジテレビを鹿内家から乗っ取り牛耳る日枝にしろ、堀江逮捕にかんでいたのかと感じさせられる。フジテレビはライブドアとの和解のさいデューデリジェンスを行いライブドアについて調べこんでいるのである。
この本を読み、成り上がる者、脱法的に既得権益を持つ勢力を脅かすものへの圧力の恐ろしさを感じた。また、最も恐ろしいのは権力を持つ検察であり、SAPIOで田原総一郎が連載しているリクルート事件でも明らかになっているが、強引かつ検察のシナリオどおりに能力のあるものが消されるという力に震え上がった。
もっとも一般市民は、既得権益の勢力を脅かすこともできないし、彼らのために金を使い、彼らはますます肥えているだけなのだが。
ヒルズ黙示録―検証・ライブドア | |
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話が長い人に読ませましょう(笑)いるんですよね。話だけが異様に長い人。
営業でもいる。お客さんが話そうとしているのに、さえぎってまで自分の話をする人。
会議でもひたすら話す人。当然嫌われるし、簡単に済む話も長いのだから、思考回路からして当然仕事も遅い。
この本は、ソフトブレーンの宋文洲であるところがまた興味をそそった。
ライブドア事件や村上ファンドに対する意見もある。
当たり前のことであるが、日本は競争社会であるべきということについて言及している。格差があって、能力の高い人、成功した人とは生活レベルや所得は異なってくる。一部の成功者に対する羨望が一般人の努力を促し、世の中が活性化するのだ。
だが、格差がいけないとかそんな話が多くないだろうか?
一般人というのは、世の中を変えることなんてできないと思っているのだが、日本でこうやって平和に暮らしていけるのは世の中を動かしている人のおかげだと、本当は感謝しないといけないと思う。
日本の一般人のレベルというのは、アフリカや東南アジアの発展途上国の市民と対して変わりはしないのだ。環境が良いだけだ。
意識はもしかしたらもっと低いかもしれない。
だから、格差社会というのは大切なのだ。
話が長い人に告ぐ!
テミジカに。
仕事ができない人は話も長い | |
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マネーロンダリングとは資金洗浄のことであり、Money Launderingという語源の通りラウンドリー(洗濯機)で洗うかのごとく汚れた金が綺麗になるスキームのことである。
つまり、犯罪や脱税という不法に入手した金を、正当な金へと変える手段である。
方法としては、昔は銀行の口座が匿名でも作れた時代は、匿名で複数の名義でつくるなどあったが、法律が厳しくなるにつれ複雑なスキームになった。
今では、必ず海外への送金が伴う。海外の匿名性の高い銀行(ゴルゴ13は必ずスイスの銀行に振り込ませていた)やタックスヘイブンにある銀行を利用する。金も日本円での送金や大金の海外への持ち運びは困難なので、ドルに変えるだとか割引債券(ワリサイ)にしてより匿名性を高める方法を使う。
最近では、ライブドア事件、北朝鮮の海外口座凍結などもあったが、それもマネーロンダリングである。
具体的にはマネーロンダリングという題名そのものの小説とノンフィクションが出ているので読んでみるととてもよくわかる。しかも両方ともとても面白いのでお勧めだ。
橘玲の本はいわずと知れた、海外投資を楽しむ会などで、一般庶民でも利用可能なタックスヘイブンだとかを研究した人気作家である。小説ではあるが、その中で橘氏の脱税や海外口座申し込みのスキーム、土建屋が国の補助金を裏金に回した方法などたっぷりと知識を披露している。
舞台は香港であり、やはり金はヤクザと犯罪が絡んでいる。
後者のマネーロンダリングは、スイス系外資銀行が富裕層の金をこれまた香港に不正送金する仕組みから始まる。但し、その富裕層は実は山口組系ヤクザであり、闇金として年利数100~数1000%もの法外な違法金利で巻き上げた金を、外資系プライベート銀行ならではの匿名性や、日本と海外の税法の違いなどを活用して犯罪へと利用された実話である。闇金として大成功を収めたマーケティング手法、徹底したマニュアル管理から、脱税の為の宗教法人、食品会社、風俗店の経営を利用して不正な金がみるみる浄化されていくプロセス、複数の県警との協力体制から執念で追い込んでいく警視庁の生々しさも引き込まれる。
一般の人には関係の無い世界と思う無かれ!とにかく面白いので一度読んでみたれたい。
マネーロンダリング | |
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マネーロンダリング | |
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非常に有意義な内容だった。最も半分以上はMBAで習うファイナンスがベースなのだが、ど素人、これから株を始める人にとっては画期的な内容だと思う。
まず、テクニカル分析とファンダメンタル分析の熾烈な戦いについて書かれている。証券会社のセミナーや、ギャンブラー、売られている大多数の株に関する本がテクニカル分析なのだけれども、それは手数料で稼ぐ為という当たり前の話以上に、ほんの一握りの勝つ人と、大多数の負ける人に分かれるというのが再確認できた。宝くじみたいに半分近くサヤが抜かれるギャンブルを「馬鹿への第2の税」と呼んだり、「愛国者」とまで皮肉っているのには苦笑した。
ただ、著者の橘氏は、他の書籍からわかるようにリバータリアンの立場を取っており、株式市場にアクセスする全ての人を許容している。ニートのような者でさえ、株はギャンブルとしてはコストが低いので他のギャンブルをするよりもよほど社会にとって良いという立場を取っている。
それでも、働いたほうが良い(サラリーマンという自分が働くことの利益パフォーマンスが最も高い)と後ほど示唆していたが。
他の橘氏の本と根本の主張は一緒で、
「株式市場は効率に近く、多くの理論があるが、若干のゆがみがある」
というところだ。
効率に近い部分では、インデックスベースの投資信託で運用するのが最も賢い。アクティブファンドは、統計的にサル以下(ランダムに株に投資するより利回りが低い)ということも書いている。但し、この統計では期待値が乗っかっていない。ほんのわずかな一部のアクティブファンドはインデックスを遥かに上回るリターンを出している事実について書いていない。
結局統計を自分の主張に良いように使っていると思わせられる箇所がいくつかあった。
また、ケインズの「美人コンテスト」は習ったが再度思い出してくれた。コンテストでは自分が美人と思う人を投票するのではなく、皆が美人と思う人を自分も投票する。
株も一緒なのだと。考えてみると、そこが株式市場の現実との乖離に繋がっているのかと思う。
さらに、資産配分(アロケーション)はGDPの比率に合わせるべきという主張が画期的であった。多くの投資信託の本やFAは日本株をリターンの主軸と考えているのとは根本的に異なり、どこを選んでも同じだけど理論からすれば海外主流に分配したほうがリスクが分散する。
当たり前だけど、はっとした事実であった。
但し、株式市場や日本の税制には不合理な面が多数あることについても書いている。実はここの部分が興味があるのだが。かなり物足りなかった。ただ、ファイナンスを知らないで投資をする人は必須の知識が書かれている。
例えば、配当。配当は損だということはこのサイトでも何度も書いてきたことだが、配当は2重課税(税を払った後に配当を行い、さらに配当で税を抜かれる)と橘氏もはっきりと主張している。
橘氏はテクニカルをギャンブルとして楽しんできたようだが、結局真剣に金を稼ごうとしたら挫折していることがわかる。金融商品はあくまでも遊びと考え、金は執筆で稼ぐという結局リスク・リターンが最適な組み合わせに落ち着いているようだ。
臆病者のための株入門 | |
![]() | 橘 玲 文藝春秋 2006-04 売り上げランキング : 121 おすすめ平均 ![]() ![]() ![]() ![]() Amazonで詳しく見る by G-Tools |
以前セムラーという企業について紹介した。(セムラーイズム)
このセムラー社が従業員にとって素晴らしい会社であり、また会社としても売上など各種指標で素晴らしい実績を出していることを紹介した。
リカルド・セムラー氏は昔ながらの経営者と労働者といった対立関係のある古いセムラー社を世襲したときに、一気に改革を進めて行ったのだ。その後その経験を元にハーバード大学MBAに入り、MBA流経営を批判した。
MBAもセムラー氏の今までに無い組織論を研究し、今ではセムラー氏の取った斬新な経営手法はエンパワーメントやリーダーシップとして取り上げられている。
さて、この「奇跡の経営」という書物はリカルド・セムラー氏が著者だが、訳者の岩元貴久という人物がまた怪しい。
B2Cインターネット企業向けのサービスを展開してるのだが、思い返すと一度会ったことがあった。今日本支社が赤坂みたいだが、当時は恵比寿のマンションの一室だったと思う。
当時からアメリカで開発していた。それが何故か全員日本人なのにアメリカで開発だった。もう3年以上前だろうか。サービス自体は既存の技術だし、世の中によくあるサービスだった。
それが不思議だったのだ。何故コストの高いアメリカでわざわざ開発するかと思った。怪しいと思わせてしまうのは、米国で法人をつくって何かをする会社というのは日本に税を落としていないからとか、見えないからとか色々あるが、この会社はまたこの社長の岩元という人物の考えがまったくわからなかったからだろうと思う。
でもそういった人が実はとんでもなくすごい人っていうことも有り得ますな。一般の人が生理的に受け付けないような人が大物なのかも。
ただ、セムラー氏は会ったことはないけど、文章を読むととても好感の持てる人です。
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細野真宏の本は色々なところで批判されているのでそういうところを読んだり、調べたりしてみて。何故かGoogleで検索するとトップページに出るけど。
私自身は数回直接会ったことがあるだけ。しかもまだ自分が大学生で友人が合コンに連れてきた。でもそのときのことなんて全然覚えていない。パッとしない人だった。嫁はスッチーとか後で聞いたな。第一自分は細野真宏の本なんか読んだこともないし、塾の授業も取ったことが無いから。
ただ、その当時もかなり参考書が売れていたらしい。その本を見せてもらったら、数学の本なのだが、大学受験用とは思えないほど低レベルな内容だった。マンガというか落書きみたいな感じが沢山書かれていて、基礎的なことを教えるのに本を丸々一冊使っているという代物だった。
ここまでレベルを教えないと高校生は数学を理解できないのかって愕然とした。株の本、経済の本もすごい売れたけど、やっぱり低レベルだと思うし、株の本に至っては、色々批判されているように、チャート(テクニカル)なんか書いているし、数学の教師なのに複利やΒについて理解しているの?って思います。
細野真宏でググって来た人は、こっち読んだほうが良いでしょう。
おいおい間違っているよ細野!
それにしても、基礎的なことも知らず、良く本を出しますね。
呆れてしまいます。
稼ぐ人と稼がない人の差はシンプルなんだと思う。
稼ぐ人というのはやっぱり主体的に行動している。稼がない人は受身だ。
驚くことに1億も稼ぐ人がいる。会社が出せる給料というのは大企業、投資銀行でも3000万円程度だと思う。歩合であってもそれほど稼ぐには数10億を稼ぎ出さなければいけないだろう。
保険の歩合というのだったら以前は稼ぐヤツが結構いた。今でも稼げるほうだと思う。生保なんていうのは、人生で家を買うとかせいぜいその次に金を使うという認識が薄いから。使うか分かりもしないのに生保に加入してしまう。半分は契約者が馬鹿だが、半分は騙し討ちみたいなものだとも思う。
ところでサラリーマン長者筆者は会社からの給料だけでなく、自分の能力が会社以外に売れると気づいたところから始まる。その能力が仕事をしながら稼げる方法がいろいろと登場しているのだ。
だからやっぱり稼げるヤツと稼げないヤツの違いは、主体性によるのだと感じる。
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最近信長に凝っている。様々な文献を読んでいるが、やっぱり只者では無いと感じる。
父の葬式では灰を投げつけた。だが、これは自分を「うつけ」と思わせ油断させる戦略であった。
近代的、合理的戦術を用い、更には徹底した不可知論者(無神論者)であったと思う。
桶狭間の戦いでは、2千の軍勢で2万以上の軍勢(今川義元)を破った。
実の弟(信行)を、病気と偽り呼び寄せ暗殺した。
百姓だった羽柴秀吉を見出した。(すごい抜擢、能力主義者だ!)
一向衆に対しては、降伏を認めたふりをして、女子供老人を含め皆殺しにした!
延暦寺では高僧女子供まで4000人を皆殺しにした。
信長げ現代にいたらと思う。政治の世界だろうが、ビジネスの世界だろうが。
国を変え、動かしていたことは間違いないな。
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ビジネスマンは技術者であろうと、営業であろうと経営戦略を知らなくてはいけない。
金をもらって働くということは、稼げる奴にならないといけない、稼げる為には経営戦略の知識は必要だからだ。
筆者の三枝氏はボストンコンサルティング出身のコンサルタントで今はミスミの社長を務めている。経営のプロだ。
いくつもの会社をトップの立場で再建させてきた。
だが、この本は新入社員のビジネスマンにもわかるように書かれている。お堅いビジネス書と違って、小説で構成されていて、しかも面白い。ストーリーに引き込まれてしまう。「ザ・ゴール」とは大違いだ!
小説を通して、自分もやる気が出てくる。しかも経営戦略も学べてしまうというすぐれものだ。
ビジネス書は腐るほどある。だが、その多くは読むだけ時間の無駄である。それに引き換えこの本は超お勧めだ。ビジネス書の中で1冊選べと言われたら、まよわず三枝氏の本のいずれか(3冊あり、どれも小説仕立てだ)を選ぶ。くだらないビジネス書で時間を浪費するのに比べて、この本は何度も読み返した。初版は古いが、まったく古さを感じさせないし、インターネットの今世紀でも十分通用する内容だ。
新入社員の頃に読み、30代で役職がついてから読み、やがて重役、経営陣に加わってから(それ位目指せ!)読んでもまた違った視点で役立つだろう。
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トム・ピーターズの本を読むと、やる気が沸いてくる。
仕事に対して、やらされている、やらなければならないという考えは吹っ飛ぶ。自分の人生をより実りあるものにしたい、興奮する仕事をしたいという気持ちに根本から切り替わる。
このセクシープロジェクトというのは、実は多くのベストセラーのもとになっている。
例えば、大橋善太郎氏のベストセラー「すごい会議」の”すごい”ってあきらかにこのトム・ピーターズのセクシープロジェクトから取っている。セクシープロジェクトというタイトルだが、じつは原作では”Wow!"という言葉で表現され、本の中ではすべて”すごい”と訳されている。大橋氏も以前聞いたとき、トム・ピーターズの大ファンということで、このすごい”Wow!"をパクったんだなーとピンと来た。
内容も似ているし。
「すごい会議」のほうがかなり売れたのかもしれないが、内容は薄いし、やっぱりトムの本を推薦したい。
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細野真宏の世界一わかりやすい株の本 細野 真宏
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おすすめ平均 ●新聞がわかるようになった!!
なるほど!と、とにかく感動しまくり!!
これこそ、まさに教科書!
「株主価値が時価総額を担保している」なんて、この著者に言ってもチンプンカンプンなんでしょうね。
「売れてる本=本当のことが書いてある」とは限りませんからね。
ご注意を。
それにしても、あまりにもひどい内容にびっくり。
http://www.yuichiro-itakura.com/archives/2005/10/26-1604.html
ま、この本に限らず、売れまくった経済学の本にしても何故売れたかわかりませんな。
この筆者は数学の塾教師ですが、数学の参考書がそもそも売れまくったのですが、売り方がうまいなーと思いました。タイトル、売れる表紙、イラスト、話しかける言葉。
数学の内容的には、普通の参考書が書いていることをやさしく語り口調で説明しているだけ。(それが売りか)
結局大衆というのはこの程度のものなのだろうと思います。
経済学の本にしても、ちゃんと教科書を買って勉強し、経済新聞を読めば良いのに。
「売れる」というのはもはや日本では低レベルな内容で書くということに近くなってしまったと感じる。
売れるラーメン屋は、まずくても、雰囲気、売り込み方(雑誌掲載など)によって売れるし。
ひどい音楽、へたくそな歌でも売れるし。ブサイクでもアイドルになれるし。
大衆はアホやのぅと思って笑っている奴がいることにいいかげん気づけ!
ヒルズに入っている代表的な企業、ライブドア、楽天、ヤフー、リーマン・ブラザーズ、村上ファンド。
これらの企業と大手町あたりの日本の大企業は何が違うか。
たとえば大企業の代表格である、総合商社、広告代理店(大手2社)、都市銀行、生保というのは、選ばれた人しか入れない。
その選考方法にしても、リクルーター制を採用しており、一般募集というのは形だけであった。きっと今の時代もそう変わらないんじゃないだろうか。
まず、大学名によって受けることもできないような者が大多数である。女性の総合職も著しく少ない。まるで能力とは別の基準によって選考されているよう