›6 25, 2010

「ハート・ロッカー」と「ハート・ブルー」

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キャスリン・ビグロー監督のアカデミー賞映画「ハート・ロッカー」を見た。そこに同監督の過去の映画「ハート・ブルー」と共通のテーマを見た気がした。
どちらも男の生き様、人生観を感じさせられる映画だ。監督は女なんだが。

「ハート・ロッカー」の主人公は爆弾処理の軍人で、戦場のイラクで多くの爆弾処理を行う。主人公は一流の技術と経験を持つが、仲間が死に、本人も死に直面する危険な仕事だ。そんな仕事から帰国し平凡な生活に戻り、子供と遊び、幸せになるかというとそうではなかった。主人公は再び戦場に戻ることとなる。

「ハート・ブルー」はキアヌ・リーブス主演のB級映画だ。主人公はFBI捜査官のユタで、連続銀行強盗犯逮捕が職務だ。先輩であり同僚のパパスと共に犯人を追うのだが録画された犯人映像の日焼け跡から犯人の集団はサーファーであると確信する。これまでサーフィンの経験のないユタは、犯人探しのためサーフィンを始めるのだが、最高の技術を持ち、スリル中毒のボーディ と知り合い、価値観に共感し友情を深めていく。
しかし、ふとしたきっかけからユタはボーディらが犯人一味ではないかと思い、覆面の銀行強盗団を追うのだが、追い詰めたところで逃がすこととなる。その時銃で撃つことができたのだが、犯人がボーディかもしれないと思ったためだろう。
その後、ユタはボーディらと命がけのスカイダイビングをするのだが、そこで味わうスリルから生きる喜びを知り興奮する。しかし遊びはそこまでだった。ボーディに脅迫され銀行強盗を手伝うこととなり、そこでボーディらも初めて人を殺すこととなり、また仲間を失うこととなる。
ユタも同僚のパパスを殺され、ボーディを追い詰めていくのだが、またしても逃げられる。ボーディはユタに「次の人生でまた会おう」と言い残して。
ユタはその後もボーディを探して世界中を飛び回る。そして50年に1度の大波がオーストラリアのビーチに来た日にボーディをついに発見する。ボーディの人生の価値観を知るユタならではの追い詰め方だ。もう逃げられないボーディだが、最後にボーディはこう言う。「もう逃げられないから、最後にこの波に乗らせてくれ」
普通の波ではない。飲み込まれて死ぬだけだ。ユタはボーディを開放してやり、FBIのバッチを海に投げ捨てる。

「ハート・ロッカー」に比べて「ハート・ブルー」の説明の方がずいぶん長くなってしまったが、自分の人生に受けた影響も大きい。
それまで幸福とは平凡な暮らしの中にこそあると思っていた。しかしこの2つの映画で主人公はどちらも違う人生を選ぶ。アドレナリン中毒的な挑戦とも言える。

こういうのは映画の中だけの話なんだろうか。本当に死に直面した後に、またそれを求めるようなことがあるのだろうか。死の恐怖を乗り切ると、その時の感覚を再び求めたくなるのだろうか。冒険家は冒険を辞めないし、起業家は失敗してもまた起業する。そういった人生観を持てる者は平凡な人生を送るよりも幸せと思う。


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