身近で実感が持てる事実として「美人とブス」の不公平がある。これもまた、事実として生涯賃金の格差があるが、大人になったら発言することがタブーだ。
しかし、本書ではタブー視されて隠蔽された事実にスポットを当てている。本書を読むことでこれまで見えなかった世界が見えるようになり、子供も教育方針から自分自身の生き方についてまで大きな示唆が得られるだろう。
大きな衝撃を受けた内容は、資本主義は知識社会という当たり前の事実を再認識させられたことだ。資本主義は知能の高い者による知能の低い者の搾取であり、社会に出ればそのことを実感する。
また、双子のうち一人はいらないからという理由で、多くの国で昔から養子に出させるケースが多いが、その追跡調査によると同じ職業や同じ趣味を選択したりと共通点が非常に多いことが知られている。その事実は裏を返せば、育てた親の教育方針や環境は人格形成にも将来にも大きな影響を与えることができないということだ。
このように、本書で語られる残酷な事実の中に周知のことは多いものの、現代の倫理観から自分の思考や知識からも抹殺してしまっていたことに気付かされた。
ただし、本書では最も重要な言ってはいけないことが書かれていない。それは、神はいない。精神世界も存在しない、という事実だ。最も、そんなこと証明できない事実だけど。
]]>エンロンを取り上げたドキュメンタリーは多いものの、いち早く実話を小説化した黒木亮は今読んでもやはり凄い。「青い蜃気楼―小説エンロン」、「虚栄の黒船 小説エンロン」では、3000社にも上る特別目的会社(SPE)に資産飛ばしを行い、粉飾により決算数値を偽り、負債隠しを行うことで株価吊り上げした細かい事例が列挙されている。
経営陣は倒産前に自社株を売ることでCEOのケネス・レイは1億ドル以上の売却益を得たり、会社を辞めているものの、従業員は、給料の一部としてもらった自社株を売ることを社内規定で禁じられ仕事と資産を両方失いながらも、倒産で解雇されるまで必死に働き続けた。エンロンは規模がとてつもなく大きいが、責任ある者が逃げ出し、末端の者が最後まで苦しむのは、他の企業でもあることだし、沈むタイタニック号を思い出させる。
ハーバード大学のMBA卒業者が、金融工学を利用し、ブッシュ政権にロビー活動をして、カリフォルニア州を故意的に停電までして市民に何兆円もの被害を出してまで利益を追求する光景は、倒産後の社員の録音テープから公開されている。倫理観が無く、会社を利用して徹底的に強欲に利益と権力を求める姿は、生きる目的と教育について深く考えさせられる。
ドキュメンタリー映画の「エンロン 巨大企業はいかにして崩壊したのか?」では、残っている映像からいかに経営陣のモラルの無さと同時に強欲な姿がしっかりと捉えられている。
何軒もの豪邸を構え、専用機を保有しても満たされない強欲さ。そして抜群の頭の良さ。経営陣の多くは貧しい生い立ちだったり、地方出身者だった。一生遊んでも使いきれない金を持ちながら、何をそこまで求めたのだろうか。
特に、ケネスの後のCEOのジェフリー・スキリングの頭の良さと、部下を徹底的にこき使い、ライバルを突き落す執念は異様だ。ハーバードMBAの入学面接では「I'm fuckin' smart」と言ったという伝説は語り草だし、仕事以外でも異様なリスクを求めた。
ドキュメンタリー映画では、ジェフリーら経営陣が死ぬかもしれない砂漠でのラリーレースをする姿や大怪我をするシーンが残されている。
CFOのアンドリュー・ファストウはジェフリーに怯えながらも、息子にジェフリーと名付け犯罪と知りながらSPEへの資産飛ばしや資金調達の新手法を編み出し、冷酷に部下を使う。頭の良さと仕事は抜群だが、あまりにも性格の悪いジェフリーの唯一の親友であった元役員クリフォード・バクスターは、エンロン倒産後に謎の銃自殺を図る。
エンロンから巨額のM&A報酬を受け取る投資銀行や証券会社はエンロンの悪い情報をアナリストは書くことはできず、潰れるまで過剰な評価をしていた。監査会社のアーサー・アンダーセンもエンロンの不正の監査を拒否する社員は、外されたり解雇させられたりしている。
デリバティブを利用したエンロンの収益方法もまた注目に値する。エネルギー需給を調整しながら、アービトラージで儲ける利益相反から、エネルギーの調達仲介では固定費と変動費を金利スワップのように変動部分をスワップさせる新手法を編み出した。エンロン・オンラインではエネルギー販売を株の取引と同じようにコモディティ取引所とした。革新的な収益方法を編み出しながら、付加価値を産むわけではなく、一般市民が被害をこうむる。
資本主義の全ての闇と金融工学の恐ろしさを知ることができる良い教材として、今でも学ぶことがたくさんある。また、エンロンは非合法で倫理無視のビジネスに走ってしまったが、斬新な経営手法にも学ぶことは多い。
エンロン・オンライン構想はイギリス支社の新入社員のアイデアだったが、激務にも関わらず法務からITまであらゆる有能な人材が業務時間外に手伝い、応援することによって完成した。それも経営者が知ること無く、大型サーバーを購入して構築してから初めて当時CEOのジェフリーに報告したら怒るどころか「素晴らしい」と感動したそうだ。そしてエンロン・オンラインがエンロンの中核ビジネスになる。
「Think Why?」というミッション・ステートメントから常に常識を疑い、新しい創造と価値を産む企業文化。毎年、企業の人事考課の上位20%には多額の報酬とラスベガス旅行が与えられるのに対して、下位20%は解雇という厳しい環境。多額の年棒とストックオプション。この事件から数年後に日本のネット企業で急成長だったライブドアのフジテレビ買収が始まり、その後崩壊となるのだが両社には似ている点もあるのもまた興味深かった。
]]>本書を読むと驚きの連続だが、その驚きは自分の思考が欧米化してしまっているという気づきも同時に与えてくれる。
中国のアジアインフラ投資銀行(AIIB)による世界各国への投資の意義は覇権とばかり思っていたが、そうでも無いようだ。ビジネスとしての投資の意味もあるし、投資する独裁国への賛同と協力を得るという重大なミッションがある。例えば、台湾を中国の一部とする、アジアで日本の覇権を許さず戦争被害の当事者として弾圧する、中国の先進国からの人権無視国家という中傷を辞めさせる、といった経済的、政治的なポジショニング戦略としても重要な意義があるのだろう。
読むにつれて、中国への理解が深まるのだが、民主主義の限界についても考えさせられる。
中国の権力中枢において、そもそも現代の欧米先進国よりも高い理想で国家運営がなされているとのことだ。欧米先進国はいうまでもなく、「自由」、「平等」、「民主主義」を大前提としている。しかしそれらは中国の国家運営の前提である 「公正」、「正義」、「文明」という価値の方が中国人からみたら遥かに優れているとのことだ。確かに、中国古典の孔子や孟子の時代の倫理は優れているが、拝金主義の中国ではとても有り得ないと思うのだが。
米国では大統領予備選挙において、人権無視の上、暴言を吐くドナルド・トランプが共和党候補として圧倒的な支持を得たし、ブッシュ政権は強引にイラク戦争に突入した。民主主義においては、民度が低いと国家が暴走する危険性を伴っている。
むしろ、愚民ならば中国のように優秀(とされている)な科挙の伝統を継承する役人による国家統制の方がよほど国家運営がうまくいくのかもしれない。
それでも、国民の個人の自由は何よりも大切だと信じている気持ちは変わらない。むしろ、国家の暴走を止めるために米国民に銃を持つ権利が保障されるように、国民が国家に頼らず自立することで国家の役割を減らすことが今後の世界にとっては重要だと再確認させられた。
トラックのタイヤが脱輪し、歩行者の子連れの母親に直撃する死亡事故を発端とする物語なのだが、トラック運転手は殺人鬼呼ばわりされ、トラック運送会社の社長は整備不良で警察の捜査が入ることとなる。
実際、三菱自動車リコール隠し事件でも、トラック運送会社の自宅には「人殺し」と張り紙が貼られたそうだ。
リコール隠しが発覚していなければ、本当に人殺しとしてトラック運転手も運送会社もその家族も社会的に抹殺されていたかもしれないのだ。
「空飛ぶタイヤ」では、トラック運送会社の社長が、警察と自動車会社から疑いと非難を向けられ崖っぷちにも関わらず不屈の精神で会社の無実の戦う話だ。
このような大企業の不正隠しは実は多く存在するだろう。耐震偽装や検査結果改ざんや三菱自動車のリコール隠しなど、実は氷山の一角と言われている。
消費者は個人として弱者であり、中小企業もまた弱者だ。
トラック運送会社は、検査対象の自動車脱輪の部品であるハブの返還請求と裁判を決意するが、社会的信用を失い仕事が激減し運転資金の減少という時間との闘いになる。
社長の小学生の息子は学校で、父親が人殺し扱いされ深刻ないじめ被害にあう。学校で盗まれた集金袋の犯人扱いにもされてしまう。
他方、自動車会社の品質管理部門に不信感を抱き、運送会社との折衝の窓口にある管理職は、品質管理上の問題とリコール隠しを確信するが内部告発しようとした最中に、希望職種だった開発部門へと異動が命じられる。
リコール隠し隠蔽とのバーターと理解しつつも受け入れ、会社のために運送会社と対決することになる。
グループ会社の銀行でこの自動車会社を担当する社員は、婚約者がこの自動車会社の常務取締役であり、結婚とのバーターで多額の融資をすることになっているのだが良心の呵責に悩む。そんな最中、銀行員の大学時代の同級生が週刊誌記者でリーク隠しを取材していることから接触を受ける。
多くの利害関係者が良心と自己や組織の利益の選択に悩み続ける。何故、良心に従い行動しないのか。失うものを持っている故なのか。
実際に起こった話に脚色されてはいるが、事件に巻き込まれた人をうまく描けている作品だと思う。また、当然この自動車会社の製品は絶対に買わないと確信した。
その結果、現在では財政維持ができずに滅び行く自治体が多数ある。
「プラチナタウン」に登場する町も、産業が無い地方都市だが100億を超える債務が残り、財政再建団体になろうかとしている。
町長が退任し希望を失った町役場は、町を去り日本を代表する総合商社に勤務する中年に希望を託すこととなる。
この話に似た光景はいくつもの地方自治体で見ることができる。そういえば、うちの父親の出身の田舎でも同じ光景が繰り広げられた。
人口減少の一途にあり、大都市からも遠く、目立った産業は無い町で、町長の横領によるリコールが行われた。
この話と同様に、東京で働く初老の金融マンが同級生から声を掛けられ、町長に立候補して当選した。
プラチナタウンでは、田舎ならではの自然と土地の安さから、町長は老人ホームの建設に奔走する。
これまた、目新しいプランでは無い。
米国のアリゾナ州は夏は50度を超える日もある砂漠地帯だが、Sun Cityという町がある。ここは砂漠の何もなかった土地に不動産デベロッパーが高齢者向けに人為的に建造した町だ。
病院、教会、ショッピングセンター、そしてゴルフ場やテニス場を完備しており、富裕層の高齢者専用だが商業的にも成功している町だ。
この町では、自動車の速度制限が厳しく、老人が自宅からそのままゴルフカートで公道を走り、ゴルフ場に向かう姿がよく見られた。
先進的な取り組みだと見ていたが、高齢化が進む日本で見習うことは多いと思ったものだ。
プラチナタウンが行おうとしているのは、民間の力を借りて財政を立て直すこと、地方創生であり、町の再建である。
もちろんそこには利権がらみの汚い連中が大勢いる。しかし、リーダーシップとビジネスで学んだ収益管理とビジネスプランで何とか、町民に希望を与え続けようとする必死な姿に心を打たれること間違いない。
「V字回復の経営」では、経営コンサルタントと経営チームが強力なリーダーシップの元に2年間という与えられた期間において、企業再生を実行していく小説だ。
社員の思考方法、問題へのアプローチがバラバラであったら複数の問題など解決することなど出来ない。
物語の舞台は、売上高410億円、従業員数710名、赤字20億円の工作機械メーカだ。この小説の舞台は、実話を元につくられており、建機のコマツ、その子会社で産業用工作機械メーカのコマツ産機ということはメディアなどでも取り上げられている。実話とは違う箇所も多いようだが、実在の企業をイメージして読み進めると面白いのではないだろうか。
また、企業再生にあたりタスクフォースが組まれたが、その中心人物であり社内でくすぶっていたという人物は金型メーカで企業再生中の会社アークの社長鈴木康夫氏である。
さて、経営トップに指名された黒岩は、会社の業務を理解するのに2か月、その後の精鋭部隊との現状認識に就任から6か月を要している。
日本の大企業の典型的な組織の病がある。権限と責任が一致しておらず、責任の範囲があいまいなことだ。プロジェクトの失敗において誰も責任を取らずにうやむやになってしまう。
また、管理職にプロ意識が無く、管理している組織やプロジェクトに対する経営者としての意識が欠落している。
このような弛んだ精神や幼児性を取り除き、プロ意識を徹底するだけでも組織は変化するだろう。
そして、経営コンサルタントとしての企業分析だ。
商品群ごとにその市場性を分析する。市場全体の規模間、成長性、競合の状況を把握する。それを元に自社の商品群の市場占有率、成長性を元にプロダクトポートフォリオ・マネジメントをつくり戦略を練るのだ。
例えば、その業界にはガリバー企業がいて市場の半分を抑えられているとする。そのような市場においては真っ向からぶつかっても勝てない。差別化戦略を中心に戦略を練り上げる。
また、自社の商品が市場占有率も低く、毎年売上成長をしていないのであれば、撤退を検討する。
フロントエンド(売り側)の戦略としては、このような分析を細かく行い営業マンは商品群の中の特定の戦略商品を中心に販売活動を行う。
バックエンド(作り手側)としては、フロント側のマーケットニーズを如何に商品開発に活かすかがポイントだ。大企業であれば、商品開発者、設計者が顧客ニーズを把握しておらず、自己満足の製品開発を行っているケースが往々にして見られる。
このようなことから、抜本的な改革として、商品群をビジネスユニットと呼ばれる疑似企業に会社を分断させた。
そのビジネスユニットにバックエンド側の設計~製造までも分けてしまったのだ。当然、売上・原価・経費といったP/Lも書くビジネスユニットで管理することになる。
一見すると余りにも効率が悪いように思える。
本来企業は大企業になるほど、大量購買、量産効果でスケールメリットが出るからだ。
しかし、あえてスケールメリットを犠牲にして中小企業の集まりのようにすることにより、現場、営業、生産までの情報共有の伝達スピードが劇的に短くなり、情報量そのものも減る。
なんと、本書の例では、以前の組織より縦の階層が減りフラット化することにより、中間管理職を中心とする余剰人員が減らせられたのだ。
そして、ビジネスユニットの商品群ごとに現状認識、仮説を立て検証、戦略を練りその実現のためのプロジェクトを構築する。
例えば、商品の個別のコストダウンであったり、新商品の開発であったりだ。
それを一連のストーリーとして組織内の人員に共有し一丸となって目標に進む。
ここで重要なのは、測定できる指標が必要ということだ。KPI(Key Performance Indicater)と呼び、各プロジェクトごとに策定する。
例えば粗利、販間費、市場シェア、材料比率、顧客訪問数といった数値だ。
さて、本書では改革の実行を行う前の分析に半年を要し、企業がV字回復するまでにさらに半年を要している。
与えられた期間が2年間であったが、このような時間軸をどのように感じるだろうか。
男性にとってのムダ毛は、やはりヒゲだろう。
体の中でも濃い毛のため、朝シェーバーで剃ってきても夕方にはジョリジョリと青のりのような濃いヒゲが伸びてきてしまう。
以前は気にしていなかったが、時流なのかヒゲの伸びは気になっていた。
エステや病院の医療用脱毛なんかを調べて分かったことがある。
それは、レーザ脱毛と言われるようなエステでは超高額な部類に属する永久脱毛は家庭用市販の機械で自宅でもできるということだ。
永久脱毛という言葉が使えるのは医師免許を持ったものに限定され、レーザや光フラッシュ方式による機器も薬事の関係で医療用は超高額になっている。
しかし、レーザ光やフラッシュ方式は、その構造は簡単だ。
強烈な光を照射して毛根を弱らせることにより、脱毛、抑毛といった効果を実現するのだ。
家庭用にレーザ光や光フラッシュ方式の機器はあり原理は同じものの、医療用でなくあくまでも皮膚の美容用ということでしか売り出せない制約があるため、商品説明を見てもそれで永久脱毛ができると分からない。
しかも永久脱毛という言葉は、永久に生えない定義上、抑毛(毛の発毛を遅らせる)状態が含まれるともう実際には使うことができないからだ。
しかし、病院でもエステでも家庭用でも脱毛機器に大きな構造上の違いがあるわけではない。
自宅でやる際には、若干の痛み(とは言え、輪ゴムを引っ張って皮膚に当てる程度だ)を感じながらレーザや光フラッシュを照射させるのだ。
こういったことに心理的な制約が掛かる人は、金を掛けてエステにでも行けば良いのだが、ここではあくまでも市販品を勧める。ちなみに、レビューを見てもエステの時のチクリとした照射時の感覚は市販品も同じようだ。
多くの高額な家庭用脱毛機器が聞いたこともないメーカーから販売されているが、その中でも有名どころはフィリプスとパナソニックだ。
しかも、金額も圧倒的に安価だ。
だが、逆に大手企業であることから、顔や股間への照射の禁止だとか、効果を謳っていないなど、万が一の事故や訴訟リスクを勘案して積極的な広告をしていない。
原理を知っていれば、原価が非常に安価であることが分かるのだがリスクの分だけ高いのだ。
また、値段が高ければ効果が高いと思われる機器でもある。
最近では男もヒゲ、脇、脚など髪の毛と眉毛以外は卵のようにツルツルが流行っているのだ。
もちろん、そんなに都合の良いデータが準備されている訳が無い。
もし市場シェアなどの情報が販売等されていればそれを活用するのだが、信頼性を十分吟味する必要がある。
競合企業のIR情報での資料も重要な情報は省かれていることがほとんどだろう。
そんな時は、フェミル推定を使う。
フェミル推定は、与えられた情報から推論して仮説を立てることだ。
例えば、
・車に卵は何個入るか
・東京に猫は何匹いるか
コンサルティング会社は、様々な思考法、推定法を用いてもっともらしい仮説を立てる。
また、フリーディスカッションやブレーンストーミングで纏まりの無いバラバラな意見を、いくつかの軸(パラメータ)で綺麗に分類分けを行い、マトリックス表記したりする。
このように情報を整理することによって、分析ができ戦略を立てることができるのだ。
知識の量ではプロには勝てないし、年の功にも勝てない。
しかし思考力では勝負することができる。
これはボストンコンサルティンググループで口を酸っぱくする程言われることらしい。
超高給で働くコンサルタントは、思考能力で客から金を貰っているとも言える。
本書では、様々な思考方法、分析方法を学ぶことができる。
もし、会社で業界や製品の分析もしていないようだったら、情報が無くても仮説を立て分析し戦略を立てることができるのだ。
実務をこなしてきたコンサルタントとしてミクロな視点から経営を語るのに対し、経営学者は企業で働いたことがないのでマクロな視点で語る。
咬み合わないようで、お互いに話を合わせようとする。
自己主張が強い2人であり、自己の信念と理論が完全に構築されているので、曖昧さはない。
2人が一致するのは、日本企業に共通する「戦略性の不足」だ。
日本企業ではマネジメント経験の不足であったり、経営理論を学んでいない者が経営者として普通に働いている。
それで企業間の競争に晒されているので、本来であったら恐ろしいことである。
しかし、それでも日本企業が強いのは、経営戦略の欠落を補う別のものが存在するからだと再認識した。
それは、例えば品質に対するこだわりであったり、同一民族性からの助け合い精神であったり、勤勉さであったりする。
「社内統制が緩い」にもかかわらず会社が回っているのだ。
三枝氏は、ミスミの経営を引き継ぎ、創業者が30年以上かかって売上高を500億にしたのを、わずか4年で倍の1000億にしたという。現在では2000億円の会社であり、この成長を持続させれば1兆円企業になることも夢ではないだろう。(ご高齢であり猶予は限られているが・・)
また、三枝氏はコンサルタント時代から著名で、実話をベースとした経営小説を書いており、多くのビジネスマンに読まれている。
中でも、『V字回復の経営』は増補改訂版では、実話の元となったコマツ産機の鈴木氏(現 アーク社長)との対談を巻末に挿入されており、経営者必読の書となっている。
さて、三枝氏が経営コンサルタント時代から一貫している経営手法は、組織を細かく細分化し、「創って、作って、売る」(バリューチェーン)を速く回すことだ。
ミスミではこれを「スモール・イズ・ビューティフル」と読んでいるようだ。
さらに、「時間と戦う」というコンセプトというか理念のもと、社員は行動規範としているようだ。何ともせわしないイメージだが。。
本書では、仕事にかける「熱き心」の重要性を説いている。
いくら戦略が優れても、リスクを負って成功のために追求しなければ意味が無い。
「戦略志向の論理性、計画性」、
「業務遂行能力」
「抽象化、理論化、敷衍化」
これらが無いと新しい競争環境で戦っていくことができない。
真剣に戦略と実行のプロセスを繰り返していけば、転職しても業界が変わっても通用する。
どんな会社にも同じような人間はいるし、大抵のことは「いつかどこかで見た光景」と思えるからだ。
マスコミの情報からカズのイメージは、貧しい母子家庭で母のお好み焼き店を手伝いながら兄と妹と切磋琢磨してサッカーに励み、ぱっとしない選手だったものの、ブラジルへの単身留学で孤独な環境の中、努力を積み上げてブラジルのプロサッカー選手になったというサクセス・ストーリーだった。
ところが、事実は違う。
三浦知良は狂信的なサッカーファンである父・納谷宣雄によって人工的につくられたサッカープレイヤーなのだ。
ブラジルの大都市サンパウロに日本人街リベルダージの一角に日本の歴史館がひっそりとあり、そこには過去の日本人移民の歴史とともに、三浦知良のブラジルでの成功を称えた展示が存在する。
30年以上前のブラジルの情報が入らない時代に、高校生のカズがどのような心境で留学したのだろうと、その展示をみて疑問に思った。
しかし、カズは単身で留学した訳ではない。父・納谷宣雄がブラジルにいて面倒を見続けたのだ。
納谷宣雄は日本サッカーを裏から支えた人物でもある。
狂信的なサッカーファンであり、天真爛漫な正確である納谷宣雄は、父親としても社会人としても失格者だった。
しかし、日本のサッカーを実は影で支えてきたのだ。
サッカーボールに麻薬を詰め込んで運んで捕まってからは犯罪者として日本に住めなくなり、離婚した。ブラジルで再起を考える中でいかがわしい商売を続けながらも、人生の中心はサッカーだった。
そしてブラジルに次男・三浦知良を留学させプロで、日本を代表するサッカープレイヤーに育て上げるのだ。
この本では、納谷宣雄の波乱万丈で、影でサッカー界を支配するまるで「ゴッドファーザー」のような人生をインタビューと現地訪問で克明に表現している。
「ドーハの悲劇」
ロスタイムでの失点で日本はワールドカップ出場の機会を逸し、三浦知良はサッカー人生でワールドカップ出場の機会を逸してしまった。
しかし、ワールドカップ予選で、審判の買収を納谷宣雄は目論んでいたのだ。結局それは実現しなかったが、審判を買収していたらロスタイムに延長することは無く試合終了の笛は吹かれていただろう。
スポーツ界に蠢く魑魅魍魎の人物の代表格である裏社会の人物であり、表社会のスーパー選手の実の父という存在に強烈に惹かれるものがあった。
「購買代理店」
「営業のいない商社」
「マーケットアウト」
「どの顧客にも同じ金額で売る」
「競合に模倣、商品の侵害をされても、それが顧客にためであれば放置する」
「利益を社員に還元させるため、出来る社員は年収3000万円クラス、1億円プレイヤーもいる」
「あらゆる業務をアウトソーシング」
「商社には売らない、顧客(メーカー)のためにならないから」
「大企業と反対のことをすれば成功する」
今でも工場設備や補修部品の業界は、生産者優位、生産者視点での商慣行が当たり前となっている。
B2B業界においては、情報量が少ないため商社・販社・ディーラーと呼ばれる存在や問屋が重要なファクターとなっていた。
機械、工具、伝導機というものは、顕著にその傾向が今でもある。
■ 商社・販社・問屋に支配されている業界
金型部品においては、生産者であるメーカーは少ない規格品をつくり、問屋と販社を経由してユーザー(利用ユーザー)に販売される。
直接ユーザーの声を聞かないし、売り手である販社と問屋の力が強い業界であるため、ユーザーのニーズや不満が満たされることが無かった。
ミスミでは金型業界を知らなかったこと、業界のルールが無知だったこともあり徹底して顧客ニーズを満たすサービスを展開していった。
金型部品の標準化によるカタログ販売という、ユーザーの利便性を追求したサービスである。
金型業界では日本工業規格(JIS)による規格の統一化が遅れていたため、自動車メーカ等プレス・金型を使うメーカは独自の規格を展開していた。ミスミは規格では無いが、それぞれのユーザが独自につくりあげた社内規格の類似をカタログ商品として販売することにより、生産性の向上から安価・短納期・高品質・多品種の製品ラインナップを提供することが可能となった。そうして、ミスミは長期の製造業景気停滞、金型産業が衰退する中で成長を遂げることができた。
90年代後半のミスミの成長期においては、ミスミの営業マンが「ミスミ」と社名の入った社用車で金型屋を訪問したら、同業の販社や商社の営業マンに絡まれたり、ずいぶんと嫌な思いをした者もいると聞いた。
また、ミスミに対抗するために競合他社は、なんとミスミのカタログを客先に持っていき商談をし、同製品を2割引きで販売するというようなことをしたり、ミスミが作り出した規格品を同等製品(コンパチ製品)をカタログにした模倣会社も台頭してきたそうだ。
ミスミ社内でも問題となり、弁護士に相談したところいつでも競合の模倣を辞めさせることができることが分かったにも関わらず、創業者の田口氏は、「模倣品も方が安価で顧客も望んでいるのだから訴えない」と競合を放置した。
ミスミは500億円の中堅企業となり、田口氏は退任しターンアラウンド(業績回復)専門の著名経営コンサルタントであった三枝匡氏が社長として後継し、現在(2015年)では2000億円企業にまで成長している。
■ 機械・設備・消耗品の業界で望まれていること
町工場は大手企業の倍以上の金額で機械設備や工場用品を買わされていることが多い。
生産者側のメーカーにとっては、多くの町工場を回る手間がかかるし、与信の問題も発生する。
そのため、問屋や販社が何社も間に入り、購入者に届くこととなる。購買側の町工場の権利が蔑ろにされている業界なのだ。
購入者側のニーズを満たす、直販も最近は増加傾向である。インターネットの登場により、MROのネット直販のMonotaROも登場して成長を続けている。ミスミはそれに先駆けて、「マーケットアウト」という消費者視点のサービスを展開し、不要な商社を飛ばす「直販」、不透明な販売価格を撤廃する「オープンな価格・原価の公開」といった業界では有り得ないが、消費者が望んでいることを実現した。
さらに、田口氏は例えどんな大企業の大きな仕事を営業マンが取ってきても、評価をしないどころかその受注を断りに行かせたという。売っているのはカタログ標準品であり、例え顧客が特注品を望んでいてもそれは実際には顧客のためにはならないという信念からだ。それまで金型など生産財の現場では、営業マンが購買担当の顔色を伺いながら見積を作成していたのだが、そのような不透明な販売方式を一掃し、ついには営業マンをなくしてしまったのだ。
しかし、何でもオープンに公開する経営や創業者の理念は競合をのさばらせ、三枝氏が後継し競合を訴訟で追い詰めようとした時には既に遅かったようである。競合のパンチ工業は既に1部上場の300億円企業に成長(2015年)することになり、中国展開を先駆けたため中国ではトップシェアとなっていた。しかも勝てると言われていた訴訟では、和解という事実上の敗北となってしまった。
更に、ミスミがFA(ファクトリー・オートメーション)を展開している間に、競合は金型屋や自動車会社、その下請けを頻繁に通い、独自の提案と商品開発を行い、ミスミの取り組んでいない高付加価値商品で台頭してきていた。
■ 顧客にとって良いことを追求すべきなのか
Amazonの商品群の価格帯を見ると、最安値から2位という商品が多い。
価格破壊のコストリーダーという悪印象を回避しながらも、顧客満足の理念から安価に商品を提供する。
しかし、理念とは裏腹に競合製品の無い商品は高額で販売(高利益率)している。
他方、田口氏時代のミスミの追求した販売価格は、競争価格ではなく、原価に必要経費と利益を上乗せしたオープンな価格帯のようである。
もし事実であれば、競合に手の内をさらけ出していることになり、熾烈な競争に勝ち残ることはできなかったろう。
事実、三枝氏が社長になってからは、利益は取れるところから取り、メーカーだろうが商社だろうが、売れる顧客には売るという当たり前の方針が徹底されたようだ。
顧客にとって最善であることは理想だが、競争で生き残れなければ意味が無い。
実際、田口氏退任後からパンチ工業など競合のは、ミスミと同等製品を安価な販売価格でミスミ同様のカタログ発行により低利益率で浸透させた。他の競合にしてもミスミ対策は容易であったろう。ミスミはカタログ販売であり記載されている納期、価格が全てであり、例え大企業であろうとそれ以上の価格交渉には一切妥協しなかったのであるから、カタログ価格より安価に販売すれば大口顧客を開拓することができた。
現在のミスミは社長も交代して、業績も大きく向上している。しかし、田口氏が社長の時代には経営方針から外れることは、例えどんなに儲かっても注文を断っていたのである。現在の礎を築いたことは間違いないし、成長するベンチャー企業経営者は学ぶことが多いと思う。
創業者の大塚勝久は、日下部高校を卒業した後に桐箪笥販売店として大塚家具を創業した。
父親は桐箪笥職人で、勝久はそこから独立して創業したのだ。
その後、会社を大きく成長させていくのだが、会員制による結婚後新居を建てた家族狙いが勝久の成功体験として染み付いているのだ。
当時としてはその販売方法は良かっただろう。
家具など一生の内なんども買い換えるものでは無いし、かといってマンションや新居のように慎重に比較して選ぶものでもない。
ようするにバカな顧客を丸め込んで売るような商売だったのだ。
家具屋は町にある小さな店では心配だし、百貨店に置いてあるような高級品は手が届かない。とはいえかつてのニトリのような安物は嫌だということで、大塚家具にいくと、うっとおしい営業マンによる執拗な販売により、すごく良くもないが悪くもないし、家具を買うのは選ぶのも運ぶのも非常に疲れるから、という理由で値段交渉もせず、比較もせずに決めてしまうのだ。
しかし、インターネットで情報が簡単に取れる時代では、このような家具販売方法は通用しない。
安かろう悪かろうのニトリもまともなものを作るようになってきたし、IKEAも悪くてもデザインは良い。
海外のブランドも沢山の情報が手に入る。
このような状況下で、大塚家具のうっとおしい販売アプローチをかけられたら、二度と行きたくなくなる人も多いだろう。
父・勝久は長男と幹部社員を引き連れて記者会見を行った。
創業者を慕い、求心力をPRしていたようだが、実態としては大塚家具は給料が非常に安い会社である。
平均年齢35.3歳で平均年収は4,620千円だ。平均年齢の低さにも驚かされる。
勝久の記者会見に同席した高年齢の幹部社員は転職もできない年齢だろうし、新しい販売方法に逆に危機感を持っているのかもしれない。
娘・久美子は長女であり、一度は父・勝久が後継者として選んだ現社長だ。
白百合学園から一橋大学に進学し、銀行勤務後に大塚家具に入社している。幼いころは家族旅行で父が仕入先の北欧の家具工場などに連れて行ってもらっていたほど可愛がられ、後継者として期待もされていたようである。
久美子の提唱する新しい販売方法は、斬新さは無いものの現状をよく分析しており、会社の業態を大きく変えないで利益を創出するビジネスモデルに見える。
対立軸として不思議なのは、父・勝久と長男・勝之、父の配偶者の千代子が結託しているのに対し、娘・久美子は次女・舞子、三女・智子、三女の夫・佐野春生、次男・雅之と結託しており、兄弟をも二分した争いなのだ。
株価が上昇しており、株の所有率をめぐるプロキシーファイトに展開している。
機関投資家や参戦した株屋の動向が注目されるが、将来性に対する展望を出した娘・久美子に票は集まるだろう。
しかし、一度は子供に経営を譲ったのだから、年寄りは引っ込んで貰いたい。
中には、創業者の意見を大切にする見方もあるだろうが、子供も後継者として幼い頃から自由を奪われて生きてきたのだ。
しかし、40歳でも9割は課長にさえなれないのが現状だ。
彼らは転職できないのか?
否、できる。というか、今はできる状況に変化したのだ。
本書「40歳からの必ず成功する転職活動: 中年の中小企業から大企業への転職」では、最新の転職事情とWebツールの利用方法が満載だ。
同じような境遇の求職者がどのような会社を受けているか、この求人に何人応募しているのか?(難易度チェック)など。
しかし、夏場は転職活動には大変な季節ですね~。
このクソ暑い中、スーツにネクタイは熱中症の恐れがあります。
必死な求職者とは裏腹に、外資系はほぼ採用ストップ。
特に欧州系は7月から9月まで1ヶ月以上の長期休暇を経営幹部がとるので、採用面接も決済も出来なくなるところが多いのだ。
ところがピラミッドを保つには会社が成長して従業員数が増え続ける必要がああったが、そのようなことはあり得ず現状の組織構造や賃金体系崩壊の危機となっている。
転職にしても、大企業ではそもそも中途採用を採るという発想が無かったところが圧倒的に多い。
外部から優秀な人材を採用しても使い道が分からない、もしくは転職者側にしてもその企業の暗黙知のルールが分からず溶け込めないといったことが多いようだ。
日本企業のこのような家族経営的な一体感はかつては強みだったのかもしれないが、今では足を引っ張るだけだ。
そもそも、定年制度にしても年齢差別であり、24歳までの新卒採用、第二新卒採用というのも年齢差別である。
海外では履歴書に生年月日も書かないし、写真も貼らない。
更に、日本では解雇が出来ないという致命的な問題点がある。
解雇に至る前に、希望退職募集、派遣社員やパートタイムの解除が必要になる。
これさえも、何故正社員だけが優遇されるのだろうか。海外では同一労働で差別をすることは差別に当たるのだ。
さらに、自分は就活の時にすごい優秀な中国人女性と一緒に集団面接をしたことがあるが、全く相手にされていなかった。
採用する気が無いならそもそも面接に呼ぶなと思ったし、分かりやすいのは大学名で足切りをしてしまうことだ。これは合理的だが反発を買ってしまう。
ちなみに、欧米では性別、国籍、年齢による差別は無い。あれば訴えられる。
ところが、能力以外での評価も大きく、上司が部下を一方的に評価するし、学歴差別は日本以上だ。
いずれにせよ、日本もこのままでは国際的に訴訟されることになるだろう。
それでも学歴で統計を取ると一定の生涯賃金格差が分かる。
大卒と高卒の生涯賃金の格差は5千万円。高卒の方が4年間も多く働くのにも関わらずこれだけの格差が出てしまう。
MBAと大卒の差は統計情報は無いが、1億円以上になるのではないだろうか。
もちろん一般的な統計が意味することと仕事の内容は大きく違うものである。
高卒社員が責任感の無い肉体労働をしていても、大卒では管理能力が求められる。
仕事の重責度が違うのだ。
また、折角入社した企業でも、大企業は生涯賃金が非常に高い一方で、他社では通用しない人材になってしまい、仮に潰れた場合は潰しが効かないのである。
そう考えると、万が一のことも考えて常に自己啓発やネットワークづくりは必要だ。