›4 18, 2016

橘玲の中国私論

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われわれ日本人は米国にならい民主主義、資本主義こそが正しいという価値観でものごとを捉えている。しかし、民主主義はどのような個人も尊重し、個人に優劣をつけない。国民全体としての幸福度を最大限に上げようという功利主義では問題となる体制だ。中国では、大衆は民度が低い愚民であるという前提の元、個人の自由を尊重せず国家としての幸福度向上の政治体制と考えると、中国のこれまでの行動が理解できる。

本書を読むと驚きの連続だが、その驚きは自分の思考が欧米化してしまっているという気づきも同時に与えてくれる。

中国のアジアインフラ投資銀行(AIIB)による世界各国への投資の意義は覇権とばかり思っていたが、そうでも無いようだ。ビジネスとしての投資の意味もあるし、投資する独裁国への賛同と協力を得るという重大なミッションがある。例えば、台湾を中国の一部とする、アジアで日本の覇権を許さず戦争被害の当事者として弾圧する、中国の先進国からの人権無視国家という中傷を辞めさせる、といった経済的、政治的なポジショニング戦略としても重要な意義があるのだろう。

読むにつれて、中国への理解が深まるのだが、民主主義の限界についても考えさせられる。

中国の権力中枢において、そもそも現代の欧米先進国よりも高い理想で国家運営がなされているとのことだ。欧米先進国はいうまでもなく、「自由」、「平等」、「民主主義」を大前提としている。しかしそれらは中国の国家運営の前提である 「公正」、「正義」、「文明」という価値の方が中国人からみたら遥かに優れているとのことだ。確かに、中国古典の孔子や孟子の時代の倫理は優れているが、拝金主義の中国ではとても有り得ないと思うのだが。

米国では大統領予備選挙において、人権無視の上、暴言を吐くドナルド・トランプが共和党候補として圧倒的な支持を得たし、ブッシュ政権は強引にイラク戦争に突入した。民主主義においては、民度が低いと国家が暴走する危険性を伴っている。
むしろ、愚民ならば中国のように優秀(とされている)な科挙の伝統を継承する役人による国家統制の方がよほど国家運営がうまくいくのかもしれない。

それでも、国民の個人の自由は何よりも大切だと信じている気持ちは変わらない。むしろ、国家の暴走を止めるために米国民に銃を持つ権利が保障されるように、国民が国家に頼らず自立することで国家の役割を減らすことが今後の世界にとっては重要だと再確認させられた。


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