「貧乏はお金持ち」のまえがきにこんな一文がある。
みんなが好きな仕事に就けて、毎年給料が上がっていって、会社は一生社員の面倒を見てくれて、退職すれば悠々自適の年金生活が待っていて、病気になれば国が下の世話までしてくれる──そんな理想郷を勝手に思い描いて、その夢が裏切られたと泣き喚くのはそろそろやめよう。
高度成長期には当たり前であったことはもはや叶わぬ夢だ。
かつてこの国では、サラリーマンは「社畜」と呼ばれていた。自由を奪われ、主体性を失い、会社に人生を捧げた家畜すなわち奴隷の意味で、彼らの滅私奉公ぶりや退屈な日常を嘲り、見下すのがカッコいいとされていた。
それでもはるかに自由な立場の派遣社員は不況になす術もなく失業していった。
かつての自由主義者「リベラル」は自由と平等を実現することを目標としているが、自由を獲得するのに必要な社会の使命は派遣社員を正社員にせよ、という矛盾だ。
この本の筆者の橘玲氏の主張はこれまでの本と同じで一貫している。
新しい自由主義者「リバータリアン」の立場を取っている。自由を平等だとか公正な社会だとかから切り離して考え、社会に頼らず、かといって社会の不完全な仕組みは徹底して利用して自由を獲得しようとする立場だ。
本書では新しいテーマとしてマイクロ法人を取り上げている。
21世紀社会は高度成長期のような美味しい思いはできない。社会構造の変化は豊かさを取り上げるだろう。日本人の年齢構成が△のような若年者多数の少数の老人であった時は社会制度の構築が簡単だった。しかし▽のような多数の老人(非労働者)になると年金は破綻するのは誰が見ても明らかだ。
企業においても同じである。高度成長期は△型であった会社はこの年齢構成を維持するには規模の拡大しか無いが、拡大には限界がある。やがて□型になり、新卒採用を控えても▽型になる。
その点ではベンチャー企業のように年齢構成の高い層がいない会社に若い人が入るのは得策だ。成長の止まった大企業に入ると、若年者の労働の付加価値に対する配分が高齢者に多く回ってしまうからだ。
社会の変化でいえばこれからは日本の成長というのは終わり衰退期に入ろうとしていると感じる。社会的な改革を起こさない限り、そうなっていくだろう。
他の先進国も中国でさえも高齢化社会に苦しむこととなる。企業は収益を上げられなくなる。もっとぶっちゃけて書くと、企業は正社員はいらなくて派遣社員だけで良いと思っているだろう。
真に自由な働く姿とは、自己の能力が発揮できることが大切だが、会社に縛られないことである。この本のテーマは、実現できないと思ってあきらめる人が多いことにあえて挑戦している。
「貧乏はお金持ち」