›10 03, 2010

残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法

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「この世界は残酷だと、僕は知っていた」この暗い言葉から本書は始まる。本の帯には「無能力主義のすすめ」、「やればできるというという自己啓発では、この残酷な世界を生き延びることはできない。必要なのはやってもできないという事実を受け入れ、それでも幸福を手に入れる、新しい成功哲学である」と衝撃的な言葉がある。
まえがきでは、新宿のホームレスと誰もが隣り合わせである事実を告げる。リスクを背負って生きている人ならば理解できるであろう。成功と失敗はコインの表と裏だ。努力しても失敗してホームレスになる可能性がある。

先進国では「人権平等」と「公共の福祉」が疑う余地の無い大前提として成り立っている。人権平等のもとに、成人は誰しも等しく1票の選挙権があり、機会は平等に与えられるべきだとされている。更には結果も平等に与えるべきだとリベラルは言う。富は配分され福祉として使われるのも人権平等と相互扶助の前提があるからだ。

しかしこの前提が間違っていたら?
例えば、性格も能力も遺伝によって多くが決まるとしたら?
人間の価値は生まれ持って決まっていて平等では無いとしたら?

民主主義の前提を揺るがすことになる。

筆者の橘玲氏は、このような前提を覆すサブカルチャー的理論を紹介する。橘玲氏の著書を海外投資シリーズから読んできているが、根底にあるのはリバタリアリズムがある。
個人の自由が共同体(国家や地域)より優先される。リベラルのような平等主義、社会福祉主義、大きな政府といった自由主義と異なる自由主義だ。


リバタリアンは橘玲氏のこれまでの書物知的幸福の技術―自由な人生のための40の物語不道徳教育に詳しい。

本書でもリバタリアリズムの正当性が主張されている気がした。
読みながら考えたのだが、現在の政治や経済にはリカードの「比較優位」説が前提となっており本書でも書かれている。本では弁護士がタイプライティングの遅さを補うために、タイプライターを雇い弁護士の業務に特化するという説明であったがそれでは不十分だ。例え雇うタイプライターよりもタイプの能力が高くても、タイプライターを雇いタイプは他の人にまかせる。付加価値の高い仕事に専念するというのが比較優位だ。
リカードの「比較優位」説が前提でグローバル経済が成り立っている。先進国で高付加価値の仕事は賃金が跳ね上がり、低付加価値の仕事は発展途上国に代替される。よって成功には努力が求められるというのが前提とされる。しかし、努力を望まない人にも生きる価値と権利がある。

さらには功利主義的な考えの前提にも疑問を持たざるを得ない。最大多数の幸福を実現する合理性を求める功利主義では、例えば5人の命を救うためなら1人の命を犠牲にしても良いことになる。しかし道徳や宗教では人の命が尊いということでこの問題には解答がないというのが倫理で習ったことであった。

しかし、人の命は平等ではないということになればそもそもの前提は崩れる。
刑を終えた犯罪者も等しく選挙権があるし、人の役に立っている人もそうでない人も平等とされている。

本書では更に突っ込んで、人間の生まれ持った可能性は平等で能力は努力によって培われるという前提を覆す理論を多く紹介する。

勝間 vs 香山の論争がかみ合わないのは両者の前提が違うからのようだ。

ゲーム理論を始め、多くの興味深い話題に溢れていてとても興味深い。個人の幸福を実現するための新しい理論「成功哲学」が展開されていて面白かった。

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