›8 05, 2013

誰もがタモリよりも辛く生きている。「タモリ論」

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作者の樋口毅宏氏はよほどタモリに対して思い入れと敬意があるらしい。
ハードボイルド小説「さらば雑司ヶ谷」では、クエンティン・タランティーノの映画「パルプフィクション」や「レザボアドッグス」を連想させる。
ストーリーとは関係の無い、他愛も無い世間話が延々と主人公を取り巻く人物の間で交わされるのだ。

四半世紀、お昼の生放送の司会を務めて気が狂わないでいる人間が!まともな人ならとっくにノイローゼになっているよ。タモリが狂わないのは、自分にも他人にも何ひとつ期待をしていないから。

「タモリ論」では、なぜ30年以上も毎日、生放送の司会を超然と続けられるのか? サングラスの奥には、人知れぬ孤独や絶望が隠されているのだろうか?
と作者は嘯(うそぶ)く。

確かに、タモリの「いいとも」でのやる気の無さは10年以上も目に余るものがある。そもそも、登場するゲストの経歴も調べず、話すことさえも決めておらず、時に沈黙というテレビでは一番芸人が恐れることをやってしまうこともある。タモリも以前から「沈黙は怖い」と言っておきながら、ゲストから聞き出すインタビュアーの能力が無いどころか、努力が感じられない。見ている方が沈黙が怖くなってしまうことがあるほどだ。

それでも、ここ10年以上夏休みも取らず、休まずに毎日「いいとも」に出続ける。

しかし、「まともな人ならとっくにノイローゼ」になるほどのことなのだろうか?

タモリの立場からすれば、「いいとも」などいつでも辞めれるだけの資産がある。1日1回テレビに数時間出るだけで100万を越す待遇という魅力に取り付かれているようにも思えない。何故続けるのか?そんなところが謎めいているのは確かだ。

それでもタモリほど恵まれた立場の人はほとんどいない。サラリーマンが定年まで、終わりの無い日常を毎日続けることの方がよっぽどキチガイじみていると感じないのだろうか?
サリーマンは有給も使えるし、行きたくない日はサボれるかもしれない。それにしても1日の労働時間の長さ、永遠と続く苦痛はタモリの比では無いだろう。
毎日同じ客先に頭を下げる営業マン、同じ製品を毎日組み立てる作業者、同じ製品のちょっとした改良を永遠と繰り返す技術者、そして嫌な上司や同僚の存在。毎日3時間にも及ぶ長距離満員電車。サラリーマンは苦痛の連続ではないか。
自営業者はどうか。自分の城があって、誰にも使われる立場ではないかもしれない。それでも、定年も無く、いつ潰れるかもわからない店を継続するのは大変だ。ラーメン屋の親父にしろ、どんな職業にせよ、苦痛の連続ではないのか?

実際、ノイローゼになる人が多発している。それは希望の無い社会に原因があるのかもしれない。


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