›11 16, 2011

スティーブ・ジョブス

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Appleの製品には魅力を感じながら、長いことiPodくらいしか買わなかった。iPodの素晴らしさは、その再生機器というよりもむしろiTunesによって世界中の情報発信がPodcastからiPodに同期されることだった。世界が広くなった気がしたものだ。

iPhoneを持った時の衝撃は、恐らく初めてファミコンとスーパーマリオを買った小学生依頼のものであった。インターネットの登場も感動したが、iPhoneは生活の一部となってしまった。
様々なアプリケーションと搭載されているGPSによって世界が大きく変わった。通勤にはPodcastを聞き、ジョギングの時は距離や消費カロリーを計算してくれるアプリを使い、空き時間にはアプリで中国語を勉強し、夜寝るときは動画を見ながら床につく。

テレビを見ている時も、会議中でも調べたいことがあったらすぐにiPhoneでネット接続で気楽にすぐに調べられる。

もはやiPhone無しの生活は考えられない。

しかし、自分のAppleを使い始めた歴史よりもまた、Appleが生み出してきた斬新な製品群を回顧すると驚くばかりだ。

創業者のスティーブ・ジョブスの生み出したイノベーションは圧倒的である。今や誰もが使うWindowsの原型もAppleのMacintoshの模倣である。グラフィカルなインターフェースのコンピュータを作り上げたスティーブ・ジョブスは世界の技術と情報の成長を10年も20年も加速させたと言えるだろう。

しかし、スティーブ・ジョブスの人生は順風満帆とは言えたものではない。

発売された公式伝記「スティーブ・ジョブスⅠ、Ⅱ」は、式を悟ったスティーブ・ジョブスが3年もの間インタビューをさせて書かせた自伝である。

養子として育てられ、高校時代にヒューレット・パッカードでのアルバイトで、スティーブ・ウォズニアックと運命的な出会いを果たす。
長距離電話を無料でかけれる違法装置を開発し、大学生に売りさばいた。

インドに数カ月放浪し、カリフォルニアに戻ってAppleを設立した。

数人で始めたAppleはパソコンという概念を普及させ、あっという間に上場した。1977年のアップルコンピュータの法人化から1980年の3年間でのIPOであった。

その後、ペプシコーラのマーケターであったジョン・スカリーを引き抜く際に言った「このまま一生砂糖水を売りつづけたいか? それとも世界を変えたいか?」(Do you want to sell sugar water for the rest of your life, or do you want to change the world?)はあまりにも有名である。

その後、ジョン・スカリーにAppleを追放されることとなった。Appleに戻って来た時のAppleの経営状態はどん底であった。
それがわずか数年で、数々の画期的製品を登場させ、時価総額世界一の会社にまでして、そしてスティーブ・ジョブスは死んだ。

スティーブ・ジョブスにはなれないけど、自分の生き方は変えることができる。スティーブ・ジョブスの伝記はApple製品を持った時と同じ感動を与えてくれる。


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