AV女優になった女性の壮絶な人生のインタビュー集である。
貧困に親の暴力に借金というのが貧乏家族の基本形のようで、かつてはそのような社会の底辺にあるような家庭の子供と将来を約束された家庭の子供も一緒に遊び、一緒の学校で学んでいた。スネオ(金持ち)、ジャイアン(貧乏家庭の子で将来はヤクザ?)、シズカ、デキスギ(金持ちかつ学力が高い)、ノビタ(平凡な家庭で知能が低い)が一緒の学校で一緒に学んでいる姿に何の違和感も抱かなかっただろう。
今は公立学校の学級崩壊の問題や私立高との教育の差から生活レベルによって行く学校の分別が進んでいる。
この本に出てくるAV女優の人生は特別だ。
想像を絶するほどの貧困であったり、親から見捨てられ施設で生活していたり、色々だ。
そんな中でも特にすごかったのが、姫川麗。過去の犯罪が酷過ぎる。妊娠した後輩の女を集団リンチ、子供のいる腹を辞めてといわれるとなお蹴り倒す。挙句の果てには性器にガラス球を突っ込んで踏みつぶして割るという殺人未遂を犯して少年院入り。残虐な映画より恐ろしい世界だった。
美神ルナはキャバクラで貯めた金で留学し、さらに男の金で難関大学に入学し、留学中もパーティで金を集めるという結構すごい女だ。
「闇金ウシジマくん 」 の5巻~7巻は風俗の話なのだが、それがまたすごい。実際の風俗を良く取材している。通う側もニート、スロプー(パチプロ)、サラリーマン、モテナイ男とすごい調べてあって感心させられる。月に半分派遣会社で肉体労働をする35歳の男の話は特にすごかった。
親と同居しているが会話は無い。それどころか仕事につけと言われる度に殺意を抱く。それでも親の保護の元で無いと生活は成り立たない。友達はおらず、1日の肉体労働をスロットで10分ですってしまう。消費者金融から借りた金でさらにスロットをする。
人生を完全になめきっている人間だが、Blogを書いている。
この登場人物に関してはニートを非常に忠実かつリアルに表現されているようだ。2ちゃんねるなどニートが集まる掲示板でも「俺のことが書かれている」などと書かれていた。
「闇金ウシジマくん 」によるとホテヘルの人気風俗嬢は1日に10万円、月に200万円稼ぐという。税金はどうしているのだろうか?サービス料は客から現金手渡しだから申告しないのか?
稼ぐ風俗嬢でも男に貢ぐ女もいれば、借金の返済をする女もいれば、人生を計算尽くして20代の女の肉体的価値が高い時期にひたすら貯金をする女もいる。このマンガでは3000万円貯めて引退と考えている女が出てくる。
体を売る女というのは世間から軽蔑されるため、社会的に弱者であることもよくわかる。本名は出せないし、顔出し広告もほとんど出せない。
そういう意味ではAV女優というのは本名こそ出さないが、TV番組にも出るくらいだから相当な覚悟と思う。もしくは飯島愛みたいにAVから芸能人になって成功したから、何か勘違いしている女もいるのだろうか?
そういった勘違い女の生い立ちのインタビューもできれば読みたかった。一般人と変わらない平凡な家庭で育っていて面白みがないか。。
ちなみに芸名さえも出てこない企画系のAV女優の人生や所得はさらに壮絶である。低時給の肉体労働そのもので、浣腸や脱糞・放尿に疑似強姦ととんでもなくハードな仕事の気がする。(女で無いからわからないが。。)汚れないで大金を稼ぐ単体女優との差は顔の良し悪しだけだったりするところが悲しい。
日本の実質GDPは500兆円を切るのではないかと思っている。日本は外需にこれまで頼っていたが、先進国需要は伸びない。新興国需要は拡大するが、日本製品の特徴である高付加価値で値段の高いものは新興国では売れないのだ。
日本国内の個人消費を促進する必要性があるが、日本においても今後売れるのは品質の劣る中国製などが中心になろうかと思われる。
国内において耐久消費財は、過剰感がある。例えばエアコン、テレビ、携帯電話は1家庭に2台以上普及している。
普及率が低い空気清浄機、ビデオカメラ、乾燥機、食器乾燥機といったものは、購入意欲がいまいちである。
製造業、建築といった過剰設備、過剰雇用の業界はリストラが進み、失業者が増加し、賃金も低下していくだろう。
そうなると消費意欲が落ちていく。
消費意欲が高いと思われている定年した団塊世代におけるアクティブシニア、子供のいないDINKSのアラフォー(40代で賃金が高い)といった層もあるが、消費意欲の高いと思われている層もダメージを受ける可能性が高いと思う。
フリーター、ニートと呼ばれる層の多くがパラサイト化という親の収入、住居に頼っている状況があり、フリーター、ニートは今後も正社員につくことも賃金の上昇も難しい環境にある。
さらに、高齢化のため親の介護に費用がかかるという問題もある。
以前から指摘しているように、所得減少と資産価値の下落(ローンによるマイホーム取得が時価バランスシートで債務超過になっている家計が多い)、それに加えて社会構造の変化から、不況における現象である節約、巣ごもりといった現象が垣間見られる。
低価格商品販売の企業や最安値で買うサービスが好調とういのが裏付けている。
住宅を買うか、賃貸にするべきかは様々な判断基準がある。その人の価値観の問題も大きい。
しかしファイナンス的にみると、金銭的に損得で示すことができ、明確な判断基準となる。
ファイナンスではDCFで判断する。「賃貸する場合の毎年の支出」と「購入する場合の毎年の支出・収入」を比較することで金銭的な優越を求めるのだ。
DCF法により賃貸で払い続ける金額の現在価値とローン支払額、修繕費、税金、もろもろを現在価値に直して比較するというものである。
毎年の支出なんかはあくまでも予測でしかないのだが。
今回この話題を出したのは、このようなファイナンス理論で考える場合大きな落とし穴があるのを紹介したい。
ファイナンス理論で住宅購入の判断を行うことは様々なところで行われている。最近もある投資セミナーを行う講師であり、会計士であり企業の財務担当者がこの説明を行っていたのだが、落とし穴を見逃していた。
その方は、「初期投資額を運用した場合の機会損失」を住宅購入の際には考慮しないといけないと指摘している。その指摘さえもないとまったく比較対象ができないのだが、この初期投資額(頭金)の機会損失のみでも不十分である。
住宅購入=頭金(自己資本)+ローン(借金)+ローン金利
ということになるので、借金に対する機会損失も考慮する必要がある。
例えば、頭金(1000万円)+ローン(4000万円)は、自己資本比率20%で5000万円の住宅という不動産資産を購入したことになる。
もっとも新築であれば買った瞬間に時価評価では多くの場合資産価格が減少してしまう(中古になってしまう)という性質の資産である。
ちなみに、時価で4000万円以下になり借金の返済がまだ進んでいない場合、時価評価のバランスシートは債務超過となる。
借金に対する機会損失は大きな落とし穴であるが、日本人の気質(貯蓄志向)なのか借金の金利以上に投資利回りが出せないと考えるのが常識になってしまっているのかもしれない。
さて、上記が企業のバランスシートであった場合、自己資本+借金でビジネスをして当然に借金の金利以上の利回りが出せない限りビジネスが成功しない。
さらに企業の場合自己資本の調達は借金の金利以上のコストがかかる。
そこで自己資本比率を下げて、借金を使うと投下資本に対する利回りが向上する(ROEの上昇)ので、借金はレバレッジと呼ばれるのである。
住宅を買う判断基準にファイナンスを取り入れるのであれば、当然同様に考えなければならないのだ。
現在の環境では新築住宅が購入後値上がりするというのは非常に限られている。(購入後高く売りに出している人もいるが、値段を付けているだけで売れていなければその価格は適正では無い!)一般的には下がることを前提に、価格が下がっても家計のバランスが債務超過にならないように頭金を大きくしてレバレッジを少なくするとか、返済スピードを上げるということがファイナンス理論上は重要になってくる。
日本の電機業界が危機的状況にあることはこれまで書いたが、基幹産業と言われている日本の自動車業界は実はより危機的な状況にあると感じている。
自動車の実需が、先進国から新興国にマーケットが移ることで、韓国や中国のようなより安価な自動車メーカがコスト面で有利な状況となる。
電機業界と同様、自動車業界も高付加価値よりも低付加価値・低コストがニーズに一致しているのだ。
さらに高付加価値の面から言うと電気自動車(EV)である。EV自体はかつてGMが政治的要因で電気自動車から撤退したこともあり産業構造が大きく変わる問題をかかえている。しかし、いずれはハイブリッドから電気自動車に変わらなければいけない。環境も経済発展のためにも電気自動車が本質的に良いというはわかるだろう。
電気自動車になると、エンジンがいらなくなり自動車業界は技術的付加価値を失う。石油会社も大損害になる。
そこまではわかるが川下分野の影響の甚大さを、先日自動車業界、川下業界の人たちと話していると感じられた。
エンジン製造は精密な加工、金型成型、長い年月を要する職人の技能が要求される。
この分野が日本の製造業の付加価値の大きな要因であり、その派生技術が工機、電機業界など様々な分野に波及している。
ところがエンジンをつくらずモータで良いとなると、自動車業界の川下に属する金型メーカ、工作機械メーカ、系列参加の下請メーカの多くが存在意義を失う。
他方、電装部品が増大し、電機分野は潤うようになると思われるが、電機分野は装置依存で製造される分野が多く、発展途上国でも簡単に生産できるものが多い。
そのように考えると自体は非常に深刻だ。
先日日経新聞を読んでいたら、トヨタ御曹司の豊田章男氏はGMの倒産から非常に強い危機感を抱いているということが紹介されていた。
宿敵がいなくなって喜んでいると一般には思われているのかもしれない。しかし、産業構造から、コストの高い企業がつぶれると産業全体の低コスト化が起こり、かつて高品質・低コストであったトヨタの強みが失われることになる。それに加えて上記の社会構造の変化。
さらに技術革新。
どれをとっても非常に困難な事態を迎えているというのがわかる。
このような危機をチャンスに変えられるならば本物の経営者、企業家といえる。
ハイブリッド技術を持つトヨタ、ホンダはチャンスは多いともいえる。この技術を電気自動車に変え、日本中に電気スタンドを作るだけの政治的な影響力もあると思える。
しかし、それを行うとこれまでの発展の源泉であった、川下産業、下請企業、系列といったものを大きく破壊する必要があるようにも思える。
このような状況をチャンスと思っているのは実は発展途上国の自動車メーカだと思う。韓国メーカも低コスト自動車が売れているし、中国のBYDは電池の会社からハイブリッド、電気自動車を生産するに至っている。
「貧乏はお金持ち」のまえがきにこんな一文がある。
みんなが好きな仕事に就けて、毎年給料が上がっていって、会社は一生社員の面倒を見てくれて、退職すれば悠々自適の年金生活が待っていて、病気になれば国が下の世話までしてくれる──そんな理想郷を勝手に思い描いて、その夢が裏切られたと泣き喚くのはそろそろやめよう。
高度成長期には当たり前であったことはもはや叶わぬ夢だ。
かつてこの国では、サラリーマンは「社畜」と呼ばれていた。自由を奪われ、主体性を失い、会社に人生を捧げた家畜すなわち奴隷の意味で、彼らの滅私奉公ぶりや退屈な日常を嘲り、見下すのがカッコいいとされていた。
それでもはるかに自由な立場の派遣社員は不況になす術もなく失業していった。
かつての自由主義者「リベラル」は自由と平等を実現することを目標としているが、自由を獲得するのに必要な社会の使命は派遣社員を正社員にせよ、という矛盾だ。
この本の筆者の橘玲氏の主張はこれまでの本と同じで一貫している。
新しい自由主義者「リバータリアン」の立場を取っている。自由を平等だとか公正な社会だとかから切り離して考え、社会に頼らず、かといって社会の不完全な仕組みは徹底して利用して自由を獲得しようとする立場だ。
本書では新しいテーマとしてマイクロ法人を取り上げている。
21世紀社会は高度成長期のような美味しい思いはできない。社会構造の変化は豊かさを取り上げるだろう。日本人の年齢構成が△のような若年者多数の少数の老人であった時は社会制度の構築が簡単だった。しかし▽のような多数の老人(非労働者)になると年金は破綻するのは誰が見ても明らかだ。
企業においても同じである。高度成長期は△型であった会社はこの年齢構成を維持するには規模の拡大しか無いが、拡大には限界がある。やがて□型になり、新卒採用を控えても▽型になる。
その点ではベンチャー企業のように年齢構成の高い層がいない会社に若い人が入るのは得策だ。成長の止まった大企業に入ると、若年者の労働の付加価値に対する配分が高齢者に多く回ってしまうからだ。
社会の変化でいえばこれからは日本の成長というのは終わり衰退期に入ろうとしていると感じる。社会的な改革を起こさない限り、そうなっていくだろう。
他の先進国も中国でさえも高齢化社会に苦しむこととなる。企業は収益を上げられなくなる。もっとぶっちゃけて書くと、企業は正社員はいらなくて派遣社員だけで良いと思っているだろう。
真に自由な働く姿とは、自己の能力が発揮できることが大切だが、会社に縛られないことである。この本のテーマは、実現できないと思ってあきらめる人が多いことにあえて挑戦している。
「貧乏はお金持ち」
ユニクロの柳井社長の机上にはドラッカーの本数十冊が積まれていた。その本には走り書きが見られる。ファーストリテイリングの優れた経営はドラッカーの経営感の影響を受けている。
そんなことをテレビ番組で見て、ふとドラッカーの本を取り出し、読んでみた。
ネクスト・ソサエティ
2002年に出版された本だ。晩年のドラッカーは21世紀は経済主体から社会について考えることこそ意義がある。そう唱えていた。社会構造は人口構成から、新興国発展から、環境問題から、様々な変化がある。
この本には金融危機以降に自分が思っていることが既に指摘されていて仰天した。
日本の問題点が指摘されている。日本の労働人口の4分の1が製造業に従事している。それが2010年には8分の1から10分の1にならないといけない、と書かれている。
今まさに起こっている製造業における雇用過剰を2002年から2007年にかけて1.5倍から2倍程に収益を上昇させている日本の製造業にその時点で指摘していることを真摯に受け止めた読者がいるだろうか!
さらに、製造業は衰退産業と化した農業と同じ運命であると示唆している。すでに製造業の生産物はありふれたコモディティ化しつつある。農業はかつて労働人口の7割も占めていたが、先進国においては5%を切るほどに低下している。
そして、社会構造の変化から30年間以上継続して事業を行える企業はほとんど存在しなくなるとも書かれている。これは日本においては終身雇用の崩壊を意味する。
ホワイトカラーと呼ばれる知的労働者は肉体労働者ほどの付加価値しかなくなり、知的能力はその知識がなければ業務が遂行できないにもかかわらず価値が置かれなくなる。
消費者が欲しいものが無くなる。
非常に恐ろしい現実を示唆してくれる本だ。
もちろんユニクロの柳井社長も読んでいて、その内容を真摯に受け止めているはずだ。社会構造の変化をどのようにとらえているのだろうか?
バランスシート不況とは、リチャード・クーが提唱している企業経営の本質の変化を原因とする不況で、時価資産の減少を主眼としており現在の不況原因の納得いく理論だと思う。
株価や不動産価格の下落により、時価評価で資産価値の減少がおこることによって、負債が資産を上回りバランスシートが債務超過となる現象が発生する。
利潤の最大化から債務の最小化を優先した経営を行う。
低金利の状況下でも企業は借金を返済することにより、銀行は貸出総量が減るので金融緩和政策が有効に機能しない。
企業のバランスシートが改善されるまで、企業は利潤追及を行わないため設備投資が行われず余剰な雇用もリストラを実施し、新たな製品も出ないことから消費が抑圧され経済が低迷する。これにより資産価値も上がらないという悪循環を及ぼす。
氏によると、このような状況下では財政政策における公共投資が有効としている。今までの経済学ではバランスシート不況をよく説明も理解もされないため、実施が遅れる危険性も指摘している。
財政政策と金融政策についてはこちらを参照いただき、氏の有効と考える公共事業が果たして不況を打開できる策かよく考えてみることをお勧めする。
財政・金融政策
日本経済を襲う二つの波―サブプライム危機とグローバリゼーションの行方
ビジネスの世界で「英語がうまい」、「英語ができる」ということは英語でメシが食えることだ。つまり英語で商談をまとめる、交渉する、プレゼンができるといったことができることだ。
要するにビジネス英語はTOEICの点数でもないし、帰国子女やMBAでもない。TOEICの点数が900点以上の者でもまったくしゃべれない者も多い。
新聞は問題なく読める、CNNもある程度わかる。でもプレゼンはできないという者、白人を前にすると緊張するもの。欧米人には劣等感を持つ者。結構日本人に多いようだ。
「英語ができる」少数のビジネスマンに共通するのは、話すときに特定の言い回しを持っていることだ。
プレゼンをする際にも、交渉をする際にも、それほど語彙が多いわけでは無い。何度も同じ言い回しを使っているが、確実に相手に的確に伝わる。
それに比べて机上で高得点を取るが使えない英語では、言い回しや語彙や文法を考えて肝心な表現がおろそかになっている。
そんなことから、ビジネス英語は少数の自分なりの言い回しを覚えてプレゼンを練習していくのが近道だと思う。
最近本屋でふと手にした本だが、良く使える言い回しを最低限のせていてその使い方を説明している。CDが付いていて、使えるようになるまで繰り返し聞いて覚えるとよいだろう。
例えばこんな感じだ。
Go ahead.(どうぞ/やっていいよ)/Here.(さあ/はいどうぞ)/Almost!(おしい!)/What's that mean?(それってどういう意味?)
ネイティブなら子どものときに身につける 英会話なるほどフレーズ100―誰もここまで教えてくれなかった使える裏技
日経ビジネスでユニクロが特集されており、品質、新製品開発力、オペレーションについて詳しく分析されている。だが、自分がユニクロがすごいと思うのは別の点にある。
5年前の成長期にすごいとおもったのは、ユニクロのデザインの統一性だ。
アパレル業界においての品質というのは、繊維の品質だけではない。デザインの統一感も品質である。どの商品を選んでもそのメーカー独特のセンスが必要になる。
そこがアパレルメーカーが成長する際につまづく壁である。創業期のデザイナーひとりでデザインしていたものは当然デザインに統一感がある。ところがデザイナーが増えるに従い、それぞれのデザイナーが異なったコンセプトでデザインをするとその企業の文化・価値が崩壊する。
当時ユニクロがすごいと思ったのはデザイナーが何人もいるだろうが、同じデザインで出せるという点である。購入する立場として考えると、奇抜でなく、ハイセンスでもない野暮ったい感じだが、ユニクロっぽいという表現ができるほど統一感があった。
ところがさらにユニクロが成長するに従って、この統一感が壁となったと感じる。ユニクロのデザインの統一感はユニクロであることが外見ですぐわかる。ユニクロが多く売れるに従ってユニクロを着ていること言うことがファッションの観点では他人と一緒に見られることで嫌気をさしてしまう現象が起こる。
ユニクロを着ているのがばれると恥ずかしい。ユニバレという名称もできた。
今ユニクロがすごいと思うのは、デザインの統一感を壊しバリエーションが増えていることだ。さらにロゴもタグにもユニクロと表記しないものも多い。外見だけでなくて、タグを見てもユニクロとはわからない。
成長段階に合わせたデザイン、商品展開、企業戦略の変更を柔軟に行っているのがユニクロのすごさだと思う。
米国で貯蓄率が上昇している。これまでアメリカ人は収入を超える消費をしていた。それがサブプライムローンであったりクレジットカードの問題であった。住宅は日本のバブル期のように常に上昇を続ける資産であったため、家を購入する収入が無い人にまで貸し付けていた。購入した家の資産価値が常に上昇したのでそれを担保にさらに金を借りることが出来た。
クレジットカードも返済や金利を考えず、家や株の資産価値上昇といった根拠のない担保があると錯覚して消費を増やしていた。
その2つが崩壊した。
現在では借金返済に苦しむ人が多いのが米国である。消費をせず貯蓄をするのもブームとなっている。
Suze OrmanというファイナンシャルプランナーのTV番組がある。この番組では消費者から電話がスタジオにかかってきて、欲しいものがあるのだが買っていいのかを家計の情報を元にSuzeに相談するというコーナーがある。
以前からこのコーナーではアメリカ人の浪費ぶりを見ることが出来た。収入がほとんど無いのに家を買って、さらに2台目の車を買いたい、家を買ったから芝刈り機が欲しい、家を買ったから大型テレビや家具やプールが欲しい、家を買ったから庭に高価なバーベキューセットを買って友達に自慢したい。家にまつわる消費以外にも、金の掛かる趣味に関するものばかりだ。
ほとんど買う資格なんてないものばかりなのだが。
Suzeが買ってもいいというのは、どんなに高価で他の人には無価値なものでも、貯蓄があってキャッシュフロー(収入)に収まって生活に影響を与えないものだ。
今ではSuzeの番組ではいかに節約するかという特集をやっている。水の使用を減らすとかコンセントを抜いて月20ドル電気代を節約する方法といったものが消費者から報告される。
家が買えなくなり、資産価値も下がり、クレジットカードも使えなくなる状況においては借金を返すだけの人生か、借金が無い人も貯蓄をして浪費をしないかという風になるのだろう。
消費先進国?の米国と同じことが日本、欧州といった今までのような成長が見込めない先進国では起こると感じる。
日本においても旦那がリストラや賃金低下といったことが主婦層に影響を与えるだろう。消費意欲の高いF1などともてはやされた仕事をする女性もリストラの対象としては現実的には男性よりも可能性が高いと思われるため、今後は浪費が減るのではないかと思う。
これまでのように生活必需品以外のぜいたく品というカテゴリーは急速に狭まると思うのだが。
日本における労働者の構成として製造業、とりわけ電機、自動車、その周辺産業に働く人が多すぎるのではないかと思っている。
建築、土建はもちろん多すぎると思っているが、今回は電機、自動車を見てみたい。
産業を大きく3つにわけるクラークの産業分類は以下のようになる。
第一次産業 - 農業、林業、水産業など、狩猟、採集。
第二次産業 - 製造業、建設業など、工業生産、加工業。電気・ガス・水道業
第三次産業 - 情報通信業、金融業、運輸業、小売業、サービス業など、非物質的な生産業、配分業。
第一次産業は戦後就労人口の60%を占めていたが、現在は5%程度、そのうちの多くが兼業農家である。
第二次産業が25%程度、第三次産業が70%程度だろう。
統計データもあるが、集計や分類にもよって時代によっても変わる。
この数字からみると第三次産業が多いように感じられるが、先進国においては第三次産業の就業者が70%を超えるは一般的だ。
日本においては第二次産業の就業者が多すぎると感じている。他の製造業主体の先進国(ドイツなど)と比べても割合は大きい。
1999年の経済白書において雇用、設備、債務の3つの過剰が指摘された。その後2005年の経済財政白書」では、3つの過剰はほぼ解消したとされたが、それはサブプライムと新興国のバブルによる一時的な生産過多であったと今は考えられる。債務については減らした会社も多いが、雇用、設備の過剰は大きい。
生産過剰だったのは電機と自動車が大きい。つまり海外へ輸出している割合が大きい業種だ。
現在名古屋地区など自動車業界や電機業界が集積している地域というのは、製造者派遣の契約が切れた者が多い。彼らの多くは正社員では無いが、設計など専門的技術を持つエンジニアだ。
これらの者は製造業での仕事に再度従事したいと思っているが、雇用が回復するのは厳しいだろう。かつて農民が工場の労働者やサラリーマンになったように、製造業を捨てサービス業など人手不足の業界に本来は行かないとおかしい。
実際は、製造業で働く人はコミュニケーションが苦手な人も中にはいるので、サービス業は行きたくないと思う人がいるだろう。
このようなミスマッチは存在するが、将来的に雇用が無ければあるところに移らないといけないだろう。