›10 26, 2012

楽天とアマゾンの電子書籍での戦いはアマゾンの圧勝

Posted by skillstorage at 01:14 / Category: IT / 0 Comments

国内のインターネット販売において、送料無料で独自の配送センターから直送するamazonのモデルは、小売をネットに集めただけの楽天から客を奪いつつある。
楽天のモデルと違いamazonでは集約されたロジスティックから規模の経済が追求できるのだ。

他方、流通の発生しない電子書籍でも、アマゾンジャパンがkindleと電子書籍を発表した。
楽天はいち早くアマゾンに先駆けて国内で電子書籍端末koboを投入したが、アマゾンの参入により大きな苦戦を強いられるだろう。

楽天はカナダのkoboを買収し子会社化したうえで電子書籍ビジネスに参入したが、ここでのビジネスモデルでもまた規模の経済が追求されるのだ。
アマゾンジャパンが発表した電子書籍端末kindleは衝撃的であった。

kindleの安いモデルは、8,480円であり、楽天のkoboの価格を上回るが、koboを買い使ってみた上での不満が払しょくされている。
e-inkによる表示は目が疲れずに本のように読めるという感覚が売りなのだが、koboではバックライトが無いため、寝っ転がって読むと暗く感じる。また寝室で電気を消して読むことは不可能だ。
また、ページめくりの反応が遅く、めくるたびに白黒反転するのも気になる。辞書を読みだすのにも時間がかかり、わずか数秒でもイライラ感じる。しかも英和辞書はいまだに搭載されていない。

本を読むにあたっては、タブレット端末でも軽ければ問題は無いと思う。アマゾンのkindleは電子書籍端末というよりはタブレット端末で、facebook、twitter、googleなどのサービスが使え、huluなどの映画を見たり、ゲームを楽しむことができるので、こちらも届くのが楽しみだ。

電子書籍のコンテンツでの課金がビジネスモデルのため端末は原価で提供しているといわれている。
そのため、HD画質のKindle Fire HDで15,800円、Kindle Fireが12,800円という非常に安価である。AppleのiPod miniよりも高機能、高画質で価格が圧倒的に安いのでAppleも苦戦を強いられるだろう。Googleのタブレットネクサス7も安く高機能で購入を考えていたが、Kindleの購入の方が良いと思っている。
もちろんこのようなコンテンツで課金し、端末は原価で配るという過去にソフトバンクがADSLの端末を無料で配ったようなビジネスモデルを展開されれば、国内のタブレット端末を作っているメーカは太刀打ちできない。

楽天のkoboはアマゾンのもつ既存の書籍情報、顧客のコメントや評価のデータベースにも太刀打ちできない。これは利用者の利便性からも圧倒的に不利である。
電子書籍の価格は大差が無いように思える。また今のところ5万冊程度と大型書店での品ぞろえよりも劣るのが現状だ。

電子書籍が買えるビジネスモデルとして自費出版もあげられる。これまで個人での書籍作成には出版に伴うコスト、流通の壁から大きな障壁があったのが電子書籍ではそれがなくなる。現状koboを利用して自費出版を展開するには、パブーから行う必要があるが、アマゾンではKindle Direct Publishing というサービスを展開している。
個人による自費出版は書籍業界に大きなインパクトをもたらすと期待している。

楽天がkoboでアマゾンに挽回するには、電子書籍の価格しかない。アマゾンの発表から電子書籍と紙媒体の書籍の価格を比較してみたが、紙媒体と比べ1割から2割だけ安いというのが主流だった。これまamazon.comで展開されている電子書籍と紙媒体の価格差からは大きな不満が残る。また、日本ではブックオフが古本を展開しているし、図書館なら無料で本が借りられる。電子書籍を普及されるためには、より価格を下げる必要があるだろう。

本は再販制度により定価販売が守られてきたが、電子書籍では価格競争が行われるべきである。
koboで安ければkoboで書籍を買うだろう。それ以外での端末でもサービスでもアマゾンには勝つにはあまりにもハードルが高すぎるのだ。

楽天は何故koboという会社が売りに出されていたのかよくよく検討したのだろうか。電子書籍業界でアマゾンに勝つ見込みがないから、楽天に売却したのではないかと思ってしまうのだが。


›10 25, 2012

生産性向上が世界的な失業時代をつくる

Posted by skillstorage at 03:04 / Category: オペレーション / 0 Comments

過去100年間で人類はこれまでにない進歩を遂げ、豊かになった。それは産業革命と情報通信のもたらした恩恵だ。
日本の農業の従事者は10分の1に減ったが、生産量はそれほどまで減っていない。生産量が増えても人員増加しない製造業も沢山ある。
それこそが生産性の向上だ。

農業などは昔は人手で畑を耕していた。それが馬などを使い、やがてトラクターなどに変わり、人手の作業の何十倍もの効率で仕事ができるようになった。
10人必要だった人が1人で同じ作業ができるのであれば、その1人が利益を独占して残り9人分の利益を得ることができる。残りの9人もそれぞれまた仕事をすれば良いのだ。
このようにして人類の供給能力は劇的に高くなった。またその供給力を満たすだけの潜在的な需要が膨らんでいったのだ。

製造業においてもこの考え方は同じで、ロボットによる自動化が進み、安い人件費の他国での生産というグローバル化によって生産性を高めてきた。
今ある生活は高度に分業化されているがこれもまた生産性向上という効率を劇的に高めた結果である。

生活に必要な製品をつくれば売れ、娯楽や満足を得る製品をつくれば売れ、といったように需要は無限にあるように思えたのだ。しかし、現在は需要が限られている。新しい需要をつくりだすようなイノベーションがなかなか登場しなくなってきたのだ。

先ほどの農業の例でいえば、1人で10人分の作業ができるトラクターを納入して9人が仕事を失ったら、その9人は新しい土地が無いため次の仕事ができない状態、もしくは新しい土地で生産を同じように始めても、そもそも需要が増えないため倍の生産量になてっても元の生産量しか必要ないと言われてしまったような状態だ。

半導体や電機メーカは相次ぎ巨額の赤字決算で大量のリストラを断行中である。これまでは生産性を高めた分だけ新しい仕事があったのに対して、今はもう新しい仕事が無いのだ。スペインやギリシャの失業率は20%を超え、若者の失業率は50%を超える。

生産性の向上で利益を得た人は利益を独占するが配分はしない。現代社会ではこれは政府が税金で徴収し、失業者に配分する仕組みで誰もが飢え死にしないで生きられるようにしている。

日本が20年もの長い年月不況に陥っているのは需要不足によるデフレだ。企業は利益を出し続けなければ存在できない。だからリストラやコストダウンによる生産性向上を行う。新しい需要を生み出さなければ、ますます失業者は増えていくだろう。

›10 23, 2012

無暗な公共事業よりナマポの方がマシだ

Posted by skillstorage at 05:56 / Category: 政治経済(Political Economy) / 0 Comments

生活保護を意味するナマポという言葉が広く認知されるようになった。この言葉の発音の軽さから、生活保護はいとも簡単に、罪悪感無しにもらうべきものだという考えまでもが広く浸透してしまっている。

芸能人であり高額所得者である河本の母が当たり前のように生活保護をもらっていたことや、その後他のお笑い芸人の母もまた高級マンションに住みながら生活保護をもらっていたことから感じるのは、ナマポは恥では無く、もらったもの勝ちのような意識すらあるのではないだろうか。
既に生活保護予算は3・7兆円にまで膨れ上がっている。

このような莫大な予算がつぎ込まれているが、公共事業と比べてどうなのだろうか。
公共事業に伴う財政支出は効果のあるべきものに行うべきである。

しかしながら、バラマキにより田舎に不要な使われもしない大規模施設が無制限に建設される事態となった。
当然ながら費用対効果、投資効果など無く、闇雲にその後の維持費だけがかかる無用の長物である。

利するのは土建屋である。

他方、生活保護による政府支出はどうだろうか。これもまた生活保護受給者以外への直接メリットは無く、現行制度では受給者の働く意欲を削ぎ、一度貰ったら既得権益となってしまっているのが現状だ。

ただし、間接的なメリットは広く波及しているのだ。それが、乗数効果である。公共事業に対する乗数効果はバブル崩壊後低迷している。土建屋に金が落ちるが、それが広く波及することは無い。しかし、生活保護であれば受給者はまずそのほとんどを消費に充てるのである。その消費が小売のわずかながらの売上高の上昇につながり、わずかながらの従業員の賃金上昇につながる。小売の仕入の上昇はメーカーの売上増大につながる。

このようにして理想的には経済が回っている。もちろんナマポが公共事業よりましだというレトリックは、公共事業の有り方に対する不満の裏返しだ。

最も、ナマポ受給者は働かず時間をもてあましていることからパチンコに入り浸っているものも少なくないという。もちろんこれはパチンコ業界には貢献してはいるという見方もできる。

生活保護制度は、問題が山積みだ。国民年金よりも生活保護費の方が多く、更に医療保険もかからないのだ。医療費全額免除により、無意味な病院通い、高い薬価のものを選ぶなどモラルハザードが生じている。
さらに最近では、厚労省は生活保護を受給している在日外国人について、本人が申請すれば、国民年金保険料を自動的に全額免除とする方針を決めた。
これでは、納税者、国民は何のために働き、税を徴収されているのか、民意は反映されているのか、と憤るだろう。

生活保護にバラマキ放置するくらいであれば、本来公務員として暫定的にでも雇用してしまえば良いのだ。受給と労働がセットでなければ勤労意欲が生まれない。
街中のゴミ拾いでも何でもさせてみたらどうか。

›10 22, 2012

ハシシタ -奴の本性 (週刊朝日)は人権侵害だ

Posted by skillstorage at 04:07 / Category: 政治経済(Political Economy) / 0 Comments

橋下市長に対するバッシングはこれまでも週刊誌各紙で繰り広げられてきた。しかし今回の佐野眞一氏の連載記事「ハシシタ」の内容は酷い。
記事の内容に関しては、これまで週刊誌やネットでも見れる内容であり目新しさは感じられない。
しかし、問題なのは最初から橋下氏の人格を、「敵対者を絶対に認めないこの男の非寛容な人格」などと否定し、ヒトラーと例え、さらにはこのような人格が形成されたのは血脈つまりDNAの問題だと結論付けているように見受けられることである。

現在の社会では、個人の人格を人種やDNAなどによって劣っているなどと主張することは差別に当たる。これは表現の自由を逸脱した行為である。
朝日新聞出版と親会社である朝日新聞社は週刊朝日のこの連載の中止を発表して橋下氏に対してお詫びのような表現を行っているが、佐野氏に関しては、部落を地名表記したことに対して詫びているのであり、血脈や個人の人格を否定していることに関して橋下市長に対してはいっさい謝罪していない。
部落があるとされる八尾市安中という地名に関しても、橋下氏の出身に関しても、これは過去の週刊誌での報道やWikipediaにも掲載されていることである。
また、八尾市安中という地名に関してもGoogleで検索すれば真っ先に部落や同和問題のページが出てくるし他の週刊誌でも既出であることからも週刊誌で表現されたことはタブーではあるが、今回初めて公にされたということではない。

また、橋下氏の父がヤクザで自殺したことや従兄弟の殺人事件に関してもこれまで報道されていることである。

連載記事はこのような公知の内容を書きながら、人格や血脈の問題を出してバッシングしたことが重大な人権侵害に当たるのだ。しかも、この佐野氏の連載が酷いのは政治家にとって大切な政策に関する議論を一切行わず、性格や人格を攻撃するという卑劣な行為を行っていることである。

このような攻撃を受けながら堂々としている橋下氏はたまげたものである。過去の生い立ちが人格や行動に大きな動機があるだろうが、部落の血が入っているだとか、ヤクザの血筋だとかは関係ないだろう。このような表現をするジャーナリストに対して憤りを感じた。

これほどまでのバッシングを受けたら普通の人間なら大きな精神的苦痛を受けるだろう。これほどまでのバッシングをものともせずに、自分の信念を貫き通せるほどの政治家、人間は平和ボケした現代ではそう多くは無いと思う。橋下氏の今後には大きな期待をしている。


›10 16, 2012

サプライサイド経済学 v.s. デマンドサイド経済学

Posted by skillstorage at 01:59 / Category: 政治経済(Political Economy) / 0 Comments

オバマ対ロムニー、それから自民党に対する維新の会やみんなの党の議論の対立軸を見ていて明確な経済政策として見えるのが、サプライサイド経済学かデマンドサイド経済学といった違いだ。

サプライサイド経済学は供給能力を強化することによって経済成長を実現しようとする政策である。
その前提には「生産したものが全て需要される」というセイの法則を置いている。

かつてアメリカのレーガン政権においてレーガノミックスと言われる政策は、サプライサイド経済学であった。減税や規制緩和により供給能力を高め、また余剰資金を投資や消費に回すことによって「強いアメリカの復活」を実現していったのであった。

それに対してデマンドサイド経済学はケインズ型の経済政策である。需要を創出するために公共事業を積極的に行う。

最近の対立軸として経済政策での対立が際立っているが、経済学においても金融政策と財政政策での対立、ケインズ経済学に対して新古典派経済学といったように昔から論争は続いていたのだ。

近年においては、政策は混合して行うことが合理的であるというのが経済学者の概ねの合意である。

経済学的には財政出動による需要喚起よりも金融政策の方が効果が高いことが知られているが、デフレ経済下においては状況が異なる。

現在の日本経済は20年近くにも上る長期のデフレ衰退に陥っており、量的緩和をしても企業の貸出に回らず、企業の投資や消費に回らないといった現象や流動性の罠に陥っておりなかなか不況から脱することが出来ない。

また財政赤字が膨らんでいる中、公共部門の赤字削減は喫緊の課題であるが、緊縮財政による経済の停滞といったギリシャのような悪影響も想定される。

他方、財政出動するにあたり乗数効果の期待できるバラマキなど存在するのかという根本的な疑問も残っているのだ。


›10 10, 2012

日中の眠気とどう付き合うか

Posted by skillstorage at 05:09 / Category: 健康法 / 0 Comments

仕事は睡魔との闘いなのかもしれない。
最近の調査によると、仕事中に眠気を感じる人は90%にも上るという。
食後であったり、退屈な会議中に睡魔は襲ってくる。

そして仕事中に眠気で何かしらの問題を起こした人は70%にも上るという。これはあくびをして不評を買ったり、本当に居眠りをしてしまったり、集中力散漫になりミスをしたり様々なことがあるだろう。居眠り運転などは大事故につながりかねない。

筆者も我慢ができないほどの眠気を感じたり、ぼーっとしてしまうことが多々ある。
思い起こせば受験勉強をしている時にせよ、仕事中にせよいかにして眠気と対峙するかの連続であった。

睡眠時間が短ければ眠気が襲ってくるが、睡眠時間が長ければ眠気が無いかと言えばそんなことはなかった。
それに睡眠時間を長く取るということは、自分の人生における貴重な時間を犠牲にするということだ。

昼間猛烈な眠気に襲われて、早く寝ようと思っておきながら夜になると覚醒して眠れないということも多々ある。

最近では、サラリーマンに過眠症という病気も流行っているそうだ。どうしても昼間眠くなってしまうのだ。
それに、ナルコレプシーという突然の猛烈な睡魔で意識を失うほどの眠りに入ってしまう症状もあるそうだ。

そんなことは言っても社会人として適応していくには、睡魔を克服していかなければならない。
わざと体を痛めて眠気を取ったり、ガムを噛んだり、歩き回るといった方法もあるが、一番効果的なのはやはりカフェイン剤だった。
1錠でコーヒー1杯分位のカフェインを取ることができるのだが、何錠か一度に飲んで暫くすると覚醒してくる。

本来は眠い時には眠るのが一番体にも良いだろうし幸福を感じるだろう。しかし社会ではそんなことは許されないのだ。
眠気を如何に克服していくか、真剣に対応することが大切だ。


›10 09, 2012

生きぞこない…… エリートビジネスマンの「どん底」からの脱出記

Posted by skillstorage at 04:26 / Category: 書評 / 0 Comments

エリートサラリーマンが失業し、多額の借金を背負って鬱病で自殺未遂するという実話である。
あんがい、エリートも生きぞこなって死にそこなった者も大した違いはないのだ。成功者も明日は失業者かもしれないという暗く恐ろしい現実がそこにある。

筆者の北嶋一郎氏は、バブル期に帰国子女として日本の大学を卒業し、IBMに入社する。
当時大人気だったIBMの同期社員はなんと2500人。その中で、入社して1年目にはすでに年収1000万円を突破する。

外資系の大企業でいかに出世するかを考え、狙いを定めた上司に対する徹底したおべんちゃら作戦で、エリートコースに乗ることに成功する。
歯車が狂い始めたのは、PCを売る事業部で働いていた時、その事業ごと中国メーカに売却されてしまったときからだ。

IBMが大好きで、仕事に誇りを持っていたのに、中国メーカになったとたん働く意義を失ってしまう。
こんな会社のために働きたくないと思い、IBMにも戻れないことを自覚し転職を決意する。この時もう40歳を超えている。

人材紹介会社から紹介してもらった会社は、インテル、マイクロソフト、アップル。どの会社にも行くことができたが、製造業であるインテルを選ぶこととなった。
インテルは秘密主義の会社で、隣のデスクが何をやっているかもわからない会社だった。転職してからもIBMの時のような熱意を持って仕事はできなかったのだろう。
不況からリストラが実施され、あえなく退職することとなる。

次に選んだ会社は長く働ける会社が良いとの思いから、日系の富士通を選んだ。ここでは課長という職で年収2000万円で転職した。
課長でありながら、部下を任せてもらえずに部長預かりという微妙なポジションかつ、平机の並んだ日本企業ならではの社風や自由が無い拘束された環境からなじめないままリストラ勧告されるまで過ごすこととなる。
一体何が目的で富士通はこのような高年収で採用したのだろうか?生え抜きでは定年まで達しないような年収だ。しかも仕事は生え抜き社員が微妙な会社の人間関係から成り立たせており、これでは社外からいくら優れた社員を取ろうがうまく活用なんかできっこない。

IBMを辞めてからの2社はどちらも1年も満たない退職勧告だった。

次もすぐに見つかると思っていたものの、いくら待っても人材紹介会社から転職先の斡旋は来ない。
不況に突入し、直近2社を短期間で退職している者に良い仕事は紹介されないという事実を突き付けられるのだ。その後はなんと光通信にまで転職し、あまりのすさまじい職場環境ですぐに退職を余儀なくしている。

これまでのエリートサラリーマンとしてのプライドと浪費が次の転職に高いハードルをつくってしまったのだろう。仕事は見つからず、不眠症になり鬱病と診断される。
金遣いが荒く、持ち家も無いのに1億1千万円の借金をつくっていた。

失業し、アルバイトをやるも続かず、同棲している彼女に食わして貰う始末。没落し、やがて絶望から自分を追い詰め壮絶な自殺未遂することとなる。

死にきれず生還した彼は、エリートサラリーマンだったときには見えなかった友情なんかが身にしみてわかるようになる。うつ病は双極性障害と診断され障害者認定を受けることとなった。今はツイッターで知り合った別の女性に食わしてもらって自己破産を申請し再起を図っているようである。

現在も日本企業の多くでリストラが実施されている。彼と同じような立場にいる人は多いだろう。自殺者は年間3万人を超えている。
今仕事がある人にとってだって決して他人ごとでは無い話なのだ。

それでもこの本は仕事だけが人生では無いことを教えてくれる。人生で本当に大切なのは何かは、大きなものを失った時に見えてくるのかもしれない。

›10 03, 2012

マスコミの偏向報道、安倍バッシング

Posted by skillstorage at 10:20 / Category: 日々雑感 / 0 Comments

安倍さんが自民党総裁に選ばれた時、身近な人が「また病気だとか言って投げ出すんじゃないの」と言った。
このように思っている人は多いのではないかと思う。
安倍氏の病気について詳しく報道されておらず、病気というのはまるで仮病のように扱われ、まるで投げ出したかのように報道されていたからだ。

また有る人は、「不治の病なんでしょう。1日に排便を30回以上もやってしまうような人が総理を全うできる訳がない」と言っていた。
これもまた安倍氏の病気について詳しく報道されていないからだ。

安倍氏の病気は潰瘍性大腸炎で、この数年で薬による治療が進歩しており生活に支障が無くなっている。このようなこともまともに報道されていないのだ。
また、最近では、安倍氏が食べた3500円のカツカレーがしきりに報道され、庶民感覚からずれているというバッシングに至っている。

かつての麻生総理の漢字の読み間違えでも極端なバッシングが起こったが、マスコによる恣意的な偏向報道というか悪意に満ちた嫌がらせを感じる。

何しろ朝日新聞の若宮啓文論説主幹は「安倍氏をたたくのは朝日の社是」だと語ったそうだ。

こうなるともうマスコミは信用できない。醜悪な週刊誌とたいした違いが無く、このようなマスコミの世論誘導に惑わされてはいけない。
朝日新聞などは、未だに左翼的で反日的な主張を繰り返しており、愛国心だとか国益を主張する政治家がよほど嫌いなようだ。

思えば学校教育からして偏った内容だった。大人になって分かったのは日教組というのは非常に特殊な考え方を持っており、子供は容易に洗脳されてしまうのだ。

惑わされず、自分の考えを持たないといけない恐ろしい社会に生きているということを自覚しないといけない。

›10 02, 2012

NECは潰れるのか?

Posted by skillstorage at 00:19 / Category: 経営戦略 / 0 Comments

始業前、空から人が落ちてきた。脳は割れ飛び散ったであろう。NEC本社ビルで社員が飛び降り自殺したのだ。
NECは抜本的な構造改革を推し進め、1万人のリストラを実施中である。

リストラの対象になる人には気の毒かもしれないが、会社にとって価値の無い中高年が多いのが大企業の特徴で、指名解雇出来ない以上、執拗に面談を行い自主的に勇退してもらうしかないのだ。

ところが、リストラの対象となる人には自覚が無い。会社に行けば給料を貰えると思っていて、当たり前のように会社にしがみつこうとする。
能力のある人から、割増退職金を貰い転職する。会社にしがみつく人は、転職可能性が無く、とりえのないゴミのような者ばかりなのだ。

NECは通信機器メーカとして、主にNTTの発展に伴い下請け的な仕事から成長し、パソコン事業である時期世界トップ企業にもなったのだが、今ではその面影はない。
グループ会社にあるものづくり企業をひたすら売却を続け、通信のソリューション事業に特化しようとした。製造業でありながら、人的資本の分野への参入は高い競争ハードルがあり、通信機器においては後進国による模倣によってコスト競争で負けている。

NECの株価は100円ちょっとという有様で、時価総額はたったの3000億で、PBRは0.5倍だ。市場はNECは永続企業としては今後も赤字を出し続け資産が劣化すると評価しているようなものだ。

NECは日本の大企業病を象徴しているようだ。あいかわらず中高年の既得権益が強く、グループ内では本社が一番権力を持っている。
稼げる人材は賃金が低い若年層に多いものの、中高年の仕事が無いにもかかわらず給与を払わなければいけないポジションやポストが多く存在している。

国際的な競争に晒されている分野においては競争力を失い、防衛や公共事業など国内需要が事業を支えているという有様だ。
リストラを断行すると鬱病発症が増え、自殺まで出るとは、会社に依存しきっていて、辞めさせられるという人生設計が無かったということだ。

これが、いつ首になるかわらないという自覚があったら、心構えも違うし、給与が上がり続けボーナスが貰えるのが当たり前というようなプランでマイホームなどの借金などしなかっただろう。

NECだけでなく電機メーカも岐路に立たされている。赤字を重ね将来潰れるのか、復活を遂げるのか。
日本での環境は厳しい。円高に加え高い賃金と解雇規制。デフレによる国内の低需要。製品に関しては、海外との競争力を失っているなかで、企業が利益を上げるには大きな構造改革が必要だ。多くの痛みが必要になるが、それが断行できなければ企業は存続して行けない。