›8 30, 2010

グルーポン(GROUPON)のようなWebクーポンのブーム

Posted by skillstorage at 19:56 / Category: イノベーション / 0 Comments

グルーポンはWebクーポンサービスを展開しているネットベンチャーで注目を浴びている。SNSやWeb2.0の次に来るブームを作りだした企業だ。

クーポンをWeb上で”Twitter”や”Facebook”などの口コミ効果の高いソーシャルネットで告知して、大量購入させるモデルなど新しいアイデアで勝負して市場に浸透させている。バイラルマーケティングの発展とも言える。

日本でもグルーポンをコピーしたビジネスモデルがブームで自分が知る限り10社以上もあり、ベンチャーキャピタルなどからの資金調達もうまくいっているようである。
色々使ってみると技術的には難しそうでは無いことから沢山の企業がサービス展開するのだろう。しかし、ネットの性質上、残るのは限られた企業に集約されるだろう。



Webで無くて新聞の折り込み広告でも最近はクーポンがずいぶん増えていると思う。最近はファミレスをクーポンで利用してみた。
また、スーパーやコンビニで買い物をしてもレシートにクーポンがついてくることが多い。相互ネットワークが張り巡らされたシステムで、業界をまたがって購買傾向を掴む試みが行われている。
ある業界である商品を買う人は別の業界のある商品を買う傾向があるなど。かつては米国のスーパー内でのPOSシステムによる購買傾向としてオムツとビールという組み合わせが多いことがわかったそうだ。週末に父親がオムツを買いに行ってついでにビールを買うということだ。

Webクーポンでさらにそのような分析ができてくるのかもしれない。
先日もある居酒屋チェーンでケータイからクーポンを見せて、ずいぶんと安くなった。調べると沢山のサービスがクーポンで割引になる。

クーポンを知らないとそれだけ損をするということだ。

WebでもAmazon内の購買履歴からリコメンド商品がわかるが、今後は購買履歴が様々な企業で取引されるようになるかもしれない。
このような個人情報は厳しく管理されるべきという人も多いが、消費者は潜在的な購買ニーズのある商品をまだまだ知らないのだから、新しい発見があって面白いとも思うだが。

›8 24, 2010

それでも富裕層の多い日本

Posted by skillstorage at 20:03 / Category: 日々雑感 / 0 Comments

夏休みに千葉の外房を旅したのだが、車が無ければ不便でどうしようもないところが多かった。都心への通勤圏内ではないため、年寄りばかりが目立ち、空家も多かった。それでも自然に沢山かこまれていて、海も山もあって本来リゾート地としては良い場所なんだろうと思った。
泊まった宿は、部屋のほとんどが空いていて寂れていた。年金で暮らす人が多いと感じたが、車が無ければ買い物は難しい気がする。東京を離れればそんな地方都市ばかりなのかもしれない。かつては営業していた町工場の廃墟もいくつも見られた。

富裕層の定義は様々だが、「住居用不動産を除く資産総額が100万ドル以上(8600万円程度)」では165万人もいて米国に次いで2番目で世界の富裕層の16%を占めるとのことである。
住居用に使用しようがしまいが資産には変わりが無いと思うのだが、住居で使用している不動産を入れたら、どのように数値は変化するのだろう。資産を時価に直し、住宅ローンを差っ引いた純資産が個人の資産になるのだが、そのような定義で日本の富裕層の人数と割合を把握したい。

いずれにしても、不景気が長引く日本はまだまだ裕福であり、世界には1日2ドル以下の賃金で働くBOP(ピラミッド底辺の貧者層)が60億人以上もいるという話もある。
日本は大変恵まれた環境にあるのだ。

モチベーション3.0 ダニエル・ピンク

Posted by skillstorage at 12:43 / Category: 書評 / 0 Comments

働き方、仕事に対する考え方は大きく変化している。マズローの欲求段階説にもあるとおり、人は生存するための労働から、より高い意識と自己実現を求めるようになってきている。現在のような不況でも、少なくとも社会保障により飢え死にすることはないし、生きがいややりがいを求めるというのは納得のいくところであろう。
モチベーションをコントロールする「アメとムチ」〈モチベーション2・0〉は通用しなくなりつつある。

ダニエル・ピンクのインタビューや記事を以前から見ていたが、革新的な事例の紹介がとても面白い。会社や組織に属さないフリーランスの増加や、報酬以外のものを求めて働く人たちなど、これからも増加していくだろう。
フリーランスだけでなく、非正規社員やアルバイトも増加しており、そのような立場で満足している人も多くいることに驚かされる。成果が出せなければ収入が無い世界であり、自分の体(脳みそや体力)が資本である。それ以上に、精神力が要求される世界である。

報酬以外のモチベーションについては、21世紀に入ってからの概念になるだろう。OSのLinuxの開発やWeb百貨辞典のWikipediaなんかは多くの無報酬の人たちによってささえられ、莫大な費用と携わる人に対する報酬でつくられた製品を凌駕する存在となった。
そして、多くの人がそのようなモチベーションに対して未だに理解が及んでいない現状である。

しかし、そのようなモチベーション概念は大きく、確実に波及している。

先日もあるベンチャー企業の社長と話したのだが、彼は社員をmixiのコミュニティで集めたそうだ。しかも起業で金が無いので当面は無報酬の成功報酬だが逆にモチベーションの高い人たちが集まるそうだ。

また、ある人は自給自足のコミュニティづくりに精を出しているのだが、土地の開拓から住居建設など手間のかかる労働を無報酬のボランティアが集まってくるそうだ。

BlogやTwitterなんかをやる人の多くも無報酬でやっている。中にはアフィリエイトなんかで稼ぎまくる人もいるが。

逆に、どんなに報酬が高くてもそれを捨てる人もいる。ある会社の役員は30代で地位を築いたが、それを捨てて農業の世界に行ってしまった。誰もが反対し、信じられないという雰囲気だった。

日本では10年位前にもネット関連や外食などで独立・企業ブームがあったのだが、様子がずいぶんと違った。フリーランスにせよ起業にせよ、始める前のモチベーションは良いのだが、実際にはほとんどのケースがうまくいかず、生活に困ったり、借金の返済に追われて大変で、焦りと不安で精神を病む人を多く見てきた。
健康でエネルギッシュな人が、胃潰瘍を持ったり、鬱になるケースも見た。それくらい大変なものなのだと思ったのだが。

もしかしたら日本人は不安症で、米国人は楽観的という違いがずいぶんあるのかもしれない。それから日米の違いとして米国企業は簡単にレイオフ、解雇を行うのに対して日本では雇用が保障されるという社会風土がある。米国企業にあるEmployment-at-willという契約で、理由に関わらず解雇できてしまうのだ。企業に属していおきながらいつ解雇されるのかわからないのであれば、フリーランスが良いという選択も当然あるかと思う。

日本ではSOHOのようなフリーランスが相互扶助で仕事を助けあったり仕事を回しあうようなコミュニティが発展しつつある。やりたい仕事ができるというのはモチベーションが高くなるのは当たり前だが、同時に生活保障が無いと不安でモチベーションどころでは無くなるのではないだろうか。そして仕事が無くなれば、やりたくない仕事もやって稼がざるを得なくなる。

それでもやはり時代の変化は感じる。日本企業は大企業でもリストラをするし、潰れる企業も増えている。最悪でも命は取られないのだからと開き直れば、思いっきりやりたいことはできる環境がそろってきていると思う。

›8 19, 2010

葬儀ビジネスが盛り上がっているが

Posted by skillstorage at 12:47 / Category: 日々雑感 / 0 Comments

日本における数少ない成長産業の1つが葬儀屋である。人口は減りつつも老人は増加する。そして日本人は他の先進国の10倍の金額の約230万円も葬儀に費やすそうである。冠婚葬祭の葬は注目の産業なのだ。

古くからある葬儀屋のビジネスモデルは、病院の医師や婦長さんと結託し、死んだら遺族にその場で申し込ませるといった手口だったそうだ。葬儀を値切ったり相見積もりをするのは不謹慎という認識から、ほぼ言い値で申し込んでしまいそうだ。それに準備する期間が短いので即決しなければならないというあまりにも葬儀屋に有利な交渉ができる。原価が恐ろしく低いものを高値で売れるため、小さい葬儀屋は月に1件も葬儀をすれば儲かるという話もある。

「坊主丸儲け」という言葉がある。

そんな中、明朗会計でフランチャイズ展開をする近代的なビジネスモデルの葬儀屋も登場してきている。既に上場している会社もある。
しかし古くからある葬儀屋からずいぶんと嫌がらせを受けているようだ。新規参入にとってとても重要な販売チャネルである病院や婦長さんは既に押さえられているため、かなり大変な営業戦略を取っているようだ。生きている老人への訪問売り込みもしているようだが、これもまた失礼な印象を与えるため大変そうだ。

根本的には葬儀が必要なのかという意見もある。そこまで言わなくても、宗教と結びつけた葬儀スタイルというのは、今後は減っていくだろう。
火葬して墓に骨を入れるという風習も変わるかもしれない。今のスタイルでは墓地は限りなく必要ということになる。環境問題からも火葬は良くないという意見もある。

日本人もそうだが、先進国の若者の多くが無宗教化している。昔に比べて苦労が少ないから宗教が必要無くなってきたのか、もしくは科学の基礎知識が教育されたことによって神や仏が存在しない不可知論が根付いたのか、それともカルト宗教や印象の悪い宗教団体への反発心からか、いずれにしても日常生活と宗教の関わり合いが少なくなってきている。仏壇で毎日お線香をあげるという行為も無くなっていくのかもしれない。

すでに結婚式は完全に西欧化されており、信仰する宗教とは関係無しに教会で挙げたり、牧師がいたりする形だけのものとなっている。
いよいよ葬儀も宗教の儀式では無くなり、完全にイベント化されてしまい、パーティのような形式になっていくのではないだろうか。

つい最近出席した葬儀では、完全な流れ作業で時間短縮のためかお焼香は1回までと回転率を上げているのか知らないが、余り気持ちの良いものでは無かった。まあ、短時間で終わるので出席する立場からは良いのだが。


›8 16, 2010

出社は月に3日でいい

Posted by skillstorage at 19:50 / Category: 書評 / 0 Comments

衝撃的なタイトルであり、理想の働く環境に思えた。企業のオーナー社長にはこの本の筆者のように月に3日出勤するどころか、社員にまかせっぱなしで遊びっぱなしの人も稀にいる。知り合いでは、ヨットで何か月も旅をする社長もいるし、1カ月働いたら3ヶ月間海外で暮らすライフスタイルの社長もいる。

しかし大多数は、土日も祝日も関係無く、会社のことで頭が一杯で用事が無くても会社に行ってしまうような社長ばかりが思い浮かぶ。

これまで自宅勤務に適するのは個人事業主のSOHOのようなスタイルや、再分化された仕事の一部を受けるエンジニアのような仕事だという認識が強かったが、この本の筆者は経営者である。
それも森松工業という社員2600名、年商450億円企業の社長である。人数も年商も中小企業というよりは大企業だと思う。工場は世界各国にある。
かなり年配なのだが、ITやインターネット技術をフル活用した経営をしているので驚かされた。出社日数が少ないことによる経費削減や合理化メリットが遥かに多いのでさらに驚かされた。

Webカメラ活用で1カ月の出張がわずか30分とのことだ。それも喫茶店で仕事ができてしまう。冷暖房や電気代の節約だけでなく、快適な環境で仕事ができるというのもメリットがあるようだ。別に近所の喫茶店で無くてもネットが繋がれば海外のリゾート地でも船でも良いのかもしれない。何かあった時にすぐに駆けつけることはできないが。

かつてフォードが電話機の前に座り、指示と報告を電話で済ますという話があった。経営者は戦略の立案に徹し、電話一本で専門家に確認し、指示を出すのに徹するという内容だった。

月に3日の出社でむしろ効率的に経営ができているのであるから、他の会社にも当てはめることができるかもしれない。もっとも多くの中小企業の社長は、社長自ら営業し、技術開発し、銀行の対応をしているプレイングマネージャーだと思うが。

›8 11, 2010

映画ハゲタカ

Posted by skillstorage at 19:19 / Category: 書評 / 0 Comments

小説のハゲタカがNHKドラマ化され、そして映画化された。小説でハゲタカ・シリーズを読んでいるため映画は見なかったのだが、先日NHKで放送されているので見てみた。
ドラマ化の時もそうだったが、ずいぶんと原作と違うし、買収提案の詳細も省かれているために物足りなく感じるのだが、金融に携わっていないお茶の間の視聴者にとっては分かりやすいし、人間関係のドラマとしてのほうが楽しめるということだろう。
ストーリーは、米国投資銀行出身の鷲津が今度は中国のファンドに狙われた日本企業(大手自動車メーカ)を助けるという設定だ。ドラマのほうでは、鷲津は「腐った日本を買いまくる」設定で、ハゲタカという異名を持つ狡猾な手口で次々と業績悪化している老舗企業を買収していき、ITベンチャーなんかとも金融戦争になっていくという話だった。時代的にはリップルウッドのようなハゲタカと呼ばれた企業による銀行などの買収劇とライブドアによるニッポン放送とフジテレビ買収劇を舞台裏を紹介しながら別ドラマにした話だった。

映画ハゲタカは、続編だが数兆円の資産規模を持つ中国政府の管理するファンドが日本の技術を手に入れるために自動車会社にTOBを仕掛けるストーリーだ。鷲津はホワイトナイトとして登場するが、資産規模でかなう訳がなく、サブプライムローンで破綻が予測される米国の投資銀行を活用して対抗する。

鷲津が金儲けに徹する姿よりも人間味あふれる姿なのが驚かされる。そして、海外に日本企業が買われるという状況は着実に進みつつあり、中国資本になった老舗企業はずいぶんと増えているし、これからも増えるだろう。今のところは友好的買収や再建なのだが、ドラマのように敵対的買収という手段が取られるようになるのだろうか。
日本を代表する企業が買われるのだろうか。十分にあり得る話である。

しかし、今回の鷲津のライバルの設定の中国人が日本ではあり得ない貧困生活から成りあがるというのは、現実にもそういう人が中国にはたくさんいるからすごいと思う。
ハングリー精神は裕福になっても持ち続けるものなのだろうか。

›8 09, 2010

生きる|黒澤明監督映画

Posted by skillstorage at 20:06 / Category: 書評 / 0 Comments

50年以上も昔の映画だが、黒澤明監督の最高傑作とも言われる作品である。人間の生きる価値や真価について非常に考えさせられる作品であり、現代においても決して色あせることのないテーマである。

主人公の渡辺は、市役所で30年以上働き市民課課長の立場にいる。仕事はこなしているだけ、自分で忙しい状態をつくるだけが仕事で、実際には何もしていない。市民の要望や苦情が来ても他の課に回すだけであり、他の課もまた別の課に回すだけ。タライ回しだ。
「何も仕事をしてはいけないのが役所」そんなことを言う者も出てくる。

ところがこの渡辺は胃痛で病院に行ったところ胃癌であると知る。当時の胃癌は死刑宣告だ。絶望し欠勤し、初めて自分の金で酒を飲む。絶望したのはこれまでの人生であり仕事をしてこなかった生き様に対する後悔だ。胃癌で半年から1年しか生きられないと知り、逆にそこから初めて「生きる」ことを真剣に考えるようになる。

役所が舞台となっているが、会社、家庭、学校に置き換えてみると、見る人誰もが思い当たる節があるはずだ。真剣に生きているのか誰もが考えさせられる。だからこそ長い年月世界中でこの映画が支持されているのだ。
人生を時間を潰すだけに使っていいのか、そのような後悔というのは死に直面して初めて強烈に意識するのかもしれない。

渡辺は人生で初めて貯めた大金で遊び狂おうとするが、それでも他の人たちのようには楽しめないことを知る。渡辺の部署にいる若い女の子が退職願いの了承を求めて欠勤中の渡辺に会いに来るのだが、渡辺は天真爛漫で楽しく生きているその女の姿勢に憧れる。
渡辺は惰性で仕事をしてきたことを「息子のため」と言うが、その言葉に女は猛烈に反抗する。「親はそういう言い方をするが、子供は親のそんな生き方を望んだのか、何故子供のせいに」と。

これもまた誰もが思い当たるはずだ。会社や役所のような組織には順応しないといけない。それは子供や家族の生活のための自己犠牲だと。生きがいを犠牲にしたり、自己主張を抑えて必死で生活をささえているという意識があるはずだ。

しかし、それは言い訳に過ぎないということを知る。役所を辞めおもちゃ工場で働く女が単純労働の中にも面白とやりがいと世の中に役立っている話を聞かされある決断に至る。

結局は自分の人生の後悔を人のせいにするは卑怯なのだ。そしてどんな境遇であろうともやりがいを見出せるし、世の中の役に立つことをできる。どう取り組むかは本人の意識であることを思い知らされる。

渡辺は残りの人生を役所に懇願しにきた市民のためにつくすこととなる。
渡辺のように残りの人生を意識し変わることができるのか。渡辺の葬式で役所の同僚は「同じ立場だったら俺だってやれる」といい、「明日から俺も変わる」という者もいた。
人生とは、結局毎日の自分の行動の連続である。「生きる」こととは人によって違うだろうが、やはり何かを成し遂げること、人のためになること、何かに情熱を注ぐことなのではないだろうか。飢え無いで生存するだけなら動物と変わらないし、現代の日本では基本的人権として国が面倒を見てくれるレベルだ。どれだけ高い意識とそれに到達するために努力するかが人間の価値なのではないだろうか。


›8 06, 2010

LED照明の問題点

Posted by skillstorage at 20:19 / Category: 日々雑感 / 0 Comments

LEDの電球が大手電機メーカが売りだしていて結構売れているようだ。売れている理由というのはエコポイントの交換にちょうどいいからのようだ。
また白熱灯が環境問題の観点から生産中止になり販売も中止されるという背景がある。LEDの価格はまだまだ高く、家庭で考えると消費電力の削減で元が取れるのには長い年月使うことが必要になってくる。
電球は白熱灯、蛍光灯を巻いたタイプ、バックライトのCCFLを巻いたタイプ、そしてLEDタイプがある。

LED電球には問題が多くあることが指摘されている。色合いがなじめない、突然切れた、などの諸問題があるが、多いクレームは「まぶしくて暗い」、「ギラギラして気分が悪くなる」ということのようだ。消費者センターにもクレームが寄せられているそうだ。
この現象は輝度と照射にあるようで、電球の真下は眩しく、ちょっと離れた横は急に暗くなる。電球が全方向の照射されるのに対し、LEDは1方向照射であり、白熱球や蛍光灯のような拡散した光でないのでギラギラした光に感じるのだ。

さらに、LED電球はランプと違い購入品を組み立てるだけで作れることから、輸入品、ベンチャー企業の製品など多数参入してきている。しかしインバータ回路や電流安定の問題が多いことなどが指摘されている。

これは家庭用の話であり、現在盛り上がりつつある市場は事業者・病院・工場・役所・商業用施設の蛍光灯からの置き換えである。
この分野は直管型の蛍光灯がこれまで使われてきているが、地球温暖化防止条約によるCO2削減、日本政府によるクールズアース50(2050年までに温暖化ガス50%削減)、改正省エネ法(特定事業所の年1%低減目標)があり、さらにオフィスビルにおける消費電力の多くが照明であり、エアコンに比べて蛍光灯から代替照明に変えることにより大幅に削減が可能ということがある。そして、助成金や補助金によるバックアップもあり、今後市場の拡大が期待されている。

このような背景からベンチャー企業が中心となって新規参入が行われている。この分野ではLED照明の参入があるが、直管タイプのLEDというのは問題がさらに多いようだ。消費電力が逆に上がってしまったり、LED電球と同様に照度の問題があるのに加え、色合いが蛍光灯と違うことから商業用施設や飲食店では扱っている商品が安っぽく見えたりしてしまう問題が出てきているそうだ。

LED照明以外にも蛍光灯の派生で液晶バックライトに使われているCCFL灯による直管型照明にもベンチャー企業が参入してきている。こちらはランプでLEDと違い色合いなどの問題は無く、消費電力削減や寿命はLEDと同等で価格が安いという特徴のようだ。そのようなことから蛍光灯タイプに関してはCCFL灯による置き換えを行っている事業者が多く見られる。

かつては大手電機メーカの寡占市場だったのが、多くのベンチャー企業が乱れる市場になったことによる品質の悪い製品が参入してくることが1番の問題かと思われる。思えば照明はいろいろな分野で使われ、街のネオンや公共施設の照明まで非常に多彩である。

環境問題から省エネやエコといった言葉がキーワードになり、照明市場は急拡大している。これから白熱灯が姿を消し、その次は蛍光灯が姿を消すだろう。しかしその次のLEDというのが技術的な問題から安かろう悪かろう製品が蔓延する危険性などがあり、非常に懸念されるところである。

こちらの記事によると、蛍光灯型のLEDでは問題が多く、米国エネルギー省は「蛍光灯の代替品としては性能が不十分」と指摘、日本電球工業会も注意点をまとめた冊子を公開しているそうだ。
http://mainichi.jp/select/wadai/everyone/news/20100806mog00m040006000c.html

›8 04, 2010

避けられない運命には従え

Posted by skillstorage at 20:19 / Category: / 0 Comments

以前紹介した書籍「道は開ける」の第9章の内容である。この本は悩み・困難からいかに脱却するかを沢山の事例と方法を紹介している本なのだが、読み返すたびに多くのことを気づかされる。
たまたまパラパラとめくって読み返したらとても衝撃を受けた。何度か読んでいる内容なのにである。

人は時に避けられない運命に直面する。病気や事故で障害を持ったり、失業や破産、家族を失ったりと。そのような運命に対峙したときにこそ人間の真価が問われる。
こんな内容があった。盲目になったとき、そのこと自体が悲惨なのではなく、そのことを受けれられなかったり、悩んだり、絶望することが悲惨なのだ。

確かにその通りだと衝撃を受けたのだ。悲惨な境遇に陥った人はたくさん思い浮かぶが、その境遇をどう捉えているかによって人生が大きく変わる。
癌を宣告された人は多くいるが、その運命に拒絶反応を示す人もいれば、逆に残りの人生を楽しもうだとか前向きに捉える人もいる。どちらが幸せかは明らかだ。
事故で障害を持った人もいる。本書にも手を失った人の話がある。失った手が気になるのは裁縫をする時くらいで、普段は意識もしない。
五体不満足でもそれを障害と思わず、むしろ一般人よりも充実した人生を送る人もいる。

客観的に考えて明らかなのは、悩んでも解決できない問題、避けられない運命には従い、楽観的になることだ。

›8 02, 2010

ロジャー&ミー|マイケル・ムーア

Posted by skillstorage at 20:15 / Category: 書評 / 0 Comments

今や有名となったマイケル・ムーアのデビュー映画作品とのことで、今更ながら見てみた。

「ロジャー&ミー」は自動車会社GMの大規模リストラ(レイオフ)によりGMが主産業で繁栄していたフリントという都市が崩壊していく姿の取材と、当時のCEOロジャー・スミスに会いに行く姿をドキュメンタリーにした映画である。
他の作品土曜に、映画タイトルからは何の話かまったくわからない。これは結構問題だ。

ムーア監督の映画はどれも同じスタイルで、社会問題に対してインタビューと突撃訪問をして、報道されない裏事情や問題の原因となっている中心人物へのアポ無しインタビュー作戦というのも最初の作品から一貫したスタイルが貫かれている。

日本でも自動車産業によって成り立っている地域が多数ある。自動車産業だけでなく、工業地域というのは特定の企業の雇用によって成り立っているところは多い。
GMによる当時のレイオフは非常にインパクトが大きかったことがわかった。レイオフされた労働者は仕事を失い、商店街は活気を失い、犯罪が多発する。
映画では、生活のために保健所にばれないようにウサギ肉を捌いて売る女や、アパートから追い出すのを仕事とする男への密着取材も重ねている。
以前は良かった生活が崩壊し、地域が崩れていく。何とも恐ろしい光景であった。

そしてこのような光景は日本でも部分的には行われており、将来的には大企業による工場閉鎖によってまったく同じ光景を目にすることになるかもしれないと思った。
現在日本でも中小企業の工場閉鎖なんかは当たり前に行われている。大量の失業者により職安(ハローワーク)に求職者が殺到するシーンなんかも報道されているが、ムーア監督のような密着取材を見たことが無いので現実感が無い。

日本の場合は更に酷い状況になるのではないかと思う。下請け中小企業の社長は多重債務によって個人補償や連帯保証で夜逃げや自殺に追い込まれたり、失業者でも住宅ローンの返済ができず、自己破産や連帯保証で家族や親族まで崩壊したりする姿があるのではないだろうか。米国と違って日本は資産を失って終わりではなく、借金の返済をし続けなければならない。本人が返済できなければ連帯保証人が返済しないといけない。この点が日本の失業者達には重くのしかかってくるだろう。

映画では、家を失った一家が親戚をたよりに車で引っ越ししていく場面があった。頼れる人がいない者はどうなろうのだろう。米国人は楽観的な性格が多く、GMレイオフの時も米国経済が今の日本のように長く悪い状態では無かった。しかし、今の日本でこのようなことが起こったらと考えると背筋に寒いものを感じる。

それでも日本は幸せだ。世界では虐殺、戦争、餓死、不当搾取がまだまだまかり通っている国があるし、報道もされている。
命の保障と基本的人権がある日本で、それさえもない人たちに比べて遥かに幸せな環境にいるという認識があるかどうか。