›7 31, 2013

ワイシャツからオッサンの乳首や胸毛が透けるのはセクハラじゃないのか

Posted by skillstorage at 07:35 / Category: 健康法 / 0 Comments

結局、ワイシャツの下は何を着ればいいのかでは、宮崎俊一・松屋銀座紳士服バイヤーによるおかしな提案さがれている。

半袖シャツを全否定するわけではないし、松屋銀座でも半袖をご用意してはいる。ただし、これは積極的な提案ではない。できればスーツやシャツの素材を工夫して、夏場でもきちんとしたドレスコードに則ったビジネススタイルをしていただきたいというのが本音です。

 理由はいくつもあります。まず、日本国内ではよくても、国際社会、特に欧州では、ルール違反の格好をしていると、それだけで「交渉すべき価値ある相手」と見なされないことが多い。半袖・ノーネクタイで欧州の要人を空港で迎えでもしたら相手は「馬鹿にしているのか」と立腹しかねません。それに、半袖シャツのようなアームホールの広い服は、どうしても間が抜けて見える。国際商談の場などでは、第一印象でいかに相手に「自分ができる人物か」を植え付けられるかがその後の交渉の行方を少なからず左右する。半袖を着ることは、交渉に際し自ら大きなハンディを背負うことにほかなりません。

信用の向上こそがビジネスファッションの最大の役割なのに、半袖を着てしまえば信用どころか相手を不快にしかねない。それに、半袖シャツの弱点はただ「みっともない」というだけではない。清潔でないことも大きな問題。半袖の上からスーツを着れば、ひじから先が直接スーツの裏地と接触することになる。そんな状態で汗をかけば当然、雑菌が沸きます。

国際的な基準では、ビジネスシャツは下着として扱われており、例えば欧州では、ビジネスで着るシャツの下にアンダーウェアを着る人はほとんどいません。下着の重ね着になるからです。個人的にも、シャツの下は何も着ないのが正解だと思う。

実は私自身、「シャツの下から男性の乳首や胸毛が透けることを不快に思う人が増えている」という話を最近になってメディアなどで知り、戸惑っているところです。私のようにイタリアでファッションの基礎を学んだ者にとっては、これは難題です。というのもイタリアでは、胸毛が透けて嫌がれることはありません。むしろ逆で、男性の中にはわざわざ植毛して目立たせようする人すらいる。同様に、「乳首透け問題」など最初から存在しないんです。

私の感覚では、そもそも「男性の乳首や胸毛が透けることを不快に思う」人は、今はまだ多数派ではない気がするからです。それが日本社会のコンセンサスになった時、例えばNHKでこの問題が大きく取り沙汰されるようになった時には、専門家として必ず1つの答を出したいと思います。


このイタリア被れのような宮崎俊一なる人物は、日本を含む東南アジアの高湿度な環境を欧州にビジネススタイルを合わせろと言っているようだ。
米国なんかは、ファッションで馬鹿にされようとも快適な服をいつも着ているではないか。

空調の効いた環境であれば、下着を着けずYシャツを着ても、真夏にスーツを着込んでも良いだろうが、エコが叫ばれ空調温度も高く設定している日本では逆にマナー違反だろう。Yシャツの下にべっとり付いた肌、小太り男性の乳首や胸毛が見えたら、セクハラになりかねないのではないか。

まあ、男がどうこういうより、女性がどうみるかなんだが。

›7 29, 2013

新しいテレビと民放の終焉

Posted by skillstorage at 01:13 / Category: イノベーション / 0 Comments

パナソニックの発売した「スマートビエラ」は、テレビとネットを融合した製品だ。ネットもテレビも各家庭には当たり前にある時代だ。
しかし、この製品に対するCMを民放各社は一斉に拒否。民放各社は「視聴者が放送番組とネットを混同する」として、“ルール違反”だと拒絶したのだ。

これまでのテレビには大いに不満があった。
何故テレビの放送時間に合わせて行動しないといけないのだろう?
HD高画質のテレビが当たり前になっているのに、何故テレビとパソコン(インターネット)は分離されているのだろう?

テレビは民放を見ることを前提につくられている。しかし、生活スタイル、視聴スタイルは変化しているのだ。それなのに、相変わらずリモコンはチャンネルを変える道具に過ぎない。

ちなみに筆者はつぎのように利用している。
民放は、録画して再生のみだ。ハードディスクに予約録画し、2倍速かつ、CMは早送りで見ることによって時間を大きく短縮できた。
また、見たい時間に見たい録画番組を見れると言うのは、とても生活スタイルに合っている。

ネットをテレビで見る。これまでも、AppleTVや任天堂のWiiを使ってyoutubeやhuluを接続して楽しんでいる。
パソコンのように座って、かまえて視聴するのと比べ、くつろいで見れるテレビは楽だ。
特にhuluは映画、海外ドラマ見放題であり、テレビで途中まで見て、寝床ではタブレットで続きを見て、移動中はスマホで見るというコンテンツの移動性がとても便利だ。

そもそもテレビは即時性を要求されるニュース番組以外、将来的には端末は何でも見れるように進化するべきだ。
テレビのリモコンは、あまりにも使いにくく、これではインターネットの検索ができない。
Appleの製品のように、iPhoneでテレビをAppleTV経由でいじれるようにするなどしないと、youtube検索など多くのコンテンツから見たいものを見るといったことができない。

最近は音声認識で簡単に検索できるのだから、「スマートビエラ」の姿は当たり前のテレビの姿だ。
もっと言えば、電機メーカが自前のシステムをつくるべきではない。テレビにブラウザを搭載すれば良いだけだ。

BluetoothでもWi-fiでも良いので、手持ちのスマホで操作できればそれで十分だ。


›7 28, 2013

絶望と恐怖

Posted by skillstorage at 09:25 / Category: 日々雑感 / 0 Comments

日常生活で「恐怖」を抱いていないか?恐怖とまではいかなくても、恐れ、怖さ、精神の奥の方にある黒い闇。
その正体はわからない。しかし、どういうことかたまにその闇は近づいてくる。
何もしないでいると、まるで闇に包まれてしまいそうだ。

闇に立ち向かうには、闇を消し去るにはどうしたら良いのか?

うつ病はある時、唐突なまでに発症することがあるという。

体調の不良や精神の異常は、抱えている心の苦しみや恐怖が積み重なって顕在化したものだ。
あるカウンセラーの書いた文章をたまたま目にした。彼は、バリバリのエリートコースにいたサラリーマンだったが、突然のうつ病に苦しみ人生を大きく踏み外してしまったという。さらに追い討ちをかけるように難病にかかり、絶望から自殺を試みた。今はその経験を生かしカウンセラーとして活躍しているのだが、笑顔も声の大きさからも、とてもうつだった人とは思えない。

彼は人生は努力で切り開けると思っていた。しかし、努力ではどうにもならないこともある。その時、絶望と恐怖という闇がやってきて支配されたのだろう。

どうにもならなくてもがき苦しんでいる時、どこまで転げ落ちるかわからない。負の連鎖からマイナス思考が暗闇のように襲ってくる。

順風満帆だった人に多いのかもしれない。基礎能力が高ければ尚更だ。
学生の頃、視力が悪くなったことで深く落ち込んだ。努力すれば何事も克服できると信じていたが、近視は治らず悪化していく一方だった。
些細なことかもしれないが、どうにもならない現実を受け止められないと、心は闇に支配されてしまう。

成人病、ハゲ薄毛、そして体は衰えていく。死に向かって毎日寿命が減っていくと意識しだすようになる。

先のカウンセラーは、電車で年寄りに席を譲った時に言われた「ありがとう」という言葉でうつから立ち直れたという。
「死ぬな」、「命は大切」そんな言葉より、「あなたに感謝」、「あなたが必要」といった言葉の方が遥かに重く、朝日のように暗闇を消し去ってくれたんだそうだ。

›7 22, 2013

参院選結果を見て途方にくれる

Posted by skillstorage at 01:13 / Category: 日々雑感 / 0 Comments

「当選させたい候補者はいないが落選させたい議員はいくらでもいる」
「政治に失望している」
このような者が多いのが投票率51%という結果だろう。

筆者もこれまで選挙に行ったもののほとんどが、死票となってしまった。選ぶ候補者がいないからと白票を投じても、その意思は反映されることなく、いずれにしても選挙に行くだけ時間の無駄と感じてしまうことと虚しさが残る。

それにしても当選すると思っていなかった山本太郎が当選し、民主党は東京では1人に絞ったものの落選するという事態に陥った。
反原発に関してあそこまでヒステリックに、尚且つ誤った情報を連呼する者が当選するなどとは思ってもいなかったのだ。
以前の民意であれば自民党の政策に批判するのであれば、今回は共産党に入れて自民党にお灸を据えてやるというところだったろう。共産党が組織力が高いから、まともな政策のみんなの党か維新の会を選ぶ選択をするのかと思っていたが、まさか無所属の山本太郎とは。共産党は東京、京都、大阪といった都市で10年以上ぶりに議席を取ったが、野党がここまで落ちぶれるとは。

池上彰の選挙番組はあいかわらず面白い。他局が当たり障りのない質問をする中で、視聴者が聞きたいタブーに切り込んでいた。
特に創価学会への切り込みは抜群であった。佐々木さやかという神奈川で当選した人物に対する質問では、創価学会の組織力について尋ね、創価学会が選挙活動をすることによって宗教活動の一環として功徳を積むとという場面があった。佐々木さやかは公明党としてそのことに対して意見をする立場に無いと回答したが、池上彰はあなたも創価学会員ですかとの質問にそうですと答える場面があった。さらに今回も政教分離について確信犯的に質問をする場面があったが、できれば選挙前に国民に見せたかった。

それにしても創価学会は選挙に強い。フレンド票と呼ばれる信者が集める票は1人150票にも及ぶという。そういえば、選挙前に創価学会の知人からは投票のお願いが来た。「佐々木さやかは美人だから間違いない」とか、「誰々は東大卒、誰々はMBAだから」といった政策とは何にも関係の無い理由だったが、組織力の恐ろしさを知った。

それに引き換え、幸福の科学の幸福党は何故選挙に勝てないのだろうか?胡散臭さは創価学会を遥かに上回るが、信者と組織力が何故こんなにも弱いのだろうか?
「原発を直ちに再稼動せよ!」と主張している唯一の党なので、脱原発に怖さを感じている人の票を集めても良いのではないかと思っていたのだが。

ワタミに対する「ブラック企業」バッシングも酷すぎて呆れた。楽勝で当選するのかと思いきや、ここまで苦戦するとは。
徹底的に叩かれるのはわかっていたが、渡辺美樹のこれまでの実績は、雇用を創出し、多額の税金を払い、よいサービスを普及させたと言う点では、バッシングを遥かに上回るにもかかわらずだ。彼のボランティア精神には欺瞞を感じることもあるが、維新の会の橋下の慰安婦発言もそうだがバッシングは恐ろしい。人を思考停止にしてしまう。

選挙結果を見て、暗澹とした気分になってしまった。自分の理想と民意に大きな隔たりを感じた。どんなに理念が素晴らしくても、政治家は投票民(組織)の既得権益、利益、陳情に答えなければ当選しない。

日本を貶めているのは、政治家ではなく一般市民にこそ責任があると痛感したのだった。

›7 12, 2013

心の不安定、不安、恐怖、雑念はどこから来るのか

Posted by skillstorage at 11:43 / Category: 健康法 / 0 Comments

「底知れぬ不安感が常に付きまとう」、「頭で安心と納得させても、不安という闇が襲ってくる」、「雑念が頭を駆け巡り、得体の知れない恐怖が足を引っ張る」
ここ数年、時折このような状況が続いていたことがある。うつなのかも知れなかった。
そこで心療内科に行ったのだが、そこは大勢の患者がいて予約したにもかかわらず待合室で立って順番を待つしかなかったのだ。米国ドラマにあるようなカウンセリングなんかは無く、医者に状況を説明して薬が処方される。せいぜい5分程度の時間で、流れ作業のように立て続けに患者が受診する。
どこも心療内科は込み合っており同じような状況だと聞いた。

処方された薬は、抗鬱剤や抗不安薬、SSRIと呼ばれる新型のセロトニン再取込阻害薬だ。
これらの薬は、うつや落ち込みで心が締め付けられるときの対処としてわずかだが一時的に効果があるのかもしれない。
しかし、劇的な効果は見込めない。何故なら、心の抜本的な問題を何一つ解決せず、症状を一時的に緩和しているに過ぎないからだ。

心の仕組みや心理学といった本、NLPや禅や瞑想といったスピリチュアル分野まで足を突っ込み、心の安定と開放について探求を続けた。

「心の持ち方で解決できるはず」と考えていた。しかし心の持ち方とは「思考」を指していた。

心は容易にコントロールできる「思考(=理性、概念)」、「意識(=感覚)」、そしてコントロールできなかった「無意識(=潜在意識)」に大まかに分類されると分かった。
思考で解決しようとするが、意識や無意識はそれには反応しない。むしろ、無意識の領域が心に襲ってくるのだとようやくわかった。

これまでの経験、人からの影響、事故や事件といったものが強烈に無意識の領域に焼きついてしまっていたようだ。
PTSDの患者は、過去の経験がトラウマとなり行動に制約がかかってしまう。それらのトラウマを「今は大丈夫」、「もう解決した」と頭で思考で理解して言い聞かせても、心の深い部分にある無意識の領域に居残っているものが、心を支配し続け立ち直ることが出来ないのだ。

PTSDほどの深いトラウマではないけれども、自分も過去に恐怖と不安で震えたことがある。
自分の価値観を否定されてしまうような状況が続き、努力で解決できると思っていたことが続けても無駄であったこと、自分の大切なものがこれから崩壊してしまうのではないかという感覚につながっていく。

こういうのをうつ状態というのかもしれないが、精神的に楽な状態に来ても、大丈夫と自分に言い聞かせても、得体の知れない心の穴にはまってしまうことがあったのだ。

無意識の潜在意識を書き換えれば良いのだろうが、そんな簡単にできることなのだろうか。悟りの境地に至った人のようになれるのだろうか。穏やかな気持ち、心の状態を保ちたい。

多くの人が心の問題に悩まされ、心の安定を求めていることを知った。心の仕組みを知ったら楽になってきた。しかし、まだまだ完全な状態ではない。カウンセリングや体験セミナーを通して、効果的な方法を見つけていきたいと思っているところだ。

ちなみに、スピリチュアル系の本や悟りの本はどんなに評価が高い本でも、自分にはまだぴんと来ない。神の存在を信じていないところに根本があるのかもしれない。

›7 09, 2013

上昇志向、虚栄心、羞恥心、競争心が心を蝕む

Posted by skillstorage at 13:43 / Category: 日々雑感 / 0 Comments

資本主義にしても自然の摂理にしても強者が弱者から奪うものだ。そのルールの中で生きているのだから、常に努力しなければならない。
家庭でも学校でもそのことは当然伝えなければいけないことだ。

しかし、馬鹿正直に従って生きるだけでは、弱く、孤立し、情けない人生を送ることになってしまうかもしれない。
ルールからはみ出た時に。

恋愛も遊びも本来とても重要な時間だ。
しかし、競争社会の中では、勉強して成績を上げ、優等生になり、一流大学に入り、良い大企業に入ることが分かりやすい成功パターンと化してしまい、生きる目的そのものの重要性が良く教育されていないのではないか。

孤立した老後を生きる人が多いと言う。
年金や貯蓄で経済的には生存できても、話し相手も趣味も喜びも無い生活を送ることが生きることと言えるだろうか。

競争社会で勝つためには無用のことにこそ、より良く生きるためのものがある。

競争のルールの中では常に努力すること、上昇志向が成功の鍵だ。組織に忠誠を近い、組織の目標のために努力、貢献するものが重宝される。
金銭という分かりやすく絶対的な報酬と、肩書きが目標となってしまっていないか。

自分は何をしている時に喜びを感じるのか、どのような社会を望んでいるのか、真剣に考える時間を取っているか?

上昇志向、虚栄心、羞恥心、競争心の根底には、安定した生活を望む意識があるのではないか。

リストラ、倒産、病気、失敗と、レールから外れる要素はいくらでもある。レールに乗っていることが生きる喜びだったら、落ち込み、立ち直ることも大変かもしれない。

しかし、趣味、志など、生きる目的があれば、金銭や名誉が目的でなければ、うまく生きていくことができる。