›8 18, 2013

リチャード・バンドラーの3日で人生を変える方法|NLP講義

Posted by skillstorage at 11:57 / Category: 書評 / 0 Comments

自分にまとわりつく不安や希望、それらをコントロールできれば人生が大きく切り拓くことができる。
感情に支配されてしまえば、行動が制限されてしまう。
本書はNLPの共同創始者、リチャード・バンドラー博士のセミナーを受講した主人公が、
3日間で人生を変えていくという、NLPセミナー体験小説だ。


本作の主人公ジョーは、横暴な上司の下で働くことに嫌気がさし、恋人にもフラれたことで、
「どうせ自分の人生なんてこんなもんさ」と思っていました。
そんなある日、姉のマリアから「リチャード・バンドラー博士の3日間のセミナー」に参加することを勧められます。
3日で人生が変わるなんてはなから信じていないジョーでしたが……。
「人生なんて変わりっこない」と思っている男性を主人公に据えることにより、
さらにセミナーという形式をとることにより、誰にでもわかりやすく、
NLPが説く「自分の人生を思い通りに生きる」ための手法が理解できる仕組みになっている本作。
読者は、主人公同様、「たった3日なんかで人生が変わるわけがない」という視点から、
次第に変化していく過程を、主人公の心の動きを通して体験することができます。
また、リチャード・バンドラー博士のセミナーに参加することは、
それだけでも貴重なものであり、そういった意味でも、
NLPを学ぶ人々にとっては、貴重な1冊になることは間違いないでしょう。

3日で主人公ジョーの人生がどう変わったのか。


NLPで人生が劇的に変わったという人に会ったことがある。彼は幼少期のトラウマを抱えて人生の大半を生きてきた。
それが、半年足らずのNLPの受講で生まれ変わったかのように変化が見られたのだ。

この話を聞いただけでも、半信半疑だが、更に彼がNLPに費やしたのは300万円にも上るということから、自己啓発の詐欺か何かだと疑わずにはいられなかった。
しかし、NLPの効果は体験してみないと分からないともいう。本書はNLPがどのように人に影響を与えるのかを垣間見ることができる。
本の分量としても、ちょうど3日間で読破できる分量だろう。

まず心の仕組みについて深く考えさせられた。
過去の経験や未来への勝手な想像が、思考から離れ潜在意識となり心を支配してしまう。

心理学や催眠術による過去の振り返りは、かえってトラウマを明確に呼び覚ましてしまい悪化させてしまうことがあるらしい。
NLPではその点に配慮されたテクニックで、過去との決別を計る。

例えば、過去の触れたくない記憶を現在から巻き戻し再生して思い出し、そのイメージを小さくさせ飛ばしてしまう。
心に聞こえてくるネガティブな声を、バカみたいな声に変えて笑い飛ばしてしまう。

そして、自信に溢れ、最高の状態の自分をイメージし、そのイメージに入り込んでしまう。

このようなテクニックとリチャードの講義内容から、主人公が変わっていく姿に自分を投影することができる。そしてセミナーでの同士達との出会い、美しい女性との出会いもまた小説を盛り上げているのだ。

›8 05, 2013

誰もがタモリよりも辛く生きている。「タモリ論」

Posted by skillstorage at 01:45 / Category: 書評 / 0 Comments

作者の樋口毅宏氏はよほどタモリに対して思い入れと敬意があるらしい。
ハードボイルド小説「さらば雑司ヶ谷」では、クエンティン・タランティーノの映画「パルプフィクション」や「レザボアドッグス」を連想させる。
ストーリーとは関係の無い、他愛も無い世間話が延々と主人公を取り巻く人物の間で交わされるのだ。

四半世紀、お昼の生放送の司会を務めて気が狂わないでいる人間が!まともな人ならとっくにノイローゼになっているよ。タモリが狂わないのは、自分にも他人にも何ひとつ期待をしていないから。

「タモリ論」では、なぜ30年以上も毎日、生放送の司会を超然と続けられるのか? サングラスの奥には、人知れぬ孤独や絶望が隠されているのだろうか?
と作者は嘯(うそぶ)く。

確かに、タモリの「いいとも」でのやる気の無さは10年以上も目に余るものがある。そもそも、登場するゲストの経歴も調べず、話すことさえも決めておらず、時に沈黙というテレビでは一番芸人が恐れることをやってしまうこともある。タモリも以前から「沈黙は怖い」と言っておきながら、ゲストから聞き出すインタビュアーの能力が無いどころか、努力が感じられない。見ている方が沈黙が怖くなってしまうことがあるほどだ。

それでも、ここ10年以上夏休みも取らず、休まずに毎日「いいとも」に出続ける。

しかし、「まともな人ならとっくにノイローゼ」になるほどのことなのだろうか?

タモリの立場からすれば、「いいとも」などいつでも辞めれるだけの資産がある。1日1回テレビに数時間出るだけで100万を越す待遇という魅力に取り付かれているようにも思えない。何故続けるのか?そんなところが謎めいているのは確かだ。

それでもタモリほど恵まれた立場の人はほとんどいない。サラリーマンが定年まで、終わりの無い日常を毎日続けることの方がよっぽどキチガイじみていると感じないのだろうか?
サリーマンは有給も使えるし、行きたくない日はサボれるかもしれない。それにしても1日の労働時間の長さ、永遠と続く苦痛はタモリの比では無いだろう。
毎日同じ客先に頭を下げる営業マン、同じ製品を毎日組み立てる作業者、同じ製品のちょっとした改良を永遠と繰り返す技術者、そして嫌な上司や同僚の存在。毎日3時間にも及ぶ長距離満員電車。サラリーマンは苦痛の連続ではないか。
自営業者はどうか。自分の城があって、誰にも使われる立場ではないかもしれない。それでも、定年も無く、いつ潰れるかもわからない店を継続するのは大変だ。ラーメン屋の親父にしろ、どんな職業にせよ、苦痛の連続ではないのか?

実際、ノイローゼになる人が多発している。それは希望の無い社会に原因があるのかもしれない。