›2 24, 2010

海外の業務移転で誰が得をし、損をしたのか

Posted by skillstorage at 18:55 / Category: 日々雑感 / 0 Comments

日本の製造業も空洞化が10年以上前から騒がれている。これまで大手企業が国内で生産していたものが海外の人件費の安い国で生産することによって、下請企業が潰れ、国内製造業従事者が失業に溢れかえっている現象だ。
国内の景気悪化、民主党政権、円高、国際競争力の低下などいろいろな要因があって、その動きは加速しそうだ。

米国ではIT業界がインドへのアウトソーシングによって多くのプログラマやエンジニアの職が失われた。
モーガン・スパーロックのTV番組「30days」では、米国企業で働いていたプログラマがインドのTATAに仕事を奪われ子供が出来たばかりなのに失業し、職を奪ったインド人を見るために1ヶ月間インドにホームステイするという試みがあり、最近DVDで見た。
インドではインフォシスなど米国企業の下請けIT企業が急成長し、バンガロールという町はビルが立ち並ぶようになった。

インドで大人気なのがコールセンターでのテレホンセールス(電話営業)だ。英語のできるインド人が米国の発音や地名などの知識を習得し、電話で売り込みをかけるという仕事だ。アメリカ人は驚いた。米国では最も人気のない職種が、インドでは大人気なのだから。
アメリカ人1人雇うのに比べ、16人も雇えるという。しかしバンガロールは相変わらず70%の人は掃き溜めのようなスラム街で貧しい生活をしている。
コールセンターの職は人気があって賃金も高いが、仕事は時差の関係上夜から深夜にかけてだ。

休むことなく働くインド人。金はたまっても、そもそも消費する産業が追い付かず買い物をすることもなく、ひたすら働く。
米国流の文化にそまり、専業主婦が当たり前だったホームステイ先の家族も、共働きになり家庭は殺伐としてくる。
貧富の差が広がり、大衆に人気のあったインド人俳優の死からバンガロールの町に暴動が起こる。

1ヶ月間のホームステイの間にも色々起こるものだ。そしてそのアメリカ人は帰国する。
アウトソーシングによってインドに富はもたらされた。そして自分は失業した。しかし働くインド人に富がそのまま移ったわけでは無いということを考えさせられた。そしてフラット化する社会でインドの伝統や文化の破壊も見た。

ミルトン・フリードマンを盲信している新経済学論者たち(シカゴボーイズ)は、この手のドキュメンタリーによく批判対象として登場する。効率な市場において効率が進み富が拡大したと見るか、それとも労働者は職を奪われ、安い賃金の労働者に仕事が移り、企業は莫大な利益を上げ、その利益は株主に還元される。

日本の製造業はこれからも間違いなく海外移転が進み、日本の労働者の失業と低賃金化は進むだろう。しかしそうしないと大企業でもグローバル競争では生きていけない。国内労働者の権利を向上したところで企業の競争力は失われるだけだ。幸いにして日本では労働者でも簡単に上場企業の株主になれる。労働者の権利ばかり主張する人は株を買ってみて、株主ならどう思うかを考えてみるべきだろう。

›2 20, 2010

無駄で無益な公共事業

Posted by skillstorage at 22:36 / Category: 日々雑感 / 0 Comments

かつては日本はいたるところで美しい自然が見れた。
今はコンクリートだらけだ。何の意味があってコンクリートだらけにしているのかもわからない。
川は土手・堤防でコンクリートだらけ、海にはトテラポットと堤防。

多くが意味もなく、生コンが使われ、政治家の利権や誰かがそれで儲かるから自然を徹底に破壊するのだろう。世界でも類を見ないほどのしぜん破壊だ。

九十九里でまた突然そのような海にコンクリートがぶち込まれているという。ここの海は自分もよくサーフィンにいくのだが、首都圏とは思えないほど何もない田舎だ。
海岸の砂浜は湘南とは違いとても広く、海から住居までも距離はとても遠い。
そんな海岸にテトラポットの山があって海流が変わり生態系破壊もあるそうだ。
もちろんサーフィンをやっていてぶつかりそうになり恐ろしい思いをしたこともある。

そんな環境のところに何故また再度コンクリートをぶち込んでいるのだろうか。
九十九里に行かない人も大切な日本の自然なので良く考えてほしい。
こちらに「一宮の海岸環境を考える会」というのがあり署名活動もあるので是非見て署名活動をしてほしいと思う。

›2 17, 2010

巨大投資銀行

Posted by skillstorage at 12:42 / Category: 書評 / 0 Comments

黒木亮の長編大作だ。これまで黒木亮の本はいろいろ読んできて、グルーバルビジネスや金融の最前線を詳細なビジネスシーンや案件まで丁寧に説明しており、またスケールが偉大な仕事に従事している主人公ばかりでとても勉強になるし、世界を動かすような大きな仕事をする者達について良く知ることができ、自分の好きな作家のひとりだ。
読みはじめたら止まらずにあっという間に読み終えてしまった。実はリーマンショック直後に買って読まないままだったのだが、もっと早く読めば良かったと後悔した。

黒木亮のこれまでの小説によく見られるように、物語はフィクションとノンフィクションが同じ時間軸で一緒に流れている。ノンフィクション部分は主人公を作り上げていることぐらいで、他の登場人物や登場する企業は名前を一部変えてあるものの、ほぼ現実に存在する企業ばかりだ。

この小説では3人の登場人物が同じビジネスシーンを舞台に活躍するのだが、主人公が平凡な架空の人物なのに対し、残りの2人は強烈な人物だ。そのうちの一人は投資銀行(IB)の業界では伝説の人物だ。3つの人物が小説の中では交わることが無い。黒木亮の小説ではよくあることなのだが、どこかでそれぞれの物語が交差するのかと思いきや並行したまま終わるので、そこは期待しない方が良い。そして大げさなフィクション小説のような大きな展開や最後にどんでん返しなども起こるわけではなく、粛々と物語は進み、大きな展開は無く小説は終える。現実の世界と同じ展開なのだ。しかしそこには登場人物の成長が見られるのが感動を呼び、読書に熱中させられる。

並行して流れる物語は山一證券出身でソロモンでパートナーに上り詰めた明神茂(あだ名はシュガー)の80年代から2000年代にかけての大活躍が詳細に描かれている。
小説の中では竜神宗一(あだ名はソルト)として描かれているが、あまりにも有名な人物ゆえ、すぐに思い浮かぶ。
米国で開発されたブラック・ショールズ・モデルに基づいた裁定取引により、未成熟な日本の金融市場の歪みを利用して莫大な利益を上げていく。

藤崎は脇役でメインのストーリーとは関係が無いが、彼にもモデルがいそうだ。バブル崩壊以降の日本の生保や信金などの金融機関に対して高度なデリバティブを駆使した損失先送り商品、ハイレバレッジ商品を売り込む。田舎出身であり、日本に対する愛国心が強い男だが、IBで働き結局は日本の金融機関を壊滅的な被害を及ぼしつつ米国金融機関に莫大な富をもたらす商品を売ることに葛藤がある。それは日本の組織の体制や不満や嘆きや失望でもあるようだ。

主人公の桂木もまた他の登場人物と同じように日本の組織の体制や理不尽な仕事になじめずにIBでM&Aを中心に活躍することとなる。他の登場人物と比べ平凡で穏やかな性格で感情移入しやすい。彼もまた米国のIBで働くことによる後ろめたさを感じながら仕事をしている男だ。彼の尊敬する大学恩師が米国のIBで働くことに対して失望したからだ。

日本企業と違い、IBは実力勝負の世界だ。狩猟民族の文化が企業にもあり、徹底して敵(日系金融機関や日本の顧客)を叩き潰す姿勢がある。IBで働くというのは相当なプレッシャーがあるが、年棒は数千万円だ。だが、IB業界ではファック・ユー・マネーという言葉があるらしく、働くのが嫌になったらその言葉を吐き辞めるのに必要な金で相場は3億円だそうだ。ちなみに日本の個人投資家レベルではだいたい1億円で自由を獲得できる額(金持ち父さんのラット・レースから抜け出せるレベル)なので、IBに入り生活レベルが上がると、自由を獲得できる額もまた上がってしまうのだなと思った。もっともIBで働けば短期間にその額に到達できるが。

IBの日本への到来は、黒船が日本にやってきた状況のように感じられた。
日本の金融市場は鎖国状態で、数社の証券会社が独自のルールで支配していた。そこへ欧米から最新鋭の武器(金融商品)を持ってきて、徹底的に破壊していく。破壊というよりは世界標準にしていくのだが。
日本のバブル期でがっぽり儲け、バブルが崩壊してもさらにがっぽり儲ける姿勢がそこにある。
本書はバブル期から小泉政権になるまでの長期間にわたった小説で、実在する登場人物もたくさんでてきて非常に勉強になる。そしてリーマン・ショックを引き起こした原因やその後急激に業績を回復させている理由も分かる気がする。

結局、3人の登場人物は簡単にファック・ユー・マネーを獲得し、そこから自分のやりたい仕事をやっていく。自由を獲得できる金ができて初めて生きがいある仕事にまい進できるのかもしれない。主人公の桂木は、日系金融機関に再就職し、その後りずむ銀行(モデルはりそな銀行)のトップとなる。

金融知識を身につけたい人も、仕事に対するやりがいや人生観を別の視点で見てみたい人にもお勧めである。


›2 06, 2010

電子書籍と環境問題(CO2削減)

Posted by skillstorage at 14:26 / Category: イノベーション / 0 Comments

21世紀を代表するイノベーションは何か?電気自動車に見られるように脱石油エネルギーがすぐに思いつくが、電子書籍も重要なイノベーションだと思う。
電子書籍自体は、薄型液晶モニタとメモリと通信機器といった既存技術の組み合わせに過ぎないが、その仕組みは革新的であり、しかも環境問題という観点からは電気自動車に匹敵するCO2削減や資源保護になりうるのではないかと思っている。

本や新聞や雑誌というのはあまり指摘されないが実は環境に非常に悪い。本をつくるために森林が伐採され、さらに本はかさばるため読み終わると廃棄され燃やされCO2を排出する。例えリサイクルに出しても、実はリサイクルするための費用やその過程で排出されるCO2というのは本を作る以上のコストと排出があるという意見もある。
本や雑誌や新聞は、特に日本では消費者に届かない率(購入されないで返品される率)というのが著しく高く、無駄のかたまりである。
しかも、物流コスト、物流のためのCO2排出、係る人員の多さによる高コストや環境に対する悪影響も非常に大きい。

しかし、今までは代替手段が無かったことと、本・新聞・雑誌は文化的側面も大きいことから環境に悪いということが一部を除いて指摘されてこなかった。
また、経済的影響や、出版ビジネスに係る人数の多さ(本屋もいれると相当数だ)、既得権益というのも非常に大きな影響があるだろう。

しかし世界は電子書籍の時代に入りつつある。昨年はAmazon.comのKindleが大ヒットし、米国では電子書籍に切り替える人数が爆発的に増大した。
そして、今年はAppleからiPadという電子書籍機器が発売される。他のメーカも参入が相次ぐだろう。
単なる電子機器ではなく、産業全体の変革するIT(Industrial Transformation)だと思う。

そんな世界の状況に対して、日本はどうか?
日本の出版業界、新聞業界は世界で最も保守的のようだ。本の価格はどこでも同じであり、出版取次(トーハンと日販の2社寡占)により書店への流通が支配されている。
電子書籍のイノベーションはそのような日本独自の商慣行を徹底的に破壊することになってしまうので、出版業界は断固として既得権益を守るつもりなのだろう。

このような状況では、日本では読みたい本、雑誌、新聞が電子書籍として読むことが困難だと思う。KindleやiPadで読みたい本・新聞・雑誌が読めれば自分はもう電子媒体でしか買わないだろう。
消費者がコンテンツを入手できないのであれば、電子書籍機器をつくる能力が最も長けている日本の電機メーカは開発が遅れ、世界的で取り残されてしまうだろう。
実際に日本の電機メーカは携帯電話でもmp3プレイヤーでも世界一の技術がありながら、世界市場では戦うことができなかった。
そして、環境問題という観点から考えても紙を使い、物流が発生するという観点から非常に悪いのだ。

環境問題をからめてみたが、下記の本などで偽善で欺瞞な環境問題を指摘されている武田教授の考察は非常に興味深い。
批判も非常に多いが、納得できる点が非常に多いのだ。
本が環境に悪いということも誰も指摘しないし、その他方で無意味な環境運動で日本中が熱狂している。
例えば、ペットボトルのキャップ集めによるワクチン購入運動。キャップを集めるための入れ物の方がコストが高く、集めるための人件費を換算するとワクチンを買うどころか経済的には大赤字なのだそうだ。
レジ袋も持参する意味がほとんどない。
最も効果的な環境問題対策は、海外旅行に行かない(旅客機のエネルギーを使わない)、外出しないということになるが、消費活動を限定してしまうそのような環境対策を表だって言う者が誰もいないということ自体が問題だと指摘に感激した。

資本主義なのだから経済は発展させなければ成り立たないが、実は環境問題の多くは経済発展によって生じる。


›2 03, 2010

節約・倹約のススメ

Posted by skillstorage at 18:53 / Category: 節約術 / 0 Comments

「なぜ節約が必要なのか?」
節約・倹約に興味があってこのサイトを見ていると思うが、その理由があるはずだ。
・身の丈に会わないマイホームを買ってしまったため、借金返済で家計が苦しい
・給与が下がったり、将来の不安から貯蓄をしておきたい

人それぞれ理由はあるだろう。
収入が増えるという見込みがあれば節約は必要ない。これからの日本社会は多くの問題を抱え、生活はますます苦しくなるという懸念を抱えているというのが根本の原因ではないだろうか。

その不安は正しい。

日本の将来は絶望的である。

財政赤字は巨額であり、国債増加によって歳入を拠出している。国債は借金であり金利をつけて後からさらに大きな額を返さなければならない。
その負担は日本国民が背負うことになるのだ。

そして、日本の先進国としての地位も下落している。すでにアジアでも国民一人当たりGDPはトップではない。戦後の高度成長期のように日本の技術を世界に輸出するというモデルも中国や東南アジアの新興国の台頭によってほころび始めている。

内需拡大も現状の政策ではありえない。少子高齢化が進み、全体として人口減少が進む。定年退職した団塊の世代がこれから5年から10年の間に高齢者となり莫大な医療費が必要となる。つまり社会保障の拡大のため増税は避けられないのだ。

既に日本は衰退国となった。

それでも日本でしか生活する能力の無い人がほとんどだろう。
だからこそ節約し、貯蓄し、資産は日本円では持たずに海外に分散投資することが必要となってきているのだ。

›2 02, 2010

垂直分裂

Posted by skillstorage at 12:50 / Category: イノベーション / 0 Comments

パソコンは誰でも作ることができる。CPU、モニター、マザーボード、メモリ、ファン、OSと何でも手に入るからだ。
個別の部品は個人ではつくることができないが、部品を買ってきて組み立てることができる。
かつてはできなかったことだ。

現在のパソコンをつくっているメーカは個人が自作パソコンをつくることとあまり変わらない。部品を買ってきて組み立てるだけだからだ。
違うのは徹底した合理化でコストを安くし、筺体デザインを考え、物流・販売を行うことだ。

東京大学の丸川知雄氏はこのような現象を垂直分裂と呼んだ。
電子部品は日本企業が得意としている分野であり、組立は中国にある台湾企業が得意としており、現在はその分担が非常にうまくいっている。
逆に垂直統合モデルで部品から組み立てまで全てやっている会社はダメになってしまった。

バリューチェーン(製造の川上から川下までの流れ)を見る際にスマイルカーブと呼ばれる現象が起こり、川上の部品、素材、川下の小売が付加価値が高い。
付加価値の低い組立は中国のような人件費、製造コストで行うべきだからだ。

そのような垂直分裂が進んでいない典型が自動車業界である。

しかし、たくさん生まれてきている電気自動車はパソコンとほとんど同じだ。垂直分裂しており、部品は買ってきて組み立てるだけで、パソコンよりは難しいだろうか個人でもつくることができる。
そして良い部品もどんどんオープン化されていってどんな小さな企業でも買えるようになるのだろう。