›5 27, 2014

アベノミクスの採点は「ABE(あべ)」

Posted by skillstorage at 00:47 / Category: 政治経済(Political Economy) / 0 Comments

安倍政権の掲げた「3本の矢」に対する評価として、首相の経済ブレーンである浜田内閣官房参与の採点が掲載されていました。それによると、
第1の矢―金融政策(カネ刷り)がA+
第2の矢―財政政策(バラマキ)がB
第3の矢―成長戦略(規制緩和)がE
アベノミクスの採点は「ABE(あべ)」という下らないオヤジギャグだった。

しかしこれは概ね多くの人の評価だと思う。

金融政策の効果は日銀だけでなく、米国FEB、欧州ECBも行って景気回復を伴っているという実感も感じられるが、それでも筆者な納得出来ない。

マネタリーベースの増加は紙幣価値の希薄化だ。
顕著にわかるのが、円の為替レートであり、円の保有者の資産は大きく目減りしたのだ。円を基軸としているから気づきにくいだけであり、また円安による輸出産業の業績回復がいかにも景気回復という印象を与えているだけである。

現実に、輸入物価の上昇、エネルギー価格の上昇、それに伴う生活物価の上昇は国民の生活に打撃を与え始めているのだ。

これまで日本がデフレに陥っていたのは、複合的な要因であるが、少子高齢化社会への移行、グローバル化による生活必需品価格の低下、消費活動の変化があり、需要に対し供給が上回るデフレギャップ(受給ギャップ)の拡大によるものだった。

それを、公共事業のバラマキによる無用の需要拡大によって補うということに大きな違和感がある。農家の支援のように政府が関与して需給ギャップを強制することは、常態化してしまい、税金投入が無ければ存続できず、国民に大きな負担を強いることとなる。

2012年12月からの安倍政権は、もっとも大きな経済政策として、インフレ・ターゲット(インフレ目標)2%を掲げた。これまでのデフレでは金利が1%と低くても、実際に負担する実質金利は、明日はもっと物価が安くなるという負の期待インフレ率のため、実質金利は大きかったのだ。

例「名目金利1%-(期待インフレ率-2%)=3%」

実質金利が低くなり、仮にマイナスの実質金利になればカネを持っているより、今使ったほうが得になるわけで、消費活動が活性化する。これが金融政策の効果なのだ。

しかし、考えてみればわかるように、不景気で将来が不安であれば、本来は貯蓄をすべきなのだが、みんなが貯蓄をすれば更に景気が冷え込んでしまうため、無理やり使わせる政策なのだ。これが日銀の異次元緩和の正体だ。

現金で保有していても金利を産まない。そのため不動産や株式投資に流れたのが資産インフレだ。

本来、経済(GDP)は、企業の設備投資によって、働く人の生産性が上がるという要因のみによって成長するものであり、規制緩和の進まない成長戦略が本来一番重点すべき政策である。

ところが、規制に守られた既得権益層は、少数の団体でありながら政治圧力がある。サイレントマジョリティーと呼ばれる多くの一般市民がその負担を強いられているわけである。

›5 26, 2014

小さな政府、夜警国家を住んでる街から実現しよう

Posted by skillstorage at 00:34 / Category: 政治経済(Political Economy) / 0 Comments

都市部の多くでは新住民と従来の住民の価値観が全く違う。
特にベッドタウンと呼ばれる街では、住民は昼間は都心に働きに出かけ、夜は寝るだけ、週末も地域の活動に参加しないという住民が多い。

地域の活動があるとしても、せいぜい子供の習い事に親が一緒についていくという程度ではなかろうか。そんなことでも地域のコミュニティに入るというのは、自己防衛上も非常に重要なことだと思う。

関東では30年以内に直下型地震が70%の確率で起こると言われている。東北の震災で関東全域が停電・物流ストップとなった時のことを思い出して欲しい。国も地域行政も助けてくれなければ、より地域に根ざしたコミュニティ、家族だけが頼りになるのだ。

筆者の住む街は開発されたベッドタウンでは無いが、マンション建設が乱立し人口増加が激しい地域だ。昔から住んでいた訳ではないが、近所にはシャッターは閉まっているが魚屋、八百屋、畳屋といった店が並んでいて、昔は商店街だったことを彷彿させられる小道がある。

200世帯以上が住むマンションだが、町内会への加入者はゼロで、最近勧誘にあって入ってみたのだ。(筆者も震災以降、地域のコミュニティの結束と重要性を考えているのだ)
町内会の総会と飲み会に参加してみて分かったことは、昔から住んでいる住民の集まりの場だということだ。30年以上前は畑と田んぼばかりで、今は海外に移転してしまった工場があり、その工場のそばに社宅があり、商店街も小料理屋も繁盛していたらしい。

夏になれば盆踊りや神輿を準備し、冬になれば火の用心をやる。そんな地域に根付いた活動の場なのだ。

マンションに住む新住民は珍しいらしく、色々と質問をされる。昔から住んでいる原住民にとって新住民は何を考えているのか分からないようだ。

新住民は寝に帰るだけで、消費も地元ではほとんど行わない。せいぜい学校教育だけだ。それも私立の学校に入れてしまっていれば、まったく関係ない。行政や政治に求めることなんて何もないノンポリだ。

原住民は、昔から続く商店だったり、地主といった人が多いらしく、自民党の支援者が多い様子だ。他方、新住民は政治に感心がないので、そもそも選挙に行かない。
行くとしても政党名で選ぶ程度だ。

地域の選挙結果を調べてみたところ、やはり自民党がトップ当選しており、民主党が2名、公明党が2名とあるが、2位当選はみんなの党だった。これは都市部に特徴的な新住民が政党名だけで選んだ結果だろう。何しろその議員は街頭演説も握手もしない選挙活動だったのだから。

先日、「クローズアップ現代」で放送された「独立する富裕層」サンディ・スプリング市が興味深い。その地域は米国に特徴的なスラム化した中心部の貧困層と郊外の富裕層に分断されていた。当然税収は富裕層の地域に依存することとなるが、分配により使われるのは貧困層の地域においてだった。

怒りが爆発した富裕層が地域の独立のために蜂起して誕生したのがサンディ・スプリング市だ。流石は米国だと感動した。市民が行政に積極的に関与し、自立し啓発され参加している。そこでは、行政に運営をまかせず、行政の業務のほとんどを民間にアウトソーシングしてしまった。10万人弱の都市で、市職員が4名とかだ。その結果、税が効率的に使われ市の予算は3分の1程度まで減らすことができたそうだ。

このようなことは日本において都市部の自治体にも言えることだ。特に東京都は税収が多く、地方交付税を受けていない。そもそも税収が高く、小児医療も無料ときているので住民の関心も低いのかもしれない。

何しろ、都市部の新住民こそが税奴隷となっているのだから。
TPPにしても、海外から安く食料が入ってきて良いことだらけなのに、大声を出して反対するのは農家だ。地域のイベント、商店街や町工場への補助金も声の大きい原住民によって税が配分されている。

新住民の望みは、名古屋市で減税され住民に還元されたように、行政は最低限の事以外何もせず、規模を縮小させ税金を減らしてもらうことだ。

補助金を貰った商店街のありさまを見よ。
夜は店を閉めるのが早く、お盆、正月の三が日は休んでいるではないか!
商店街が敵視するコンビニもイオンも営業しているというのに。新住民は夜に職場から帰ってくるというのに。

政治の無関心は、一部の既得権益層に税金を奪われることだと思うべきだ。

›5 23, 2014

資金回収と企業の成長速度(キャッシュフロー経営)

Posted by skillstorage at 04:14 / Category: 経営戦略 / 0 Comments

短期間で大企業に成長した企業は沢山あるが、それらの会社に共通するのは何だろうか。もちろん、売上の急激な増加だ。しかし、それだけでは急速に成長することはできない。
例えば、あなたが技術者で退職金と貯金1000万円を元手に製造業のベンチャーを起業したとしよう。
ガレージで起業するとしても、販売する製品をつくるにあたり工具だと検査機だの設備投資が必要だ。また、その製品の材料や部品を調達する必要がある。新しくできた会社の与信(信用力)は無いため、調達前に全額現金での入金を要求されるだろう。

そして、念願の製品をつくったとする。それを大手メーカに販売するとして(できたばかりのベンチャーの製品を大手メーカが買うことはまずないが・・)、その会社は手形120日などと長い支払方法になってしまうだろう。最初の1000万円を使い果たしていたとすると、現金が入ってくる半年以上先までどうやってこの会社は食いつなぐのだろうか・・・在庫も余分に用意しておかないといけないのだ。
このような商売では、常に現金が先に無くなり、後から金が入ってくる。このケースでは当然半年以上の運転資金を別途用意しなければビジネスは継続できない。

さて、別の例である衣服販売店を考えてみよう。この会社は祖父の代からある潰れかけた呉服販売店だったが、若者が後を継いでファストファッション販売店にしたとしよう。

経営者となった若者のセンスで衣服問屋から新しい服をどんどん仕入れる。支払はこれまでの取引通り120日手形だ。他方、改装した店で、センスあふれるこれらの服はどんどん売れていったとしよう。客は現金で買い物をするのでどんどん現金が入る。

つまり、この業態では運転資金は不要でむしろ半年以上の運転資金が常にある状態だ。この資金を元手に新しい店をどんどん開店することができる。

これは現実に起こっている話なのだ。昔はダイエーに始まり、xxカメラ、ユニクロ、Amazon.com、ネットベンチャー。これらの共通点はキャッシュフローが常に良い経営環境を利用して成長し、その成長にレバレッジを掛け銀行から借金をしたり、上場したりしてその資金を元手に更に会社を大きくしていく手法なのだ。

売上高利益率がプラスである限り、キャッシュフローが常にプラスの経営は規模の経済を追い求め売上規模を大きくすることが経営の安定にもつながる。

他方、売上高利益率がどんなに高い製造業であっても、キャッシュフローがマイナスの経営環境では、相当大きな資金準備が必要となってしまう。

最も、売上高利益率は経営指標としては意味を持たない。以前も書いたが、重要なのは投資利回りであり、企業においては自己資本税引後利益率もしくは総資本税引前利益率を見ることであり、例えばそれらの数値が安全資産の国債より低ければ投資に値しない。

さて、起業家はこの「資金繰り」の重要性は常に頭に入れて置かなければならない。ナニワ金融道でも常に資金繰りに追われた零細企業の社長が登場していた。初回の話では金を借りに来た社長に金を貸すときに、金貸しは1万円札を抜き取って札束を渡した。銀行閉店までに入金しないといけない社長に、数える時間など無いと見通してのことだ。
その金でキャバクラに行き罪悪感を感じる主人公に対して、金貸しは「金に色は無い」ことを説くのだった。

また、子供の頃テレビのドキュメントで見た光景が今でも強烈で忘れられない。
製品を抱えた店が資金繰りに困り、最後にバッタ屋に頼み込んだ話だ。余裕をかまし約束の時間より遅れて到着した年老いたバッタ屋は愛犬のドーベルマンを引き連れて倉庫の商品を眺めている。店主は時間が無い。そのことを知っているバッタ屋は焦らす。店主がバッタ屋に近づいた時、ドーベルマンに噛み付かれそうになる。
最終的に二束三文の安値で現金で製品を買い取られた。

店主にとって倒産は死を意味し、何よりも怖かったのだろう。こうしてバッタ屋は現金を持ち歩き、倒産間近の会社から安値で仕入れて販売する。こうやってメーカ直営の町の電気屋は姿を消し、バッタ屋は大企業となっていったのだ。

昔テレビに出ていたバッタ屋の宮路社長を覚えているだろうか?小柄だが常にスーツケースに現金の束をいつも用意していた。常に現金で仕入れていたようだが、同氏死去後にすぐ会社は潰れてしまった。


›5 07, 2014

タックスヘイブン|橘玲

Posted by skillstorage at 01:53 / Category: 書評 / 0 Comments

マネーロンダリング、永遠の旅行者に続く橘玲の待望の3作目はタックスヘイブンだ。
出版社勤務の後に、ゴミ投資家シリーズで海外金融機関を紹介し、今は作家として活躍している橘氏の小説は、プライベートバンク、風俗業など中小企業の脱税、そしてヤクザの登場が特徴的だ。

かつて、「マネーロンダリング」で小説家デビューした時には、その斬新な脱税手法が話題となった。何しろ、実際に山口組がシノギをこの手法で海外のプライベートバンクに逃避させていたのだ。それにより、橘氏は警察から「山口組の指南役」ではないかと疑いをかけられたらしい。小説を出すたびに、最新の海外金融機関を利用した高度な脱税手法を紹介しており、出版後しばらく経つとその手法は使えなくなる。

今回も、主人公で外資系金融機関を退職してフリーの金融コンサルタントになった古波蔵は、風俗業の社長の脱税指南をする。外資系金融機関がこれまで行ってきた富裕層向けの節税スキームはアメリカ当局の厳しい追求で使えなくなってしまった。スイス系銀行はもはや顧客守秘義務を守らず、アメリカに顧客情報を渡すことで生き残る道を選択した。

古波蔵は外資系プライベートバンクを辞め、20代で一生遊んで暮らせる金を持ちながらも、不法な脱税指南を職業として生きている。

と言っても、国内の現金を海外に送金ではなく、実際に運ぶ手伝いをしている単純な手法だ。また、死亡したファンドマネージャーの美しい妻・紫帆は、高校時代の同級生で翻訳の仕事をしている牧島と死亡現場を見るためにシンガポールを訪れ、亡き夫の秘密を知り、狙われることとなるのだ。

ストーリーは違うものの、雰囲気は一貫して橘玲の小説と同じだ。そこに魅力を感じる反面、登場人物のキャラクターの独特の性格に違和感も感じる。
何しろ、これまでの小説もそうだが、登場人物は決まって、独身で組織に属さず、何かしら高度な知識を身につけ、自由だが孤独に生きているからだ。フリーランスで生きるということはそのような面があるのかもしれない。それにしても、誰にも頼らず、友人を持たず、誰にも依存しないという、サラリーマンの世界ではあり得ない特徴を持っている。

組織に属さずに生きるというのは、当たり前だがこのようなことなのだと毎回思い知らされる。過去の作品も再び読みたくなってきた。

マネーロンダリング