›6 29, 2006

マネジメント日誌009「危機感の欠落」

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入社して4ヶ月、緩やかに四季は移ろいで行った。これまで経営コンサルタントとしてに実績を出していたと自負していたが、それも崩れかけて来ていた。以前には感じたことの無い孤独感とプレッシャーに押しつぶされて来ている気もした。

社内の風景や人の表情に変わりは無い。朝出社して挨拶して、仕事をする。そんな単調な日々の繰り返しだ。会社の製品は順調で、いくつかの引き合いがある状況だった。

だが、そのブームが消えかかっていることを認識している者はどれほどいるのだろうか。社長は認識している。だが、これまで数々の倒産の危機から立て直してきた経験からか、不明確な将来に対しても余裕を感じる。

自分ひとりが焦っているのか。

これまで自分は短期に利益を上げること、プロジェクトを実施し成功させることに注力してきた。ベンチャーは短期に市場シェアを取ることが宿命だと思っていたが、ここではどうもそのような意識の者はいないようであった。

ミドルとの経営改革会議では、誰もがうつむいていた。自主的な意見や主体性は見られなかった。

コンサルタント時代には、自分の考えを論理的に説明してきてクライアントに受け入れられてきた。だが、ここでは自分の説明がまったく通用しない気がした。

会社で自分はずいぶんと大人ぶって振舞ってきた。そんなことから友人と会うときは自我を剥き出しにしてきた。

本来の自分はどっちなのだろうか。恐らくそうとう幼稚でいい加減でヤンチャなんだろうと思う。

会社での自分は作り上げられたもう一人の自分なのだ。

たまたま自分と同じような立場の友人がいた。コンサルタントから引き抜かれベンチャーのトップになっていた。

彼は良き理解者になってくれた。彼もまた本来は相当に精神的に幼く、だらしの無い性格だ。いつも仲間内で弄られるようなキャラだ。だが、恐らく職場では孤高に振舞っていることが話すたびに感じられた。

そして精神的プレッシャーをものともせず、常に前向きに考えていた。その点では自分よりも遥かに大人なのだと感じさせられた。

彼と会うといつもあっという間に深夜まで飲みながら話した。帰りのタクシーでも仕事のことを多く話した。自分が先にタクシーから降りる時、もう少し話せたらといつも思った。

社員と経営者の意識が違うのは当たり前
完璧な人間などいないので、大きな期待をすることは無駄
社員には危機感など無い

そんなことを聞きながら、彼自身も自分に言い聞かせているようであった。

自分がいた職場、そしてクライアント企業というものは意識が非常に高かった。それ自体が特別なことなのだと認識した。

彼は、自身のことをよく熟知していた。弄られ役のためか、自分は馬鹿なんだとよく言った。プライドが高いコンサルタントの中では珍しいタイプだ。

自分は馬鹿だから、馬鹿の気持ちがわかる。馬鹿には何度も言わないと駄目なんだ。

彼はそうやって社員と接しているのだ。

これまで自分は、自分の話は理解してもらえるという前提で話していた。だが彼のそんな一言にハッとさせられた。

次の日の会議でもまた社員の表情はいつもと変わりなく曇っていた。危機感の欠片も無い。仕事が目いっぱいなのに会議は面倒くさいと言いたげだ。

駄目な会社はどこも社員の危機感が欠落していると三枝氏の本に再三書かれていた。その重要性は認識していたが、危機感を感じてもらうことの難しさこそが重要なテーマだとひしひしと感じた。

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