›8 22, 2011

杉村太郎氏がガンで死去

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思い返すと杉村太郎氏は自分の人生の節目に何度も大きな影響を与えてきた。そして毎回違った杉村太郎に触発されてきた。

初めて杉村太郎を知ったのは、恐らくまだ中学生の頃だろう。テレビ番組でシャインズというサラリーマン歌手が紹介されていた。今でもはっきりとそのシーンが思い返されるのだが、夜のライブハウスに大勢の女性が押し掛け、まるでアイドル歌手のような人気のサラリーマン歌手の2人組の一人だった。その番組では、彼らが平日昼間はバリバリのエリート・サラリーマンとして活躍している姿を追っていた。代表曲「私の彼はサラリーマン」は大ヒットし、ハイチューのテレビCMなんかにも出演していた。

まだ日本が好景気だったからだろうか。颯爽とビジネス街を走り仕事に翻弄する姿、そして夜はプロの歌手として活躍する姿というのはとても輝いて見えた。

その後時は流れ90年代後半の就職シーズンになっていた。山一証券など大手証券会社、銀行、生保などが倒産する不況で、戦後最悪の就職氷河期だった。
当時の就職指南本は「面接の達人」を誰もが読んでいる時代で、OB先輩達も勧めていた。しかし、そこで出会った杉村太郎の就職本「絶対内定」はその他の就職本と全く違う趣の書物で読んで衝撃を覚えた。シャインズ時代を知っていたので懐かしさもあったが、杉村太郎がその後就職のための私塾「我究館」を起業したことを知って驚いた。
「絶対内定」は、いわゆる就職するための本では無かった。自分と向き合い、自分はどんな人間なのかを知り、どのような人生を送りたいのか、真剣に対峙させられるような内容であった。今まで考えたことも無かった自分自身や将来のことを考えさせられ、就職してからも何度も読み返した。

就職してから自分の人生に就いて考えることが多かった。不景気な時代に就職したものの同期の同僚達は会社のサークル活動を行ったり、それこそ一生そこで働くことに疑いを持っていないようだった。しかし、仕事はつまらなかった。学生が想像していた仕事の内容とは大きく違い、とても一生働きたいとは思えなかった。

就職して4,5年もするとやっている仕事が当たり前になり、自分の人生だとか将来の夢なんか考えなくなるものかもしれない。そこそこ仕事もまかしてもらえるようになりやりがいも出てくるものだ。毎晩深夜まで働く日々が続き、結婚をして、代わり映えのない日々が過ぎていった。ある時、「絶対内定」のワークシート(自分の性格や経験や目標などを細かく書く書物)を読み返してみた。そこには学生時代の野心や夢が詰まっていた。

さらなる成長を目指して米国留学しMBAを習得しようと思った。しかし長年英語から離れていて留学に必要な英語力が短期間で身に就くのか。そんなことを考えていた時、再び杉村太郎の書物に出会った。「TOEIC900点・TOEFL100点への王道」という本で、これまた驚いた。杉村太郎は、私塾「我究館」の館長をやりながら、死んだ親友の夢のためハーバード大学ケネディ行政大学院に留学していたのだ。時間が無い中で、必死に真剣に挑むことで、何だってできるという気になった。

杉村太郎は情熱の塊だ。真剣に生きることによって道はいくらでも開けるという、自分にとってかけがえのない大切な生き様を教えてくれた。
「死ぬ気でやれよ、死なないから」、「本気でやれよ、楽しいから」とはよく言ったものだ。杉村太郎自身が一番自己実現を求め突っ走って生きているのを感じさせられた。

MBA習得から数年経った。また人生の刺激が欲しく、必死になって生きたいとよく思う。
そんな時、杉村太郎は何をやっているのだろうかと思ったものだ。

就職対策だけでなく、ビジネスマンのための英語塾など幅広くやっている一方で、ハーバード大学ウェザーヘッド国際問題研究所研究員になったとのことだった。
自分も現状に満足せず、真剣にがんばろうといつも鼓舞された。

そんな自分にとって人生のメンターのような存在の杉村太郎氏だが、47歳という若さで亡くなった。原発不明癌で闘病生活を送っていたという。


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