›7 21, 2011

ぼくらは海へ

Category: 日々雑感 / 0 Comments: Post / View

小学生の頃の思い出は、毎日が楽しく、充実した日々と将来の夢につつまれている。
あの頃の感情を取り戻したくて、最近は小学校6年生の冒険物語「ズッコケ3人組」をよく読んでいるのだが、その作者の作品である「ぼくらは海へ」を読んでみた。
タイトルといい、表紙絵といい、いかにもワクワクするような雰囲気につつまれている。

読み始めてその期待は裏切られた。しかし、それは良い意味でだ。

登場する小学校6年生達は、1980年出版当時のどこにでもいる子たちだ。それでも男の子たちはそれぞれが皆、家庭や学校や人間関係の問題をかかえている。
工事中止となり見捨てられた埋め立て地で、秘密基地になる小屋と丸太などの廃棄物を見つけた、進学塾に通う少年たち。
当時はファミコンもまだ無い時代だっただろう。平日も土曜日も厳しい塾通いの中、丸太や材木でヨット作りをすることとなる。

進学塾とは縁も無い貧しい家庭の少年もその仲間となる。彼は幼い時から自分の立ち位置を心得ている。進学塾に通う少年たちとは立場が違うし、これから大人になっても違う世界で生きていくことをもう知っているのだ。そしてそんなエリート達と仲間になれたことを他のできない子たちに優越感を持っている。

進学塾に通う少年たちの家庭環境もばらばらだ。母子家庭ながら必死になって子供の幸せを願い塾に通わせる母親と、それに反発する少年。銀行員の家庭で育ち頻繁に転校を繰り返し、人間関係の構築にたけている少年。裕福で幸せな家庭を演じているが、実は父親は不倫をし、母親はそれを表情に出さず演じていることを冷ややかに観察している少年。

進学塾に通いながら、誰も明確な将来像なんか描いていない。夢も描いていない。
30年前の小学校6年生だけど、自分の同時期の頃も、今の子供たちももしかしたら何も変わっていないのではないか。

埋め立て地から海を見て、ヨットをつくり航海することに少年たちは熱中していく。中には冷ややかにそれを見るだけの少年もいる。

学校内での出来事に無関心の少年がいる。彼の能力が高いものの学校生活に本気で取り組んでいないことに憤慨する学級委員の少年が登場する。
学業も運動も抜群で、人望も厚くリーダーシップのある少年だ。そしてそんな彼を崇拝するが乱暴者の少年。

彼ら2人もちょっとしたことからイカダづくりに加わることとなる。

本格的な船造りが加速する中、仲間の少年が死亡する。
動揺する少年もいれば、冷静な少年もいれば、無関心な少年もいる。
やがて、ちょっとした遊びだった船造りから衝撃の結末へと展開していく。

思い起こせば、輝いていた少年時代は自分の記憶の断片的な一部でしかない。当時の自分はこの小説のように、複雑な感情を抱き、家庭にも学校にも人間関係にもそれなりの悩みがあったのだ。
思い出せないが、あの当時の自分はどんな大人になろうとしていたのだろうか。
少年時代の楽しかったことを思い起こしたり、童心に帰ると、とても幸せな気分になる。「ぼくらは海へ」はそんな感情だけではなく、親になった自分が子供のことを考え、どのように対処していくべきなのかを教えてくれた。
そして、この小説の結末は終わっていないのだ。少年が何を思い海と船に魅了されていったのか、彼らはどこへ行ったのか。
むしろ読み終わってから反芻する時間のほうがずっと長い作品だ。

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