›3 18, 2011

不安・絶望ではなく、希望を持って前進

Category: 日々雑感 / 0 Comments: Post / View

東北関東大震災から1週間が経ちました。
被害にあわれた方々に心よりお見舞い申し上げます。

東北大地震は東京都内でも大きく揺れ、金曜日は自宅に帰宅する途中から停電であたりは暗闇でした。
マンションはエレベータが停止し、立体駐車場も止まっているため車が無造作に止められていました。マンション上層階まで登れない人たちが1階ラウンジにブルーシートで集まっていました。
ガス・水道・電気が停止し、懐中電灯がないためロウソクを付け、錯乱し割れ飛び散った食器類をどかし、唯一情報を収集できる手段となったiPhoneで震災の大きさを知り愕然としました。
その後停電から復旧し、テレビを見続けました。
地震・津波の生々しい映像を見続けたため、恐怖のため震え、動悸などこれまで体験したことのない不安の感情に襲われました。
そして、何もできない自分の無力さにこそ、やるせない思いを感じました。

冷静になれたのは、TwitterやBlogなどから信頼のおける情報収集ができたからだと思います。
このような状況でも冷静に分析した情報をネットを通じて発信してくれている人たちの偉大さを感じました。

週末の休みからは、スーパー、ガソリンスタンドは大混雑で品薄で生活で必要な商品が手に入りにくくなりました。
マスコミの報道は、被災地からの中継、原発の被ばくや余震の不安ばかり感じさせられ、大衆心理がこのような買い占め行動につながったのでしょう。

自分が元気づけられたのは、被災にあわれた方の映像でした。マスコミの記者はヘルメットをしていますが、自宅の1階が津波でめちゃくちゃになってしまった初老の男性は、避難所にいかず2階に住み続けているそうでした。津波は3回目の体験で、充分な食糧の貯蔵をしてきたそうでした。
マスコミ記者のこれからについての質問に、「もちろん復興させる。再生させる。」という心強い言葉が返ってきました。

被災地から遠く離れた東京などの首都圏で、不安におびえたり、迷惑になる買い占めなどの行動を取るのはあまりにも愚かな行為です。
我々にできることは、義援金、そして経済を停滞させない日常通りの行動でしょう。

月曜日からは首都圏は計画停電と電車の運休停止により大混乱となりました。
当たり前のインフラを失うということがどれほど日常生活や業務に甚大な影響を受けるのかを初めて知りました。

東電や政治家や鉄道会社に対する不満や非難が非常に高まりました。確かに東電幹部や政府から発表される情報は遅く、的確でなく、不安を感じさせられますが、できることは節電、平常通りの行動です。

心無い発言をする人も中にはいて、腹立たしい思いもしました。
その中でも、「東京電力は電気代を倍にしろ」、「商品販売も値段を釣り上げろ」という意見がありました。
緊急な需要をマネタリズムの観点で抑制すれば平常に戻る、という意図であり参考文献にリバータリアンの本もありましたが、とんでもないことだと思います。

生活必需品の値段が高騰すれば、低所得者や社会的弱者を始め金持ちでない一般庶民にとって大打撃となり、それこそマネーの機能に対する不信から暴徒化する可能性もあります。

買い占めなどの行動はやがて落ち着きを戻します。節電を推進することで停電の被害も少なくなります。
今はできることを着実にやっていくだけです。このようなときに人間性と自分の価値が試されているのだと感じました。

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