›1 19, 2010

ベンチャー企業が飛躍する政策を

Category: 日々雑感 / 0 Comments: Post / View

国内外のメディアで衰退国とまで言われている日本であるが、再度成長路線に乗せるためにはベンチャー企業の飛躍が必須と考えている。
先進国が成長できない要因の一つに肥大化した企業の成長の低迷があげられる。その点米国は新しいベンチャー企業がたくさん出てきており、企業の新陳代謝が進んでいる。昨年はGMが倒産したが、新しい企業もたくさんあり、IT業界ではマイクロソフト、オラクル、アップル、グーグル、その他多数の企業が急速に成長してきた。

古い産業は寡占化される。100社以上あったアメリカの自動車メーカはビッグスリーだけになり、2社が倒産してしまった。
そしてそのような産業は新興国で盛り上がりつつある。中国では自動車メーカがたくさん生まれている状況だ。スモール・ハンドレッドと呼ばれる新たな挑戦者と呼ばれている。
先進国トップに立つ米国では、自動車業界は廃れ、IT業界が飛躍し、ネットベンチャーがこれから飛躍しつつある。スモール・ハンドレッドが存在しており、産業の転換が進んでいる。


日本はそのような環境が無い。古い産業をゾンビのように生き延びさせ、新しい産業の芽を育てる土壌が無い。
ベンチャー企業の誕生もベンチャー企業を支えるベンチャーキャピタルの規模も小さいし、新規上場数は昨年はたったの19社だ。10年前の10分の1の規模に縮小してしまい、今後増えなければ本当に衰退国になってしまうだろう。

ベンチャーキャピタルの規模が小さいとはいえ、1兆円もの資産(ユーロ圏の30兆円、米国の25兆円に比べれば非常に小さいが)がある。だが、投資して育てるという土壌は、金をつぎ込めば良いというだけではない。投資された資金で独自に成長できる土壌も整っていない。本来は良い技術、サービスがあれば飛躍できるはずだが、日本独特の村社会的なよそ者や成り上がり者を受け付けない雰囲気や出る杭は打たれる雰囲気というのがある。

このようなことは数値化されないことなので見えにくいが、ベンチャー企業にとって大企業と取引をするのは非常に大変だ。
信用も無ければ、実績も無い。そのような企業でも取引できる環境が必要だと思う。

これは企業間の取引なので、政策でどうこうするのは難しいかもしれない。企業文化といわれればそれまでなのかもしれない。それでも何か変えていく方法を模索しないといけないと思う。

例えば日本の自動車業界の垂直統合モデルはすさまじく、系列も下請け構造も顕在だ。ガソリン自動車で庶民ターゲットであった時代には品質向上、コスト削減が主なテーマだったから良かったが、これから電気自動車に代わり、部品も少なくなるし、大幅に部品が変わる時代では通用しないだろう。むしろしがらみから脱却しないかぎり革新的な製品はつくれない。

その点ネットベンチャーのようなビジネスモデルを当てはめると、自動車業界では革新的な製品とサービスが期待できる。新しいデザインの電気自動車で、電気自動車どおしで燃料の電気の交換ができたり情報がつながっているなどというモデルだけで実際に製造はしないでも成り立つかもしれない。製造はアップル社のようにEMSメーカに組立させてしまい、モータ、電池、電装品は買えば良いという水平分散モデルだ。

それから、日本独特の慣行である借金の社長の個人補償制度も無くさないといけない。これが一番企業するにはネックだろうが、銀行からの企業に対する借入の個人補償を社長が負わなければならない制度だ。本来株式会社なので社長は出資した範囲の金銭的責任を負うだけなのだが、借入をする場合は個人補償を求められる。
会社が潰れても借金が個人で返すか、自己破産するしか無い。
一般市民も住宅ローンで買った家を手放しても借金が残ったら返さないといけない。
日本の銀行は担保も取りつつ個人補償をつけるというこのやり方は変えない限り、リスクが高すぎて起業できなくなる。

右肩上がりではない衰退しつつある日本では、低利の融資で個人補償さえなければ起業したいという人はたくさんいるはずだ。ベンチャーキャピタルというのは米国のように起業したててで銀行から借り入れができない起業家だけが本来利用するべきもののはずだ。

日本では銀行も寡占化されてしまい、グローバルの観点では何も新しいビジネスモデルを打ち出していない銀行が国内で事業を独占しているというのも有害だ。

会社を失敗して潰しても、会社を失うだけで個人の資産が残れば再度挑戦できる。そのような社会にしなければ新しい産業も技術も生まれないと思う。

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