米国で若者を中心に支持を伸ばしているのがリバタリアン党だ。
リバタリアン党の政策は自由主義だが、リベラルと違い平等にするための規制や政府介入、分配を一切否定し「小さい政府」を尊重する。
現在の先進国ではリベラル勢力が強く、「大きい政府」による福祉社会が一般的だが、その政治思想は実は大きな犠牲を伴っている。
そもそも財源が無いのに社会的弱者への分配を大きくするあまり、借金(国債)を積み重ね、そのしわ寄せは弱者やこれから産まれる子供たちの代に負担がのしかかる。
また、社会的弱者になった方が得なため、生活保護者が勤労しようと思わない。海外からの移民が来れば、外国人の彼らのために国民の税金が使われることとなってしまう。
農業や地方居住者のような産業の競争力の無い特定の地域、団体などに税金が使われてしまう。
日本で若者の投票率が著しく低いのは、支持する政党が無いからではなかろうか。
また、政党も選挙のためには、大多数を占め投票率も高い高齢者の支持する政策を提言しなくてはならなくなってしまう、という悪循環に陥っている。
米国で支持を集めているリバタリアン党は、若者の期待を背負っている。
代表的なのはロン・ポールであり、リバタリアンの多くが政府の担っている福祉、軍事、教育、治安維持、財政政策、金融政策は不要であると主張している。
ロン・ポールは、金融政策の量的緩和は通貨価値の下落(インフレ)であり、庶民の資産を奪う行為と避難し、中央銀行は金本位制に戻すべきとまで主張している。
先進国全般に言えることだが、過去の経済成長率のシナリオのまま、社会福祉を拡大させ続けている歪みがきている。
若者が親のスネをかじって生きなければならない現象は先進国共通だ。正社員になれず非正規の低賃金で、結婚もできず将来の希望も持てない若者が増加しているのだ。
日本では、特定の団体が政治の票田になっていることから、大きく歪んだ社会構造となっている。
本来、市場原理に委ね、自由貿易を推進することによって生活環境は向上するのだ。国内の農業などを守るため、高い農作物を買わざるを得ず、電力も自由化されていないため、世界一高い電気代を支払わなければならない。地方都市への地方交付税のため、都会のサラリーマンの税金が使われる所得移転が起こる。医療や土建など規制や保護の対象となっている産業は、国外の安価で優れたサービスを国内では利用できない。
米国では、ティーパーティー運動(TEAはもう税金はたくさんだ(Taxed Enough Already)の意)が記憶に新しい。
ウォール街を選挙した「We are the 99%」という富裕層以外の一般市民がリベラルで社会福祉と分配の拡大を要求したのに対し、ティーパーティー運動は、「政府は介入するな」と不干渉主義を唱えた。
両者は対立しているように見えたが、リベラルのオバマ民主党政権が期待した効果が無かったことから、小さい政府を主張するリバタリアン党の支持が拡大しているということだ。
共和党から大統領選に出馬を予定しているランド・ポール上院議員は、ロン・ポールの息子であり若者から支持を集めている。
しかしながらロン・ポールは、右派の支持を狙ってか、本来リバタリアンは海外への軍事介入を否定しているのに対し、彼は非常に好戦的なタカ派へ態度の変貌を遂げている。
日本と米国は歴史的にも民族的にも大きく異なる国家だ。米国は、インディアンから土地を奪った移民が作り上げた国家であり、その生い立ちから移民を否定できない。
その結果、米国で生まれた者は全て米国民となる。不法移民も多く、低賃金の労働集約業務を支えている。
それば欧州のような福祉国家となり、不法移民が国民と同等の権利が与えられたら、ただでさえ赤字の財政は破綻するのだ。
また、インディアンの末裔以外、全て移民かその子孫であるという事実から、開拓精神にあふれているのも、君主に支配され続けてまた困った時はお上頼りという日本国民とは大きく民族性が異なる。
とはいえ、日本は人口ボーナスという人口増加が止まり、労働者数が減少する少子高齢化社会の人口オーナスに入り、経済のパイは規制緩和と自由貿易推進による労働生産性の向上でしか拡大できない。
それでも高度成長期のような展開はあり得ない。そうなれば必然的に緊縮財政を取り、社会福祉を減らさざるを得ないのだ。
公務員を削減し、政府の役割を減らす、不干渉主義の政策が求められているのだ。