›11 21, 2013

テレビゲームの変貌

Category: 日々雑感 / 0 Comments: Post / View

今でも初代ファミコンを買ってもらった時の感動を忘れることができない。
ちょうどスーパーマリオの発売日に秋葉原に父に連れて行ってもらい購入したのだ。

店でスーパーマリオを買うか、当時流行っていた別のゲームを買おうかずいぶんと悩んだのを今でも覚えている。何しろ、どんなゲームか分からないのは勇気がいるものだ。当時人気があったゲームを買いたかった。それでも、悩んだ末に店の人に勧められてスーパーマリオを買ったのだ。
買ってからずいぶんと遊んだ。遊び飽きても、みんながやりたがって他のゲームと貸し借りをよくしたものだ。

沢山のゲームで遊んだ小学校時代の長い期間だった記憶だが、今考えてみるとファミコンで遊んだのはせいぜい3年間程度だったことに驚かされる。

任天堂の成功はファミコンに尽きる。世界的には早くから同じような家庭用ゲームがあり、米国ではアタリが発売して一時期ブームとなっていた。しかしブームに便乗してゲームをつくったことも無いようなお菓子の会社なんかまでもゲームを発売し、その当時ユーザーレビューなんか無い時代で、子供はゲームのパッケージと広告を見るだけで内容を推測して購入していた。その結果、クソゲーで溢れかえり、米国のゲーム市場は崩壊し破産した企業で溢れかえったのだ。

それを学習しての任天堂のファミコンの市場投入であった。14800円という安価なテレビゲーム機がすごかった訳ではない。ゲーム製作会社を完全にコントロールし、クソゲーを市場に出なくし、玩具屋に流通させる問屋のネットワーク(初心会)を作り上げたこと(元々任天堂は花札とトランプのメーカーだったのでそれがそのまま使えたのだ)、そして完成度の高いゲームが口コミで広がっていったのだ。

自分が遊び尽くしたのはファミコンの全盛期だったのだ。

中学生になってからは、ファコミンの処理能力では飽き足らず、自宅にあったPC9801のゲームにずいぶんと嵌ったものだ。ファミコンではできない処理能力とグラフィック能力に圧倒され、小難しいRPGなど結構やった記憶がある。1人用のゲームで部屋に篭ってやるオタクな感じだ。

ファミコンはスーパーファミコンとなり、ゲームボーイも成功し任天堂は慢心した。
ゲームづくりはマンネリ化し、流通に介在する問屋は小売に対して販売数量の決定権を持っていたので嫌われた。ゲーム会社からの不満も増加していった。ゲームをやったことのない消費者はなかなかゲームをこれからやろうという雰囲気にはなれないような状況だったのかもしれない。

そんな中、ソニーがPSを発売するのだ。
そもそもソニーは任天堂からCDをソフトとしたゲームの開発をさせられたが頓挫した経験がある。任天堂はCD化を目指し、その後もフィリップスなんかにやらせたようだがうまくいかず、ROM基板のゲームで新型機も開発していた。

ソニーは電気屋にしか流通網を持たない。しかし玩具小売が任天堂の問屋に対する大きな不信感を持っていることを知っており、直販流通網を確立させた。
ゲームも高機能化ではなく、グラフィック重視のスペックとしCDによる安価なソフト制作ができるようにし、サードパーティのゲーム会社が安価に開発できる環境も整えた。
要するに任天堂に対する不満を解消する戦略で責めたのだ。

流通するゲームの量も、ゲーム会社も圧倒的に不利な状況下ではあったが、ナムコに加えスクウェアのFF7の参入で勝負が付いた。任天堂やセガの自滅要素も強いが、圧倒的なグラフィックが凌駕した。それに加え、これまでゲームをしたことの無い消費者をまったく新しい感覚のゲームで取り入れることに成功したのだ。

当時自分は大学生になっていた。サークルの部室でバイオハザードをやったときは本当に驚いた。グラフィックがリアルになることでゲームの世界観がまったく違ったものになったのだ。

やがて任天堂は衰退し、ソニー全盛期となる。PS2も成功したがやがてスペック向上ばかりに注力することで消費者からそっぽを向かれるようになるのだが。
成功による慢心は大きい。
任天堂はファミコンやゲームウォッチが成功する前は何度も倒産しそうな時期があった。
トランプで成功し上場したものの、トランプは下火となり、レジャー施設の開発やラブホテルの運営までもやる多角化経営で、どれもが失敗した。
その度に、ゲームでアイデア商品を売り出し爆発的に短期間売ることで凌いできた会社だ。

その後の任天堂のDS、Wiiは初心に返り、これまでゲームをしたことのない消費者を取り込んで大成功した。
そして今はiPhoneの登場によりゲームはスマホが主戦場となってしまった。

今では自分はゲームをそれほどやらない。10年前からPS2をちょくちょくやっても難しくてほとんどクリアできない。ゲーム中毒になるのが怖いのか、時間が取れないからか昔のようには熱中しない。最新のゲーム機には魅力を感じない。一世代以上前のゲーム機でも中古で安いソフトで遊べれば十分だ。
任天堂のWiiはゲームをするというより、Youtubeやhuluをテレビで見るために主に使っていて、ゲーム機というよりはネット接続機だ。

それでも子供が小学生になり、Wiiで身体を動かしながら一緒に遊ぶには楽しい。Wii Fitなんかも新しい消費者を捕らえたが、ゲームで身体を使ってダイエットまでするというのは画期的な発想だったと思う。

今のゲームはファミコンの時代とは雲泥の差の出来栄えだ。それでも小学生の頃の興奮が味わえないのはどういうことだろうか。

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