原発に対する国民の憤りは激しい。先日の国会を取り巻くデモ集会は主催者側は20万人集まったとのことだった。
原発の危険性は確かに存在するし、東電による独占事業という問題も浮き彫りになった。津波から原発事故の後の国の対応や隠ぺい対応にも国民は辟易としているのだろう。
それでも原発はもはや生活には切り離せないほど重要な存在だということは認識しなければならないだろう。
デモ集会で坂本龍一は「たかが電気」、「電気のため、なぜ命を」と発言した。
坂本龍一が電子音楽で成功し財産を築いたのは、もちろん電気の恩恵を受けてのことだ。それは置いておいてとしても、「たかが電気」では無いのだ。
確かに江戸時代には電気なんかなかったし、それで生活できていた。
しかし現代の生活に電気は必要なのだ。電気が無ければ、社会活動はままならない。交通手段が止まり物流が閉ざされ、病院でも電気が使えないとなると命が危険にさらされる。産業は衰退し、貧困や飢餓にまで発展する。
火力や自然エネルギーでも良いではないかと意見が圧倒的だが、電気料金の値上げは産業の衰退と生活レベル低下につながるし、火力発電はCO2排出で環境に有害だ。
安全神話の崩れた原発の放射能リスクは高いにしても、それでも原発はクリーンでコストの安い発電方法なのだ。
世界中で原発廃止となればまだしも、中国では原発100基も建設予定である。巨大な隣国との競争は熾烈を極め、産業競争で負ければ日本人の生活に直結し、健康を害する人もいれば、病院に通えない人も出てくるだろう。
なんとか停電リスクは回避できそうではあるが、万が一停電でもすれば原発稼働とは比べられないほどの死者を含めた被害者が出る。
脱原発と訴える人の中で、資産があり電気代が上がろうが生活に困らないという人ならわかるが、一般生活者にとって本当に大切なのは何なのか冷静に考えてみるべきだと思う。