「最小不幸社会の実現」という言葉に違和感を覚える。米国でも社会保障の充実に反対するティーパーティが一大勢力となり政治活動を行っていた。
日本においては社会福祉の充実は当たり前の良いことであるという前提になっていないだろうか。
先日テレビ番組でこのようなやりとりがあった。大卒者の内定率低下の問題は企業の解雇規制の影響を受けている。本来企業は高賃金・低能力の年配者を解雇して若年者を雇用したいが解雇規制が足かせとなっている。これは産業の活性化にもならない。
当たり前のこの議論をテレビの討論でも政治家は受け入れていたが、そのためにはセーフティネットが必要だという話になった。
この主張に違和感を持ったのだ。
若年者のセーフティネットなど無いのが現状だ。親にすがるかフリーターとなってその場しのぎを多くの者はしている。
また、フリーランス、個人事業主や中小企業の役員は倒産しても失業保険が無い。漫画家にしろスポーツ選手にしろ、能力のあるほんの一部が富を独占し、能力の無いものはその仕事では受け皿は用意されていないのだ。
それがサラリーマンの話になった途端に、必要な仕事を用意しなければいけないなどという話になる。
少なくとも退職金や失業保険が貰えるだけ、企業で解雇されるべき人は恵まれている。
最小不幸社会というのも、主な指標としては経済能力の事をさすが、富のあるものから無いものへの分配である。こんなことを続ければモラルハザードが起こるのではないだろうか。そして日本経済の収縮と財政破綻が近づいている。