›7 27, 2006

日本は福祉国家を目指すのか?

Category: 政治経済(Political Economy) / 0 Comments: Post / View

福祉国家とは国民の福祉増進と確保を意味し、全ての国民に人間らしい文化的最低限度の生活を保障しようとする国家のことを意味するのである。問題はその保障制度の範囲である。

民主主義国家において福祉は少なからず実施されているが範囲が幅広い。民主主義である以上、国民の誰もが同等の価値を持ち平等に扱われる。乞食でも障害者でも選挙で誰もが等しく1票を持つという考えである。

これは自然界の競争原則、弱者が淘汰されるという原則から外れている。

ところが多くの国家でこの民主主義を採用してており、多くの人がこの概念こそが動物と人間の違いであり、英知であると考えている。そして民主主義国家である以上その考えを受け入れられるかに関わらず従わないといけない。

さて福祉国家は行き過ぎると国家は破綻する。社会保障が行き進み、健康な者、稼げる者から税を徴収し弱者にまかなわれるとすると、健康な者、稼げる者はその国で税金を納めたくなくなる。また弱者は働かずとも生活できるので弱者になろうとする者が現れる。他国からもその国に行って弱者として生活したいと思う者も現れる。

現にEUでは社会保障が厚く、EU以外からの移民が押し寄せており、EU諸国家は移民政策で厳しく移民を制限している。弱者の移民が多く押し寄せればEU諸国家は破綻してしまう。他方米国は移民には肝要ではあるが、社会保障は非常に低レベルである。(それでも民主国家なので発展途上国に比べると手厚い)社会保障に税を回さないことで税を払うものは自分への還元率が高くなりやりがいもでる。結果多くの富を産み出し国益に繋がる。

つまり弱者を守るか強者を守るかのトレードオフの側面がある。
米国はかつて「自由の国」と呼ばれ、「アメリカンドリーム」が象徴的であったが、その反面貧弱な社会保障が移民受入、成功時の多大な報酬に結びついていると言える。

自由主義というと今ではリベラルという左翼的な言葉になり、手厚い社会保障こそが自由などという風潮があるが、真の自由主義者はリバータリアンと呼び(リベラルとは違うという意味合いを込めて)制約なのい社会、保護は無くむしろ福祉は自己責任といった自由主義史観が芽生えているように感ずる。

さて、日本は団塊の世代の大量の退職者を迎える時代に突入する。世界でも歴史上も例の無い大量経済的弱者の登場である。
現在は移民を制限しているが、労働力としては必要な時代に突入する。そのような環境にどのような福祉国家を構築するかが我々が政治家を選ぶ際にも重要な視点である。



Comments