›10 16, 2013

米国シャットダウンとティーパーティ

Posted by skillstorage at 13:45 / Category: 政治経済(Political Economy) / 0 Comments

米国ではシャットダウン(政府封鎖)という状況にオバマ民主党政権は追い込まれた。
国民の支持で選ばれオバマ大統領は国民皆保険の実現に動いた。法案も通っているにもかかわらず共和党による嫌がらせにも見える債務上限引き上げ問題による脅しが毎度見られる。

米国の医療は世界最先端であるにもかかわらず、国民健康保険が無いため金の無い人はその恩恵を受けることができない。民間の保険会社にしても、既に病気持ちの人の加入は拒否され、低所得者も加入できない。オバマの提唱する国民皆保険によって税金徴収が不可欠であるが、年収2000万円以上の高額所得者の負担が増えるだけであり、ほとんどの国民にとって国民皆保険による恩恵の方が大きい。

それにもかかわらず国民皆保険への反対意識が根強い。

ティーパーティ(Taxed Already Enough)運動がリーマンショック後の99%運動と対比されるように注目され、共和党の支持基盤となった。
ティーパーティは、中級階級の主に白人を中心に運動が展開されている。国家による税の強制徴収と分配に反対しているのだ。
ロン・ポールなどリバタリアンを主張する政治家も人気を集めている。

日本人の多くが、生活で困ったらそれを助けるのはお上(国家や自治体)の仕事であり、それを当然と思っている。
しかし米国では国民が国に何かを期待するのではなく、それぞれ個人が国に何ができるのかを考えている。そういった人が多いのを印象付けるのがティーパーティ運動に見られることであり、正直羨ましく思える。

日本では政治家もそれを目指す人の多くが、政治の仕事は困っている人を助けることと当たり前のように思っている。しかし、本来政治の役目は夜警国家という言葉があるように、治安の維持や外交といったことに限られ(これらも民営化できる)、困っている人は自分で何とかするか、家族や地域といったコミュニティ内で自助努力で解決すべきものであった。

いつの間にか、国家に依存する国民気質になり増税と国債発行増加によるバラマキがまかり通るようになり、生活保護者とその額は鰻上りとなってしまった。

今はまだ、自由の名の下に福祉、医療への多大な分配が継続されるが、やがて先進国の財政運用は破綻するだろう。その際にティーパーティ運動の目指す小さい政府が実現するのだろう。

それがどのような世界観なのか、クリント・イーストウッドの映画を見ることで体験することができる。
映画「許されざる者」は年老いたカウボーイの話だが、罪人に対して生ぬるい対応をする保安官が支配する町へ売春婦達が自立と復習のため年老いた殺し屋カウボーイを雇う話だ。
映画「ミリオンダラーベイビー」でも、モーガン・フリーマンとイーストウッドの共演だが、貧困層(ホワイトトラッシュ)の30歳を過ぎた女がプロボクサーとなる話だ。女の親は生活保護をもらう堕落した生活に満足しており、賞金で買ってあげた家を生活保護が打ち切られるからと貰うことを拒否する。
ボクシングで身体が不具になっても、自由に死を選ぶ権利もそれを手助けすることも許されない社会に対する警鐘でもある。

これらの映画を見ると、現代的な福祉国家の問題と自由について考えされられる。